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2014年12月10日 (水)

「いのちの樹林」について

 今日は午後1時半から、東京・赤坂の「生長の家赤坂“いのちの樹林”」で同樹林の完成Jurin_01 の御祭が行われ、生長の家参議、日本教文社と世界聖典普及協会の役員、東京第一教区幹部、同樹林建造工事関係者ら約50人が参列して、工事の無事完成を祝い、生長の家の“自然と共に伸びる”運動のさらなる進展を誓い合った。私は、御祭の最後に概略、次のような挨拶の言葉を述べた--
 
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 皆さん、本日は師走のお忙しい中、「赤坂“いのちの樹林”」の完成を祝う御祭にご参列くださり、誠にありがとうございます。
 
 生長の家は昨年、本部事務所を東京から山梨県北杜市に移転した後、その跡地を、自然と人間とのあるべき関係を象徴的に示す“緑地”にしようという計画のもとに、この赤坂と原宿の地に“いのちの樹林”というものを建設し、今回、その最初の樹林の完成を見たのであります。
 
Jurin_02  そもそもこの樹林の構想は、今から6年前に私の中から生まれたもので、当初は“霊的緑地”という風変わりな名前で呼んでいました。その時の様子が私のブログ「小閑雑感」に2008年2月15日付で、このように書いてあります--
 
「実は、東京の赤坂に生長の家が運営する末一稲荷神社があるが、この2月12日にはそこで初午祭が執り行われた。私はこのお祭の主宰者として祝詞をあげさせていただいたが、帰り際、神社の境内にフキノトウがいくつも顔を出していることに気がついた。ちょうどその朝、ラジオ放送で熊本県の人がフキノトウが出ているという話をしていたのを思い出した。
 
 建物が林立する都心の赤坂でも、この境内には日が差し込む地面があり、そこでは自然の営みが行われている。近隣の人々の何人がそれに気づいてくれたか分からないが、黄緑色のフキの葉が広がる下に、蕾を膨らませたフキノトウを見るのは嬉しい。
 鉄とコンクリートの都会の中に、自然エネルギーを利用する装置や機械を設置することにも意味はある。が、都会の中心に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくことも、重要なメッセージになると感じた。」(『小閑雑感 Part 12』pp.260-261)
 
Jurin_03  私はこう書きましたが、ここにあるように「本来の自然の活動を盛り上げる」ということは、この大都会の中ではほとんど不可能に近い難しいことであります。が、今、多少の妥協はありますが、私たちは可能なかぎりその考えに近い形で、具体的な樹林を構成し、一歩前に進み始めたと言えるでしょう。
 
 私がブログにこの文章を書いた2月の中旬は、「厳冬」と言っていい時期でした。しかし東京には、その冷たい空気の中にも、春の到来を予感させるときがあります。当時、私が住まわせていただいていた原宿の総裁公邸では、雪が降ることはあっても、この時期にはツバキやサザンカが咲き、一陽来復の気に満ちていたものです。そんな時にフキノトウも顔を出します。実際、公邸の南東の斜面にはフキが群生していて、私はこの時期によくそこへ行ってフキノトウを探したものでした。こういう季節の移り変わりを肌で感じ、それに伴って野菜や果物などの日常の食材も変わっていくというのが、長い間、人類が親しんできた食生活だったでしょう。しかし現在は、イチゴは冬の果物にとって変わりました。講習会で訪れる日本各地のホテルの朝食には、ほとんどどこも輸入果物しか出されなくなりました。そして、スーパーマーケットには、温室育ちのフキノトウが早々と並ぶのです。現代社会は、「人間が望んだときに望んだものが簡単に手に入る」ということが、幸福であると考えているようです。そして、食材に関しては、日本ではその“幸福状態”がほぼ実現していると言っていいでしょう。しかし、それにもかかわらず、日本人は皆、幸福なのでしょうか? 多くの人たちはそう思わないに違いありません。
 
 幸福とは、自他の一体感を得るときに訪れる、と私は考えます。私は2年前に『次世代への決断』という本を書いたときに、そのことを「めんどくさいが世界を救う」という言葉で表現しました。この時の「自他一体」とは、人間同士の関係はもちろん、人間と自然界の生き物や環境との関係においても、「自他一体」を味わうことで幸福感を得ることができるということです。それが“自然と共に伸びる”生き方だと申し上げました。自他一体とは、相手から奪うことではありません。相手が望むことが自分の望むことであり、それが得られることで自分は何も得られなくとも、相手の喜びを見て自分も満足することです。
 
 現代社会では、そういう自然と共に伸びる関係が失われつつあります。そして、そのことが、人類が地球温暖化を止められない最大の原因だと私は考えます。
 
Jurin_04  最近、この樹林の話を聞いた娘が、こう言いました--「生長の家は公園を作るのね」。私は大急ぎでそれを否定しました。なぜなら、それはまったくの勘違いだからです。そして、この樹林は公園とは違い、立派な宗教施設だと説明しました。どれだけ理解してくれたかわかりませんが、この違いは重要です。欧米で生まれた庭園や公園の考え方は、自然界の諸々の生物を分け隔てなく受け入れた空間ではありません。人間にとって、見て美しいもの、愛らしいもの、食べて美味しいもの、香りのよいもの……など、あくまでも人間の快楽を目的として作られたものです。雑草や害虫、見て恐ろしもの、毒のあるものなどは、庭園や公園からは極力排除されます。「人間の好みにしたがって自然を再構成する」ことで造られたものです。そして、昔から世界中で立派な庭園が造られてきましたが、それらは洋の東西を問わず、ほとんど支配者や権力者の手によって造られたもので、一般庶民の生活とは無縁でした。なぜなら、そういう庭園は人間の欲望追究の延長線上に造られたからです。私たちは、そういう庭園や公園を造ったのではありません。
 
 私たち生長の家は、①土地本来の植生と②生物多様性を重視した緑地を、宗教施設として作り上げたという所に大きな意義があると思うのです。この樹林がつくられる前、“霊的緑地”と呼ばれていた時にこの緑地のコンセプトができましたが、そこには「この緑地では、(…中略…)土地本来の植生を構成する樹木や草花」を配置することが定められ、また、このコンセプトの具体的展開方法として「小動物や鳥、昆虫などが生息できるよう、農薬や化学肥料は極力使用しない」ことが謳われています。これがつまり、庭園や公園の考え方と基本的に異なる点です。その相違点を分かりやすく言えば、庭園や公園は「都市」や「都会」の考え方の延長線上にある人間本位の、人間中心主義的な発想から造られるのに対し、霊的緑地=いのちの樹林は、自然本位の、自然中心主義的な発想から生まれているということです。
 
 ①その土地本来の植生であること。
 ②“自然の恵み”を生物多様性として味わえること。(果実、鳥類、昆虫など)
 
 この2つのポイントは、宗教的にもとても重要だと思うので、今回ここにお集まりになった方々、特に、赤坂オフィスの職員の皆さん、そして、これからこの樹林を利用してくださる東京第一教区の信徒の皆さんには、この2つを忘れずに、またこの2つの原則を大切に守り、そして多くの利用者にお伝えくださるよう、この場を借りてお願い申し上げます。
 
 それでは、これをもって今日のこの記念すべき日の挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます。

植林をするにあたって、①その土地本来の植生であること、が基本の考えだと思います。
今年のKYOTO地球環境の殿堂で殿堂入りされた宮脇昭氏の講演を、表彰式の記念講演で聞きました。宮脇氏も土地在来種の樹木の植林の大切さ(重要性)を話されていました。
それまで私は、広葉樹ならいいんじゃない?という考えでしたからその土地本来の木、という話は目からウロコでした。
今回のこの植樹、嬉しく思います。
再拝

投稿: 水野奈美 | 2014年12月12日 (金) 20時27分

水野さん、

 宮脇氏には、生長の家もずぶんお世話になっています。長坂にある職員寮周辺の植樹も、宮脇氏の指導によって「土地本来の植生」の再現を目指して行いました。こういう考え方が、植林の常識になることを期待しています。

投稿: 谷口 | 2014年12月15日 (月) 17時35分

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