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2014年8月 5日 (火)

なぜ肉食から遠ざかるべきか? (4)

 ジョーイ博士は、アメリカでも家畜の屠殺現場が隠されていることを、次のように書いています--
 
「 私たちの夕食の皿に載る食肉のほとんどを生産する産業組織は、基本的に隠されていて見えません。私たちはそれを見ないのです。なぜなら、それらは私たちのほとんどが敢えて行かないような遠方に位置しているからです。もしそこへ行ったとしても、中の様子を見ることが許されないからです。施設を出入りするトラックは、しばしば荷台を頑丈に覆われ、中に何が積まれているか表示されていないからです。『ファーストフードの国』(Fast Food Nation)の著者、エリック・スクローサー(Erik Schlosser)が言うように、それらのトラックには"前方に窓がなく、中で何が起こっているかが判別できる構造上の特徴は何もない"からです。私たちがそれを見ないのは、見てはいけないからです。暴力的なイデオロギーは皆そうであるように、一般大衆は、制度の犠牲者を直接目撃することから遮断されなければならないのです。なぜなら、目撃すれば、大衆はその制度自体に、あるいはその制度に荷担することに疑問を感じだすからです。この事実が、それを語っています:食肉産業はなぜこうまでして、自分たちの行動を隠さなければならないのでしょう。」(p.40)  
 
 ジョーイ博士によると、事実をゆがめるための最も有効な方法は、そんな事実はないと否定することです。私たち自身に大きな問題があっても、「いや問題はないんだ」と自分に言い聞かせれば、問題解決に悩む必要はなくなります。そして、ある事実を否定するために最も有効な方法は、その事実を見えなくすること、つまり隠すことです。この事実隠蔽が社会全体で大々的に行われているので、私たちは最初に取り上げたような、動物に対する矛盾に満ちた態度--つまり、イヌやネコは家族の一員のように愛するのに、ブタやウシは殺して食べたり、皮製品にすることができるのだといいます。ジョーイ博士は、肉食をする人間は悪魔か鬼だと言っているのではありません。屠殺や食肉生産の現場が徹底的に隠されていて、一般の人々には見えないので、「そこで行われていることは大きな問題ではないのだ」と考えるように仕向けられているのです。簡単に言えば、普通に肉食をする人は無知であり、だまされているのです。 
 
 その証拠に、私たちは心理的に普通の状態にあれば、ウシは「殺される」のではなく、「生かされる」ことに喜びを見出すはずです。これは、期せずして実際に起こった事実から証明できます。 
 
 私は2001年からブログを書き継いでいますが、この2001年当時には、イギリスを中心にして口蹄疫が発生して大きな問題になったことを記憶している方も多いのではないでしょうか。口蹄疫とは、何でしょうか? それは、主として哺乳動物の偶蹄類(ウシ、水牛、ブタ、ヒツジ、ヤギなど)に感染するウイルス性の急性熱性伝染病です。このウイルスは感染力がきわめて強く、土や干し草、人間の衣服などに付着して運ばれるので、車のタイヤや人間の靴についた土からも感染します。さらに、風によって運ばれることもあります。感染した動物は、口や蹄や乳房付近の皮膚や粘膜に水疱ができ、この水疱や乳汁、糞尿の中に大量のウイルスが排出され、肉や臓器などにも大量のウイルスが含まれます。
 
 口蹄疫に感染した動物は、食欲減退によって肉付きが悪くなり、乳の出も悪くなります。また、体内に大量のウイルスをもつため肉製品にはできません。症状が消えた後も、ウイルスは食道や咽喉頭部に長期間すみついてキャリアー化する恐れがあります。ということで、畜産品の原料として見る限り、感染した動物は死んだも同然ということになります。しかし、重要なことに、この病気のウイルスは人にはほとんど感染しないだけでなく、動物も死ぬことはないのです。特にヒツジの症状はさほど深刻ではありません。やがて動物は病気から回復していきます。しかし、畜産品の原料としては価値がなくなるだけでなく、強い感染力によって他の家畜の商品価値もなくしてしまうため、この病気が発生した場合、発生地域も含み周辺のすべての家畜を、感染していなくても殺してしまうことが、被害の拡大を防ぐ唯一の方法だと考えられてきました。
 そんなニュースが流れる中、私はブログに4月4日付で、「フェニックスの生還」と題して次のような記事を書きました--
 
Phoenixicow640_2 「 口蹄疫の伝播を防ぐために大量の家畜が殺されているイギリスの農家で、例外的に生き延びた子牛が救われることになった。今日付の『ヘラルド朝日』の伝えるところによると、最も深刻な被害の及んでいるイギリス本島南西部のデボンと、北西部のカンブリアでは、森林火災の延焼を防ぐために周辺部の林を伐採するのと似た考え方で、口蹄疫に感染した家畜が見つかった地域の周辺部では、未感染の家畜もすべて殺す方法が採られていた。そんな中で、デボン地方のメンバリーにあるクラーレンス農場の15匹の牛は、感染地域が近いという理由で殺されたが、4月23日になって、死後5日たった母牛の側で生きている子牛が見つかった。これが、4月13日に生まれた「フェニックス」という名前の子牛だった。
 
 殺処分担当の政府職員は、このことを聞いてフェニックスをもう一度処分したいと農場主に言ったが、この農場主はこれを拒んだ。メディアもこれを聞きつけ、フェニックスの写真が『Daily Telegraph』や『Times』紙に載ると、ブレア首相の事務所にはこの子牛を殺すなという抗議の電話が殺到したという。」(『小閑雑感 Part 1』収録、pp. 257-259)
 イギリスの口蹄疫は、この年の2月20日に最初の感染が確認され、4月25日までに全国で1,479例の感染が確認され、殺された家畜の数は実に200万頭を超えたといいます。 このような例を考えると、食肉産業に携わっている人々も、また普段から肉食をしている人々も、自分たちと心の交流ができる家畜を殺して食べるという行為に残虐性と倫理的な負い目を感じていることは明らかだと思います。特に、この時のように、屠殺や焼却処分の現場が隠されずに、マスメディアを通して人々が目撃することになると、私たちは肉食をすることの罪の深さを痛感するのだと思います。そう考えるのでなければ、一方で何百万頭ものウシを殺すことを容認しながら、他方でその殺戮から生き残った1頭の子牛を助けたいという声が、期せずして人々の間から湧き上がる理由を、私は説明できません。
 ではなぜ多くの人間は、この口蹄疫が沈静化したあとも肉食を続けているのでしょうか? 私はその理由の1つは、「習慣」の力の大きさだと考えます。人間は人生で何か不幸な出来事に遭遇しても、そこから学ぶ人もあれば学ばない人もあります。学ぶ人は、精神的、霊的な成長を果たし、不幸を克服して幸福へと近づきますが、そうでない人は、同じ種類の不幸に何度も直面することになるのです。世の中の趨勢を眺めてみると、残念ながら、前者よりも後者の人の数が多いのです。
 
 私はまた、この出来事の背後に、現代人の心の混乱を認めます。私たちは、自分が何をすべきかという判断に迷っているのです。私は昨年7月、生長の家の新しい国際本部である“森の中のオフィスで行われた国際教修会で、私の講話の録音筆記から作った「対称性の論理を学ぶ」という論文を参加者に配りました。これは今日、皆さんのお手元にあるはずです。その論文では、最近の心理学や脳科学の研究から明らかになった人間の心の2つの大きな傾向と、人間が住む2つの生活の場--自然と都会--との関係を対比しました。もっと具体的に言うと、人間の大脳は右脳と左脳とに大別されますが、それぞれの脳には役割分担があり、物事の間の共通点を認める「対称性の論理」は右脳が受け持ち、物事の間の相違点を認める「非対称性の論理」は左脳が受け持っているということです。この一覧表を見て、それを思い出してください:
 
Summarypor  この表にはまた、人間が昔から生活してきた「自然」の中では対称性の論理が優位的に働き、もう一つの生活の場である「都会」にあっては、非対称性の論理が支配的に作用するということが示されています。先ほど取り上げた、フェニックスという子牛をめぐるイギリスの人々の矛盾した反応は、この一覧表と大いに関係があると思います。もっと言えば、この表はまさに肉食をめぐる人間の矛盾した心の動きを説明するものだと考えます。
 
 谷口 雅宣

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