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2014年8月 8日 (金)

なぜ肉食から遠ざかるべきか? (7)

 皆さん、宗教が発する最も基本的で、重要なメッセージとは何でしょうか? 私は生長の家のことだけを言っているのではありません? 世界の宗教に共通する基本的メッセージは何か、ということです。 
 
 皆さんは、そのことをすでにご存じです。新約聖書で、永遠の生命を得る方法を訊かれたとき、イエスは何と答えたでしょう? イエスは質問したユダヤ教の学者に「律法には何と書いてあるか?」と訊ね、律法学者は2つの答えを言いました:
 
 ①心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。(申命記、6:5)
 ②自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。(レビ記、19:18) 
 
 この2つの答えに対して、イエスは「あなたの答えは正しい」と言いました。つまり、ユダヤ教の教えとイエスの教えは、この部分は一致するということです。さらにイエスは、この2番目の教えを補足するために、有名な「よきサマリア人」(ルカ10:30-37)の譬話をされたのです。私たちの「隣り人」とはいったいどんな人か、という説明です。ご存じのように、サマリア人とは、当時のユダヤ人社会から差別され、蔑まれていた人たちです。が、強盗に遭って倒れていたユダヤ人を、同じユダヤ人は助けなかったのに対し、サマリア人は介抱して助けたうえ、宿まで世話してあげたのでした。 
 
 この譬話が発するメッセージは、「私たちは自分が属するグループの人を愛すべし」というのではありません。「自分が属さないグループの人間も愛せよ」ということです。イエスはまた、「あなたの敵を愛せよ」(マタイ 5:44、ルカ6:27)とさえ説かれました。愛とは、自他一体の感情です。肉眼で見れば「自」と「他」とは肉体が分離していて"別もの"のように見えても、それらは別ではなく本来一体であるという認識があり、そこから流れ出る感情――それが愛です。 
 
 仏教では古くから、同じことを「四無量心」と呼んで、人間が目標とすべき仏の心だと教えてきました。「慈悲喜捨」の4つの心です。「慈」の心は「抜苦」ともいい、他人の苦しみを自分の苦しみとして感じ、それを抜き去ってあげたいと願う心です。「悲」の心は「与楽」ともいい、他人に楽を与えたいと願う心です。「喜」の心は、他人の喜びを自分の喜びとして感じる心です。「捨」の心は、他人を自分の思い通りにしたいという執着を去る心です。これら四無量心はすべて、自分と他人との境界線を取り払うことで生まれる自他一体の認識であり、そこから流れ出る感情ですから、「対称性の論理」に根差しています。 
 
 イスラームにおいても、同じ考えが説かれ、実践されてきました。イスラーム信仰の中心とされる「五行」の中に、「喜捨(ザカート)」があることを思い出してください。喜捨を行うことは『コーラン』の中で繰り返し強調されている信者の義務です。かつて私たちの教修会のゲストとして講演してくれたカリード・アブ・エル・ファドル師によると、この喜捨の対象となるのは、自分たちのグループの人間ではないのです。『コーラン』によると、それは、貧者、孤児、困窮している親族、旅人、他国からの訪問者、戦争捕虜などです。さらに、イスラーム法学者の大半が、ムスリムと非ムスリムを区別せずに喜捨を行うべきと考えています。(『イスラームへの誤解を超えて』、pp.132-133) 
 
 このように、世界の主要な宗教の教えの基本には、自分と他人との境界を取り払い、自他一体の思いを抱くことを称揚し、その思いを実践する考えがあります。この考えは、さらに個人間の関係のみならず、あるグループと別のグループとの間にも及ぼされるべきだと説かれてきました。では、この「グループ」とは、人間社会の中だけのグループを指すのでしょうか? 私はそう思いません。人類の発展と繁栄だけを目的にしてきた私たちの経済活動は、今日、どんな結果を招いているかを思い出してください。それは地球温暖化であり、極端な気象現象の頻発であり、生物多様性の崩壊であり、動物虐待の食肉生産であり、食糧と資源の奪い合いの世界です。これがはたして「神の栄光」が現れている姿でしょうか? 断じてそうではありません。私たちはもう、神が人類だけを愛されているという間違った考えを捨て去らねばなりません。神が人類だけに、世界をほしいままに利用していいと許可されたなどと考えるご都合主義を放棄しなければなりません。 
 
 イエスは、聖書の譬話の中で、王になり変わってこう説いています―― 
 
「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、私にしたのである」。(マタイ 25:40) 
 
 ここにある「最も小さい者」とは何でしょう? 体の小さい人間のことですか? 私はそうは思いません。この言葉は「一見とるに足らない者」という意味だと解釈すべきです。もちろん人間も含まれますが、それ以外の動物や生物一般、さらに鉱物も含まれると解釈すると、この聖句の教えの現代的重要性が一気に明らかになります。人間にとって一見、とるに足らないように見える獣も、昆虫も、植物も、神にとっては「兄弟」と呼ぶにふさわしい愛すべき存在なのです。その愛すべき貴重な生物の一部を虐待したうえ、自分の欲望のままに殺して食べる行為を、長期にわたり大々的に展開することが、神の御心にかなうと皆さんは思いますか? そういう行為が「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして」神を愛することになるのでしょうか? 神とは、私たちの"外側"に、私たちと別にいると考えてはなりません。肉食が、私たちの心の神性・仏性の喜ぶ行為だと、皆さんは思いますか? 
 
 この点については、生長の家の教えは実に明確で、疑問の余地がありません。皆さんがよくご存じの「大調和の神示」には、こう説かれています―― 
 
「汝ら天地一切のものと和解せよ。…(中略)…天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。その感謝の念の中(うち)にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。…(中略)…われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。」 
 
 この神示にある「すべて」という言葉は、人類だけを指すものではありません。文字通り「天地すべてのもの」です。動物、植物、菌類、鉱物などすべての被造物と和解することによってのみ、神は姿を現され、私たちを祝福されるのです。別の言葉でいえば、自然界のすべてのものと和解することによってのみ、私たちの内部の神性・仏性が輝き出し、世界に平和が実現するということです。 
 
 この多様性に満ちた、豊かな自然を擁するブラジルで生長の家の教えを学ぶ皆さんには、偉大な使命があります。それは、肉食の悪習慣から抜け出せずに紛争や戦争の道へとひた走る人類に対して、"別の生き方"を示すことです。豊かな森林やセラードを切り倒して家畜用飼料だけを育てることが、神の御心ではないと伝えることです。人類だけの繁栄が平和に結びつくという誤った考えを正すことです。そのためのノウハウは、ブラジル国内はもちろん、世界各地にあり、私たちは相互協力と支援を惜しみません。 
 
 ここに集まられた生長の家の世界の指導者が今後ますます一致団結して進んでいくことで、神の栄光が地上に顕れる日が近づくと、私は固く信じるものです。ご清聴、どうもありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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コメント

 肉食というものが如何に本来でないものかという事を明確にご教示頂き誠に有り難うございます。

 肉食が環境の面からも人道上、四無量心の面からも本来のものでない。神の栄光をくらますものであるという事が改めて良く分かりました。

 生長の家というものは戒律的なものは無いから信徒でも肉食はしている人はいますがこれが宗教的でないという原理をご教示頂いて、内側から信仰により肉食から離れて行くというのは素晴らしい事ですし、その事がこの地球温暖化の時代において、そして肉食が大手ファストフード企業などの影響もあって、現代人に増えている実情の上からも今最も信仰者に求められる姿だと思います。

 肉食というものが快楽第一主義から来るというもの、それが物欲、肉欲であるという事は人間は物質であるという唯物論から来るというものだと思います。それが先生の仰る様な現代の世相の薬物乱用、環境破壊につながっていて、それがまた戦争へとつながると。

 ウクライナ、パレスチナ、シリア、イラク、尖閣問題等々世界の状況、日本の集団的自衛権の問題等を鑑みるに何か現在はきな臭い様相を呈してますがこれも元を辿れば人類の唯物主義、肉体快楽主義から来る肉食に根があると思います。
 戦争は肉食をしている人類の自己処罰であると雅春先生が仰っていたと記憶してますが肉食を減らして行く事がそういう面からも平和につながるのではないかと思います。

 でも現在は肉食が増えているという暗黒面だけではなくて、ブラジルでもアメリカでも確実にベジタリアンが増えているという素晴らしい光明面が出て来ているというのは本当に勇気と希望が出ます。

投稿: 堀 浩二 | 2014年8月21日 (木) 13時07分

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