龍宮住吉本宮に“造化の三神”をお迎えする
今日は清々しい秋晴れの空の下、午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の出龍宮顕齊殿で「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が行われた。前日は午前中に「第34回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、午後には「第37回龍宮住吉本宮秋季大祭」が厳かに挙行された。これら二つの御祭は恒例の秋の大祭だが、今年の本宮大祭では、新たな儀式が行われた。それは、同宮の祭神として住吉大神に加え、天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神が勧請される「鎮座の儀」が行われたことが特筆される。この御祭に参列したのは全国の教化部長のほか、長崎県を含む北九州の幹部・信徒の約560人で、今日の記念式典には約500名が参列した。従来と比べ、式典の参列者数が大幅に減ったのは、今年から運動年度を暦年に合わせたため、運動成果を表彰する時期が3月1日の立教記念日に移行したことによる。
私は、今日の記念式典の最後で概略、以下のような挨拶をおこなった:
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本日は、谷口雅春大聖師御生誕日記念式典に大勢お集まりいただき、誠にありがとうございます。
この式典は、この総本山の地に龍宮住吉本宮が建立された後、ずっと継続して行われてきたことは、皆さんもご存じの通りです。また、今日の日は、雅春先生のお誕生日であるとともに、谷口清超大聖師が生長の家総裁の法燈を継承された記念すべき日でもあります。今回もこれらを祝って式典を行わせていただいていますが、プログラムには、従来から若干変化が生じています。その理由も、多くの皆さんはすでにご承知の通りです。それは、昨年の秋、生長の家の国際本部が山梨県北杜市の“森の中のオフィス”に移転し、それに伴って運動年度を4月から3月という従来の期間から、1月から12月という暦年に合わせる方式に変わったからです。私たちの運動成果の評価と褒賞は、従来はこの時期に行われていましたが、今年から3月1日の立教記念日に変更されています。
国際本部を東京から北杜市へ移転することの意義や目的については、もうすでに多くの所で語られていて、私も何冊も本を書いて詳しく説明させていただいています。しかし、このような変化が、谷口雅春先生の始められた私たちの運動全体の中でどのような意味をもち、さらに言えば、長い世界史の中の「現代」という時代に焦点を当てたとき、どのような意味と位置を占めるかというような大きな視点からの解説は、まだ行われていませんでした。今日のように世界がどんどん狭くなり、社会の国際化やグローバリゼーションが進んでいる中では、こういう視点から自分たちの位置を見つめ直すということは大変重要です。なぜなら、それによって私たちの運動の意味が、より鮮明になってくるからです。そこで私は今回、本の中でそれを記述して、この大祭と記念式典に合わせて出版させていただくことができました。それが『宗教はなぜ都会を離れるか?--世界平和実現のために』という単行本です。
この本の第1部第1章には「運動の変化について」という題がついていて、私たちの運動の世界史的位置が説明されているので、幹部活動をされている皆さま方にはぜひ、それを熟読して内容を理解していただきたいのであります。本の最初の約70ページ分が、それに該当します。この式典でそれを全部読む時間はないので、「はしがき」の一部を紹介して、皆さま方の今後の研鑽の「導入」とさせていただきます。
まず、私は「はしがき」で、今年10月の徳島教区で行われた講習会で受けた、こんな質問を紹介しています--
「敗戦後、なにか日本は負い目を感じ今日まできたように感じます。しかし、戦争にいたる事実を知り、日本人として誇りをとりもどしました。もっと雅春先生の憲法に関する著書を世に出すべきではないのでしょうか。私たち日本人は、もっと世界に自信をもっていいのでは、そういう教育は間違っているのでしょうか。」
この質問の主は、62歳の主婦の方からで、私と同い歳である。そんな人が、いまだにこんな内容の疑問をもっているということに私は驚きました。この質問者は、昭和の時代の前半に日本が行った戦争を「正しい」と思っていることが明らかだからです。しかし、生長の家の教義では、どんな戦争も「正しい」とか「聖なる戦い」として肯定することはありません。すべての戦争は、「迷いと迷いとが撃ち合って崩壊する過程」だと教わっています。しかし、そのことが戦後一貫してすべての信徒に伝わっていたかというと、必ずしもそう言えない。そこには、この時期の世界史における特殊な事情があったからです。その事情とは「冷戦」というものです。冷戦下では、それに応じた運動の仕方があり、それに応じた教えの説き方があったということです。
このことを、私は「はしがき」で次のように述べています--
「その原因の一部は、生長の家にもある。それは、創始者の谷口雅春先生があの戦争のことを“聖戦”と形容したことが一度ならずあり、当時の日本政府の言い分を擁護される文章も多く残されているからだ。しかし、その一方で、雅春先生は、生長の家の教義上の重要な文書である“神示”の中で、あの戦争を明確に否定され、戦争に至った日本人の精神状態を厳しく批判されるなどしている。この一見矛盾した表現のために、生長の家の信徒の間では、あの戦争についての評価が長期にわたりまちまちであった。しかし、この問題は2004年の『歴史から何を学ぶか--平成15年度生長の家教修会の記録』発刊以後は、大方の信徒の間では解決したと私は思っていた。なぜなら、同書では、様々な年代や状況下での雅春先生の御文章を多数引用して、あの戦争をめぐる先生の評価の変遷を示し、それがなぜ起こったかを比較的丁寧に分析しているからである。しかし、同書発行から10年が過ぎても、この程度の理解の人がいるならば、過去の評価をもっと明確な言葉で表現する必要がある、と私は感じた。
そんな理由もあって、本書第一部第一章“運動の変化について”では、あの戦争の終了後、日本社会がたどった方向に関連して、谷口雅春先生がどのようなお考えだったかを明確に表現した。これは即ち、先生の日本国憲法に対するお考えを述べることでもある。そうすることで、私は前掲のKさん(質問者)の“もっと雅春先生の憲法に関する著書を世に出すべきではないのでしょうか”という質問に事実上答えている。この問題に関心のある読者は、だからそこを読み、そして“宗教は時代の制約下にある”という事実を知ってほしいのである。第一章はこの事実を、生長の家の実例をもって示すことに費やされている。」
ここにある「宗教運動は時代の制約下にある」ということを、皆さんはぜひ理解していただきたいのです。これは、当たり前と言えばすごく当たり前のことです。私たちは今日、地球温暖化問題を深刻に捉え、その抑制に向かって真剣に取り組んでいます。生長の家が国際本部を東京から八ヶ岳の南麓に移転したのも、それが最大の理由であることは皆さんも十分ご承知のことと思います。これは21世紀初頭の現在が、そういう地球温暖化の時代だからです。時代の要請に応えねばならないからです。20世紀後半の戦後の時代には、とりわけ雅春先生が昇天される1980年代までは、米ソ両国間の「冷戦」が人類社会に最大の影響力をもっていたのです。宗教運動は、そういう目の前の大問題に対して解決の方向性を示さなければなりません。それが、「宗教運動は時代の制約下にある」ということの意味です。「はしがき」の別の所で、私はこのことを次のように表現しています--
「つまり、宗教は時代と環境の要請から生まれるから、その時代と環境が変化すれば、宗教自体も変化を要求されるのである。だから、戦前・戦後に説かれた教えは戦後に修正されることもあるし、冷戦時代の宗教運動の目標や方法が、冷戦後には採用されないこともあるのである。この時代応現の変化の意味が分からないと、宗教は社会に有害な影響をもたらすことになる」
さて、ここにある「宗教運動」の中には、宗教での儀式の方法や唱える言葉も含まれます。それらも、時代の変化にともなって変わっていくし、変わらねばならないのです。ということで、今回、国際本部の移転を機にして、この生長の家総本山での祭祀の形式にも変化が加えられました。これも冷戦時代から地球温暖化時代への変化が背景にあると理解してください。昨日、龍宮住吉本宮の大祭に参列された方はすでにご存じですが、私たちはこのお宮のご祭神として、住吉大神に加えて、天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神の、いわゆる“造化の三神”を勧請させていただきました。生長の家は唯一絶対神を信仰する教えですから、天之御中主大神を祭祀することに問題を感じる人は少ないでしょう。
しかし、一部には、古事記にある“造化の三神”の名前を挙げると、それは日本の神さまの名前だから仏教やキリスト教、あるいはイスラームとは何の関係もないと考える人がいるかもしれませんが、生長の家は「万教帰一」の宗教ですから、昔からそんな偏狭な考え方をしていないのです。天之御中主神とは、いわゆる唯一絶対神の別名だと説いてきました。例えば、谷口雅春先生の『善と福との実現』というご著書には、こうあります--
「今まで吾等は天之御中主神と阿弥陀仏とゴットと天地の創造主とを、同一の本源唯一神なる生長の家大神(うちゅうぜんたいのおおかみ)の別名であることを『生命の實相』で説いて来たのであり、老子の説く“道”(コトバ即ち神)は本来無名であり、神名又は仏名にとらわれて、他宗排撃の古陋に陥ってはならない、万教は互いに手を繋いで、唯一の神を信じ讃えようではないかと説いて来たのである」。(p.185)
では、この龍宮住吉本宮には、これまでなぜ天之御中主神ではなく、住吉大神が祭祀されてきたのかという疑問が生じるかもしれません。しかし、住吉大神は天之御中主神の応化神であり、別名であると言ってもいいのです。このことも、雅春先生の同じ著書に書かれています。引用しましょう--
「“アメノミナカヌシノカミ”とは宇宙の本源なる“中”にして無なる隠身(カミ)である。(中略)その“中無”の世界に超入するを“吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る”と生長の家では云うのである。“中無”の世界は無一物“中”無尽蔵の世界であり、無限知・無限愛・無限生命の七宝充満不老郷であるが故に龍宮海とも云う。(中略)その龍宮海の神を古代の神話では住吉大神と称し奉る。住吉大神とは住ミ吉キ極楽世界の主人公という意味であって、仏教に於ける阿弥陀仏と同体であり、創世記に於てはこれを“エデンの園”と云う」(p.188)
それでは、タカミムスビとカミムスビの二神は何のために祭祀するかというと、それは自然界の最大の特徴である「ムスビ」の働きに注目し、それを“自然の一部”である私たち人間の内部にもしっかりと認め、今後それらを運動面にも生活面にも、もっと強力に表現していくことが必要だからです。なぜその必要があるかについては、先ほど紹介した私の著書に詳しく書きましたから、ぜひ内容をよく読んで理解してください。しかしここでその理由をごく簡単に申し上げると、自然界にはムスビの働きが満ちあふれているのに、人類はその自然を破壊し、地球温暖化や気候変動を引き起こして、生物多様性も減衰させているために、人類の間のムスビの働きもどんどん減退してきているからです。ムスビの働きとは、人と人との繋がりであり、交流であり、協力関係のことでもあります。実は、住吉大神も神話では「シホツチノカミ(水火土神)」として現れますから、ムスビの神であるのです。
ところで一昨日、私はこの総本山の地に参りましたが、その時感動したのは、公邸の庭の柿の木にメジロとヒヨドリが来て、その実を盛んに食べているのを見た時でした。私と妻は、その柿の木の下に立ってしばらく写真を撮ったり観察したりしていました。本部のある北杜市大泉町にも野鳥はたくさんいるのですが、人間を警戒してすぐに逃げてしまいますが、長崎の鳥たちは人間に馴れているのか、私たちの頭上で食事を続けてくれました。私は、目の前に“ムスビの世界”が展開しているのを見て、感動していたのでした。その“ムスビの世界”とはどんなものであるかを、今回の本の文章を引用して簡単に説明します。『宗教はなぜ都会を離れるか?』の299ページです。ここの文章は、実は昨年の今日、この記念式典でお話ししたものですから、皆さんの中には憶えている方もいるかもしれません--
「例えば、植物に花が咲くと、動物であるハチが飛んできて、花の中で受粉が行われて、やがて実が成る。実が成ると、そこにいろんな昆虫や鳥がやってきて、その実を栄養源とし、豊かに成長する。さらに、その実の中に種があれば、それが遠方に飛んだり、動物に運ばれて新しい地に落ち、その植物もさらに繁栄する。“ムスビ”の働きに関与するいずれの生物にとっても、ウィンウィン(win-win)の状態が実現する。それが自然界の顕著な特徴であるということです。その“ムスビ”の働きを司る神々の中で、特に、宇宙本源神の次に現れる二柱の神々--タカミムスビノカミ、カミムスビノカミ--を私たちはしっかり意識して宗教行事を進めることを、私は今回提案させていただきたいのであります。」(pp. 299-300)
このようなことをちょうど一年前に、この場で提案させていただき今回、龍宮住吉本宮の御祭神として、天之御中主神とともにタカミムスビ、カミムスビのムスビの神様を正式にお迎えしたことで、私たちの運動は自然界の働きの中の何を重んじていくかが明確になりました。“自然と共に伸びる”運動の方向性が明らかになったということです。現代において最も必要なことは、個人が自己主張しながらバラバラに生きることではなく、また似たもの同士が寄り集まってグループの利益を護ることではなく、さらには一国が自国の繁栄のために他国を犠牲にすることでもなく、人類の利益のために自然を破壊することでもありません。私たちにとって“他者”と見えるもの、一見“別物”と見えるものも、それらとムスビ合うことによって、新しい、より大きな価値を創造することができるという真理を多くの人々に伝え、また自ら生活に実践し、名実ともに“自然と共に伸びる”運動を力強く展開していこうではありませんか。
谷口雅春大聖師の御生誕を寿ぐこの記念式典に際して、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣
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コメント
総裁先生のお話をネットにてライブ配信を拝見させていただきました。状態も良く、きれいでした。良い時代になりました。
広島県 近藤 静夫
投稿: 近藤 静夫 | 2014年11月23日 (日) 14時45分
合掌 総裁先生 いつも素晴らしいご指導に感謝しております。先ずもって秋季大祭、谷口雅春先生のお誕生日、谷口清超大聖師が生長の家総裁の法燈を継承された記念すべき日の祝賀式典おめでとうございました。遠く、離れた島根の地にありましたが、心は総本山で感謝させていただきました。
昨日の谷口雅春大聖師御生誕日記念式典における総裁先生のお言葉をお聴きして感動しました。また、ありがたくも、その内容を早速ブログにて、正確に知らせてくださり、本当に感謝しております。
総裁先生のお言葉により、「竜宮住吉本宮に造化の三神をお迎えする意味・目的・意義」もよく理解できました。
また、宗教は時代の流れの中で、時代の要請に応える必要があり、そのためには必然的に「変化しなければならない」ということもよく理解できました。生長の家の信仰運動は、やはり神様の起された運動であり、「今の世」にマッチするだけではなく、先を見据えた教え・運動が必要であり、そのご教導は、生長の家大神の御教えが法燈を継承された総裁先生を通してなされるのだということが、実感的にわかりました。
このような周りの状況の変化に対応しなければならないという必然性から、「生長の家の宗教運動の“変化”」が行われ、その“変化”の中には儀式の方法や唱える言葉も含まれ、今回の国際本部の移転を機にして、総本山での祭祀の形式にも変化が加えられたのだということもよくわかりました。
総裁先生の「私たちにとって“他者”と見えるもの、一見“別物”と見えるものも、それとムスビ合うことによって、新しい、より大きな価値を創造することができるという真理を多くの人々に伝え、また自ら生活に実践し、名実ともに“自然と共に伸びる”運動を力強く展開していこうではありませんか。」という結びのお言葉をしっかりと受け止めさせていただき、精進させていただきたいと思います。まだまだ理解が浅いと思いますが、取り敢えず、感動のお礼を申し上げます。
追伸 総裁先生の新刊書『宗教はなぜ都会を離れるか?--世界平和実現のために』は先般、“森の中のオフィス”で求めさせていただきましたので、じっくり読ませていいただきたいと思っております。本当にありがとうございました。再合掌 島根教区 石田 盛喜代
投稿: 石田盛喜代 | 2014年11月23日 (日) 18時10分
合掌、有り難うございます。
この度、11月21日、「第37回龍宮住吉本宮秋季大祭」が執り行われました。ご祭神として住吉大神に加えて、造化の三神である天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神が勧請される「鎮座の儀」が執り行われました。極めて重要な儀式であります。住吉大神の鎮座の儀の時にも参列させていただきましたが、今回も、その場に参列させていただけましたことは、誠にも有り難き極みであります。深く感謝申し上げますとともに、心よりお慶び申し上げます。
その後、稲霊拝戴の儀が執り行われ、畏れ多くも小職が代表として拝戴させていただきました。造化の三神と住吉大神から戴きましたムスビの働きの結晶としての稲霊であると拝受させていただきました。このような大役を戴き、無事お役を果たせました事を心から感謝申し上げる次第であります。私個人にとりましても、わが家にとりましても、新潟越南教区にとりましても最高の光栄であります。衷心より感謝申し上げます。今後とも、総裁先生への中心帰一の信仰姿勢を堅持しつつ、またムスビの働きと精神を生活と伝道とに行じながら、人類光明化運動・国際平和信仰運動に邁進させていただきたいと存じます。有り難うございました。
新潟越南教区 教化部長 中内英生拝
投稿: 中内 英生 | 2014年11月26日 (水) 09時32分
生長の家総裁谷口雅宣先生
合掌 ありがとうございます。「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」「谷口清超大聖師生長の家総裁法燈継承記念日」心よりお慶び申し上げます。この度の式典での総裁先生のお言葉を益田会場にてインターネットで視聴させて頂きました。又この様にブログにて御指導頂きますこと有りがたく心より感謝申し上げます。大変重要な御指導と受けとめさせて頂きました。今回の大祭で龍宮住吉本宮の御祭神として新しく、天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神の“造化の三神”を正式にお迎え頂きましたことは、自然と共に伸びる運動の展開に大変勇気を頂きました。宗教運動については、宗教目玉焼き論で白身の部分は時代や環境に応じて変化しなければならない。変化しない宗教は形骸化して長く続くことはできないとご指導頂いております。総裁先生の新刊書『宗教はなぜ都会を離れるか?−−世界平和実現のために』を拝読熟読し研鑽致します。今後も総裁先生に中心帰一し、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミの二柱の神々様と共に伝導に又日常生活に実践して参ります。ありがとうございます。 島根教区 水津英子
投稿: 水津 英子 | 2014年11月26日 (水) 19時34分
総裁先生、『宗教はなぜ都会を離れるか?--世界平和実現のために』購入して読ませていただきたいと思います。
できれば、電子本も並行して発行していただけるとありがたいですが、難しいのでしょうか。
投稿: 近藤 静夫 | 2014年11月27日 (木) 08時38分
合掌ありがとうございます。
この度の「第37回龍宮住吉本宮秋季大祭」に、ご祭神の住吉大神に加えて、「造化の三神」をお迎えになられました事は、大変有難い極みで御座います。深く感謝申し上げますと共に心よりお慶び申し上げます。
総裁先生は、この度の意義を「宗教運動は時代の制約下にある」ということを是非理解していただきたい。つまり、宗教は時代と環境の要請から生まれるから、その時代と環境が変化すれば宗教自体も変化を要求される。
今回、国際本部の移転を機に生長の家総本山での祭祀の形式にも変化が加えられました。これも、冷戦時代から地球温暖化時代への変化が背景にあると理解してください。
今回、「造化の三神」をお迎えしたことで、私たちの運動は自然界の働きの何を重んじていくかが明確になり、自然と共に伸びる運動の方向性が明らかになったということです。とお示しくださいました。
総裁先生ありがとうございます。
私たちも先生の御跡について尽力させていただきます。
新潟越南教区 相愛会連合会長 伊藤勇司拝
投稿: 伊藤勇司 | 2014年11月27日 (木) 21時51分
合掌ありがとうございます。
『宗教はなぜ都会を離れるか? -世界平和実現のためにー』の拝読を終えました。理路整然とお説き下さり、運動の変化についてもよく理解出来ました。また、総本山の祭祀の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移すことが遅きに失したとも言える とおっしゃる理由も大変よくわかりましたし、その通りであると思います。東西冷戦の終焉については、15年程前にドイツ・ボン市を訪れた際、壊された「ベルリンの壁」を見て、夫と共に心に深く感じいるものがあった事を思い出しました。肉食が一般的であり、アマゾンを含めた豊かな自然を擁するブラジルという地で生長の家が発展し続けている事も意味のある事で、神のみ心を思わずにはいられません。四無量心が対称性の論理に根差していることを理会した時、自ずから『宗教はなぜ都会を離れるか?』の答えが導き出されました。感謝。再合掌。
投稿: 柳光貴代美 | 2014年12月 5日 (金) 10時07分