« なぜ肉食から遠ざかるべきか? (4) | トップページ | なぜ肉食から遠ざかるべきか? (6) »

2014年8月 6日 (水)

なぜ肉食から遠ざかるべきか? (5)

 ウシなどの家畜は、一般に自然豊かな田舎で育てられてきました。これに対して、それを屠殺して食肉として販売し、消費する場は、主として都会でした。私は、田舎の人々が肉食をしなかったと言っているのではありません。食肉が消費される量を考えると、人口が比較的少ない田舎よりも、人口が密集した都会の方が多かったという意味です。家畜を育てるためには、人々は当然、家畜と頻繁かつ濃密に接触し、そこから家畜への愛着が生まれます。家畜農家の人々と家畜との間には、「対称性の論理」が優位的に機能するのです。その反面、都会で家畜の肉を食べる人々は、生きた家畜に接触する機会はまったくないか、あったとしてもきわめて少ないでしょう。だいたい、都会で生まれ育った子供たちの中には、ミートボールやソーセージが生きた動物の肉から作ることを知らない人もいるのです。ましてや、屠殺場に引かれていくウシたちが、恐怖のために小便を漏らし、涙を流し、悲痛な叫びを上げることなど知らない人がほとんどでしょう。接触する機会がなければ、家畜に同情し、さらに感情移入する余地はほとんどありません。つまり、都会人と家畜との間には、「非対称性の論理」が優位的に機能するのです。
 
 そして、肉食をする人々の矛盾した心を説明するのが、「二重論理」というメカニズムです。この心理学的なメカニズムについては、今日、テキストにしている私の論文「対称性の論理を学ぶ」にやや詳しく書かれています。日本語のものは、機関誌『生長の家』の昨年8月号の11ページに、その説明があります。これはイグナシオ・マテ=ブランコというチリ生まれの精神分析医が最初に唱えたもので、私の文章の中で「彼」と呼んでいるのは、この人のことです。11ページの上の段の後ろから5行目から読みます-- 
 
Bilogic「 彼によると、人間は物事を見るときに、見る対象を大別して2つの“固まりに分けたうえで、その2つの“固まりの間の関係として捉えるというのです。この場合、2つの間の共通点を見るのが「対称性の論理」であり、それに対して両者の相違点に注目するのを「非対照性の論理」と呼びました。例えば私たちが、ある人と対面して話をするときに、この人と自分はどこが違うのかと相違点に注目すると同時に、共通点についても把握しているということです。そして、この2つの一見、矛盾したものの見方を、人間は心の中の「意識」と「無意識」で分担して行っている--言い方を変えれば、矛盾した2つの論理が同時並行的に行われている、と彼は考えました。そして、このことを「二重論理」と表現しました。」 

 私たちは、人間と家畜との関係についても、これと同じものの見方をしていると私は考えます。ウシは、私たちの覚めた意識の中では、人間とは明確に異なる動物です。しかし、無意識の中では、私たちは自分と同じ仲間だと感じているのです。私たちが工業製品を生産する際に用いる方法は、覚めた意識から生み出された「非対称性の論理」にもとづく方法です。それは、工業製品の製作コストを下げるための合理的な方法です。しかし、感情をもった生物を扱う方法ではありません。ところが今日の食肉生産には、この方法を用いた"工場式畜産"(factory farming)の方式が広範囲に採用されています。別の言い方をすれば、人間と家畜を全く別物と見なし、さらに言えば家畜をまるで食品製造のための物質の塊のように考えて、工業製品の原材料のように扱います。痛覚や感情をもった生き物を物質として扱うのです。 
 
 それははたして正しい方法なのでしょうか? この場合の「正しい」という意味は何でしょう? 私は『大自然讃歌』から引用して、すでにそのことを皆さんに説明しました。それを繰り返して言うと、「私たちの神性が表現できないような欲望の使い方は間違っている」のです。「人間の神性がくらまされるような方法」は間違っているのです。私たちは、感情をもち、愛情表現をし、知性さえ備えた家畜を、食欲を満たす目的だけで、残酷な方法で飼育したうえ、残虐に切り刻んで食肉にすることで、神性を表現できるのでしょうか? もちろん、そんなことは絶対にできません。それは明らかに人間の神性を否定し、くらますことです。そういう方法で、1分間に2万頭もの家畜が殺されているとしたら、その肉を買って食べることで、私たちは神性を表現できるのでしょうか? とんでもありません。それは自分の神性をくらますことです。 
 
 では、皆さんは、“工場式畜産”の方法がいけないのだから、広い農場でゆったりと草を食べながら育った家畜ならば、そして、不必要な苦しみを与えない方法で殺された家畜ならば、その肉を食べてもいいはずだ、と考えるでしょうか? 一部の人たちは、そう考えているようです。しかし、よく考えてみてください。アメリカ1国だけでも、地球上の人類の数より多い100億匹の家畜を1年間で消費するというのに、そんな数の家畜がゆったりと草を食べて育つような土地が、いったいどこにあるのでしょうか? そんな牧草地をつくるためには、世界中の森林を伐採しなければなりません。あるいは、人間が食べる小麦、トウモロコシ、サトウキビや大豆の畑をやめて、家畜たちに開放しなければなりません。それができるのであれば、そもそも食べるために家畜たちを飼育しない方がよほど合理的ではないでしょうか。 
 
 谷口 雅宣

|

« なぜ肉食から遠ざかるべきか? (4) | トップページ | なぜ肉食から遠ざかるべきか? (6) »

国際関係・国際政治」カテゴリの記事

地球環境問題」カテゴリの記事

宗教・哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« なぜ肉食から遠ざかるべきか? (4) | トップページ | なぜ肉食から遠ざかるべきか? (6) »