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2015年5月16日 (土)

今なぜ、国防政策の大転換か?

 戦後日本の国防政策を根本から変更する内容をもった安全保障法制に関する11法案が15日、国会に提出された。戦後歴代の政府は集団的自衛権について、憲法第9条を解釈して「もっているが使えない」との立場を貫いてきたが、安倍内閣は昨年夏、この解釈を変更して「使える」とした。今回は、そのことを法律に明記するために、3つの条件をつけて武力攻撃事態法改正案に盛り込んだ。また、朝鮮半島有事に自衛隊が米軍を支援することを想定して作られた「周辺事態法」からは、「周辺」の言葉を外し「重要影響事態法」とし、さらに支援対象を米軍以外にも広げることで、事実上、世界のどの地域にでも自衛隊を派遣し、軍事支援をできるようにした。 
 
 さらに新法である「国際平和支援法」を制定し、国際社会の平和のために活動するアメリカその他の軍隊への後方支援や弾薬提供を可能とする道を開いた。このほかにも、PKO協力法、船舶検査法、米軍行動円滑化法、海上輸送規制法、捕虜取扱い法、特定公共施設利用法、国家安全保障会議設置法などを一括して改正する法案を、今国会に提出し、夏までに成立させる計画だという。これが、安倍首相が提唱する「積極的平和主義」の具体的な中身なのだろう。ということは、この考えは“平和主義”とはいっても、これまでの平和主義とは全く性質が異なる。ありていに言えば、「アメリカ等の同盟国と一体となって、世界各地に軍隊を派遣し、必要ならば戦い、また軍事支援を行う」ことで平和を維持できる--こういう考え方にもとづいている。
 
 私は、この関連11法案に反対する。理由の最大のものは、法治国家の大原則を無視しているからだ。このことはすでに、昨夏の閣議決定による「集団的自衛権」容認のときに述べた通りだ。その時の記述(昨年7月3日の本欄)から引用しよう--
 
「……私がきわめて残念に思うのは、これだけ重大な政策変更をするに際して、安倍政権は国民の意思を問うことをしなかった点である。もっと具体的に言えば、すでに書いたように、一内閣の解釈変更によって、憲法という国家の最高法規に明記された事項を軽視する選択を行ったことである」。
 
 昨年、一内閣による憲法の解釈変更で「集団的自衛権」を行使できるようにし、今回は、それを法制上合理化するために11の法律を一括して改正しようというのである。憲法の記述に一切触れないでこれをやるということは、たとい憲法違反であっても、法律改正は可能であるという判断が安倍首相とその側近にはある、ということだ。これは、一国の政治状況として恐ろしいことではないだろうか? 国の最高の権力者が憲法の規定を守らないことが明白でも、国民はそれを理解し、容認してくれるだろうと高をくくっているのだ。
 
 ある国で民主主義が機能しているということは、そこで“善い政治”が行われていることを必ずしも意味しない。また、必ず“正しい政策”が実行されるということでもない。米英の例を思い出してほしい。両国では民主主義は機能しているが、それでもイラク戦争のような間違った戦争に突入することはあり、国民の多くが死傷し、国費は浪費され、テロ事件を国内に呼び込んでしまった。民主主義は、たとい採択した政策が誤っていても、それを策定する際に民主主義の手続きが確実に踏まれているかどうかで、機能の有無が判断される。私はここで、イラク戦争は米英の民主主義の産物だと言いたいのではない。そうではなく、イラク戦争が間違った判断にもとづいて開始された戦争であることが事後、両国で検証して明らかになったことが、両国での民主主義の健全性を表していると言いたいのだ。この検証が不可能であれば、その国は同じ過ちを何回でも犯すことになる。
 
 民主主義は、国民から政治権力の行使をゆだねられた政策決定者が、自己利益ではなく、国民全体の利益を考えて政策を実行することを、憲法以下の法律や社会制度によって担保する仕組みである。その背後には、「人間は皆、本質的に平等であるとともに、間違いを犯す存在である」という考え方がある。生長の家的な表現を使えば、「現象人間はみな間違う」ということである。一国の政策が間違うと、国民はもちろん、その他の国々にも悪影響が及ぶから、間違う人間をできるだけ間違わないように導く仕組みが必要になる。そこで、政策決定過程にできるだけ多くの意見を反映させ、またその過程の透明性が求められる。今ふうに表現すれば、政策決定過程の“見える化”である。そして、強大な国家権力をごく一部の“間違う人間”に独占させないように、権力の分離(三権分立)が行われる。複数政党、両院制の議会、議員の改選、ジャーナリズムによる監視……も、すべてこの“現象人間の不完全性”を補う目的で考案された民主主義の仕組みである。
 
 だから、民主主義は政策決定までの手続きが煩雑であり、そして効率が悪い。それを北朝鮮のような独裁制や、中国のような一党支配の社会主義と比べると、外からは「決定が遅い」とか「うまく機能していない」ように見える。が、そのようなマイナス面の背後には、これまでの歴史の教訓から学んだ、国民の自由を尊重する知恵が隠されているのである。したがって、民主主義を尊重するということは、面倒であっても、また時間がかかっても、政策決定過程における民主的手続きを大切にするということである。
 
 この仕組みの根本原理を定めたものが憲法である。そして、憲法の定めた原理を、一国の政治・経済・国民生活万般に反映させるための決まりが法律であり、法律の決まりを各都道府県の事情に合わせてより具体的に反映させたものが条令である。近代国家においては、この①憲法→②法律→③条令の優先順位は、変えることができない。言い直せば、それを変えたならば、その国はもはや民主主義国家とは呼べないのである。にもかかわらず、安倍政権は、国防政策という国家の大問題に関して、憲法の条文を一切変えずに、解釈の変更によって集団自衛権の行使を決め、それを今回、10を超える法律を一気に変更することで、法律上に定着させようとしているのである。
 
 野党の間から、昨年の集団的自衛権行使の決定が“解釈改憲”と呼ばれ、今回の11法案が“戦争法案”と批判されるのは、理由のないことではないのである。これを今、民主的手続きを省略してなぜ急ぐのか。その理解は困難である。
 
谷口 雅宣

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コメント

安倍内閣は、確かに集団的自衛権行使のための法整備を急いでいると、思います。
何故、そうしているのか?について、憶測ですが、米国からの強い要請があったのでは?と、思います。
次に、思いますことは、関連する法律があまりにも多い。ということです。
これ等一連の法律が成立しますと、(余計な心配かもしれませんが、)現場の第一線にいる自衛官も煩雑で困るというか、戸惑う部分もあるかもしれません。
憲法をそのままにして、法律や解釈で、自衛隊の行動について規定するのは、もう限界ではないかと思います。

投稿: 志村 宗春 | 2015年5月16日 (土) 20時22分

 今回の決定は言語道断だと思います。
 安倍首相は積極的平和主義とか言っていますが実質的にはこの法案はアメリカの世界戦略に自衛隊が手先として使われるだけの話になるのは明白でそれを分かっていながら今回の決定をしたというのは万死に値すると思います。
 でもこの政権を国民の過半数が支持して来たのですから国民の責任とも言えるでしょう。

投稿: 堀 浩二 | 2015年5月17日 (日) 00時10分

今回、集団的自衛権の閣議決定といい、安全保障関連法案は総裁先生か語られているとおり民主主義の根幹に関わる重大な局面を迎えていると感じます、然し乍安倍晋三さんの考え方は曾祖父である岸信介の教えがその根本にあるのではないかと私は考えます。然し、日本は再び侵略国家の道を進むのか危惧する諸外国も多いです。今回の問題は国民投票すべき問題だと思います。大阪都構想を判断した大阪市民みたいに。橋下徹は潔かったですね敗北を認め、政界引退を表明したのだから。

投稿: 直井誠 | 2015年5月18日 (月) 01時31分

非常に危険な空気を感じずにはいられません。
これではまるで独裁国家と何ら変わらない

またなんとなくの空気に流されたまま、
いつか来た悲惨な道に戻るのか。
ただ、周りを見渡せば…。
なんとなく空気に流され
ノンポリのみんな、みんな主義に
相変わらず平和ボケ。
憤りを覚えてならないです。

投稿: 袴田英樹 | 2015年6月27日 (土) 04時37分

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