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2015年6月 8日 (月)

テロ事件と集団的自衛権

 6月7日、旭川市の旭川市民会館で行われた生長の家講習会で、このブログの読者から質問をいただいた。講習会では、午前中の私の講話に関連した質問を受講者から出してもらい、それに答える時間を午後に設けている。しかし、その中のいくつかは、講話とは関係のないものが混じっている場合も少なくない。その日も、6つ出された質問の中に、次のようなものがあった。同市内に住む60歳の会社員、T氏からのものだ-- 
 
「いつもブログで現代の事象を分かりやすく御教示頂き、ありがとうございます。午前のご講話内容でなく恐縮ですが、ブログの内容で教えて頂きたいことがあります。集団的安全保障についてです。今の内閣がしようとしていることは憲法違反であるとのことは、理解しました。一方で、海外で生活している(私たち)日本人が、紛争に巻き込まれ、生命の安全が脅かされたり、殺されたりしている時に、今の日本の国は助け出すことができない事態が発生しています。それに対し、同悲同慈の心からは何とかできないものか、と思うのもわかる気がします。 
 
 集団的安全保障を進めることが憲法違反ということは、今の憲法を国民の生命と安全を守れるようにしなければならないということでしょうか? 御教示頂けましたら幸いです。」 
 
 私はこの件に関連して、5月16日の本欄で「今なぜ、国防政策の大転換か?」と題して書いたのだった。それを読んだT氏は、私が「憲法に違反する内容をもった法律改正を、11もの安全保障関連法に対して一挙に行う」という今回の安倍首相の意図に反対する理由は理解してくださったようだ。だが、現行の憲法下でも海外で実際に、テロリストによって日本国民が惨殺されるという事件が起こったのだから、この種の暴力事件を未然に防げるような対策をすべきではないか。そして、その対策が憲法改正を必要とするものなら、改憲もすべきではないか--そういう質問だと私は理解した。 
 
 まず、T氏が言う「海外で生活している(私たち)日本人が、紛争に巻き込まれ、生命の安全が脅かされたり、殺されたりしている」という認識は、どうだろか? これは恐らく、いわゆる“イスラーム国”の人質となって2人の日本人が殺されたことを指しているのだろう。このことと集団的自衛権の問題は関係が薄い、と私は思う。
 
 まず“イスラーム国”という集団は、国際法上でいう国家ではない。しかし、これまでのテロリスト集団とは違って、一定の地理的領域を占めているから「国家」だと見なされる可能性はあるかもしれない。が、現状では、日本がその集団を国家として認知していない以上、日本人にとっては国家ではない。したがって、通常の国際関係(国と国との関係)は成立していない。つまり、国交がある国家間の取り決めでは通常、相手国にいる邦人の保護はその国の義務になり、日本国内にいる相手国の国民の保護は日本政府の義務になるが、そういう関係は成立していないのだ。もっと簡単に言うと、“イスラーム国”側には日本人の身体や人権を保護する法的義務はないのである。 
 
 では、“イスラーム国”にそれがなくても、“イスラーム国”が支配している地域を国内にもつ国(シリアやイラク)には法的義務は発生するのではないか、との疑問が湧く。が、この場合でも、当該国が内戦状態であるか、あるいはそれと同等の混乱状態である場合は(現状がそうである)、そんな義務は守られないし、守られなくても責任は問われないのが普通だ。これが残念ながら、内戦状態のような国家の統治圏外にある地域の実情である。 
 
 今回犠牲となった2人の日本人の場合、この「内戦状態」というきわめて危険な地域を選んで、自らの判断でそこへ行った。そういう場合、その地で戦闘している当事者のいずれかに拘束されても、日本の自衛隊が救助に飛んでくることを期待するというのは、世界の実情を知らない非常識な考えだ。 
 
 内戦状態というのは、その地域に統治権を有する国家が存在しないか、あるいはまともに機能していない状態を指す。常識のある人間は、そんな危険な戦闘地域や無法地帯へは行かない。ただし、人道的あるいは、報道の目的でそういう場所へあえて行く人はいる。その場合は、いわゆる“自己責任”である。自国の政府が「行くのは避けろ」と言っているところへ行くのだから、政府の救助がなくても仕方がないのである。イスラーム国側に殺害された2人は、これに該当する。 
 
 これに対して、平和な生活が保たれていた国で突然、大規模なテロや内戦が勃発した場合、その国にいた邦人を救出することは日本政府の重要な役割となる。その場合、当該国政府がまず救出の努力をし、それが及ばない場合は、外国の援助を要請するか否かを判断することになる。その要請があった場合、自衛隊を派遣するか否かは日本国憲法と法律の定めによることになる。ただし、そんな場合でも集団的自衛権が発動されるケースはきわめて少ないと考えられる。なぜなら、このほとんどの場合は、事件に遭遇した邦人個人は危機的状況にあっても、それが直ちに「国家存立の危機」とは言い難いからである。通常の場合、事件があった当該国の要請または容認があれば、自衛隊の派遣なくしても、その国に航空機や船舶を送って邦人を救出することになるだろう。安全保障法制の大改革などしなくても、これらは現状で行えることだ。 
 
 このように、集団的自衛権で言われる「自衛」とは、個人を対象とするのではなく、国が自衛する権利である。国と国との間で結ばれる安全保障条約は、個人の自衛のことではなく、国の自衛のことだ。だから、仮に日本人が国外でならず者に拉致され、身代金を要求されたとしても、それは日本の国の自衛権とは直接関係がない。この場合はまず、拉致という違法行為が行われた国の政府が、その日本人を助け出し、ならず者を処罰する義務を負う。日本の警察は、その国の犯罪捜査に協力するだろうが、日本の警察の機動隊や特殊部隊を相手国に派遣して邦人救出を敢行することはないだろう。なぜなら、その国の法秩序はその国で守ることが、国際社会での原則だからだ。ましてや、軍隊(自衛隊)が出動して救助に向かうことはまずない。なぜなら、そんなことをすれば、派遣先の国の主権を侵すことになるからだ。もちろん、当該国が依頼した場合は、主権の侵害には当たらない。 
 
 このように考えていくと、T氏が心配しているような事態と、今回の集団的自衛権をめぐる法律改正の動きとは、直接的な関係はあまりないことが分かる。ただ、同時期に起こった海外の事件で、国民には様子がよく分からず、さらに前代未聞の残虐さをともなったことから、国民の間に不安と怒りが拡がったことは確かだ。しかしそれは、国家間の集団安全保障の問題と同一視しない方がいいのである。 
 
 谷口 雅宣

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コメント

 今般の集団的自衛権の事を細かくかつ分かり易く解説して下さいまして誠に有り難うございました。集団的自衛権と個人の救済は関係が無いという事ですね。

 ところで今般の二人の邦人がイスラム国の犠牲になったのは色々な所で言われている様に安倍首相がエジプトでイスラム国対策に2億ドル供与するという演説をしたのが引き金になったと思います。ここへ来て集団的自衛権を行使してこうしたテロ集団との戦いに日本が参加して行く事になればそれこそ海外の邦人はテロリストに狙われる機会が増えるし、日本国内でもテロが起こって来ると思います。

投稿: 堀 浩二 | 2015年6月23日 (火) 12時27分

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