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2015年12月10日 (木)

イスラーム国の問題を考える (2)

 私は11月27日のBBCで、ISISの問題を考えるには、イスラーム内部の宗派対立の問題以外にもインターネット等の技術革新の要素を見逃してはいけないと発言したが、これについては、『TIME』誌の同じ記事は、こう描いている-- 
 
 若者--とりわけ移民とその子供たち--は、自分の周囲の物理的なコミュニティーや国家よりも、ネットを通じたバーチャルな関係に依存する傾向があり、ISISの宣伝要員はこの関係を利用して若者の心に入り込んでいる。人類学者のスコット・アトラン氏(Scott Atran)は、国連の安全保障理事会での証言で、あるISISの新兵勧誘担当者は、1人の対象者に対して、ISISの運動の意味をその対象者に合わせながら説得するのに数百時間も費やしたといっている。これはもちろん、マンツーマンの面接ではない。それはSNSなどのネットを通した説得であり、これが可能なのは、動画や音声を含めた大容量データ送受信の技術がなければならず、ISISは、これらを使いこなす技術を有しているということだ。また、ISISの対象者となった側にも、同じ技術を利用するノウハウがなければならないだろう。この点で、先進諸国に居住する若者はISISのリクルートの対象になりやすいと言えるだろう。 
 
 では、先進諸国の若者は皆、潜在的にISISのメンバーとなりやすいのか? ここで、先進諸国内部での経済や雇用などの社会問題が重要になってくる。「自由・博愛・平等」が国家の理想として掲げられているフランスにおいて、あるいはそれと似た価値観(西側の価値観)を掲げるベルギーやドイツやイギリスにおいて、イスラーム系住民は実際、どういう境遇にあるのか? 経済の停滞と貧富の格差拡大、また宗教上の有形無形の差別の問題が、この文脈で重要になるだろう。 
 
 フランスの文化政策については、『TIME』誌は「世俗主義」が徹底していると述べている。イスラームとの関係では、それは、例えば、スカーフ類で頭を覆って学校に来てはいけないことに表れている。スカーフだけでなく、宗教的シンボルと考えられるものは、キリスト教の十字架でも、ユダヤ教のヤムルカ(男性が頭に載せる小帽子)も着用してはいけない。これは、フランスでは植民地時代から、学校というものが「フランス文化を学ぶ場」として位置づけられているからだ。こういう文化や社会環境では、イスラーム系諸国からの移民やその子孫は、国家や社会から疎外されていると感じることになる。イスラームが聖俗不分離であることを思い出してほしい。宗教と生活を一体のものとして育ってきた人が、移民先でいきなりその一方を禁じられるのである。中には、自分たちのルーツを奪われると感じる人もいるだろう。これに、経済的な格差や社会的差別の問題が加わることで、フランス社会への敵意が生まれたとしても不思議ではない。 
 
 BBCでは、ベルギーの「モランベーク」(Molenbeek)という地区のことが取り上げられたが、ここはEUの本部があるブリュッセル郊外の小さい町だ。EUの首都から近いだけでなく、ロンドンやアムステルダム、パリへも列車で2時間前後で行ける。にもかかわらず、ここは今、社会的立場の低い人々が多く集まる場所になっているというのが、一つの問題だろう。2004年のマドリードの爆弾事件、風刺画雑誌『チャーリー・ヘブド』の出版社へのテロ攻撃、パリ行列車の爆破未遂事件など、過去のいくつものテロ事件の関係者がこの地とつながっていた。それなのに、治安対策はこれまで緩かったという。 
 
 シリア、レバノン、イスラエルを含む「レバント」と呼ばれる地方の武力闘争にヨーロッパから参加する人は、国別の人口比で見るとベルギー人が最も多いという。フランス人の2倍、イギリス人の4倍だというから、改善の余地はあるだろう。しかし、警察官の配備を増やしたり、ネット活動の監視や電話の盗聴などを強化するのには限界がある。なぜなら、これらの治安対策は、一定の範囲を超えると、民主主義の基本である個人の自由尊重の原則と矛盾してくるからだ。また、非ヨーロッパ系の移民やその子孫たちが、ヨーロッパ社会で就職などで不利な扱いを受けているならば、その社会的問題の改善なくして、反社会的行動を劇的に減らすことは不可能と思われるからだ。 
 
 この点について、12月6日付の『朝日新聞』は、興味ある観察を掲載している。それはブリュッセル発の報道記事で、問題のモランベーク地区で若者の過激化の問題を扱っている人の言葉だ。今回、パリのテロ事件の首謀者とされるアブデルアミド・アバウド容疑者(当時28歳、死亡)はここの出身で、父親はモロッコから約40年前に移住し、衣料品店を営んでいたという。この地域は小ぎれいなレンガ造りの家が並ぶ中流階級の生活区域で、アバウド容疑者はここのカトリック系名門中学に通っていたという。イスラームの信者ではなかったのだ。ところが、何かの理由で道を踏み外し、盗みをするようになり、やがて退学処分を受け、その後、窃盗罪などで服役することになる。 
 
 過激化問題の専門家は、こういう若者がテロに向かう理由についてこう述べている-- 
 
「テロは彼らにとって反社会的な行為、“非行”の一つにすぎなかった。今回のテロは、宗教というより、そもそも自分が何者であるかという若者の意識の崩壊の問題だ。」 
 
 2つの祖国をもつ若者が、その一方の社会から何かの理由で疎外される。しかし、もう一方の祖国のことはよく分からない。が、親の国だから“悪い国”だとは思えない。そんな時、“新しい祖国”(親の移民先)に叛逆し、“古い祖国”(移民前の国)に魅力を感じることは不思議でないだろう。そういう「自分は何者か?」を疑う不安定な心に、インターネットなどを通じて「ここに理想的生き方がある」というメッセージが流れて来れば、そこへ引かれていく若者もいるだろう。 
 
 谷口 雅宣

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