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2015年3月 1日 (日)

「生命を礼拝する」とは?

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で「立教86年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が開催され、ブラジル、アメリカ、台湾からの海外信徒代表者を初め、国内各教区から約800人の幹部・信徒が集まって、生長の家立教の精神を振り返り、今後の運動の進展を誓い合った。この式典は、昨年に続いてインターネットを利用して世界に中継されただけでなく、時差を利用した音声の外国語訳が試みられた。私は式典の中で概略、以下のような内容の挨拶を行った--
 
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 皆さん、本日は立教記念日おめでとうございます。この日は、生長の家の86回目の誕生日であります。人間の場合、「85歳」や「86歳」は“老人”かもしれませんが、団体や宗教運動の場合は、何千年も前に誕生したものもありますので、大変「若い」運動であり、まだ「草創期」と言っても間違いではないかもしれません。だから、今日のように、春の息吹を感じる日には、私たちも「さあ、これから運動は伸びるぞ!」という意気込みを感じるのではないでしょうか。
 
 86年前にこの運動を始められた谷口雅春先生と輝子先生も、きっとそんなお気持で昭和5年の春を迎えられたに違いないのであります。私はこの立教記念日には、毎年のように、昭和5年3月1日発行の『生長の家』誌創刊号をもってきて、その中に表れた立教の精神に学び、またその精神を現代にどう生かしていくべきかを皆さんに提案してきたのでありますが、今日もそれをしたいと考えます。 
 
 ここに『生長の家』誌創刊号がありますが、この雑誌の裏表紙には「生長の家の宣言」という6カ条の宣言文が掲げられています。これは、現在は『生命の實相』などの中で「七つの光明宣言」として書かれ、私たちの運動の目標とされているものの原型であります。当初は6カ条だったものが、後に7カ条になったということです。私は2年前のこの日には、この宣言文から「創化力」という言葉を引用して、その意味について述べましたが、今日は、この第1条にある「生命を礼拝する」ということについてお話したいのであります。 
 
 第1条には、こうあります-- 
 
「吾等は生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す」 
 
 これが、創刊号に掲載された第1条で、後に発行された『生命の實相』では、この最初の所に「宗派を超越し」という文言が挿入されています。つまり、こうなっています-- 
 
「吾等は宗派を超越し生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す」 
 
 生長の家は「万教帰一」でありますから、「宗派を超越する」ということは皆さんも大いに賛成されているだろうし、現在の世界情勢を見ると、まさにこの考え方が必要であることは疑う余地はありません。しかし、ではもう一つの「生命を礼拝する」とは、どんなことを言うのでしょうか?  
 
 昨今、日本のメディアで騒がれているのは、中学1年の男の子が、川崎市の多摩川の河川敷で酷い方法で殺されたという事件についてです。これは明らかに、「生命を礼拝」していない行為です。被害者の少年は13歳ですから、これからまだまだ成長し、いろいろな経験を積みながら人生を謳歌し、また社会にも貢献していける可能性をもった中学生の意志を蹂躙し、命を奪う行為は、明らかに「生命を礼拝しない」行為です。そのような行為が野放しになることは、許されないことです。では、人殺しさえしなければ、動植物を殺すのであれば「生命を礼拝」していると言えるのでしょうか? 私はそうは思いません。ここにある「生命」という言葉は、人間の命のことだけを指すのではないからです。もし、人間が生きるためだからといって、多くの生物種が絶滅し、あるいはウシやブタなどの家畜たちが、劣悪な環境で苦しみながら育てられ、そして大量に殺戮されていくならば、それは生命を蹂躙しているのですから、生長の家の信仰者は、そんな行為に加担するような生き方をしてはいけません。 
 
 今、私たちの運動が生物多様性を尊重し、肉食を減らそうとしている重要な理由の1つが、ここにあります。つまり、私たちの運動は、『生長の家』誌創刊号のこの宣言の第1条の精神に忠実に従い、それを世界的に展開していこうとしているのです。 
 
 ところで、生長の家の国際本部が東京・原宿から山梨県の八ヶ岳南麓に引っ越してから1年半がたちました。東京生まれ、東京育ちの私は、その間、これまでの人生で体験したことがないほど、自然との濃密な関係の中で生きることができて、この生活を選んだことを「本当に良かった」と感じています。これは皆さん、決して負け惜しみなんかじゃありません。もちろん、都会と比べて田舎は不便です。特に、私が住んでいる地域は、田んぼも、畑もありませんから、田舎というよりは「山の中」「森の中」です。畑に野菜や果物を植えれば、すぐにシカが来て食べてしまいます。雪が降れば、車の出入りもままならない所です。世の中の流行や、食べ歩きや、映画やゲームなどの娯楽からはずいぶん遠くなりました。でも、その代りに得た自然界との濃密な関係は、都会の生活では決してわからない重要な事実を教えてくれます。それは、「人間は自然の一部だ」ということです。だから、本当の意味で人間の命を大切にするためには、その基盤である自然を大切にしなければならないということです。 
 
 このことは、理論的には、私自身がこれまで繰り返して訴えてきたことですが、それはどちらかというと、頭による理解でした。ところが、“森の中”での生活を実際に経験して、私は「人間は自然の一部だ」と全身で感じることができるようになりました。具体的に説明しましょう-- 
 
Kamoshika  私は今、自宅からオフィスまでを徒歩で通っています。雪が降るまでは自転車通勤が可能でしたが、標高1200~1300メートルの土地に雪が降ると、道路が凍結します。ですから、徒歩に替えました。徒歩だと、オフィスまではほとんど上り坂ですから、雪の中を行くと約1時間かかり、帰りは下り坂が多いので40分ぐらいです。この往復の道で、ときどき野生動物に出会います。シカ、キツネ、タヌキ、キジなどですが、クマには会いたくないので、季節になると鈴を付けます。ついこの間(正確には2月24日の夕方ですが)、特別天然記念物に指定されている動物に出会いました。ニホンカモシカです。普通のシカは、人間と出会うとすぐに逃げてしまいますが、このカモシカはじっと立ち止まって私の方を見ています。そろそろと近づいていって写真を撮りましたが、5~6メートルの距離まで近づくと逃げていきました。その間、私とカモシカは見つめ合います。お互いの意図を探り、距離を測るのです。そういう直接の触れ合いの中で、私は「人間は自然の一部だ」と感じ、喜んでいる自分を発見するのです。 
 
 この話を、帰宅してから妻に話すと、彼女も「動物と出会うのは楽しい」と言います。人間は、野生の動物と出会うことに喜びを感じるということは、彼女もずっと感じていたことでした。その時、私は、ピューリッァー賞を受賞したアメリカの生物学者、エドワード・ウィルソン(Edward O. Wilson)の言葉を思い出しました。それは彼の本のタイトルにもなった「バイオフィリア」(biophilia)という言葉です。「バイオ」(bio)は生物、「フィリア」(philia)は愛するということです。彼の考えによると、人間にはその心の奥深いところに、自分の同類である人類はもちろん、人間以外の生物を愛する感情があるというのです。彼の言葉を引用しましょう-- 
 
「どんな生物であれ、生命なき物質のあらゆるバラエティをすべて合わせたよりも遥かに興味深いものだ。生命のない物質は、どれだけ組成の似た生体組織の代謝に役立つか、あるいは有用な生体物質へと変化させられるかによって、その主な価値が決まると言っても過言ではない。健全な精神をもった人間なら、生きている木よりも、そこから落ちた枯葉の山を好んだりはしないだろう。」 
 
「(…中略…)なかでも、ある種の生物は、精神の発達に特別な影響を与えるために、より多くのものをもたらしてくれる。他の生物と結びつきたいという欲求は、ある程度まで生得的であり、“生物愛好”(バイオフィリア)とでも呼ぶべきのだと私は考えている。この仮説の根拠は、科学的な意味で言えばそう確固たるものではない。(…中略…)だが、生物を好む傾向は、日常生活において明瞭なかたちで、しかも広く見られるものであり、真剣な考察を向けるに値する。それは、幼年期から、予測可能な幻想や個人的反応のなかに姿を現わし、やがて大部分もしくはすべての社会で繰り返し見られるパターン、人類学の文献のなかにしばしば見られる一貫性へと収斂されていく。」(pp. 138-139) 
 
 ウィルソン博士は、この本の別の所ではこう書いています-- 
 
「私がこの本で論じてきたのは、われわれ人間が人間たる所以は、かなりの部分まで、われわれと他の生物との特殊な結びつきにあるということだった。生物は、そこから人間の精神が生じ、また永遠に根を置きつづける基盤(マトリックス)であり、われわれが本能的に探し求めている自由や試練を提供してくれるものだ。ひとりひとりの人間がナチュラリストに近づけば近づくほど、かつての自由な世界の興奮を取り戻すことができる。これは、詩や神話を喚起する魔法の再現の公式だと言ってもいい。」(pp. 228-229) 
 
 この人の文章は、短い中に多くの意味を含んでいるので、少しわかりにくいのですが、結局、こういうことを言っているのだと思います--「人間には、本来的に他の生物と結びつきたいという欲求があるが、その感情の基盤は、われわれ人間が他の生物と“近い”という事実にある。人間の精神は、そういう他の生物との特殊な結びつきを基盤とし、そこから生まれているのだから、われわれが自然に近づけば近づくほど、人間本来の自由と喜びを得る機会を広げることができる」。 
 
 この考えをもう少し、宗教的に、生長の家で使われる言葉によって表現すれば、こういうことになるでしょう--「人間は“神の子”として、神が創造された他の生物すべてと本来、一体の関係にあるから、他の生物と結びつきたいという感情が湧き上がる。他の生物との“自他一体”の感情があるということが、私たち人間が人間である所以である」。このように言い換えてみると、ウイルソン博士が言っていることは、『生長の家』誌創刊号の「生長の家の宣言」の第一条と、ほとんど同じ意味になるのであります。それは、「吾等は生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す」ということです。 
 
 ですから、生命を礼拝するということは、人間はもちろん他の生物との“自他一体”の感情を尊重して生きるということです。それは肉食を避け、自然環境を破壊せず、他の生物との接触の場を多くもつということでもあります。こういう生き方にもっとも相応しい場所は、都会ではなく自然の中です。生長の家が今、国際本部を大都会から“森の中”へ移して運動を展開している理由が、ここにあります。皆さまも、人間本来の生き甲斐や幸福は他の生物との関係の中にある、つまり自然の中にあるということを忘れずに、都会に住む人も、田舎に住む人も、人間の命だけでなく、他の生物の生命も礼拝し、尊重する生き方を実践していただきたい。それが私たち人間の幸福の源泉であり、世界平和への道でもあるのです。 
 
 立教86年の記念日に当たり、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣 
【参考文献】
○E.O.ウィルソン著/狩野秀之訳『バイオフィリア:人間と生物の絆』(ちくま学芸文庫、2008年)

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コメント

総裁先生

「立教86年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」のご開催、真におめでとうございます。
私たちバンクーバー周辺の信徒も、今年は時差こそあれ、3月1日が日曜日にあたりましたので、大勢の人が会館に集まり、お祝いの式典を挙行致しました。

もちろん、その中で事前に録画しておいた総裁先生のお言葉を全員で拝聴致しました。

とても感動致しましたが、参加者の半数位が英語だけを理解する方達で、残りの半数は英語も日本語もほぼ同じように理解出来るのですが、総裁先生の日本語の音声と外国語訳が同時に流れて来るので、僕自身に関して言えば少しだけ聞きとりずらく感じました。

多分私の頭の中に直接入ってくる日本語と、少し遅れて流れる英語をまた、脳が勝手に日本語に直してしまっていることで、少し日本語と合わない(英語の方が、直訳でなくとても自然なので…)時があり、結論から言いますと、少し内容を把握出来なくて、今、ブログの方を拝読致しまして、完全に理解出来たような次第です。多分、英語だけが流れてきた場合なら、日本語に直さないでそのまま理解していたのかも知れません。

以前も書きましたが、バンクーバーは都市部でも自然が豊富で、家の裏庭にリスやラクーン、コヨーテまで来るような環境ですが、環境省勤務時に白山国立公園で何度か見かけた、ニホンカモシカのお話もあり、とても懐かしく思いました。
森のオフイスは本当に自然の中にあるのですね。
近い将来、お訪ねしてみたい気持ちが強く湧いて参りました。

1000年後に、この「草創期」の86回記念の記録をご覧になる、未来の信徒の方達の生活はどんなものかと考えてみたら、とても楽しくなりました。

総裁先生のご指導のもと、ますます、生長の家も繁栄し、日本カモシカももっと数が増えていることと思います。

総裁先生の益々のご健康とご活躍を、ここカナダからお祈り致しております。

ありがとうございます。

バンクーバー カナダ 大高

投稿: カナダ大高 | 2015年3月 2日 (月) 14時30分

合掌
生長の家立教86年春季記念日おめでとうございます。この佳き日に両総裁先生はじめ海外の代表者の方々と 同席できましたことは身に余る光栄と感謝いたしております。「大海に一石を投じ」その波紋は国際本部が山梨へ移転し、一年数カ月で生長の家の運動も大きく展開し地域に根差した運動へと、速やかに粛々と総裁先生自ら おすすみ行く様に 畏敬の感をいだいております。 原宿には"いのちの樹林"御誕生おめでとうございます。信徒のみならず、一般の方々にも理解していただけるようにと、総裁先生の深き慈愛は愛なる神様の道へといざなわれ、導かれてまいりますことに、日々感動いたしております。人間の側からみる善と悪は本来無であると言う御教えが樹林への大いなるお考えの元にあられ、昆虫や、その他の生き物、細菌すらも普通は嫌われる生物すらも我々と一体であり、この時に自然の姿を樹林によって再びま呼び戻しつづける御力を頂けますよう祈ります。 ありがとうございます。感謝・合掌                島根教区  足立冨代

投稿: 足立冨代 | 2015年3月 2日 (月) 14時43分

 合掌ありがとうございます。
総裁先生の『生命を礼拝し』のご説明に感服いたしました。私も昨年から『てぃーだ』という自立援助ホームを立ち上げ、行き場のない子供たちを預かり寝食を共に致しております。
 子供達のために3反の畑に作物を作り収穫したり、山羊を飼って、近隣の除草を行っています。
 子供たちが皆いい子に変貌してくれます。自然や動物が心を癒してくれるのだと思います。
 七つの光明宣言の最後の言葉に「実際運動を起こす」と書かれていますが、総裁先生が実際運動を起こされているのですから、信徒である私たちも後に続くだけあります。

投稿: 豊田建彦 | 2015年3月 3日 (火) 00時14分

生長の家総裁 谷口雅宣先生
合掌ありがとうございます。
立教86年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念日、おめでとうございます。
私は、自宅のパソコンで式典を拝見しまして、鮮明な映像から、式典に参列させていただいているような感動を覚えました。このようにネットで配信していただけることに心から感謝申し上げます。世界各地でこの映像を見られることにも感動致します。
 七つの光明宣言の第1条について詳しくご教示くださり、宗派を超越し、生命礼拝の素晴らしい御教えを、生活に生かすことを教えていただきましてありがとうございます。
総裁先生、白鳩会総裁先生が、動物とのふれあいを通して「人間は自然の一部だ」と感じ、喜んでおられるとのお言葉に感銘を受けました。ニホンカモシカと遭遇した時、そこに住んでいる人ならニホンカモシカの住処である森を破壊したいとは考えないのではないか、それは対称性の論理のことかと思いました。両先生が自らお示しくださる‟生き方”に学ばせていただきます。
 生長の家の運動は、草創期であり、未来へ向けての運動であるということを教えていただきました。「このみ教えを伝えていっていただきたい」とお話された総裁先生に中心帰一し、人類光明化運動、国際平和信仰運動、自然と共に伸びる運動に邁進させていただきます。再拝  新潟越南教区 吉岡佳子

投稿: 吉岡佳子 | 2015年3月 5日 (木) 21時06分

生長の家総裁、谷口雅宣先生
合掌、ありがとうございます。
立教86年生長の家春季記念日・総裁法燈継承記念式典、心よりお祝い申し上げます。
この度は小さなタブレットを持参し、同じ地区連の信徒の方と総本山からの中継を視聴させていただきました。
技術の発達のおかげとはいえ、本部褒賞受賞の皆様とも同時に喜びを共有させていただけるのは、配信で世界をひとつにという総裁先生のご愛念のおかげと深く感謝申し上げます。

総裁先生のお言葉を、会場に於いて拝聴させていただく以上に鮮明かもしれないと、感激しきりでございました。
特に、数千年の未来を見据えた、現在の生長の家の運動を”草創期”とご表現なさいましたこと、強く心に響きました。
永遠生き通しのいのちを、生まれ変わり生まれ変わりした遥かな未来に、また生長の家の運動に挺身させていただく時、どんなに輝かしい歴史が築かれていることでしょう。
そのころには今よりもっと美しい地球であってほしいと思います。限りなく美しい自然の中で、人類が平和に、自然と一体を当たり前に感じて暮らしていてほしいと願います。

そのような壮大な夢を描かせて下さる”草創期”というお言葉でした。
夢の実現のために、今出来ることを精一杯実践することですね。
ムスビの神様のおかげでご縁をいただいた方々のいのちを礼拝し、落ち葉の下の微生物のいのちをも礼拝いたします。
わたくしの住まい近くにはさすがにニホンカモシカはいませんが、家庭菜園の菜っ葉をつつく鳥たちとも仲良く暮らしてまいります。
神様が総裁先生を通じてご指導下さる、御教えの素晴らしさを地道に伝えてまいります。
      島根教区 西村世紀子  再拝

投稿: 西村 世紀子 | 2015年3月 6日 (金) 00時11分

合掌ありがとうございます。今日は、全国幹部研鑽会の推進訪問の為、3名で豪雪地帯の妙高市へ向かいました。道路はアスファルトがきれいに見えましたが、周囲の雪壁は3メートルほどの高さかと、雪の多いのに驚きました。2軒訪問させていただきました。薪ストーブや自然の生き物と多く触れ合い、作物も沢山作って、とても美味しいタクアン漬けや煮豆など愛行くださり、又、岩魚40センチのを釣り上げたとハクセイが飾ってあり、自然と共に伸びる生活者でした。今年は17回も屋根雪おろしをしたとか、お身体も健康でした。お互いに助け合っていられる姿が感じられました。人間本来の生きがい、幸福が感じられました。再拝

投稿: 伊藤勇司 | 2015年3月 6日 (金) 10時56分

合掌 ありがとうございます。

ブラジル・PE-Recife教区で活動している兄からこの写真の紹介がありました。立教記念当日、通訳つきの映像で視聴し、みんな喜んでいたそうです。

https://scontent.xx.fbcdn.net/hphotos-xfa1/t31.0-8/10580809_908116942543902_7424265911151306745_o.jpg

再拝

投稿: erica | 2015年3月 8日 (日) 12時44分

生長の家総裁 谷口雅宣先生
合掌ありがとうございます。 立教86年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典、心よりお慶び申し上げます。本部褒賞受章者の皆様ならびに世界の信徒の皆様と共にこの尊い式典に、インターネットを通じて参加できましたこと大変有り難く感謝申し上げます。私は益田会場で信徒の皆様と共に視聴致しました。式典でも何時も素晴らしいご指導を頂いておりますこと感謝申し上げます。今回も時代応現の運動の中にあって、立教の精神に学びその精神をどう生かしていくべきかを丁寧にわかりやすくご指導頂きありがとうございました。総裁先生ご著書「生長の家ってどんな教え?」に…大気を誰が作っているかというと、それは動物と植物、そして菌類が、人類が地上に現れてくるはるか以前から、人間以外の生物種が協力してこの特殊な大気という防護膜を作り上げてくれたおかげで、人類の現在はある。これは地球の自然界の傑作の一つです。というご文章に接した時、人間は自然の一部であり、自然に生かされていること、そして有り難さを強く強く感じました。総裁先生のご指導を心に留め、今後も総裁先生に中心帰一し、人類光明化運動、国際平和信仰運動、自然と共に伸びる運動に邁進致します。ありがとうございます。 島根教区 水津英子拝

投稿: 水津 英子 | 2015年3月 8日 (日) 22時21分

総裁先生 合掌ありがとうございます。
3月1日の「立教86年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」 誠におめでとうございました。式典の様子は、夫の実家のある田舎でノートパソコンで拝見させて戴きました。総裁先生のご挨拶が2回、ほんの少し止まっただけで、あとは、クリアに臨場感溢れる様子をわくわくしながら拝見させて戴きました。夫の田舎に帰る途中では、猿や狸に遭遇することがあります。道路を横切り、ガードレールの向こう側にたたずんでいるお猿さんと車を停めて見つめあう時もあります。お互いに観察しあっているといった感じでしょうか。
最近、義母の畑仕事の手伝いをするようになりました。畑での作物はいのししに荒らされるので囲いの柵がしてあります。しかし、空からのカラスは、人参も食べますし、ひよどりは、カブも上手に中身だけ食べます。昨日は、とても良いお天気で、玉ねぎの回りの草取りをしていましたら、小さいてんとうむしと出会いました。土の下で、どうも冬眠をしていたようです。しばらく動かなかったのですが、ちょんちょんと私が触ってしまったので、びっくりして移動し始めました。「可愛いなあ~」と私の心の中は喜びで一杯になりました。総裁先生がおっしゃるように、「自然に近づけば近づくほど人間本来の自由と喜びを得る機会を広げることができる」ことを実感しました。立教より86年たち、世界の人口の半分以上が都市に住むようになり人類を取り巻く環境は大幅に変化してきました。この時代に即応したみ教えをお伝えくださり、肉食の削減などの具体的な方法をご教導くださる総裁先生に心から感謝申し上げます。先生が紹介して下さった『バイオフィリア:人間と生物の絆』は、市内のどの図書館の蔵書にもなかったので、注文致しました。今日あたり届く予定です。生長の家が目指すものは、世界平和であり、それはとりもなおさず創始者谷口雅春先生が目指した人類の幸福であることと理会しております。
島根教区 柳光貴代美拝

投稿: 柳光貴代美 | 2015年3月 9日 (月) 09時38分

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