豊かさは自他一体の自覚から
今日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、谷口清超大聖師七年祭が執り行われた。私は、玉串をご霊前に捧げ、聖経『甘露の法雨』を参列者とともに一斉読誦したあと、概略、以下のような挨拶をさせていただいた--
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皆さん、本日は谷口清超大聖師七年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど7年前のこの日に89歳で昇天されました。あれからもう7年が経ったと考えると、まさに「光陰矢のごとし」の想いを深くするのであります。
生長の家は、先生のご昇天後、5年ほど東京・原宿での本部業務を続け、2013年の10月から山梨県北杜市のこの地、“森の中のオフィス”に本拠地を移しました。それから2年と数カ月が過ぎているのが現在の私たちです。
私たちは、運動の本拠地が“森の中”へ移転してから、いろいろの変化を経験していますが、これは機会あるごとに私が皆さんに申し上げているように、私たちの住む「現象世界が変転している」ことに伴う変化なのであります。生長の家が説く真理の中身が変化しているのでは決してありません。「臨機応変」とか「対機説法」という言葉があるように、宗教運動は私たちの現象生活の必要に応えていく使命があります。そして、私たちの現象生活というものは、昨今は特に、科学技術の急速な発達によって、大きく、まためまぐるしく変化する時代に入っていることは、皆さんもご存じの通りです。そうなると、宗教運動は、不変の真理にもとづきながらも、現実の対応や運動の仕方は、社会の動きとともに変化しなければならないという難しい課題をこなす必要が出てくるのであります。
生長の家の国際本部の移転も、この課題をこなすための大きな動きの1つであることは、皆さんは十分ご承知でしょう。このあいだ、「生長の家 自然の恵みフェスタ2015」という行事が行われましたが、これも、それほど大きくはありませんが変化の1つでありました。このような行事は、谷口雅春先生の時代はもちろん、清超先生の時代にも行われたことはありませんでした。しかし、この行事の背後にあるものの考え方は、昔から生長の家で説かれてきたことなのです。それは、「天地一切のものとの大調和」です。もっと具体的に言えば、ものを大切に生かし、感謝して使うことです。また、自然界の万物の背後に神性・仏性を見ること。さらには、“与える愛”を実践することなどの教えから生まれているのであります。
「ものを大切に生かし、感謝して使う」ことについては、谷口清超先生は昭和50年5月号の『生長の家』誌に--今から40年前ですが--次のように書かれています--
「 たしかに人間と同じように、製品にも寿命がある。その寿命を完うさせてやらないで、まだ使えるのに捨ててしまうようなことをしているとこの世の中は豊かなようであって、決して豊かでなくなる。
それは心の豊かさがなくなるからである。人間が“足る”ことを知らなくなる。次々に作られる新製品がほしくなり、物はあふれていても、心はつねに飢えるのだ。製品を生かして使わないから、いかに物があふれていても、満足感は得られないのである。
すべての製品やものは、単なる物質ではない。その奥には“神の愛”が宿っている。神のいのちの具体化したものが物質であり、その物質を使って人間が心をこめて作ったものは、どんなに小さな物品でも、それは“神の愛”と“人の真心”とのカタマリなのである。それはある意味からすると生きている。だからその寿命を最大限に生かさなければ相すまない。それを生かすことによって、神の愛が生かされ、人の心が生かされてくる。すると、それは神の無限供給の本源につながるから、吾々の生活は知らず知らずのうちに豊かになるのである。」
現在の日本などの先進諸国では、特に都会では、モノがあり余るほど巷に溢れている中で、貧困が起きています。物質的には豊かな社会の中で、飢餓が存在する。これは、精神的な飢餓状態ばかりでなく、経済的格差拡大にともなう肉体的な飢餓も、“豊かな国”の中に同時に存在するのです。その根本的原因は、人間の心の貧しさ--足ることを知らない、感謝のない欲望優先の生き方だと、清超先生は説かれています。
この教えは、雅春先生が書かれた『甘露の法雨』でも随所に説かれているものです--
「真の『汝そのもの』は物質に非ず、肉体に非ず」
「物質は本来無にして、自性なく力なし」
「快苦は本来物質の内に在らざるに」
「生命は本来物質のうちにあらざるに」
「人間は物質に非ず、肉体に非ず」
「霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし」
「物質に神の国を追い求むる者は、夢を追うて走る者にして、永遠に神の国を建つる事能(あた)わず」
「われ誠に物質の世界の虚(むな)しきを見たり」
--このように、宗教運動には表現の仕方に変化があっても、その奥に変化しない一貫した信仰や思想があることをきちんととらえていくことが、現在のような“変化の時代”を生きる私たちにとっては、非常に重要なことです。
この間も、オフィスで毎月、行っている本部講師と本部講師補の勉強会で、TPPの問題をどう考えるかが話題になりました。すると、ある本部講師の人が、谷口清超先生の『新しい開国の時代』というご著書を取り上げて、その中で先生が「貿易の自由化」を推進されているのだから、生長の家はTPPの締結にも賛成の立場になるのではないか、という意味の発言をされました。そこで私は、注意を喚起したのであります。なぜなら、先生のご著書が書かれた時代的背景や、当時の世界情勢をまったく考慮せずに、文章の表面的意味だけをとらえていると間違うことが大いにあるからです。
『新しい開国の時代』が発行されたのは、今から27年前の平成元年--1988年です。当時はまだ、「新冷戦」と言われる東西対立の時代で、地球環境問題は一般には認知されていませんでした。地球環境問題で先駆的な業績を残しているレスター・ブラウン氏が『地球白書』を最初に出版したのは1984年です。ですから、専門家の間では一部認知されていたとしても、一般的には、人間の経済活動と地球温暖化の関係はまだよく理解されていなかった。
また、地球環境問題に特化された総合雑誌『ワールドウォッチ』の創刊は、1988年--つまり、『新しい開国の時代』の発刊の年です。地球全体を一種の“生命体”と見る「ガイア」の理論をジェームズ・ラブロック博士が提案した『ガイアの時代』(The Ages of GAIA)の発行年も、1988年です。これらは皆、英文の原書の話ですから、日本語の翻訳が出るのはもっと後になります。その後、ワールドウォッチ研究所から『地球環境データブック』が年次発行されるようになりますが、その最初の年は1992年です。また、アメリカの副大統領となったアル・ゴア上院議員(当時)が地球環境問題の解決を訴える『Earth in The Balance』という著書を出したのも、1992年です。そして、ブラウン氏が地球政策研究所(Earth Policy Institute)を創設したのは、その約10年後の2001年でした。したがって、清超先生の自由貿易振興のお考えの中には、貿易拡大にともなう地球温暖化の問題が含まれていなかったと考えねばなりません。そういう複雑な因果関係は、世界的にもまだよく理解されていなかったのです。
しかし、今は違います。ブラウン氏や、世界の気象学者の数多くの研究により、人間の経済活動が地球温暖化の原因であることは、学校の教科書にも書いてある。貿易が現状の諸制度のまま世界的に拡大すれば当然、航空機や船舶による物資の輸送が盛んになり、サービスは拡大し、国境を越えた人々の往来は今以上に盛んになり、エネルギー使用量は増え、CO2の排出量は拡大します。また、貿易拡大によって人々の所得水準が上がれば、肉食の増加が起こります。それは、穀物飼料の増産となり、穀物増産のためには、栽培に必要な耕地を拡げねばならず、そうなると森林面積が減少するほか、多くの環境コストを生み出します。そういう因果関係が明らかになっている今では、貿易拡大が問題の深刻化を招くことは、自明だと言わねばなりません。
このように、宗教の教えや宗教運動は、時代の変遷とともに変化するものであり、また変化しなければ人々や社会の要請に応えることはできません。しかし、そのことは、宗教の説く真理が変わったということではない。変わったのは、“真理の表現”だという点をくれぐれも外さないようにご理解ください。
では、人間の幸福が物質から来るのでないとしたら、いったい何から来るのでしょうか? 谷口清超先生は、同じご著書『新しい開国の時代』の中で「本当の豊かさは自他一体の自覚から」来ると明確に説かれています。最後にそこを紹介して、私の言葉を終わります--
「豊かさの追求」でも「家庭の調和」でも、あるいは「国際政治のあり方」でも、“肉体がアル間だけの問題”ではない。そこのところが分からないと、皆が仲良くやっていこう位のところで終ってしまう。そうではなく、人間の生命が自他一体である。自分も全ての人々も、みな一つ生命を生きている。“一つ”と言っても、ただ単なる一個の意味ではありません。神の生命を共通に生きるものである。永遠に死なないものである。そして他人を幸せにするということは、すなわち自分を幸せにすることである。本当に自分が幸せになることは、同時に他人が幸せにならないと駄目だ、ということが分からなければいけません。(pp.82-83)
(--引用を終わります)
では皆さん、谷口清超先生が物を大切にされたこと、それは物質と見えるものの背後に、神の愛、人の真心を認めていられたこと、そして、「自他一体」の自覚が幸福の源泉であると説かれたことを心に銘記して、“自然と共に伸びる”運動を明るく、勇気をもってさらに大々的に展開していきましょう。
谷口 雅宣
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