« 旅先からの便り (5) | トップページ | 旅先からの便り (7) »

2014年4月 5日 (土)

旅先からの便り (6)

 今日は舞鶴市に来ています。
 
 これまで書いてきたことをまとめると、“バベルの塔”とは「人類が協力し合って造り上げる大きな構築物」という意味になりますから、人類の「文明」を象徴していると考えることができます。それは、自然界とは異なるものですが、自然界にある法則や資源・資材を利用して始めて可能になるので、自然界の存在を前提にしています。これまでの人類の文明は、自然界にある資源や資材の利用は「無制限」だとの暗黙の前提から造られてきました。ところが世界人口が70億人を超え、地球温暖化が進行する21世紀にいたっては、この前提は崩れつつあります。これからの時代は、自然の自己回復力を超えた資源・資材の利用は、人類自身の存在基盤を破壊することを意味するので、そのような自然の破壊的利用を「地球社会」として禁じる必要が生まれているのです。
 
 ところが残念ながら、現在の人類の間には、「地球社会」という考え方がまだ十分理解されていません。普通の現代人にとっては、自分が生活する「地域社会」や「地方」を超えて、「国家」や「国家連合」のところまでは意識を拡大できても、人間以外の生物や鉱物も含めた地球全体を、1個の有機的共同体として意識し、その共同体の利益を優先して自分の生活を律し、行動するという考え方は、ごく限られた少数派の人々の間にしか生まれていないのです。
 
 が、ここに1つの希望があります。それは、私たちの心の感性です。私がここで「感性」と呼ぶのは、私たちが自然界と触れ合うときに、どのように感じ、どのように思考するかという癖や傾向のことです。この中に、私はどんな人間であっても、自分の人間としての肉体を超え、社会や国家をも超えて、自然と共鳴し、共感するものがあると考えるのです。ごく月並みな表現を使えば、どんな人でも「自然が好き」であり「自然を愛する」ということです。しかし、この感情は、なまのままでは、かえって自然破壊につながるものでもあります。それは、山道の傍らに咲く花の美しさに感動し、それをたおり、あるいは根こそぎに引き抜いて、自分の家に持ち帰るというような略奪の行為につながります。自然界で美しいもの、おいしいもの、心地よいものを見つけると、それを自分の快楽の手段にしようとする心です。これも「自然が好き」であり「自然を愛する」ことに変わりはないのですが、この段階の感性では足りません。この段階では、自分と路傍の花とは離れた存在として感じられるため、花に美や可憐さを感じても、それを相手から奪って自分のものにしたいという欠乏感が先に立っています。
 
 私が希望をもつ感性とは、前回津市から出した便りに書いたような、石の地蔵さんに赤いエプロンを掛けてあげる心です。目の前にある対象が、自分の愛してやまないものであっても、それを力まかせに引き抜いて奪うのではなく、自分の“与える愛”の表現として、そのものの本来の生き方をそのまま認め、「大好きだよ」「そこにいてくれてありがとう」「そこでがんばれよ」「応援しているよ」という気持を込めて合掌し、しばらくそれを鑑賞したあとは、静かに立ち去っていく感性です。それは、親が子の元気な姿を見て喜び、安心し、やがて彼や彼女の幸福を願いながらその場を立ち去る気持と似ています。親には、子から何かを奪う必要はまったくありません。なぜなら、親は子が自分の一部であるとともに、自分より大きいものであることを知っているからです。親にとって、子は自分の延長であり、自分の夢です。それと同じように、人間が自然界を自分の延長として理解し、感じ、自分の夢がそこにあると感じるならば、自然破壊をする気持も必要性も消えてしまうに違いありません。
 
 私は、大阪の伊丹空港から舞鶴市に向かう自動車専用道路を走りながら、周囲の山々のあちこちを淡い桃色で彩る満開のサクラの花を見ながら、そんなことをつらつらと考えていたのでした。
 
 谷口 雅宣 

|

« 旅先からの便り (5) | トップページ | 旅先からの便り (7) »

人類学」カテゴリの記事

地球環境問題」カテゴリの記事

宗教・哲学」カテゴリの記事

自然と人間」カテゴリの記事

コメント

合掌 いつもご指導有難うございます。 -人間以外の生物や鉱物も含めた地球全体を1個の有機的共同体として意識ー これは、私達人間も含め万物全てのものは、地球号という同じ船に乗っている仲間であるということを自覚することですね。また、天地一切のものと和解せよという立教当初からの教えは、天地万物全てのものがひとつでありそれを礼拝し感謝する生き方であり、今の自然と伸びる運動になっているのですね。CO2削減また運動不足もあり、私は最近歩いて用事をするようにしていますが、その道すがらの自然に心うたれます。花々の美しさ、野菜のみずみずしさ、空の青さ、三日月の細さ。しかし、自然界を自分の延長として本当に理解しているだろうかと考えると、そうではない自分がいる気がします。今年の桜はことのほか綺麗だと感じます。雨にも風にも耐えて、その姿を少しでも長く私達に見せるために頑張っているかのように思えて、本当に愛おしいのです。柳光貴代美拝

投稿: 柳光貴代 | 2014年4月 7日 (月) 22時57分

今年は桜の満開が、長く続きましたので、家内とあちこちに見に行き、きれいだねーとただただ感心するばかりでした。総裁先生のように満開の桜を見ながら地球全体にまで、思いを及ばされることに、これまた感心するばかりです。古谷

投稿: 古谷正 | 2014年4月 8日 (火) 22時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 旅先からの便り (5) | トップページ | 旅先からの便り (7) »