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2014年11月 1日 (土)

自然とのつき合い方

 このほど行われた「自然の恵みフェスタ 2014」に関連して、私は前回のブログで次のように書いた--
 
「この“自然の恵みフェスタ”は、神の創造された自然界の恵みに感謝するのはもちろんですが、私たちの中にある神の創造のエネルギーをしっかりと認め、それを表現することも重要な目的です。昨日は、オフィスの食堂で、音楽祭が行われましたが、私たちが音楽を作り、それを演奏し、作り手も聞き手も楽しむことができるという事実も“自然の恵み”の一つです。また、今回、食品を含めたいろいろな“もの作り”の場も、作品を鑑賞する場も設けられています。フェスタに参加される際はぜひ、谷口清超先生が音楽や写真などの芸術表現を愛されたことを思い出し、正しく、美しい創造を行う喜びを味わい、その生き方を今後の人生に展開していってください」。
 この文章にはかなり複雑なことが書いてあるのに、その説明をはしょっているので、読者は意味を理解しにくかったかもしれない。そもそも人間と自然との関係は、複雑で込み入っている。「人間は自然の一部である」という考え方は生物学的事実であり、生長の家でもそう考えている。『大自然讃歌』には「自然即我、我即自然」と明記されているから、多くの読者は同意してくださるだろう。しかし、その一方で、「自然」という言葉には「人間の手が加わらない」とか「人間が手を加えない」という意味がある。自然界にあるサトウキビなどを使った甘味料に対して、化学的につくり出したものを「人工甘味料」と呼ぶが、この場合、「人工」と「自然」は対立的に捉えられている。味覚は人間の五感の一つで、私たちに自然に(生来的に)与えられているものだから、そこから受け取る感覚はすべて「自然だ」と考えることもできるが、普通の言葉の用法ではそうならず、味覚の原因が自然物なのか人工物なのかで言い方を変えるのだ。
 
 しかし、この「自然物」とか「人工物」という表現にも問題がないわけではない。例えば、白砂糖の原料はサトウキビであり、明らかに自然物だ。しかし、これを製造するまでには驚くほど多くの人工的な精製過程がある。そして、でき上がった白砂糖は、ほとんどすべてが糖質であり、自然界に普通に存在するミネラルなどの栄養素は極力排除されている。これに対して黒砂糖は、そういう精製過程を経る前にできるから、「より自然だ」と考えられるのである。こういう言葉の使い方から考えると、「人間が手を加える程度が少ないほど自然度が高い」とする考え方が、私たちの心の中にあると言えるだろう。とすると、そこへ「人間は自然の一部である」という考え方を持ち込むと、混乱が起こる可能性がある。どんな混乱かというと、「人間が自然の一部ならば、人間の作ったものはどんなものでも自然だ」と考える場合だ。
 
 これは、明らかに行き過ぎた結論である。なぜなら、この考えを突き詰めていけば、コンピューターチップも人間が作ったものだから、「自然にできた」とか「自然物だ」と見なされるからだ。同じようにして、新宿の高層ビル群も、スペースシャトルも、はたまた自然破壊それ自体も“自然の一部”であることになり、私たちの心中にある「自然」の概念は崩壊する。では、そんな危険を冒さずに、「人間は自然の一部」という生物学的事実を「人間が手を加えないことが自然である」という考えの中に導入するには、どうしたらいいだろうか? それには、もっと緻密な思考が必要だ。まず、人間と自然とを対立的、排他的な概念として考えることをやめよう。つまり、「自然」と「人工」とを対立させて考えずに、「自然な人工」とか「人工的な自然」というものがあると容認するのである。
 
 「人間が手を加える」という自然改変的な活動についても、その動機や目的、場所、材料、道具や方法について細かく検討し、それぞれが自然界に及ぼす影響が調和的なのか、それとも破壊的なのかを考える。例えば、食事を考えるならば、それを作る料理人が、また食べる人が、どんな目的や動機で料理をし、食事をするのか。どんな場所で、どんな雰囲気をつくって食べるのか。食材は何を使うのか。料理法はどうであるのか……などに考えを巡らせる。すると、同じハンバーグでも、マクドナルド社の製品と、無名の菜食レストランの豆腐バーグのどちらが、より自然に近いか、あるいは自然破壊的でないかなど、比較的容易に判断できるだろう。
 
 要するに、人間は自然の一部であることは事実だが、自然そのままの状態では生活することがほとんどできない。衣・食・住をどうするかを考えれば、自然界のさまざまなものを利用し、加工し、一部は破壊することは不可避である。が、自然には再生力があるから、これを小規模で行う場合は、実質的には自然破壊は起こらずに、却って自然が豊かになることもある。例えば、森林の間伐を行ったり、田んぼを作ることで土地の生物多様性が拡大することもある。そんな活動は、人間以外の生物もやっていることだ。アリは住処をつくるために木や土に穴を開け、鳥は巣作りのために小枝を折り、昆虫は植物を食べるし、ビーバーはダムを作る。こういう活動を「自然破壊だ」とは、普通は言わない。イナゴの大群が農作物を襲っても、自然破壊とは見なされず、逆に「自然が農作物を破壊した」と考えるだろう。自然破壊が問題になるのは、人間が自然の再生力を上回る破壊的な影響を自然界に及ぼす場合だ。
 
 こう考えていくと、自然に対して「人間が手を加える」ことそれ自体が自然破壊ではないことが分かるだろう。この「手を加える」程度と方法と、その結果が問題にされるのだ。そういう観点から、私たちの自然とのつき合い方を考えると、“自然と共に伸びる”人間の生き方の方向性が見えてくるのではないだろうか。
 
 以上の考えを簡単にまとめよう。私たちが目的とする「自然と調和した生き方」とは、以下の4条件をできるだけ多く満たしたものである--
 
 ①自然調和的な動機や目的により
 ②自然度の高い場所で
 ③自然状態に近い(自然度の高い)材料を使い、
 ④自然破壊的でない方法や手続きを用いた活動をする。
 
 谷口 雅宣

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