野生動物との共存
9月27日の『北海道新聞』にアザラシと人間の食をめぐる興味ある“せめぎ合い”の話が載っていた。日高管内の襟裳岬周辺のサケ漁では、ゼニガタアザラシが定置網を上手に出入りしてサケを食い荒らすのが問題になっていたが、そのアザラシの数が増えたため、同月15日には環境省が定めるレッドリストの「絶滅危惧Ⅱ種」から「準絶滅危惧」にクラス替えされたというのである。これはアザラシにとっては喜ぶべきことかもしれないが、人間との関係は簡単でない。漁師の立場からは、捕獲が可能になったのだから捕獲すればいいのだろうが、記事によると「アザラシは学習能力が高く、適切に捕まえるのは容易ではない」として、研究者も漁業者も頭を悩ませているのである。
アザラシの学習能力の高さを、記事はこう述べる--
「定置網内でサケを食い荒らすのは特定の成獣とみられ、多くは漁業者の来ない時間を見計らって網を出入りする。中には、侵入中の定置網を引き揚げに来た漁船かどうかをエンジン音で聞き分け、船が近づくと逃げる個体もいるという。(中略)
環境省や北大などの研究事業で、定置網に侵入を防ぐ特殊な網を付けたところ、アザラシが前脚で器用に隙間をこじ開けて出入りしていたことが分かり、研究者を驚かせた。」
北海道全体でのゼニガタアザラシによる漁業被害額は、近年増加しており、2014年度は、前年度比46%増の1億1700万円に達したという。襟裳岬周辺では、サケ漁の被害の大きさに廃業を考えている漁師もいるらしい。
この話から私の脳裏に浮かんだのは、シカと人間との関係である。これは抽象的な問題ではなく、私たち夫婦が住む北杜市大泉町近辺にいるシカと、私たち自身との具体的な関係だ。正確な数を記録しているわけではないが、私たち二人の印象では、今年の春から夏にかけての半年間、生活の中で出会うシカの数が前年より減った。この実感の根拠の一つは、家の周りに植えたブルーベリーや畑の作物への被害が、昨年よりも少ないことだ。これは大変ありがたいことだが、その理由が判然としない。山梨県での野生のシカの生息数については、「増加の一途」というのが公の見解である。理由は、天敵の不在や漁師の減少だと言われている。
私たちが勝手に考えた「減少」の理由は、温暖化と捕獲数の拡大だ。地球温暖化は当然、高地の植生に影響を与える。これまで低地でしか育たなかった植物種も、しだいに高地で育つようになる。ということは、シカは比較的高地でも食べる植物を多く見つけることができるから、人間と遭遇する危険を冒してまで低地に降りてくる必要が減る。また、今年の早春に漁師と遭遇したシカたちは、人間の危険性を身をもって学習しただろうから、人家のあるところを避けて通るようになるだろう。そんな理由で、今年はシカとあまり遭わないのだ--私はそう解釈している。
もちろん、私は彼らとまったく遭わないわけではなく、生長の家の“森の中のオフィス”の敷地内で彼らの姿を見たこともあるし、彼らの声を聞いたこともある。また、自転車での通勤の途上、人家近くの畑で出会ったことも、八ヶ岳高原道路を渡る十頭ほどの群と遭遇したこともある。さらに、自宅裏の森の中を歩けば、彼らの“落とし物”はいくらでもあるし、庭の池の周囲に足跡を発見することも珍しくない。ただ、実感としては、そういう機会が昨年よりも減っていると感じるのだ。
いずれにせよ、自然度の高い山地などでは、人間と野生動物は生活の場を共有し、食糧を分け合って生きていかねばならない。その際、人間の都合ばかりを主張すると、動物たちを排除し、殺すこととなり結局、自然破壊に加担する。動物は、自然界の重要な構成員だからだ。「自然を愛する」と言いながら、自然破壊をする人間のジレンマがここにある。この問題を解決するには、人間が自分の都合ばかりを主張せず、野生動物の都合を一部認め、彼らにも人間の都合を一部認めてもらう--そんな相互謙譲の関係を成立させる必要があるだろう。
谷口 雅宣