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2015年10月

2015年10月31日 (土)

「青々舎通信」 (3)

 生長の家の国際本部“森の中のオフィス”で行われた「生長の家 自然の恵みフェスタ 2015」が、このほど終った。10月24~25日の2日間に行われたもので、昨年に続いて2回目である。青々舎は、「SNIクラフト倶楽部」の一員として、このフェスタにマグネット3種を出品し、おかげさまで完売となった。3種とは、「オフィス型」「唐松(秋)」、そして「天女山」である。 
 
Karamaatsu_2knds  「唐松(秋)」は、すでに製作したことがある「唐松(夏)」の秋バージョンだ。カラマツは日本の固有種のマツで、北海道を初め、山梨県から長野県一帯に多い樹木だ。私の自宅もカラマツ林の中にある。カラマツは典型的な陽樹で、日照が強い荒地など過酷な環境でも発芽し、生育する。その特徴を利用して、戦後の復興期に北海道や甲信地方に多くが植林された。首都圏の木材需要に応えるためである。木材としてはヤニが多く、スギやヒノキに比べて割れや狂いが出やすいことから、炭鉱の坑木や電柱などが主な用途だった。 
 
 ところがその後、コンクリートなどの新技術が生まれ、また貿易の発達で安価な外材が大量に輸入されるなどして林業が衰えたため、山は荒れてしまった。それでも、植林から70年余が経過して、カラマツは育ち、木造建築の環境価値が見直され、さらに頑丈な集成材を造る技術が進歩して大型建築の構造材としての用途が生まれるなど、利用が再興している。強度があり、腐食しにくいという特徴がある。“森の中のオフィス”の外壁はすべてカラマツ材で、構造材にも使われている。尾瀬の湿原をめぐる木道も、ほとんどがカラマツ材だ。また、昨今は薪ストーブなどの燃料用としても、利用され始めている。 
 
 日本の四季との関連を書けば、カラマツは日本の高木針葉樹の中でただ一つ落葉する。これが秋、日本の北半分の山々を独特な美しさで彩る原因の1つとなっている。葉がついている時は赤褐色から黄金色へと変わり、地面に散り敷くと、道や野原をサーモンピンクに変える。空中をハラハラと散る黄褐色の短糸状の葉はやさしく、落ち葉の独特の香りは心を和らげてくれる。私がまだ東京にいた頃、秋に山荘を訪れた際は、カラマツの落ち葉を拾い集めてポプリのように香りを楽しんだものだ。 
 
 この地方でよく採れるハナイグチ(ジゴボー)というキノコは、別名をカラマツタケとも言い、カラマツと共生している。私は今、こうしてカラマツに取り囲まれた生活をしているから、その恩恵には感謝してもしきれない。そんな気持を製作の中に込めた。 
 
 谷口 雅宣

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2015年10月28日 (水)

豊かさは自他一体の自覚から

 今日は午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで、谷口清超大聖師七年祭が執り行われた。私は、玉串をご霊前に捧げ、聖経『甘露の法雨』を参列者とともに一斉読誦したあと、概略、以下のような挨拶をさせていただいた--
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 皆さん、本日は谷口清超大聖師七年祭にご参列いただき、ありがとうございます。谷口清超先生は、ちょうど7年前のこの日に89歳で昇天されました。あれからもう7年が経ったと考えると、まさに「光陰矢のごとし」の想いを深くするのであります。 
 
 生長の家は、先生のご昇天後、5年ほど東京・原宿での本部業務を続け、2013年の10月から山梨県北杜市のこの地、“森の中のオフィス”に本拠地を移しました。それから2年と数カ月が過ぎているのが現在の私たちです。 
 
 私たちは、運動の本拠地が“森の中”へ移転してから、いろいろの変化を経験していますが、これは機会あるごとに私が皆さんに申し上げているように、私たちの住む「現象世界が変転している」ことに伴う変化なのであります。生長の家が説く真理の中身が変化しているのでは決してありません。「臨機応変」とか「対機説法」という言葉があるように、宗教運動は私たちの現象生活の必要に応えていく使命があります。そして、私たちの現象生活というものは、昨今は特に、科学技術の急速な発達によって、大きく、まためまぐるしく変化する時代に入っていることは、皆さんもご存じの通りです。そうなると、宗教運動は、不変の真理にもとづきながらも、現実の対応や運動の仕方は、社会の動きとともに変化しなければならないという難しい課題をこなす必要が出てくるのであります。 
 
 生長の家の国際本部の移転も、この課題をこなすための大きな動きの1つであることは、皆さんは十分ご承知でしょう。このあいだ、「生長の家 自然の恵みフェスタ2015」という行事が行われましたが、これも、それほど大きくはありませんが変化の1つでありました。このような行事は、谷口雅春先生の時代はもちろん、清超先生の時代にも行われたことはありませんでした。しかし、この行事の背後にあるものの考え方は、昔から生長の家で説かれてきたことなのです。それは、「天地一切のものとの大調和」です。もっと具体的に言えば、ものを大切に生かし、感謝して使うことです。また、自然界の万物の背後に神性・仏性を見ること。さらには、“与える愛”を実践することなどの教えから生まれているのであります。 
 
「ものを大切に生かし、感謝して使う」ことについては、谷口清超先生は昭和50年5月号の『生長の家』誌に--今から40年前ですが--次のように書かれています-- 
 
「 たしかに人間と同じように、製品にも寿命がある。その寿命を完うさせてやらないで、まだ使えるのに捨ててしまうようなことをしているとこの世の中は豊かなようであって、決して豊かでなくなる。 
 
 それは心の豊かさがなくなるからである。人間が“足る”ことを知らなくなる。次々に作られる新製品がほしくなり、物はあふれていても、心はつねに飢えるのだ。製品を生かして使わないから、いかに物があふれていても、満足感は得られないのである。 
 
 すべての製品やものは、単なる物質ではない。その奥には“神の愛”が宿っている。神のいのちの具体化したものが物質であり、その物質を使って人間が心をこめて作ったものは、どんなに小さな物品でも、それは“神の愛”と“人の真心”とのカタマリなのである。それはある意味からすると生きている。だからその寿命を最大限に生かさなければ相すまない。それを生かすことによって、神の愛が生かされ、人の心が生かされてくる。すると、それは神の無限供給の本源につながるから、吾々の生活は知らず知らずのうちに豊かになるのである。」 
 
 現在の日本などの先進諸国では、特に都会では、モノがあり余るほど巷に溢れている中で、貧困が起きています。物質的には豊かな社会の中で、飢餓が存在する。これは、精神的な飢餓状態ばかりでなく、経済的格差拡大にともなう肉体的な飢餓も、“豊かな国”の中に同時に存在するのです。その根本的原因は、人間の心の貧しさ--足ることを知らない、感謝のない欲望優先の生き方だと、清超先生は説かれています。 
 
 この教えは、雅春先生が書かれた『甘露の法雨』でも随所に説かれているものです-- 
「真の『汝そのもの』は物質に非ず、肉体に非ず」 
「物質は本来無にして、自性なく力なし」 
「快苦は本来物質の内に在らざるに」 
「生命は本来物質のうちにあらざるに」 
「人間は物質に非ず、肉体に非ず」 
「霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし」 
「物質に神の国を追い求むる者は、夢を追うて走る者にして、永遠に神の国を建つる事能(あた)わず」 
「われ誠に物質の世界の虚(むな)しきを見たり」 
 
 --このように、宗教運動には表現の仕方に変化があっても、その奥に変化しない一貫した信仰や思想があることをきちんととらえていくことが、現在のような“変化の時代”を生きる私たちにとっては、非常に重要なことです。 
 
 この間も、オフィスで毎月、行っている本部講師と本部講師補の勉強会で、TPPの問題をどう考えるかが話題になりました。すると、ある本部講師の人が、谷口清超先生の『新しい開国の時代』というご著書を取り上げて、その中で先生が「貿易の自由化」を推進されているのだから、生長の家はTPPの締結にも賛成の立場になるのではないか、という意味の発言をされました。そこで私は、注意を喚起したのであります。なぜなら、先生のご著書が書かれた時代的背景や、当時の世界情勢をまったく考慮せずに、文章の表面的意味だけをとらえていると間違うことが大いにあるからです。 
 
 『新しい開国の時代』が発行されたのは、今から27年前の平成元年--1988年です。当時はまだ、「新冷戦」と言われる東西対立の時代で、地球環境問題は一般には認知されていませんでした。地球環境問題で先駆的な業績を残しているレスター・ブラウン氏が『地球白書』を最初に出版したのは1984年です。ですから、専門家の間では一部認知されていたとしても、一般的には、人間の経済活動と地球温暖化の関係はまだよく理解されていなかった。 
 
 また、地球環境問題に特化された総合雑誌『ワールドウォッチ』の創刊は、1988年--つまり、『新しい開国の時代』の発刊の年です。地球全体を一種の“生命体”と見る「ガイア」の理論をジェームズ・ラブロック博士が提案した『ガイアの時代』(The Ages of GAIA)の発行年も、1988年です。これらは皆、英文の原書の話ですから、日本語の翻訳が出るのはもっと後になります。その後、ワールドウォッチ研究所から『地球環境データブック』が年次発行されるようになりますが、その最初の年は1992年です。また、アメリカの副大統領となったアル・ゴア上院議員(当時)が地球環境問題の解決を訴える『Earth in The Balance』という著書を出したのも、1992年です。そして、ブラウン氏が地球政策研究所(Earth Policy Institute)を創設したのは、その約10年後の2001年でした。したがって、清超先生の自由貿易振興のお考えの中には、貿易拡大にともなう地球温暖化の問題が含まれていなかったと考えねばなりません。そういう複雑な因果関係は、世界的にもまだよく理解されていなかったのです。 
 
 しかし、今は違います。ブラウン氏や、世界の気象学者の数多くの研究により、人間の経済活動が地球温暖化の原因であることは、学校の教科書にも書いてある。貿易が現状の諸制度のまま世界的に拡大すれば当然、航空機や船舶による物資の輸送が盛んになり、サービスは拡大し、国境を越えた人々の往来は今以上に盛んになり、エネルギー使用量は増え、CO2の排出量は拡大します。また、貿易拡大によって人々の所得水準が上がれば、肉食の増加が起こります。それは、穀物飼料の増産となり、穀物増産のためには、栽培に必要な耕地を拡げねばならず、そうなると森林面積が減少するほか、多くの環境コストを生み出します。そういう因果関係が明らかになっている今では、貿易拡大が問題の深刻化を招くことは、自明だと言わねばなりません。 
 
 このように、宗教の教えや宗教運動は、時代の変遷とともに変化するものであり、また変化しなければ人々や社会の要請に応えることはできません。しかし、そのことは、宗教の説く真理が変わったということではない。変わったのは、“真理の表現”だという点をくれぐれも外さないようにご理解ください。 
 
 では、人間の幸福が物質から来るのでないとしたら、いったい何から来るのでしょうか? 谷口清超先生は、同じご著書『新しい開国の時代』の中で「本当の豊かさは自他一体の自覚から」来ると明確に説かれています。最後にそこを紹介して、私の言葉を終わります-- 
 
「豊かさの追求」でも「家庭の調和」でも、あるいは「国際政治のあり方」でも、“肉体がアル間だけの問題”ではない。そこのところが分からないと、皆が仲良くやっていこう位のところで終ってしまう。そうではなく、人間の生命が自他一体である。自分も全ての人々も、みな一つ生命を生きている。“一つ”と言っても、ただ単なる一個の意味ではありません。神の生命を共通に生きるものである。永遠に死なないものである。そして他人を幸せにするということは、すなわち自分を幸せにすることである。本当に自分が幸せになることは、同時に他人が幸せにならないと駄目だ、ということが分からなければいけません。(pp.82-83) 
 
 (--引用を終わります) 
 
 では皆さん、谷口清超先生が物を大切にされたこと、それは物質と見えるものの背後に、神の愛、人の真心を認めていられたこと、そして、「自他一体」の自覚が幸福の源泉であると説かれたことを心に銘記して、“自然と共に伸びる”運動を明るく、勇気をもってさらに大々的に展開していきましょう。 
 
 谷口 雅宣

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2015年10月17日 (土)

“TPP大筋合意”で浮かれてはいけない (2)

 TPPの“大筋合意”の内容が明らかになるにつれて、これは日本の産業全体を農業から工業にシフトしろという政策なのか……という気がしてくる。明治期の富国強兵政策以来、もともと日本は農業から工業へと大規模な産業構造の転換を進めた。その結果、自然破壊が進み、公害問題が深刻化し、都市化が進み、農漁村は過疎化し、今では人口減少で荒廃した地域も多く見られる。都市周辺に工場と人口が集中したため、そこでの消費や製造に必要なエネルギーが不足し、それを補うために、自然豊かな海岸に原子力発電所を54基も建設した。そして、東日本大震災が起こったとき、多くの人々はこの一方向に偏した産業構造の危険性を身をもって体験し、「これではいけない」と気がついたのではなかったか? が、現在の自民党政権は、選挙で勝ったのだから(どこかのマンガの主人公のように)「これでいいのダ!」と開き直っている感じがする。 
 
 今日の『信濃毎日新聞』は、農産物についての今回の“大筋合意”の内容の一部を、農水省が発表したと報じている。それによると、今回は「野菜と果物に関しては非常に厳しい交渉だった」らしく、現在野菜や果物の約460品目に設けられている輸入関税の大半が撤廃されるという。だから「厳しい交渉」という意味は、「日本に不利な結果」ということだろう。現在、3%がかけられているレタス、ハクサイ、キャベツの関税は、条約発効時点で即時撤廃されることはすでに報じられている。が、それと同じ即時撤廃品目には、同じ3%の関税が残るダイコン、ニンジン、ホウレンソウ、ブロッコリー、アスパラガスが含まれる。加えて、生のジャガイモ(現行4.3%)、サトイモ(同9%)の関税も即時撤廃される。タマネギ(現行8.5%)は発効から6年目に関税ゼロとなり、同じ関税率の加工用ジャガイモは4年目に撤廃される。果物ではブドウ(現行3%)、イチゴ(同)、マンゴー(同)、モモ(現行6%)、カキ(同)、メロン(同)、キーウィー(現行6.4%)などの関税も、発効後即時撤廃されるという。 
 
 新聞報道はおおむね、これらの農産物の関税撤廃を「良い」あるいは「好ましい」と評価している点で、私は不満を感じる。なぜなら、これだけ大規模で徹底した関税引き下げ条約が一般的に「良い」ものであり「好ましい」のであれば、これほど交渉が長引くはずがないからである。各国は相互に利害の衝突があり、それを懸命に調整した結果、決裂寸前で合意に至ったというのが現実だろう。そして、この交渉において日本は、国内の農水産業の保護を犠牲にして、工業製品の輸出増大の機会を獲得したと言えるだろう。これはしかし、明治以来の従来路線の踏襲である。 
 
 私は、従来の日本の農業政策にも多くの問題はあると考えるが、それに触れる前に、TPPに限らず、現在の議論には、自由貿易一般の生態学的な評価が決定的に欠けていると思う。それは具体的には、本シリーズの第1回ですでに触れた「経済活動と地球温暖化の関係」である。この2つの“変数”が正比例していることは、IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の報告書にあるように、世界のほとんどの科学者が一致して認めている。つまり、経済活動が盛んになればなるほど、二酸化炭素の排出量が増えて地球温暖化は進行するのである。この科学的知見と、「貿易自由化によって世界の富は増える」という経済学の理論は、深いところで矛盾している。その理由の1つは、現在の経済学の標準的理論が「人間と自然界」との関係--自然界がもつ本来的な価値=自然資本の価値--をその中に取り入れていないからである。この点については、私はすでに何冊かの本で触れたので、詳しい説明は省略する。 
 
 環境問題とグローバル経済を追うジャーナリストのウェイン・エルウッド(Wayne Ellwood)氏は、著書『グローバリゼーションとはなにか』の中で、1950年以来の人類全体の経済アウトプットは「ほぼ5倍の急成長を遂げた」とし、「この短い期間中にわれわれが消費した世界の自然資本は、人類の全歴史を通じて消費した量を大きく上回る」と指摘している。そして、私たち人類は、とりわけ先進諸国の人々は、地球資源を消費しすぎていて、今や自分の住む国や地域の自然を越えて、他国の領土や公海の自然資源を消費する生活を行っているという。同書の中の次の指摘は、興味深い-- 
 
「環境学者であり経済学者でもあるウイリアム・リーズは、西側での平均的な人間一人あたりの消費をまかなうのに必要な土地面積を、およそ10~14エーカー(4~6ヘクタール)と計算している。しかし、彼によれば、世界の生産的土地面積は、総人口一人あたり約4.25エーカー(1.7ヘクタール)である。リーズはこの差を“人口扶養力の横領”と名付けている。すなわち、基本的に金持ちは貧者の資源を横取りして生活しているということなのである。」 (p. 129)
 
 私は、今年の生長の家組織の全国幹部研鑽会での講話で、地球の資源は無限にあるとする“地球無限論”は誤りだから、人類は“地球有限論”に立脚した、再生可能の資源・エネルギーを利用した生き方に切り換える必要性を強調した。従来の経済学の考えには、自然資本の価値が正しく評価されていない。もちろん私は、経済学は無意味だと言っているのではない。改善の余地があり、そうすべきだと言っているのだ。 
 
 太陽はいつも東から上がり西に没し、四季は循環し、降雨が適度にあり、山があり、川が流れ、海がある。そのおかげで多様な生物が地上にも海中にも数多く生息しているという自然界の当たり前の姿を、ほとんど“無価値”だと考えてきたのである。これを改め、山を崩すこと、川を堰き止めること、海を汚染すること、生物を乱獲すること、温室効果ガスを排出することなどに、大きなコストがかかる(マイナスの価値が生じる)ことをGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)の計算に正しく反映させれば、現在の経済学は私たちの経済活動の価値を、もっと正確に評価することができると考える。 
 
 上に引用したリーズ氏の見解は、「横取り」という表現は少しキツイが、その方向に進んだ試算であり、尊重すべきものである。私たちは、貧しい国や途上国の人々の自然資本を破壊し、あるいは過度に利用し、または汚染することで、自国の経済を安定的に発展させることなどできない。なぜなら、一国の経済は他国と連動しているからだ。EUが今直面している大量移民の問題は、そのことを有力に示している。「奪うものは奪われる」のである。“地球無限論”の支配下では、それがまるで可能なような錯覚に陥っていた。私は、TPPの背後にあるのは、これと同じ錯覚のような気がしてならないのである。 
 
 谷口 雅宣 
 
【参考文献】
〇ウェイン・エルウッド著/渡辺雅男・姉歯暁訳『グローバリゼーションとはなにか』(こぶし書房、2003年)

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2015年10月10日 (土)

“TPP大筋合意”で浮かれてはいけない

 難航していたTPPが“大筋合意”でまとまったが、メディアが伝えるその合意内容が明らかになるにつれて、今回の合意に漕ぎつけた世界の指導者たちが、それぞれの“国益”以外の重要な問題について真面目に考えているのかどうか分からず、不安を払拭できないでいる。 
 
 世界の様々な産品の流通を促進するいわゆる「貿易の自由化」は、経済発展にとって好ましい、と一般に認められている。原材料の入手コストが下がり、製品の価格引き下げが起こり、消費者の実質収入が増えるからである。これによって世界全体の生産量も消費量も拡大するから、生産者も消費者も共に利益を得る--というのが、一般的な考え方である。が、この考えの枠組みの中には、世界の現実のほんの一部--人間の経済活動--しか含まれていない。その人間の活動の基盤である自然環境や、資源の入手可能性、人口増加の問題、さらには国際政治の動向などはまったく考慮されていない。全体の一部のみに注目して、その一部が良ければ全体も良くなるに違いないと単純に考えると、“群盲評象”の過ちを犯す危険がある。 
 
 考えの枠組みを「貿易」や「経済」の範囲から拡大してみると、別の問題が見えてくる。「人間の活動が地球温暖化の最大の要因である」ことを世界中の科学者が真剣に訴えている時代に、その人間の活動の大半を占める経済活動をさらに進めることで何か問題が解決すると考えるのは、明らかに間違っている。これは、今回の合意をもたらした政治家たちが、短期的な狭い範囲の利益を優先して、長期的で広範囲な利益を無視しているか、少なくとも軽視していることを示していないだろうか? この疑問に対して、メディアによるTPP関連の報道は、何も答えてくれていない。 
 
 TPPの“大筋合意”で明らかになってきたことの1つに、日本の今後の農業政策の問題である。それが「良い方向」へ進むのであれば文句は言うまい。が、どうもそうではない点が問題だ。10月9日付の『日本経済新聞』によると、農水産品の関税撤廃は「今後少なくとも70品目」と大幅である。その中で輸入オレンジの関税は、4~11月期のものは今後6年目に撤廃、12~3月期のものは8年目に撤廃する。条約発効時にただちに関税ゼロとなるものは、ブドウ、ニシンの卵(塩蔵)、マグロ缶、小豆、ピーナッツなどだ。ケチャップやソースなどのトマト加工品の関税は、6~11年目に撤廃。牛タンや牛内臓は、条約発効時に直ちに関税が半減され、牛タンの場合は11年目に関税ゼロとなる。輸入ものの銀ザケは現在、9割強がチリ産だが、これは16年目までに3.5%の関税がゼロとなる。 
 
 これらの関税引き下げと撤廃が進む中で、国内産の農水産品は輸入ものと競争しなければならないが、その方法については、政府は「企業参入」の拡大を目指しているらしい。それは、甘利明・経済財政再生相が『日経』のインタビュー記事で次のように言っていることからも推測できる-- 
 
「TPPは後ろめたい気持ちでやるわけではない。農業分野も含めて反転攻勢のチャンス。日本の農業は成長産業で、TPPはそのための環境整備だということを主張していかないと。(中略)ウルグアイ・ラウンドは外国産の農産物に攻められるから国内農業に補填するというものだった。TPPは日本の一次産業は魅力があるので強みを伸ばして成長産業にしていくためにある。基本姿勢が違う」。 
 
 甘利氏がいう日本の第一次産業の「魅力」や「強み」が何であるかは明らかでなく、それらが長年続いている農水産業の深刻な後継者不足をどう説明するのかも不明である。また、農水産業が「成長産業」であるという評価の理由も説明されていない。何か言葉だけが踊っているように聞こえるのは、安倍首相の演説ともよく似ている。9日の『日経』は21面でTPPの“大筋合意”とコメ価格の問題を取り上げ、「国内のコメ農家にとって売れる品種へのシフトや省力化による生産コスト削減が急務となっている」と述べているから、現状のままでは米作家が“成長産業”と言えると評価していないことは明らかだ。 
 
 農水産省が平成23年ごろ、TPPの日本の農水産業への影響を試算したデータ「農林水産物への影響試算の計算方法について」がウェブ上にある。それによると、TPPへの加盟により農林水産物33品目で3.4兆円の生産額減少が起こり、最も深刻な影響を受けるのは米作である。アメリカやオーストラリアでは、すでに国産米と遜色のないコメが作られているが、それが国産米の約3割と置き換わるという。しかし、新潟産コシヒカリのような上質のブランド米は生き残り、価格が下がるものの生産量の減少はないと見る。また、内外価格差が大きい牛肉については、国産牛肉の75%を占める低等級(1~3等級)の牛肉は、9割までが輸入牛肉に置き換わり、全体の生産減少率は68%という。豚肉の場合は、内外の等級にあまり差がないため、国産肉の70%が輸入肉に置き換わると見る。 
 
 水産物の生産減少率は、サケ・マス類が57%、ホタテとタラが52%、アジ47%、イワシ45%、イカ・干しスルメ41%、カツオ・マグロ類27%と予測するなど、要するに、国内産の魚類の約半分は日本市場から姿を消すと見込んでいる。 
 
 こんな試算がありながらもなお、安倍内閣がTTPを推進したということは、日本の農水産業に「引導を渡した」と言われても仕方がない。が、なぜか甘利大臣は「日本の農業は成長産業だ」と言うのである。
 
 谷口 雅宣

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2015年10月 5日 (月)

「青々舎通信」 (2)

 ナナホシテントウを象ったマグネットは、おかげさまで1カ月ほどで完売となった。現在は、今月の24~25日に“森の中のオフィス”で開催される「自然の恵みフェスタ 2015」に向けて、数種のマグネットを製作中だ。その中の1つに、“オフィス型”と名付けたものがある。この「オフィス」の意味は、“森の中のオフィス”のことである。見学された読者はご存じだが、この建物は、横長の二階建て大型木造住宅を、何棟も山の斜面に沿って一列に並べ、同じく木造の渡り廊下で連結した形をしている。デザイン的な特徴は、その屋根である。屋根はいわゆる“片流れ”の構造で、真南方向に傾斜し、上端部(北側)には太陽熱吸収装置、その下部に南に向かって太陽光発電パネルが敷きつめられている。 
 
Nicooffice  この屋根の特徴を表現するために、“オフィス型”のマグネットは、横長の長方形の上端を右側に引き上げたような形をしている。当初、この独特の屋根の形を表現するために、オフィスの設計図にもとづいて、建物側面の正確なミニチュアを木材で作ってみた。それが右の写真である。 
 
 しかし、これでは直線と鋭角が目立ち、冷たい感じがして面白くないと思った。そこで、特徴的な屋根のとんがりを強調する一方、さらに「柔らかさ」も出そうとして、曲線が出るように材質を粘土に変え、手で型を作って成形した。さらに、ソフトな感じを引き立たせるために、塗装もパステルカラーとし、建物の窓はペンで手描きした。すると、案外柔らかく、かわいらしい感じの形ができあがった。 
 
 

Officemagnets_2

その反面、実際のオフィスの形からかなり変わったので、作品を見てもそれが何か分からに人もいて、「これはマンガの吹き出しですか?」な どと訊かれたこともある。「吹き出し」とは、マンガ中の会話を表現するときに、登場人物の口のあたりから吹き出した四角形の枠のことで、その中に会話の言葉が入る。オフィス型のマグネットを上下逆転させると、その「吹き出し」に似た形になるのである。当初「吹き出し」呼ばわりには戸惑ったが、それだけ愛嬌があるのだろうと解釈し、形を変えずに作っている。 
 
Officedoll  フェスタでのPOP広告のため、妻に頼んで“オフィス型”のぬいぐるみも作ってもらった。 
 
 谷口 雅宣

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