« 真理を生活に表そう | トップページ | 『日本会議の研究』について (2) »

2016年6月 1日 (水)

『日本会議の研究』について

 5月29日に大阪で行われた生長の家講習会で、私は「運動の変化」について話した。この話題は、講習会のテキストに使っている拙著『宗教はなぜ都会を離れるか?--世界平和実現のために』(2014年11月刊)の第1章のタイトルと同じである。この本が世に出てからすでに1年半になるから、読者の多くはきっと内容をご存じであろう。生長の家の運動が、創始者、谷口雅春先生の時代から変わってきていることと、その理由について解説しているのが、この第1章である。同じ趣旨の解説は、私が監修した『歴史から何を学ぶか--平成15年度生長の家教修会の記録』(2004年刊)の中にも書いてあるが、こちらの本は講師を対象にした硬い内容のものなので、あまり多くの人は読んでいられないだろう。 
 
 生長の家の講習会には、私たちの運動について予備知識をあまりもたない人も参加しているから、普通の場合は、ことさら「運動の変化」を語る必要はないかもしれない。しかし、平成の年号も28年を重ね、運動熱心な幹部の中にも、昭和50年代の後半まで教団を挙げて行われていた激しい政治運動のことを知らない人が増えたことを考えると、宗教と政治の関係の難しさや、両者が密着することの弊害について、生長の家の経験を通してきちんと説明するべき時期に来ていると、私は感じていた。 
 
『宗教はなぜ……』の第1章は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を、戦後の44年にわたる“東西冷戦”の時代と、それ以後の変化を対比させながら明らかにした。これは言わば、マクロの(大局的な)視点からの解説だから、どうしても抽象的になった。その主旨をここで概括的に言えば「世界情勢の変化が宗教運動の方向を変えた」ということである。しかし、宗教は日常的には「人の心」というミクロの問題を扱うのである。だから、このミクロの視点からも、宗教と政治が密着することの問題について、私はどこかで具体的に述べる必要を感じていた。 
 
 もちろん上掲書が、この“ミクロの問題”にまったく触れていないわけではない。例えば、同書の20ページには、政治運動と宗教運動の両立の難しさが、次のように書かれている-- 
 
「とにかく、生長の家は、このような考えにもとづいて“大日本帝国憲法復元改正”を最終的な目標として、生長の家政治連合(生政連)を結成(1964年)し、政治活動を展開した。しかし、この運動は、生長の家の代表をできるだけ多く政治の舞台に送り出すのが目的だから、日本のどこかで選挙があるたびに、生長の家の信徒は政治運動に駆り出され、真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回ることになる。そのためには新たな資金も人材も時間も必要となり、宗教活動はしだいに政治活動に従属していったのである。そして、国会において生長の家が進めていた優生保護法改正がかなわず、加えて参院選でも生長の家代表候補が落選したことを受けて、1983年7月、生政連の活動は停止され、“今後は教勢拡大にむけて全力をそそぐこと”が決定された。もう30年近くも前のことではあるが、私たちの運動史の中のこの“政治の季節”に体験した高揚感などが忘れられず、その頃の運動に帰りたいと思う人々は、少数だがまだいるようである。」 
 
 ここにある「真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回る」という意味は、政治目標達成や選挙運動に力を入れるあまり、何が正しく、何が真理であるかという判断や、個人が抱える苦悩の救済が二の次に回されてしまったという意味である。また、「宗教活動はしだいに政治活動に従属していった」という意味は、教団の組織的活動において、宗教的なもののが後退する一方、政治的なものが優先されるようになったということだ。これは、「政治目標達成のために宗教的情熱が利用される」と表現してもいいかもしれない。宗教運動にとってこのような傾向は決して好ましくないため、第二代総裁の谷口清超先生は、昭和58年に生政連の活動停止を決断されたのだった。 
 
 ところが、この決定を好ましく思わない人、納得しない人、さらには反対する人も教団内には少なからずいた。それらの人々の中には、自らが好む政治活動に注力するために、潔く教団から離れた人もいた。が、その他の多くの人々の中には、表面は本部の方針に従う振りをしながら、陰では従来通りの政治活動をしたり、政治運動との接触を続けていた者もいたのである。教区の講師の代表である教化部長や、本部の理事(現在は参議)の中にも、このようにして本心を隠したり、“二股を掛ける”生き方を続けてきた人がいたことは、誠に残念である。なぜなら、宗教運動とは信仰運動であり、信仰には誠実さが何よりも必要であるのに、これらの人々は、表と裏を使い分ける不誠実な生き方を長年にわたって続けてきたからである。 
 
Nihonkaigi  そういう人々が具体的にどんな種類の人であり、宗教の陰でどんな政治活動を続け、何を目標としてきたかは、本部の側からは判然としなかった。ところが最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。菅野完(すがの・たもつ)氏が書いた『日本会議の研究』(扶桑社新書)が、それである。この本には、かつて生長の家の幹部活動をしていて、今は日本会議が進める政治運動の中枢にいる人が、何人も実名で出てくる。私より年齢が高く、かつ当時の生長の家の運動に関わっていた人々にとっては“懐かしい”話も出てくるが、当時隠されていた“驚くべき”話もある。とにかく、最初は門外漢であったはずの著者が、ここまでよく調べ、よく書いたと感心する。 
 
 つまり、この本には、私が『宗教はなぜ……』の本でカバーできなかったミクロの事実の多くが解説されている。書かれた内容--特に教義に関すること--のすべてが正しいとは言えないが、大きな流れは事実に沿っていると思う。そういう理由もあり、私は大阪で行われた生長の家講習会では、菅野氏の著書を紹介し、興味ある参加者に一読を勧めたのだった。本欄の読者にも、同じことをお勧めする。 
 
 谷口 雅宣

|

« 真理を生活に表そう | トップページ | 『日本会議の研究』について (2) »

国際関係・国際政治」カテゴリの記事

宗教・哲学」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

 大阪の講習会のお話は多少、漏れ伝え伺っております。

 ところで週刊プレイボーイだったか?の週刊誌で安倍政権を支える日本会議という特集があり、その主なメンバー4人の中の三人(高橋史郎氏、伊藤哲夫氏、衛藤晟一氏)までが生長の家と記載されていたのには驚愕すると共にこれは何も知らない人が読んだら生長の家は安倍政権応援団だなと思うと思いました。

 でも現実は真反対ですよね。私も安倍政権は最悪の唯物思想、国粋主義政権だと思います。しかもアメリカ従属。天皇陛下の御心もふみにじる。正に最悪です。

投稿: 堀 浩二 | 2016年6月 2日 (木) 09時20分

「与党とその候補者を支持しない」
の宣言を見て、非常に感銘を受け、こちらを拝見に参りました。

安陪政権の本質は虚偽・嘘をつくことを何とも思わないということです。これは心ある国民の誰しもが感じていることだと思います。
他方宗教の目的はいかに真実を発見し、実践していくかにあると思います。
ところが、宗教と言われる我が国のいわゆる仏教界から、安陪政権の虚偽性に、この様に明確に反対する指摘がなれたことは、私は知りません。
おそらく、いわゆる宗教に対する国民の不信感はこの様な矛盾を平気で行う(発言もしない)ところに内在しているのではないかと思います。
何もかも不信感にさいなまれたような状況において、今回のような宣言をされたことは、非常に尊いことであると感じます。この様な宣言に対して、マスコミは無視を決め込んだり、又感情的ないわゆる右翼からは攻撃的な動きがあるものと思われます。そのようなことも考慮されて、勇気ある宣言がなされたのだと思います。

ところで、虚偽政権を支えているのは我が国で最も有名な宗教集団とその政党ですね。この宣言を見て、この人々は何を思うのでしょうか。非常に興味深いところです。

何はともあれ、勇気ある宣言に敬意を表させて頂きたく拙文をお送りさせて頂きます。

投稿: 斎藤利幸 | 2016年6月10日 (金) 17時08分

初めまして。母と叔母が信徒だったので、私も30年ほど前には青年会の女子信徒でした。あの頃、既に本部の方針では政治活動は禁止だったそうですが、私たち一般の青年会信徒にはまだそれは伝わっておらず、青年会の男女の役員の方たちに言われて、「日本を守る会」とかの行事の手伝いをさせられました。でも、そこで語られることが、あまりに戦前の日本を褒め上げるような話だったり、女子部の会合の「花のつどい」でも「愛国の花」という「銃後の女子」のための歌を歌わせられるというようなことが度々ありました。そのうちに、ここでの話は、家族でも白鳩会や相愛会の人には言わないでほしいというようなことを言われて、これはおかしいと思い、よくよく尋ねてみますと、どうも彼らがすでに生長の家の外部に出てしまった先輩たちの指示で動いているらしいと気づきました。当時大学生だった叔母の息子の従弟も、先輩に誘われて集会に付いて行ったら、戦時中の神風特攻隊を賞賛する話だったとか、今の歴史教育はアメリカの指導のもとに日本を貶めるように作られてしまっているので、戦前の日本が間違っていなかったことを子供たちに教える歴史の教科書をつくるのだとか聞かされてきたとか言って、驚いていました。なんだか怖いような気がして母や叔母に相談すると、自分たちは生長の家の教えと白鳩会の仲間が好きだからやめないけれど、右翼みたいなことに付き合わされるのは心配だから、若い人はやめなさいと言ったので、私と従弟は青年会をやめてしまいました。

そんな経験もあったので、数年前に国民会議のことがネット上に出た頃から、あの頃の先輩方が関わっているのではないかと、なんとなくは思ってはおりました。とはいえ、私などは安保闘争世代から一回りも年下ですので、右派の学生運動家だったという、上の方の先輩方のことまではお名前さえ存じ上げませんでしたが、今回、菅野氏の『日本会議の研究』を読み、ああそう言うことだったのかとあらためて思ったものでした。

以来、私自身は会員ではありませんが、母たちが入会しているので、雅宣先生の書かれたものは見ることがあります。15年前の9.11の後にブッシュ大統領が「報復」としてアフガンやイラクに侵攻し、タリバンやアルカイダの名が有名になったせいで、イスラム教やイスラム教徒に対する偏見が一気に世界に広まってしまった時がありましたが、その時、母が取っている生長の家の新聞を見たら、雅宣先生が、イスラム教の教えやイスラム教徒の人たちの生活についてわかりやすく解説され、本来のイスラム教はけして危険なものでも狭量なものでもない。イスラム教徒も平和を愛して助けあいながら敬虔に生きる人々だということを書いておられて、あれだけ世間がイスラムが悪いように言っている中での冷静な御発言にとても感動した覚えがあります。

最近、足腰の弱った母の代わりに、講習会に参加させていただいたこともありました。地球の食糧資源を過多の肉食によって一部の人たちが独占してしまうようなことをせず、人類が仲良く公平に食べていくためのノーミート運動も素晴らしいと思います。他の資源も同じことで、それぞれが欲を出さず、慎ましく生活をすれば、世界平和につながるという先生の御信念、本当にその通りと思います。これから先生のご著書なども読ませていただこうと思っております。

投稿: やまぼうし | 2016年6月10日 (金) 23時59分

やまぼうしさん、

 率直な感想と激励をいただき、ありがとうございます。
ともにライフスタイルの転換、がんばりましょう!

投稿: 谷口 | 2016年6月11日 (土) 17時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 真理を生活に表そう | トップページ | 『日本会議の研究』について (2) »