ていねいに生きること (2)
私が、この文章のもととなった講演をしたのは2011年の5月初めで、東日本大震災の数カ月後である。まだ、“森の中”には引っ越しておらず、したがって、自然界からのフィードバックを実際に多く体験していたわけではない。しかしその後、“森の中”での生活が始まり、実際に多くの“めんどくさい”体験を重ね、自然からのフィードバックを沢山受け取ってきた。そして今日、この文章を読み直すと、ここに書いたこと--それは当時は一種の“理論的予測”に近かったものだが、それが自分の実際の体験によって「正しい」と証明されたと感じるのである。
私がここで言う「実際の体験」とは、例えば薪割りであり、畑仕事であり、雪かきであり、自転車通勤であり、クラフト製作である。そのほかにも数え切れないほど多くの細々としたことがあるが、それらの自然との交流のほとんどは、都会生活では“ムダ”なもの、“非効率”なこととして否定的に評価されてきたものだろう。薪割りみたいに手間のかかることはしないで、都市ガスや電気を引いて、あるいは灯油を使って暖房をする。そうすれば、スイッチ1つで部屋はすぐに暖かになる。野菜や果物は畑仕事をして収穫するのではなく、スーパーやデパートにあるものを買う。通勤には、危険で体力を使う自転車など使わずに、自動車や公共交通機関を利用する。家で必要な什器や備品は、自分で工夫して作るのは面倒だから、店で買う。それも安いものを。そして、不要になったら捨てる。食事もできるだけ手間を省いて、惣菜を買うか、弁当を買うか、出前をとる--こういう都会生活での“省力化”と消費は、「文明の進歩」とか「経済発展」と呼ばれて肯定的に評価されてきたのである。
しかし、このようなライフスタイルと経済活動が原因となって、エネルギーと資源は浪費され、廃棄物は大気や海洋を汚染し、生物多様性は失われ、故郷は荒廃し、地球温暖化による気候変動が起こっている。これはマクロのレベルの問題だが、個人生活に関わるミクロのレベルでも、この“進歩”のおかげで“シワ寄せ”が起こっている。自然との接触を失った都会の“消費者”たちは、電話やスマホやインターネットを使いこなすことはできても、ノコギリを引けず、クワも使えず、火も起こせず、植物を育てられず、体力も保てずに、アレルギーや神経症に悩まされることになった。
標準的な(古い)経済理論によると、これらの経済の合理化・効率化と社会のスペシャリゼーションによって、人類全体の生産と消費のレベルは拡大し、幸福が増進するということになっている。しかし、本当にそうだろうか? 人類は、経済発展によって何を得たのだろう? 自由時間を得られたのなら、それを本当に有効利用しているのだろうか? テレビの娯楽番組を見たり、ネットでムダ話をしたり、流行やトレンドを追ってショッピングをしたり、アイドルを追ったり、ゲームに興じたり、スポーツ観戦をすることが、本当に“余暇の有効利用”なのだろうか? 選択肢が多いということが、人類の幸福増進につながっているのだろうか?
このような疑問を抱いた人のうち、従来型の経済発展の行く先に見切りをつけ、その中心地・都会から離れて、“ウサギ追いし”故郷にもどり、あるいは豊かな自然が残る新たな土地に移住し、自然との接触の中で、もっと生き甲斐のある生活を送ろうと決意した人々の数は、着実にふえている。生長の家のオフィス移転も、人類社会のこの大きな動きの一環であると考えたとき、宗教としての使命は自ずから明らかとなってくる、と私は思うである
谷口 雅宣
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コメント
あけましておめでとうございます。
私は自然に囲まれた森の中で生活し、楽しく、生き甲斐を感じております。精神的に満たされ、東京に住んでいた頃と比較すると、体調も頗る良いです。
その通りだ、と何度も頷きながら拝読させていただきました。
本年もブログを楽しみにしております。
投稿: 岡田 慎太郎 | 2015年1月 6日 (火) 10時35分
総裁先生
合掌ありがとうございます。
本年もご教示を戴けますこと、有り難く感謝申し上げます。
先生のご著書、「宗教はなぜ都会を離れるか?」を拝読させていただきました。私は5歳から鳥取と島根の県境の山合の村で育ちましたので、雪も多く学校も休校になったりしました。
停電も度々ありましたが、堀ごたつや、かまどを使っての暮らしでしたから、停電も苦になりませんでした。
しかし、去年の年末に雪のため、出雲市の広範囲が停電になりましたとき、私を始め、多くの人々が混乱しました。
考えてみましたら、冬に雪が降るのは当然で、降らないと不都合も有りますのに、文明の発展と共に、雪や雨の自然現象や花粉の飛散などを迷惑に思う自分自身がおりました。
年末に、お隣の山口県の養鶏場で数羽の鶏から鳥インフルエンザが見つかり、国の条令により、その養鶏場の鶏全部を殺傷処分したというニュースが報じられました。
この時、担当させていただいている全盲のYさんが「何で、何ともない鶏まで殺さないといけないのか?人間の勝手な都合ではないか?湯川博士がノーベル賞を受賞したとき、人間は自然を征服したつもりでいるが、いつの日か、自然の脅威の前にひれ伏すときが来るであろう、と言われたことを思い出す」と話してくれました。Yさんは全盲であっても、私に大切なことを教えてくれます。
今年に入って、2日の日でしたが、職場で事務処理に追われていましたとき、物凄い突風が吹いて、センターのガラス戸が粉々に割れてしまい、大変ビックリいたしました。
ですが、観世音菩薩讃歌、大自然讃歌を日々読じゅさせて戴いておりますので、慌てず、騒がずに対応することが出来ました。そして、総裁先生のご教示を少しでも、実践させていただくために、今年から職場に「だんだんレターボックス」を設置しました。最初は「サンクスボックス」にしていましたが、出雲の方言で、「ありがとう」を「だんだん」と言いますので、この名前にしまして、毎日職場の誰かの良いところや感謝の言葉を備え付けの用紙に書いて投函し、月末に担当者が集計することになっています。
今年の春から介護保険の大きな法改正に伴い、介護報酬も引き下げられますが、嘆くことより、もっと考えを変えて、こういった取り組みを通じ、介護現場で働く人たちのモチベーションを上げ、離職をなくそうと思いつきました。
総裁先生のご教示に有りました、「ていねいに生きる」を本年の目標にさせていただきます。
総裁先生のご教示は、地方の介護職の私たちや要支援、要介護状態の人や障がいを抱えて生きている人の拠り所となっております。本年もどうかご教示をいただきますよう、重ねてお願い申し上げます。私もケアマネージャー仲間やヘルパーさんたちに先生のご教示をお伝えし、神,自然,人間の大調和した世界実現のために精進してまいりたいと決意しております。
再拝 島根教区 岡田 さおり
投稿: 岡田さおり | 2015年1月 6日 (火) 23時02分
合掌、ありがとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
総裁先生の年頭のご挨拶、そして、“ていねいに生きること”の大切さを拝読致しまして心から感動致しました。今年は、結び合いの生き方を深く考えてみたいと思います。
さて、何時の頃のデーターかは忘れましたが、日本の総人口の約30%に当たる3800万人ぐらいが、自然との共存や自然保護などに関心がある、と言う調査結果を読んだことがありますが、関心があることと、自然と共存した生き方を望んでいるかどうかは不明です。
いつものように私事で恐縮ですが、環境省時代にいつも感じていたのは、お役所は自然保護はしないと言うことです。
自然保護をしたくて入省したのに、毎日まいにち、終電まで、ゴルフ場や観光施設の許認可申請書の処理ばかりさせられながら、レッドブックも環境白書も、環境行政の政策決定の判断材料でしか無いことを身を持って学びました。
これまでの総裁先生のブログを読み返せば、自然の大切さや環境破壊のことを今さら書く必要はありません。しかし、 私が未だに自分自身で結論が出せないのは、人間生活を行えば、多かれ少なかれ自然に対して何らかの影響を与えること。
人間もまた自然の一部であると言うならば、その影響力が小さいか大きいかの話、つまり、ランプの光はOKでも、原発のエネルギーや、化石燃料を使って明かりを点けるのは、NO、かと言うことです。
自然を守るなら、自然と人間との間に一線を引いて、その中に立ち入らないことが一番の近道です。しかし、現実にはその様な境界線は引けません。人間も自然の一部なのですから、他の動植物と同じように、太陽エネルギーの恩恵を少しだけ自分たちの為に使うべきなのでしょうか。
私は、若い頃、人間を自然の一部と考えないと言う方法はどうか、と真剣に考えた時期があります。
富士山の北麓の忍野村と言う所に、昔ながらの古民家のような建物がありました。その家々は国立公園の特別地域と言う保護区域内にあったのですが、窓枠をサッシに変えたい、と言う改築の申請が出ました。
それを許可したのは、私ですが、富士山をバックに立ち並ぶ古民家の窓枠がサッシでは景観にそぐわない、と新聞で叩かれました。確かに、そうです。私自身も雪景色の時に写真を何度も撮っていましたので、その気持ちはよく分かりました。
しかし、厳しい冬の時期は、外気温度がマイナス15度を簡単に超える地域で暮らす人の気持ちを考えたらどうでしょうか。隙間風が入り込む古い木の窓枠を、暖かい空気が外に漏れない最新のサッシに変えることが出来たらどんなに幸せでしょうか。私に、出来たのは、せいぜい“窓枠をアルミの原色から茶色く塗ること”、と言う条件を付けることぐらいでした。
このような経験を上げたらきりがありません。
便利な都会に住んで居る人が、日曜日に高速を使って訪れて、ひと時の自然との触れ合いを楽しむその地に、自然と共存しながら生活している人達が居ること、その人たちもまた、自分達と同じ人間なのだと言う事実に思いを馳せる人が少ないのです。
例え自然にどれだけ関心があっても、そこに住む人たちには何の関心も無いのです。そこでは、人間は自然の一部として見られることは無いのです。
済みません、長くなりました。
自然保護は、あくまでも人間の側に立った見方に過ぎないと思うことがあります。
以前、「自然に優しい」と言うフレーズが流行りましたが、私は、この表現を聞くたびに心のどこかがざわつきました。大人が子供にやさしい、と言うように、本来、優しく出来るのは、大きな力を持つ自然の方であるのに、大いなる自然をコントロール出来ると錯覚した人間のおごりが、その言葉に現れているような気が致しました。
自然は、道具を持たない人間には、今も昔も脅威だと思います。自分たちに都合の良い物を何でも作り出す文明は、この後もまだまだ続くのでしょうか。神様は人を罰しないことは御教から理解しておりますが、命のある地球自体は、自浄作用の為に、地震や火山活動などを更に頻繁に起こすような気がしてなりません。
カナダより 再拝
投稿: カナダ大高 | 2015年1月 8日 (木) 15時31分
生長の家総裁 谷口雅宣先生
合掌ありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
「ていねいに生きる」ことの意味を詳しくご教示くださいましてありがとうございます。より物質的な豊かさや効率化を求めるあまり、人間の欲望が経済発展の原動力として組み込まれ、生活は便利さに支配され、人間の生きる力が削がれているということをわかっていても変えられないことへの答えは、めんどくさいことを敢えてやるとか、ていねいに生きるということであると教えていただきました。ムスビの働きをご教示いただき、家庭生活や仕事において、より「ていねいに」生きることを心がけたいと存じます。生長の家の運動においても、自然と人間、人と人との結びつきをもっと深める展開になるということを理解させていただきました。増々、信仰的で、自然と共に伸びる運動につながるということを確信し、中心帰一の信仰姿勢で希望を持って地元での運動を展開して参りたいと、年の初めに決意させていただきました。再拝 新潟越南教区 吉岡佳子
投稿: 吉岡佳子 | 2015年1月 8日 (木) 16時07分
大高さん、
カナダは今年、とても寒いのではないでしょうか? 本年もよろしくお願い申し上げます。
>>私が未だに自分自身で結論が出せないのは、人間生活を行えば、多かれ少なかれ自然に対して何らかの影響を与えること。<<
その通りだと思います。この「何らかの影響」の中には「よい影響」もあるのではないか、と私は思います。人間が「自分は自然の一部だ」という深い自覚をもつとき、自分の拠って立つところの自然を欲望にまかせ、際限なく搾取するという態度はとれないと思います。それは、母から略奪するようなものですから。そんな深い自覚から生まれる技術と、そうではなく「搾取自由だ」と考えて欲望を優先させて開発される技術とは、自ずから異なってくると私は思うのです。この前者の方向に人類が進んでいけば、自然と人間の両立は可能ではないか、と私は期待しているのです。
投稿: 谷口 | 2015年1月 8日 (木) 23時12分
総裁先生
カナダは、ロシアに次いで世界で2番目となる広大な国土面積を有します。私の住む西海岸のバンクーバーと、ナイアガラの滝で知られる東のトロントまで、6つの時間帯に分かれております。今年は、本部講師の先生がお住まいになっておられる東部の方はとても寒いようですが、バンクーバーは例年並みの気温です。
自然と言えば、人間も含めた天地、宇宙の万物と言う意味ではなく、人の手の触れていない地形や環境を指す言葉としての自然、と言う意味ですが、英語では、Natureと言う単語が当てはまるかと思います。鳥の声や風の音などを、サウンドオブネーチャーと表現しますが、バンクーバー辺りでは、昼間は、車の音や工事の音などの City Sound をよく耳にしますが、これだけの都市部でも、昼間はリスや小型のウッドペッカー類、夜中ともなれば、裏庭にラクーンやスカンク、時にはコヨーテまで現れるような自然が残っております。残っている、と言う表現よりも、自然と人口の割合が程よく交じりあっている、と言った方が適切かも知れません。わざわざ遠くまで出かけなくても、総裁先生の言われる、人間と生物が結び合う環境が、まだまだそこここにあるのです。
昔、尾瀬で自然解説をした時は、一番最初に参加者に目を閉じて頂いて、耳に聞こえた音をそれぞれに表現して頂いておりました。葉と葉がこすれる声、水の流れる音、自然が奏でる素敵な音は人の心を優しくしてくれました。
母なる自然と人間生活の両立、とても大きなテーマですね。
私は、大自然讃歌が本当に大好きです。
讃歌を拝読すると、とても心が落ち着きます。
その内、カナダの大自然の中で声を出して読んでみたいと思っています。
太古の昔から、太陽や森などへの自然崇拝があったと思いますが、万教帰一とは言え、この時代に自然保護を語らない多くの宗教は一体何を見ているのかと思います。
時々、総裁先生を宗教家ではなく、自然保護論者みたいに表現する方もいる(失礼)ようですが、僕には、総裁先生こそ、真の宗教家と言いますか、本当の宗教的生き方を実践しておられる方は、世界広しと言えども、どこの国にもいないと思います。
私たち信徒をお導きくださる総裁先生の言動が、次は何かと考えるのが楽しみで仕方ない日々が続いております。再拝
投稿: カナダ大高 | 2015年1月 9日 (金) 15時47分
生長の家総裁、谷口雅宣先生
合掌、ありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
常にわたくし達信徒のため、世界平和実現のために、尊いご指導を賜り、心より感謝申し上げます。
本年も元旦零時よりインターネットにて親しく総裁先生よりお言葉をいただき、感激いたしました。
”自然と共に伸びる”ための生き方を研鑽する道場として位置づけられた総本山に、造化の三神をご勧請なさられた秋季大祭から初めて迎える新年が、これまで以上に輝かしいものでありますこと、重ねてお慶び申し上げます。
秋季大祭におけるご教示の”生長の家の運動の世界史的位置”というお言葉に、打ち震えるほどの感動を今も繰り返しかみしめております。
白鳩会員であればこそ、一主婦がかくも偉大な指導者の元、こんなにも重要な運動に身を挺しているのだ、と”すごい”としか形容しようのない感動でした。
新たな道へ歩みだされた総裁先生の御決意、ご覚悟、御心をお伝えすることがわたくし達の使命と存じます。
そのために、総裁先生のご指導をまずブログで拝読いたし、機関誌にて確認し、ご著書に学ばせていただくこと、熟読を繰り返すことではないかと心新たにいたしました。
魂の振動として「コトバの力」をしっかり把握し、あらゆる場で、できるだけ多くの方に、御教えと総裁先生のご指導を伝えてまいりたいと存じます。
高御産巣日神、神産巣日神の二柱のムスビの神様に、いつも御加護とご指導を仰ぎつつ、「神・自然・人間の大調和」を目指してまいります。
ていねいな生き方とは、白鳩会総裁、谷口純子先生の五つのご提案に添った生き方と心得、足元からライフスタイルの転換を図ります。
総裁先生ご夫妻におかれましては、ますますご健勝にて全国、全世界にご指導賜りますこと、お祈り申し上げます。
島根教区 西村世紀子
投稿: 西村 世紀子 | 2015年1月11日 (日) 19時19分
合掌 ありがとうございます。
総裁先生のお言葉を、深くかみしめ自ら考えてみたいと改めて感じさせていただきました。
今年もよろしくお願い申し上げます。
再拝
投稿: 金坂 千位子 | 2015年1月12日 (月) 16時50分
合掌 有難うございます。
以前の私は、総裁先生のご文章を読ませて頂くだけで、コメントにはあまり目が行きませんでした。いつの時からかコメントからも感動を受けるようになりました。 皆さんの熱い思い、気構えの変化、日本とは異なるカナダよりの自然に対する考え、そして、総裁先生の胸中の思いからのご返事、を読ませて頂き、ネットを通して、国と国・人と人が結び合える時代に身を置く自分を幸運に思います。
これも、総裁先生の画期的取り組みと実行力の御蔭と日々感謝させて頂いております。
再拝 千葉教区 高野洋子
投稿: 高野洋子 | 2015年1月14日 (水) 14時55分