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2015年7月 6日 (月)

ローマ教皇の“環境回勅”(4)

 ところで、今回の回勅のタイトルである「ラウダート・シ」がどんな由来の言葉であるかを知ると、フランシスコ教皇の意図がより明確になるだろう。カトリック中央協議会のウェブサイトによると、このラテン語は、アッシジのフランチェスコの詩『太陽の讃歌』の中の「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ」(「讃えられよ わが主」の意)から取られているという。つまり、神への讃美を表している。また、現在の教皇自身--本名は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)--が教皇としての自分の名前に「フランシスコ」(イタリア語の発音では「フランチェスコ」)を選んだこと自体が、カトリック教会の中心者として自分が目指す方向性を、従来の“多数派”路線ではなく、“少数派”であったこの聖人の精神に照準を合わせていることを窺わせる。 
 
『太陽の讃歌』という詩は、「兄弟である太陽に捧げる讃歌」というのが正式名称だ。この詩は、実は、今回の回勅の87番目の段落に一部が引用されている。このことを考えても、現教皇がアッシジのフランチェスコをいかに模範としているかが推測できる。引用部分の日本語訳を以下に掲げる-- 
 
 たたえられよ わが主
 あなたから 造られたもの
 わけても 貴き兄弟太陽によって
 彼は 昼をつくり
 主は 彼により われらを照らす 
 
 彼は 大いなる光によって
 美しく 照り輝き
 いと高き あなたの
 み姿を 映す 
 
 たたえられよ わが主
 姉妹なる月と あまたの星によって
 あなたは それを 大空にちりばめ
 美しく貴く きらめかす 
 
 たたえられよ わが主
 兄弟なる風 大気や雲
 さま変る 天の事象によって
 あなたは それにより
 造られた すべてを支える 
 
 たたえられよ わが主
 姉妹なる水によって
 それは みなを生かし
 おごることなく 貴く
 また 清らかに澄む 
 
 たたえられよ わが主
 あなたは 兄弟なる火によって
 夜の闇を 照らす
 彼は美しく 心地好く
 たくましく 力あふれる 
 
 この箇所で注目されるのは、普通は「天体」とか「自然現象」とか「物質」と考えられるものを、作者は自分と同レベルで親しい関係を示す「兄弟」「姉妹」という言葉で呼んでいる点だ。これらすべてが「神を讃える」という崇高な目的のもとに造られたという意識が、その背後に感じられる。彼は、太陽や月、星、風、水、大地など、神がつくられた全てのものを通して神を讃美している。彼の中には、現代の物理学や天文学が前提とするような機械論的宇宙観は存在せず、すべてが生命に溢れる神の創造だと感得されていたのだろう。宗教学者のデヴィッド・キンズレー氏(David Kinsley)によると、「われわれは“もの言わぬ自然”と言うが、フランチェスコにとっては、自然は“ものを言わない”どころでなく、大声で歌を歌い、創造主の美しさを証言している」のである。 
 
 ここで読者には、自然界のすべてのものが、このように「創造主の美しさを証言」したり、讃美すると認めることは、一種の汎神論ではないか、という疑問が湧いてくるかもしれない。しかし、回勅は78番目の段落で、汎神論を明確に否定している-- 
 
“それと同時に、ユダヤ=キリスト教の思想は自然を神秘化しなかった。それは、自然の偉大さや広大さに感嘆し続けながら、自然を神聖化しなかった。その代わり、人間の自然に対する責任を最大限に強調したのである。このような自然の再発見は、人間の自由と責任の犠牲によるものであってはいけない。人間は、世界の一部として自然を保護し、その潜在力を開発するために、人間の能力を高める義務がある。もし私たちが自然の価値とその壊れやすさ、それと共に神から与えられた私たちの能力を認めるならば、私たちは無限の物質的進歩という現代の神話からやっと卒業することができるだろう。神から人間に世話を委ねられた壊れやすい世界は、私たちの力を方向づけ、開発し、制御する知恵ある方法を見出すよう、私たちに挑戦している。” 
 
 人間は、自然界の生物や事象を神秘化したり、神聖視するのではなく、自然を神の被造物として大切に管理し、自己目的にではなく、神の目的のために世話し、制御する義務を負う。そのための方法を開発するために努力しよう--そういうメッセージがここからは読み取れる。神・自然・人間の三者の関係では、「神-人間-自然」という序列が付されているように思える。しかし、生長の家も、人間を単なる被造物の一つとはとらえずに、「神の最高の自己実現」と評価しているから、違いはそれほど大きくないだろう。 
 
 谷口 雅宣
【参考文献】
○レオナルド・ボフ著/石井健吾訳『アシジの貧者・解放の神学』(エンデルレ書店、1990年)
○David Kinsley, "Christianity as Ecologically Responsible," in This Sacred Earth: Religion, Nature Environment, ed. Roger Gottlieb (London: Routledge, 1996).

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コメント

合掌 ありがとうございます。
2年前に、教区の書籍売り場で.『 アッシジの丘ー聖フランチェスコ愛と光』山川紘矢.亜希子(文) 北原教隆(写真) 日本教文社刊 という本が、目に止まり購入いたしました。リストのピアノ曲に、『 小鳥と語るアッシジの聖フランチェスコ 』という素敵な曲があり、興味が湧いてのことでした。その本の中で、聖フランチェスコの生涯を描いた映画、『 ブラザーサン、シスタームーン 』のことを知り、そのDVDを取り寄せて観てみました。とても、素晴らしい映画でした!この度、ご回勅のこと、総裁先生のブログで読ませて頂き、先日、支部の皆さんと、このDVDの上映会をしました。皆さん、当時の様子など、興味深く観て下さいました。神ー自然ー人間、一体感あふれる映画でした! 再拝。

投稿: 小森 絹子 | 2015年9月19日 (土) 17時17分

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