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2014年8月 4日 (月)

なぜ肉食から遠ざかるべきか? (3)

Lovedogseatpigs  私は最近、メラニー・ジョーイ(Melanie Joy, Ph.D.)という人が書いた『Why We Love Dogs, Eat Pigs, and Wear Cows』という本を読みました。この題は簡単な英語なので、多くの皆さんには意味が分かると思います。つまり、「私たちはなぜ犬を愛する一方で、ブタを食べ、ウシの皮をはいで服や靴を作るのか」という理由を探究した本です。著者は、アメリカのボストンにあるマサチューセッツ大学で心理学と社会学の教授をしています。また、彼女は国際ベジタリアン連合(IVU)の活動もしています。彼女が提示している問題を手短かに言うと、私たち人間はなぜ同じ動物であるイヌやネコは愛するのに、ブタやウシを殺してその肉を食べたり、皮製品にするのかということです。一部の動物を愛し、まるで家族の一員のように扱うのに、一部の動物には残酷な仕打ちをし、殺して食べるのです。この首尾一貫しない矛盾した態度はどこから来るのかという疑問を、心理学者の立場から探究したものです。
 
Usvschina_2  ジョーイ博士はアメリカ人ですから、この本の中では主としてアメリカのデータを使っていますが、それにしてもアメリカ一国だけでも大変な数の動物を殺し、食べていることが分かります。その数字を紹介する前に、ひと言申し上げておきますが、私はアメリカという国やアメリカ人を批判するためにこの数字を挙げるのではありません。手近に、入手できる詳しい数字がたまたまアメリカのものであったので、一例として紹介するのです。 ブタ肉の消費について言えば、中国はアメリカの約2倍の量を消費しています。しかし、中国の人口は、アメリカ(約3億人)の約4倍に当たる13億5千万人ですから、一人当たりの消費量はアメリカ人の約半分です。もっと具体的に申し上げましょう。平均的なアメリカ人は肉を年間106.5㎏消費します。これは大型のハンバーガーに換算すると470個分に相当します。つまり、毎日1個以上食べている計算になります。これに対して中国人は平均して肉を年間54.4㎏消費します。
 
Meatc_usbr  ジョーイ博士は、アメリカ農務省の統計を元にしてもっと細かい数字を挙げています。それによると、平均的アメリカ人が1年間で消費する肉の量は、ニワトリが39.4㎏、シチメンチョウが7.7㎏、ウシが30㎏、ブタが23.1㎏です。これに子ウシ肉とヒツジ肉を加えると、肉全体では101㎏という数字になります。ブラジル人の2011年のデータでは、ニワトリが47.9㎏、ブタが15.1㎏、ウシは28.3㎏で、肉全体では91.5㎏になるそうです。アメリカ人より若干少ないようです。
 アメリカの話にもどれば、「一人当たり年間101㎏」という量の肉をアメリカ人全体が食べるためには、年間で約100億匹の家畜と家禽が殺されることになります。これは大変な数ではないでしょうか? 計算すると、年間100億匹を殺すためには、1分間で19,011匹、1秒間では317匹が殺されるのです。ジョーイ博士は、さらに興味ある比較をしています。100億匹は、アメリカの人口の33倍であり、ニューヨーク市の人口の1,250倍、ロサンゼルスの人口の2,500倍だというのです。地球上の人類の数は70億人を超えたところですから、もちろん100億匹は人類の数より多いのです。
 
 では、私たちは毎日何人もの人と顔を合わせていても、動物たちが殺される姿を見たことがあるでしょうか? 鳥が窓ガラスに衝突したり、ネズミやイヌが交通事故で死んでいる姿は見たことがあるかもしれません。しかし、いったい何人の人が、家畜や家禽が食肉に加工されるために殺される様子を見たことがあるでしょうか? 殺される動物たちの悲鳴を聞いたことがあるでしょうか? 彼らが流す血の臭いをかいだことがあるでしょうか? どんな場所で殺されるかを聞いたことがあるでしょうか? もしこれらの経験がないのならば、それはなぜでしょうか?
 
 次の写真を見てください--
 
Sanen_640  これは日本で「サンエン」と呼ばれている彫刻です。三匹の猿が、それぞれ両手で目を覆い、耳を隠し、口を押さえています。その意味は、「自分にとって都合の悪いことや人の短所や、過ちは、見ない、聞かない、言わない」という一種の戒めです。社会に波風を立てないための渡世術として昔から言われてきたことです。しかし三猿の戒めは、社会の不足や間違いの是正を放棄することにつながります。三猿主義は、そこに解決すべき問題があると知りながら、そんなものはナイとして無視することです。これを実行するために便利なのは、問題そのものを社会の目から隠してしまうことです。もっとハッキリ言えば、私たちは家畜や家禽の屠殺の現場を社会から「見えないように」「聞こえないように」「口に出して言わないように」することによって、「犬を愛しながらも、ブタを食べ、ウシの皮をはぐ」社会を維持し続けてきた--これが、ジョーイ博士の説明であり、私もその通りだと考えます。
 
 日本での肉食については、吉柴講師が発表してくださいました。そこでも触れられていたように、日本では仏教の「不殺生」の教えの影響もあって、伝統的に肉食は多くなかったのです。しかし、一部で継続的に行われてきました。その際には、この三猿主義の考え方が極端な形で実践されました。それは、屠殺や皮革の加工に携わる人々を社会の一郭に集め、人々の目から隠してしまうことです。そういう人々の住む地域は「部落」と呼ばれ、一般人が出入りすることは禁止されなくとも、"危険なこと""汚らわしいこと"だと言われて差別されてきました。これらの人々は、鎌倉時代中期(13世紀半ば)から「えた」と呼ばれ、穢れが多いという意味の漢字が当てられました。江戸時代の身分制度では最下層の「賤民」として扱われ、「非人」とさえ呼ばれました。つまり、人間として扱われなかったのです。こうして、屠殺という行為とそれを行う人々を社会から隔離し、隠してしまうことで、日本では、動物への残虐行為と動物を食する行為は社会の責任でないこととされてきました。現代日本では、もはやそういう身分制度はなくなりましたが、屠殺に携わる人々への差別が、いまだに有形無形の形で行われていると言われます。
 
 現代のアメリカでは、この屠殺と食肉の生産過程はどうであるのかは、すでに過去の生長の家教修会で扱いました。今日、皆さんのお手元にある本では、勅使川原淑子・本部講師の発表にその様子が詳しく描かれています。そこには目を背けたくなるような描写がたくさん出てきますが、事実は事実として、私たちはこのことを知っておく必要があります。
 谷口 雅宣

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