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2014年5月19日 (月)

地域通貨「ニコ」について

 山梨県北杜市の生長の家の“森の中のオフィス”では、このほど「地域通貨」なるものをNicoes 導入することになった。これは地域的に限定して、普通のお金に換算しにくい価値を相互に交換する仕組みのことで、それらの価値をきちんと認めることにより、職員やその家族間の助け合いと交流とを強化し拡大していく目的もある。地域通貨の名称は「ニコ(Nico) 」といい、ニコニコ顔の太陽がデザインされた木製のコイン(=写真)を使う。
 
 私たちは人から親切をしてもらった時、うれしくなってニッコリ笑う。その笑顔を見て、親切した側も喜びを感じる。ここでは、「どうもありがとう」「どういたしまして」という双方の気持が「笑顔」を介して交流する。笑顔には、このように人と人を結ぶ働きがある。そんな笑顔の価値は、金銭には代えがたい。 この笑顔がもつ“ムスビ”の役割を心に留め、それを別の人にも伝えかつ実践し、さらに社会に拡大していくことは、日時計主義の実践でもある。そういう活動の一助として、まず“森の中のオフィス”の関係者の間でこの地域通貨を使おうということになった。
 
「通貨」というと何か固いイメージがあり、また、人の好意を金銭に換算するようなニュアンスが感じられるかもしれない。しかし、今回の「ニコ」の目的はそうではない。人の愛念や感謝などの無形の価値を、目に見える有形物(木製のコイン )に一時的に置き換え、それを別の人との交流の場でも使うことで、愛念や感謝を拡大していこうというのである。
 
 愛念や感謝は、もちろんそんな小道具を使わなくても広げることはできるかもしれない。だが、人間は無形のものを忘れやすい。人の名前でも、ソラで憶えるのは簡単でない。社会で名刺交換をしたり、年賀状をやりとりするのも、この人間の記憶力の悪さを補う意味もある。私たちは、名刺や年賀状が来た人の方を、そうでない人よりも記憶に留めるだろう。名刺や年賀状の場合、その人が自分とどういう関係だったかを思い出すのは、いわゆる「肩書き」を通してである。どこの会社の、どこの学校の、どこの団体の、どんな立場の人だったか……そういう肩書きは言わば“左脳的”な社会関係である。これに対して、その人との心情的--右脳的な--つながりについては、肩書きは必ずしも思い出させてくれない。
 
 そんなとき、自分のポケットや引出しにニコニコ顔の太陽を象ったコインが入っていたら、「あっ、そうだ」と思い出しやすくはないだろうか 。「あの時、あの人にあんなことをしてあげたら、あんなに喜んでもらい、お礼にもらったコインがこれだ」。そう思い出せば、人と人とのそんなムスビの時をまた持ちたいという願いが生まれるだろう。こうして愛念と感謝の輪が拡がっていけばいい--このような意図のもとに、今回の地域通貨「ニコ」が生まれた。私はそう理解している。
 
 では、この「ニコ」は、いったいどんな時に使われるのだろう?
 
 これは当面、職員やその家族間の「サービス」に対して使うことになっている。その理由の1つは、都会の生活に比べ、オフィスのある“森の中”の生活は、いろいろな意味で“不便”だからだ。私たちはもちろん、その“不便さ”を承知のうえで“森の中”へ来た。だが、不便さを解決するのに、都会とは別の方法をとりたいと思う。都会では、下水を掘り、電線を張り、アンテナを設置し、コンビニを建て、夜間営業をし、ATMを増やすことで、不便解消を図っている。が、このインフラの維持のためにエネルギーと資源を大量に使い、ムダを生み出している。また、これらのコスト回収のために、すべてのサービスを金銭に換算して、利用者から取る仕組みになっている。これにより、物事をするのに都会は確かに“便利”になった。が、その代償として、サービスにはすべて値段がつき、権利と義務の関係に変わってしまったから、サービスを受けても感謝がなく、金によって愛を要求する傾向も生まれている。そして、人間同士の愛念と感謝の交換の場は、著しく少なくなってしまった。私たちは、愛念と感謝を基本とした当たり前の人間交流の場を、この「ニコ」を通じて拡げていきたいと思う。
 
 というわけで、「ニコ」が使われるであろうサービスの例を、以下に挙げてみよう--
 
 車での送り迎え(幼稚園、学校、病院など)
 車のタイヤ・チェーンの着脱
 車のタイヤ交換
 自転車のパンク修理
 薪割り、薪運び
 留守中の鉢植えの水やり
 雪かき
 草取り
 野菜作り
 自転車や工具の貸し借り
 写真撮影の指導
 絵の描き方指導
 ドライフラワーの作り方
 外国語会話
 ソバ打ち指導
 魚のおろし方指導
 インターネットの使い方
 ………
 
 このほかにもいろいろなことが考えられるから、実際に何が起こるか楽しみである。
 
 地域通貨の利用は、様々な地域や団体ですでに行われている。が、生長の家の地域通貨には、経済的な目的だけでは不十分であり、やはり宗教や信仰的な要素が加味されていなければならない。このため、「ニコ」の施行に当たって、私たちは「ニコを奉納する」という考え方を採用した。ニコニコ顔のコインは、数多く愛のサービスを提供した人の手もとに多く集まってくる。だから、その人には、集まった「ニコ」を使って多くのサービスを受ける機会が生まれるはずだ。が、人間というものは、愛の行為に必ずしも対価を求めない。人に愛を与える行為そのものによって満足する場合も多いだろう。そんな人には、神前にニコを奉納するという選択肢があってもいいし、その方がむしろ生き甲斐を感じる人もいると思うのである。
 
「ニコ」はもちろん、どんどん使うことにも意味がある。それは、仏教で托鉢が重視されているのと同じ理由だ。人に対して慈悲の心を起こさせ、それを実践させることは、その人の仏性を開顕する一助となるからだ。このように考えれば、どこか冷たい響きを感じさせる「地域通貨」というものも、使い方によっては、暖かい愛情表現と神性開発の道具とすることは可能と思うのである。
 
 谷口 雅宣
 

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コメント

合掌 ありがとうございます。
子供のような純粋な心をくすぐる取り組みですね。
拝読しながら、具体的な事が次々に頭の中をよぎりました。
・どこが「ニコ」を発行するのか。
・どのように手にいれるのか。最初は職員ごとに一定の数をくばるのだろうか。
・遊び心がなければ「ニコ」を渡すことができないだろう・・・男性が男性に渡しているのは想像しがたい・・・そこが「ニコ」の良さかも・・・テレる前に感謝表現
・所有している「ニコ」で自分の親切さの程度が判断できそうでわくわくする。
・沢山たまると嬉しくなりそう。
・逆に、少なくなったら、もっと親切にならなきゃと思うだろう。
などなどと想像していますうちに、以前子供が母の日のプレゼントでくれました「お手伝い券」のことを思い出しました。
私は数枚の「お手伝い券」をもらいまして、お手伝いをお願いする度に使っていました。子供は券の交換にわくわくしながら積極的に「お手伝いすることはない?」と聞いてくれていました。しばらくしたらそれは習慣となりました。
既に2年も過ぎ、券はずっと前に切れてしまいましたが、今も積極的にお手伝いをしてくれています。

「ニコ」の導入も色々なかたちで相手を助ける喜びが実感出来る取り組みになりそうです。
ありがとうございます。
再拝
平峰恵利花

投稿: erica | 2014年5月23日 (金) 17時53分

合掌ありがとうございます。
まあ、懐かしい、というか久ぶりにお目にかかれて嬉しい「木製コイン」。ついに流通されることになったのですね。
おめでとうございます。
「ニコ」と言う名称もステキだなと思いました。
喜びが、喜びを呼ぶ。きっとそんなステキな気持ちがこの「ニコ」を通して広がっていくのでしょうね。
楽しみです。
再拝

投稿: 水野奈美 | 2014年5月23日 (金) 18時16分

合掌  ありがとうございます。

北杜の純粋な表現が「ニコ」コインの実現になっているように感じます。 もし、自分か゛そこにいましたらきっと生活に潤いや、夢をいだき ポッケに 「ニコ」コインが入っているだけで、一日がたのしい日となることでしょう。

 お金の価値や欲望の繁栄が優先的に思える社会にまた心があつくなります。 総裁先生のホットニュースに感謝いたします。    再拝
                 
             島根教区 足立冨代
               


投稿: 足立冨代 | 2014年5月25日 (日) 03時25分

合掌 総裁先生ありがとうございます。

昨年の2月手紙月の24番目に、娘が頂いた”木製コイン”の絵手紙。
娘が歓喜しながら見せてくれました、そこには「お金が喜びを運べたら・・」と書いてありました。
私は、その意味が理解できず、どう言う意味なのかしら?と思っていましたが、1年過ぎてよ~~く理解できました。
素晴らしいです。感動しました!
でも、絵手紙が実物となって、目の前に現れた娘の方が、もっと感動していると思います。ありがとうございました。
                伊藤啓子拝

投稿: 伊藤啓子 | 2014年5月27日 (火) 22時41分

皆さん、メッセージありがとうございます。

 「ニコ」のコインは、間伐材の枝を薄く切ったものを買い、担当部署の職員がその両面に焼印を押します。この作業が案外、技術を要するようで、ご苦労をかけます。また、「ニコ」はタダでもらえては意味がないので、当初は、実際の愛行が成立してから発行されます。これを支援するために、ネット上に“求む/あげます”的な掲示板を設けるようです。さらに、愛行は強制することはできないので、この試みへの参加は、職員の任意ということになっています。

投稿: 谷口 | 2014年5月28日 (水) 11時27分

 合掌  総裁先生ありがとうございます。
  皆様の優秀な部分が生かされ、与える歓びの増福をお祈りいたします。  
                  再拝 
                    足立冨代 

投稿: 足立冨代 | 2014年5月31日 (土) 15時51分

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