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2014年6月17日 (火)

万教帰一は“内なる神”への信仰から

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城前で「谷口雅春大聖師二十九年祭」が執り行われ、地元の長崎県や福岡県から約230人の幹部・信徒が参集し、谷口雅春先生のご教恩に心から感謝申し上げると共に、ご生前の先生のご業績を讃え、人類光明化と国際平和信仰運動の一層の推進を誓った。私は御祭の最後に概略、以下のような言葉を述べた:
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師二十九年祭に大勢ご参列いただき、誠にありがとうございます。
 
 今日のこの日が雅春大聖師の「二十九年祭」であるということは、雅春先生は29年前に、私たちが生きているこの世界を離れて、高き霊界へと昇られたということです。約30年前のことです。「人生60年」と言っていた時代もありましたから、その半分である30年も前の時代というのは、私たちにとってずいぶん昔のように感じられます。しかし、「人類の歴史」という観点から見ると、30年は一瞬であります。時代は変化しているようであっても、人間の心はさほど変わっていないという側面が確かにあります。
 
 昨年のこの日には、私は、雅春先生が60歳に近づいてから、フランス語の勉強を始められた形跡があるという話をしました。先生は若い頃から英語に堪能で、37歳の立教当時には外資系の会社で翻訳の仕事をされていたことは、皆さんの多くはすでにご存じと思います。その立教から19年もたった時、英語に加えてフランス語も学ぼうとされたということは、先生がいかに海外の、特にヨーロッパ系の文化や伝統に興味をもたれ、親しみを感じておられたかを示します。ときどき雅春先生のことを、日本文化一辺倒の国粋主義者のごとく言う人がいますが、先生はそれほど単純で、狭量な人間ではありませんでした。東西双方の文化の共通点をよくご存じであり、その双方を愛された方でした。今日はそのことを皆さんにも思い出していただきたいと思い、ここに先生の古い御著書を持参しました。
 
 この本は、昭和24年に日本教文社から出版された『メンタル・サイエンスの神癒理論』という本です。昭和24年とは、私が生まれる2年前です。昨年の年祭のときにもお話ししましたが、この時期は、日本が戦争に敗れ、まだ占領軍による統治が行われているときで、生長の家の国際運動の“草創期”といっていい時期です。生長の家が、キリスト教の流れをくむアメリカの「ニューソート」という宗教運動と関係をもち、双方の牧師や講師が互いの国を訪問し合い、講演会を行ったりしました。また、雅春先生や清超先生が、ニューソートの人々の著書を多く翻訳された時期でもあります。ちなみにこの本は、雅春先生と清超先生の共著であるという点でも、珍しい本です。
 
 この『メンタル・サイエンスの神癒理論』には、メンタル・サイエンスの創始者であるハーヴィー・ハードマン博士の神癒に関する理論が詳しく紹介されています。また、この本は仏教とキリスト教の教えの共通点も説いていて、万教帰一の真理も展開しています。その内容は、21世紀の今日、私たちが読んでも少しも古くなっていないどころか、時代を超えた不変の真理を説くものとして、新鮮さを感じるほどです。そこで今日は、この本のごく一部ではありますが、今日的なな重要性をもつところを取り上げ、紹介したいと考えるのです。
 
 私は先に、「大自然讃歌」という自由詩を書き、それが今、生長の家講習会のテキストにもなっていますが、この中に、人間の「内部理想」のことが出てきます。人間は欲望だけで動くのではなく、心の内奥には神が宿っていて、その声を大切にし、その声の命令にしたがって生活することを勧めています。この内部理想のことを、ニューソートの教えでは「内なる神」とか「内部の神」と表現していますが、それについて触れたご文章を引用します。少し長いですが、この文章には、生長の家とメンタルサイエンスの神観が同じであると明記されているだけでなく、ハードマン博士と雅春先生の交流の一端も出てきて、興味あります--
 
「吾々の外に、宇宙に充ち満ちています神は、呼べば応える式には人格的ではない。それは絶対的な法則として、不変であり、何等の容赦もない。火の燃ゆる中に身を投ずれば如何なる人をも焼き殺すところの神である。しかし吾が“内に宿り給う”ところの神は、吾らが過って火に身を投ぜんとするときに、火に投ぜしめざるように、“内から導き”または、“内から囁く”ところの摂理の神である。或いはやがて転覆するはずの汽車に、却って乗りおくれしむるところの神である。何となくそこへ行きたくなかったので、おくれて行って助かったなどという経験は、神を信ずる者にはよくあることである。これは“内から囁く神”の賜である--ハードマン博士は、この内なる神の声に耳を傾け、内なる神に喚びかけ求むる新しきキリスト教をつくったのです。 
 
 これまでの普通のキリスト教では三種の神を立てています。天の父と、聖霊と、神の子イエスが即ちそれです。中には聖母マリヤを礼拝する宗派もあります。しかしこれらの教派は、どちらかと云うと、神を、聖霊を、イエスを、聖母マリヤを、自分と対立的に置いて、それを外的存在として、礼拝し、祈るのです。キリスト教に限らず、仏教でも、即身成仏の真言宗または見性成仏の禅宗等聖道門以外の宗教は概ね外に神または仏をおいて拝むのです。“これが即ち、既成宗教の大なる幻覚だ”と、ハードマン博士は云っています。“吾々は、“見えざる協力者”なる内なる神を知る前に、先ずかかる幻覚から脱する必要があるのである。吾々が内なる神に背を向け、外に神を求めている限りに於いて、魂の内部に住んでいるところの神を強く否定することになるのである。そして確固不動の法則は働きて、吾々自身が内在の神を否定すれば、神もまた吾々を否定し給うのである。何故なら、個(individual)の魂の内部にこそ、いと高き者の聖所があり、見えざる神の聖壇とその神殿があるのである。」(pp. 13-14)
 
 このように「内なる神」を強調するところは、生長の家ととても似ています。さらに続く文章では、この「内なる神」に対しては、どんな名前をつけようと、それは別の神のことを意味しないという考え方が出てきます。これは実に革新的で、万教帰一の教えと同じであると言えるのであります--
 
「まことにハードマン博士が到達したところの“内部の神”の自覚こそ、仏教の自性清浄心の自覚であり、生長の家が再発見したる“内部の神の奇蹟”の流れいづる源泉であるのであります。ハードマン博士が私の『生命の實相』の英訳をお読みになって、同一真理を洋の東西に於いて発見せりとて、私の誕生日に讃頌の詩を送って来られたのも所以(ゆえ)あるかなと云い得るのであります。博士はまた云われています。“貴下が親しく、外に神がましまして吾等の求めをきき給うと云う大なる幻覚から一転して、貴下の内に神やどりて、その神が現実的人格であり、個性化せる霊的実在であると云う考えを採用せられたりとせよ。又イエスが“内部の神”に対して名を与えたる如くそれに名称を与えよ。必ずしもイエスが与えた通りの名称“吾に宿る父”と云う名でなければならないと云うことはないのである。力と生命と智慧とを有する視えざる内部の協力者と云う意味で貴下の心にピッタリするどんな名称を与えてもよいのである」。(p.14) 
 
 そして、このあとに次のように続きます--
 
「だから吾々はこれに対して、阿弥陀仏と呼び、或いは不動明王と称し、或いは観音菩薩と称し、住吉大神と称しても差し支えはないのです。神は本来“無名”であって、その神名は吾々が、象徴的に名づけるに過ぎないのであるからです。だからハードマン博士のメンタル・サイエンスは万教帰一的であって、決して排他宗教的ではない。先ずその神の内容をみとめよ。しかしてその神が“内部の視えざる協力者”として自己の内部に宿ることを認めよ、名称は“実相”と呼ぼうが、何と呼ぼうが差支えないと云う点は全く生長の家と同じなのであります。」(p.15) 
 
 ハードマン博士はアメリカ人でありますが、その後に出たイギリス人の神学者にジョン・ヒックという人がいますが、この人もキリスト教から出発して、世界の主要な宗教を詳しく研究し、それぞれの宗教の究極の礼拝の対象は同一であることを発見しました。そして『神は多くの名をもつ』(God Has Many Names)という著書などを書いています。このように欧米の文化の中から「万教帰一」の考え方にたどりついた人は少なくない。そういう点を前面に出して、戦後まもなく生長の家の国際運動は始まったということを、皆さんはぜひ覚えておいてください。谷口雅春先生は、そういう広い視点から先頭に立って運動を進められた方ですから、グローバル化が進む21世紀の社会で、日本優先、日本優越のナショナリズムなどに惑わされずに、世界的視野で人類光明化運動を進めていきたいと考えるのです。 
 
 谷口雅春先生の二十九年祭にあたって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌有り難うございます。
先日、長岡教化部の谷口雅春先生29年祭に参列いたしました。終了後、谷口雅春先生を偲んでというテーマで、不祥、私が30分間、話をさせて頂く機会を与えて頂きました。先生の思い出と致しましては、①、S60年6月17日は私は初めて、会社の出張で京都に行っていました。前の晩から、いつもと違う寝苦しさでした。朝方、妻から電話が入り、先生が高き霊界にお昇りになられたとの知らせでありました。②、私は、結婚後、翌年、妻が長男出産後、体調をくずし、約10年間入退院を繰り返して、家族で苦しんでいました。ようやくにして、生命の実相第一巻の中の神は献身を要求し給うの所を読ませて頂き、神様にこれからの人生を、今まで以上に真剣に愛行をさせていただくと誓いました。これを機に、妻は立ち上がりました。先生に救われたのでございます。

次に、生長の火をかざして、永遠の谷口雅春先生のグラビアの一番最初に「生長の家」出現の精神とその事業が掲載されています。ここを読ませて頂いて、感じましたことは、①、谷口雅春先生はこのようなお覚悟で生長の家をお始めになったということを私たち信徒は肝に銘じなければならないと思いました。②、2行目の人類は今危機に瀕している。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小舟の如き観はないか。ここの生活苦は、現代でいうと地球温暖化という言葉に置き換えてみると、初代谷口雅春先生、二代目谷口清超先生、三代目谷口雅宣先生は、一貫して人類を救い、天地の万物を救わんと、覚悟して起ち上がられましたことは言葉にならないほど感謝で一杯でございます。三先生のお覚悟を肝に銘じて、微力ながら精一杯、ご協力をさせて頂きます。再拝

投稿: 伊藤勇司 | 2014年6月19日 (木) 08時10分

合掌 ありがとうございます
6月17日は谷口雅春先生のご昇天なさいました、ご命日でありますが、どうじに、この日は「砂漠化および干ばつとたたかうデー」だと知りました。
1995年、国連総会で制定されたそうであります。
現代の喫緊の課題であります、地球環境問題に取り組む生長の家の創始者であられます、谷口雅春先生も立教以来、天地一切のものに感謝せよとの御教えのもと、人類光明化運動に火をおかざしになり、その生涯をまっとうなさいました。
立教以来、生長の家の御教えは一貫して変わっていないということですね。
谷口雅春先生のご昇天の日が砂漠化を考える日に国連で定められているなんて、とても不思議な気がいたします。
谷口雅春先生のご昇天のときは、私は生高連活動をしておりました。「人生は浄土に向かう旅なれば、一歩一歩に愛を重ねん」とお詠みになられた、先生の1句は、高校生の私には実感できませんでしたが、40代半ばにさしかかってきました今は、心から感動いたしております。
そして、毎回講習会のご講話で万教帰一のことを繰り返し、総裁先生にご教示いただくことで私自身、本当の意味での万教帰一の意味が理解できるようになって参りました。
今後とも総裁先生のご教示をよろしくお願い申し上げます。
     島根県 岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2014年6月20日 (金) 22時32分

谷口雅宣先生

いつも、素晴らしいご指導賜りまして、ありがとうございます。m(_ _)m

思いおこしますと、両親より伝えられました御教えにより、

谷口雅春先生
谷口清超先生
谷口雅宣先生

三代先生様方に、ご指導ご鞭撻賜り、誠に幸せであるなあと、感じさせていただきました。

生まれてまもなくの頃に、医師から、『生きていくことが難しい。身体の一部を切断しなければダメだ』と宣告されましたが、ハンデがありながらも、50年以上、病気もほとんどせず、大学でてから、結婚し、3児の母にならせて戴きました。

結婚は、波瀾万丈でございましたが、それを乗り越える力を戴きましたのも、御教えのおかげでございます。

いまに、どこかで、体験発表させて戴きます。

ありがとうございます。m(_ _)m

投稿: 原 恵美子 | 2014年6月24日 (火) 16時19分

生長の家総裁 谷口雅宣先生
合掌ありがとうございます。
 私は、谷口雅春先生にお目にかかったことはございませんが、現在の生長の家の‟自然と共に伸びる運動”が、谷口雅春先生のご意志を受け継がれていることを強く感じてさせていただいております。雅春先生がご存命であるならば、自然を救わずにはおられないことと思います。
「谷口雅春大聖師二十九年祭」のご挨拶を拝読させていただき、神を自分と対立的に置くのではなく、自己の内奥の神の声に耳を傾け喚びかけることは、万教帰一の考え方に繋がることをお教えいただき、ありがとうございました。神我一体、自他一体の思いこそ、世界平和への礎となるものと改めて気づきました。また、本来神は無名であり、その神は吾々が象徴的に名づけるに過ぎないのであるということがよくわかりました。
 人類光明化運動、国際平和信仰運動において、世界的視野を持つことの重要性と、万教帰一について詳しくご教示いただきましたことに感謝申し上げます。再拝 新潟越南教区   吉岡佳子

投稿: 吉岡佳子 | 2014年6月27日 (金) 21時11分

合掌有難うございます。島根教区では、県下4会場を通信で繋ぎ、谷口雅春大聖師29年祭が厳粛に行われました。み祭りのあとは、聖歌隊員による「生長の家の歌」の斉唱、続いて、永遠不滅の生命を渋柿の木に喩えてのお話をされている雅春先生卆寿祭のときのDVDを拝見致しました。先月20日には、今月13日のご講習会に向けて、メイン会場運営委員総集会が行われました。その中で、-講習会を終えた日に、自分の内なる神さまから「よくやった!」と誉めてもらえるように、充実した推進活動をさせて頂きましょうー という話が出ました。「私達は、神の子であり、神性を表現するために生まれてきている」という真理の下、神様から全てを与えられていることを本当に有難いと思います。この素晴らしいみ教えを直接総裁先生からご指導戴けるご講習会に一人でも多くの方が参加されますよう、祈りそして真心いっぱいの声がけをしていきたいと思います。『生長の家』創刊号の9頁には、生長の家の主要な事業の一つとして・・・世界の家庭々々を明るくし・・・と雅春先生は書いておられます。立教当時から世界的視野で人類光明化運動を進めておられたのですね。私は、雅春先生が身罷られたのちに、このみ教えに触れましたので、先生を直接拝したこともご講話を直接お聞きしたこともありませんが、総裁先生を通して谷口雅春大聖師の御心を折々にお教え戴き、心から感謝致しております。7月13日のご講習会にて、総裁先生、白鳩会総裁先生がおいでになられますことを心からお待ち申し上げるとともに、最後まで推進に全力を捧げさせて戴きたいと存じます。
再拝

投稿: 柳光貴代美 | 2014年7月 1日 (火) 23時58分

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