核兵器と麻薬
「核って麻薬みたいなものね…」
朝食後の食器を片づけている妻が、カウンター越しに言った。
「えぇ…」
私は薪運びの準備をしながら、肯定とも否定ともいえない返事をした。妻の言葉の真意が、すぐには理解できなかったからだ。
冬の朝食後の私の仕事は、居間の中央に置かれた薪ストーブの後ろに、南側のデッキから移動した薪を積むこと。そして、デッキに並べられた薪が居間に移動した分、北側の薪小屋から薪を運んでくる。これを毎日きちんとしておかないと、十分乾燥していない薪をストーブに入れるはめになる。すると、薪は黒い煙を出すだけで、よく燃えない。氷点下が続く冬は、ぜひ避けたいことだ。
妻が言う「核」とは、核兵器のことである。前日にオフィスで行われた講師の勉強会で、核の抑止力について発表があり、その発表の締めくくりとして私が話したことについて、妻は感想を漏らしたのだった。
「麻薬」という比喩は、「やめたくてもやめられない」という状態になるという意味では当たっている。核兵器は通常、隣国か、隣国の同盟国に強い脅威を感じた国が、防衛上の観点から採用するものだ。隣国から攻撃されても、「こちらには“最終兵器”があるゾ!」というメッセージを出して、「報復に核を使われたら、ヒドイ目にあうかもしれない」と恐怖させ、攻撃を躊躇させることで国の安全を確保するのが目的だ。しかし、本当の問題はそこから始まる。それは、核兵器が“最終兵器”と言われるように、破壊力の甚大さでは比類がないからだ。
ある国が核武装をすると、その国と対立する隣国(もしくはその同盟国)は、この破壊力が自分たちに及ぶ可能性を考えて恐怖する。そして、破壊を受けないような対策を講じようとする。核爆弾は、それを持っているだけでは意味が少ない。自国で爆発すれば、自国が破壊されるだけだからだ。核は、それなりの正確さをもった運搬手段を使って、敵方の目標近くまで確実に運び、そこで爆発させなければならない。だから、隣国の核武装を恐れる国は、その運搬手段が自国の領土内、あるいは領空内に達するまでに破壊する方法を考えるのだ。
核爆弾の運搬手段は、現在のところ①航空機、②ミサイル、③船舶(潜水艦)が主なものだ。しかし、技術革新で核爆弾の小型化が進むと④自動車、⑤ドローン(無人航空機)、そして⑥人間、によっても運搬が可能となる。
交通と輸送が高度に発達し、グローバル化した現代では、この6つの運搬手段すべてを、一国の領域内に侵入させない方法など存在しない。そこで、隣国の核武装を恐れる国は、別の対策を考える。それは、自分の国でも核兵器かそれに近い大量破壊兵器を開発し、対立する隣国に対して「お前がこっちを核で攻撃すれば、それと同等の破壊力でお前も破壊するゾ!」と脅すことで隣国に恐怖を抱かせ、核による攻撃を躊躇させることだ。これが、核の抑止力(deterrence )と言われるものだ。
しかしここで重要なのは、「同等の破壊力でお前も破壊するゾ!」というメッセージに信憑性があることだ。「あれは完全なブラフで、彼らは本当は核爆弾など持っていないか、持っていても運搬手段が完成していない」ともし、核武装した敵意のある隣国が考えたとしたら、「では、今のうちに相手の核開発を阻止しておこう」という誘惑が生じ、かえって攻撃される危険性が増大する。そこで、核武装を決意した国は、運搬手段も含めた核兵器の開発を中断することが困難になるのである。また、自分の核開発の状態を過大に宣伝する必要を感じることもある。
近年の北朝鮮の言動が、ここに描いた通りであることに読者は気づいてほしい。また、イスラエルが実際、核兵器製造を疑っていたイラク(1981年)やシリア(2007年)の核施設を単独で攻撃した動機も、ここにある通りだと私は考える。北朝鮮は、アメリカの軍事力を恐怖し、その同盟国である日韓を恐怖しているから、アメリカに対して「お前がこっちを攻撃すれば、核の破壊力でお前も破壊されるゾ!」というメッセージを込めて、核実験を行い、ミサイルを日本海や太平洋に打ち込み、SLBM(潜水艦搭載型ミサイル)の実験成功を宣伝し、「水爆実験も成功した」と大声で叫ばなければならないのだ。
「麻薬」の中毒者は、麻薬を吸引した際の陶酔感に縛られて、やめられなくなる。しかし、核武装は陶酔感ではなく、強い恐怖から始まるところが違うと思う。また、この恐怖心から逃れられなくなる点も、麻薬とは異なる。確かに核武装の当初、その恐怖心は一時的にゴマかせるかもしれない。しかし、“敵”も同じ恐怖心を共有するから、それを消そうと核武装をさらに強め、そのおかげで自分側にもさらなる恐怖が生まれる。そして、双方が“恐怖の均衡”に向かって果てしなく軍拡競争をする道が用意されている。そんな道を、日本の安全保障の選択肢として残しておくべきだという政治家がいるとしたら、それは嘆かわしいことである。
谷口 雅宣
| 固定リンク
「国際関係・国際政治」カテゴリの記事
- 「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績(2021.10.28)
- 「万教包容」から「万物包容」へ(2021.07.07)
- 困難の中で「内に宿る神」の声を聴く(2021.03.01)
- 幸福とは自然を愛すること (2021.01.01)
- ボードゲーム「コロナバスターズ」について (2020.05.12)
「認知科学・心理学」カテゴリの記事
- “背教者”はいない(2016.11.22)
- 一個の肉体(2016.03.04)
- 個々の現象の“背後”を観よ(2016.03.01)
- 核兵器と麻薬(2016.01.23)
- 不思善悪(2015.05.23)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
慎重に慎重に、、、
デッキが南側にあり 北側に薪小屋があるというのは、理にかなっているなあと思いました。薪ストーブはとっても温かいそうですが そうなるためには日々の小さな積み重ねが大切なのだと感じました。桝谷拝
投稿: 桝谷栄子 | 2016年1月24日 (日) 15時13分
拝 谷口雅宣先生いきなりの質問で非礼と無礼お詫びします。今回、朝鮮民主主義人民共和国の報道では、米国の脅威に対抗するため、水素爆弾の核実験に成功したと発表しましたが、総裁先生の個人的見解はいかがなものですか?。そして、その水素爆弾はアメリカ型水素爆弾とソ連型水素爆弾に分けられますがどちらだて思われますか?。アメリカは私の記憶では1980年代初頭に中性子爆弾の実験に成功していますが、朝鮮民主主義人民共和国も中性子爆弾を製作する可能性はあると思いますか?。私はそういう点では日本は唯一の被爆国ですが、日本も核武装する必要もありうると思います。麻薬の常用は連鎖反応でやめられなくなりますが、その点ではタバコも麻薬の一種と思います。しかし国策でタバコは直接税での税金収入が免罪符になっている様になっている感じがします。先生はこれから先、この様な事態がある場合、どの様な指針をもつべきかご教示いただけたら有り難く存じ上げます。
投稿: 直井 誠 | 2016年1月25日 (月) 00時54分
小学生の時、原爆の映画等を学校で見せられました。あまりの悲惨な映像に、幼い私はショックを受け、校庭で青い空を見ると、原爆が落ちてくるのではないかと、恐怖におびえていたものでした。私達人類は、核兵器の廃絶を成し遂げなければなりません。子供の時からの、強い願いです。岡本淳子
投稿: 岡本淳子 | 2016年1月29日 (金) 00時42分
直井さん、
>> 私はそういう点では日本は唯一の被爆国ですが、日本も核武装する必要もありうると思います。<<
私の「個人的見解」を聞きたいとおっしゃいますが、何に対する見解なのでしょうか? 日本の核武装については、ブログの文章に書いてあるように、私は反対しています。貴方は、「日本も核武装する必要もありうる」とのお考えのようですが、その理由を教えていただけませんか?
投稿: 谷口 | 2016年1月29日 (金) 16時43分