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2014年3月 1日 (土)

真理宣布に自信をもって邁進しよう

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山で立教85年を寿ぐ「生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が挙行された。会場となった出龍宮顕斎殿には、日本各教区の幹部・信徒を初め、ブラジル、アメリカ、中華民国からも代表者が出席し、約910人が参列した。また、式典の様子はインターネットを通じて全世界にライブ中継された。
 
 この式典で私は、概略以下のような挨拶をした。
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 皆さん、本日は立教85年の生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典に大勢お集まりくださり、まことに有難うございます。 
 
 この立教記念日の式典は、去年までは東京・原宿の生長の家本部会館で行われていましたが、今年からこの総本山の地で行うことになりました。その理由の第一は、ご存じのとおり、本部会館が山梨県北杜市に移転したことです。では、北杜市の国際本部である“森の中のオフィス”で式典をすればいいとの話もありましたが、これまたご存じのように、あそこは標高1300メートルの高地にあって、今の季節はまだ冬であり、気温は氷点下になる厳しさです。そこへ高齢者を含めた大勢の幹部や信徒代表の方々に集まっていただくのは、申し訳ないし、健康上のリスクもあるというので、比較的温暖な地にあるこの総本山で行うことになりました。そこで今、この地で皆さんと共に立教85年を祝っているわけであります。この選択が正しかったことが、開催地を初めて変更した今年から、さっそく明らかになりました。つい数日前までは、山梨県地方は大変な豪雪の影響で、雪に埋まったままの家屋が多く、交通事情もまだ正常化していなかったからです。現在ではだいぶ雪は減りましたが、オフィス周辺ではまだ50センチほどの積雪が残っています。
 
 さて、式典のプログラムにも若干変更されています。谷口雅春先生が書かれた「『生長の家』出現の精神とその事業」というご文章の奉読が、先ほどありました。これは東京での式典の時にはなかったものですが、この3月1日という日は、『生長の家』誌創刊号の発行を記念した日でありますので、その創刊号に掲載されたこの記念すべきご文章を、再びこの場で私たちの心の中に呼び覚まし、立教の精神を確認するために加わりました。その奉読を白鳩会総裁がされたということも、新しい変化です。これまでの生長の家の式典では、多くの場合、女性が表に出る機会が少なかったけれども、国際運動を遂行していく観点からは、そのままではいけないという配慮があります。このほかにも、今日のプログラムには、生長の家の組織運動の褒賞が新たに加わっています。これまでこの組織の褒賞は、5月の全国幹部研鑽会と全国大会の場で行われてきたのですが、ご存じのように、今年から運動年度を暦年に合わすことをしているので、12月締めの運動成果を5月に表彰するのでは間延びしてしまうので、3月のこの日に変更したわけです。
 
 このように、私たちの運動の仕方は変化しつつありますが、これは「教え」が変化しているのではないということを、私はずっと以前からいろいろな所で申し上げているところです。物事には、容れ物と中身があるのと同じように、宗教の教えにも形式と内容があります。それは、コメを食べるにもいろいろの方法があるのと同じです。日本ではそのままご飯として茶碗に入れて食べる。それも白飯で食べる時もあれば、玄米で食べたり、お茶漬けにしたり、おかゆにしたりします。また、寿司で食べたり、丼にしたり、お握りにしたりします。どれもコメを食べていることに変わりありません。ただ、食事をする時の状況に合わせて外観や容器を変えるのです。容器や形式は違っても、提供されるものは同じです。海外ではこれがさらに変化して、ドリアやピラフにしたり。パエリヤに使われたりします。
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 宗教の外面的違いに左右されてはいけません。これは、私たち人間に「肉体」と「心」があるのと同じで、肉体的違いで人間を差別してはいけないのと同じです。このことは実に明白な事実なのですが、なぜかよく理解できずに、私たちの運動を批判する人がいるのは残念なことです。
 
 さて本日は、谷口雅春先生が創始されたこの教えが、85年たっても、少しも古くなっていないという証拠を、1つの例を挙げて申し上げたいのであります。これは形式のことではなく、内容のことです。表現の形式は古くなっているかもしれないけれども、その元となる教え、すなわち真理は、21世紀の現代でも益々必要とされているという例です。
 
 今日はここに『生長の家』誌の創刊号をもってきました。先ほどは、この中から「『生長の家』出現の精神とその事業」というご文章を読んでいただいたわけですが、私はそのご文章の次のページにあるものを紹介いたします。ここで雅春先生は、「では生長の家が諸君のために何をなそうとするかを次に列挙して見る」と書かれたのに続いて、10カ条の「生長の家の目的」を掲載されています。そのうちの5番目と6番目の文章を拝読いたします--
 
「5.月極め誌友拾名以上ある地方には、わが幸福生活法の宣伝研究親睦共済機関として『生長の家』支部を設置し、支部長は心の法則の実証としてメタフィジカル・ヒーリングを修得し、広く隣人の病苦を祓済することが出来る。
 6.メタフィジカル・ヒーリングは十名以上支部に集まりて会合する場合を期し、遠隔的に感応指導することが出来る。希望者は会合場所を示すと共に会合時間に就き本部へ予め照会せられたい。本部よりは坐法その他の形式詳細につき別に通知を発する。十名以上と指定したるは人体磁気の関係上遠隔指導に成功しやすいからである。」
 
 ここに書いてある「メタフィジカル・ヒーリング」とは何でしょうか? これは、ここにお集まりの皆さんはほとんどすべてが既にご存じの言葉だと思います。なぜなら、この言葉は『生命の實相』の第一巻の冒頭に何回も出てくるからです。例えば、「総説『七つの光明宣言』の解説」には、こうあります-- 
 
「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。メタ(meta)とは“超越”するという意味でありましてフィジカル(physical)とは“物質的”という意味であります。そしてヒーリング(healing)という言葉は癒やすこと治すことを意味しております。つまりメタフィジカル・ヒーリングと申しますのは、物資的方法によらずに実相円満の自覚によって、大生命のお力をよび起こしてわれわれの不幸を癒していただく方法であります」。(p.3) 
 
 さらにこの第一巻にある「『生命の實相』頭注版に序して」というご文章には、こうあります--
 
「自己の真物(ほんもの)が病むことなき自性円満なるものであることを本当に自覚するとき、老病死の恐怖は消え、病悩苦がその自覚の影響により現実に消え去るのである。(中略)これは物資的手段を用いず超物質的方法による治癒であるから、本書において、私はメタフィジカル・ヒーリング(metaphysical healing)と仮に称したのである。訳せば“超物質的治癒”とでも訳さねばならないが、“治癒”という語(ことば)は、おおむね病気の解消のみに使われる文字であって、“自性円満の自己の実相”を自覚したとき、自然にあらわれる心の解放状態によって人生百般の苦悩が解消する事実については、“治癒”という日本語で表現するには適当ではないから、仮にわたしは“メタフィジカル・ヒーリング”というニューソートやメンタル・サイエンスなどで使う原語をそのまま使っておいたのである。」(pp.4-5) 
 
 つまり、「人間は神の子である」という実相の自覚が深まることで、人生が好転していくことを指して「メタフィジカル・ヒーリング」と生長の家では言い、その語を敢えて日本語に訳せば「神癒」になるということです。そして、この神癒が起こるための大切な方法の一つが「神想観」です。しかし、この『生長の家』創刊号の中には「神想観」という言葉は出て来ません。なぜでしょう? それは、この神癒のための重要な観法には、まだ名前がついていなかったのです。この「神想観」という語が出てくるのは、創刊号から数えて4カ月後の『生長の家』誌第一集第五号です。また、それからさらに4カ月たった第一集第九号に、現在「招神歌」と呼ばれている和歌四首が「神想観実修歌四首」として発表されています。
 
Time020314s  ですから、ここで言えることは、「神想観」という瞑想法が考案され、発表されたのは生長の家の運動が開始された昭和5年であり、今から84年前であるということです。なぜ私が今日、このことを強調するかといいますと、それは最近出たアメリカの時事週刊誌『タイム』が今、アメリカで脚光を浴びている瞑想法の特集記事を掲載しているからです。それは「mindful meditation」と言います。ここにそれを持ってきました。表紙には「THE MINDFUL REVOLUTION」と書いてありますが、副題があって、そこには「The science of finding focus in a stressed-out, multitasking culture」というものです。 
 
 現在の技術社会では、インターネットなどのIT技術の発達とスマホの普及で、電車に乗っても、バスに乗っても、街を歩いていても、レストランに入っても、人々は自分のケータイやスマホを覗き込んで“ながら族”をやっています。これは世界的な現象で、「マルチタスク」などと呼ばれているライフスタイルであり一種の“文化”です。マルチタスクとは、いろいろなことを同時並行的にやるという意味です。これは何かすごく便利で、素晴らしいことのように聞こえますが、いろいろな弊害があることが分かっています。その一つが、一つのことに集中できないことです。もう一つは、精神的ストレスがかかりすぎることです。『タイム』誌の副題にある「The science of finding focus in a stressed-out, multitasking culture」という言葉は、このことに触れていて、「ストレスに潰されそうな同時並行的仕事処理の文化の中で、物事に集中するための科学」というほどの意味です。それが瞑想をすることだというわけです。簡単に言えば、現代社会では、瞑想することに科学的意味があるということです。
 
 私は2008年に上梓させていただいた『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』という本の中に、アメリカ東部の病院で瞑想を教えているジョン・カバト=ジンという人のことを書きました。今から6年前のことです。当時は、そういう医学と瞑想との関係が珍しいとされていたのですが、この『タイム』誌の記事では、同じカバト=ジン博士の瞑想法が、今では時代の先端を行くIT企業を含めた多くのアメリカ企業で取り入れられ、効果を上げていることが書かれています。この瞑想法は 「注意喚起にもとづくストレス減少法」(Mindfulness Based Stress Reduction, MBSR)と呼ばれ、開発されたのは実は35年も前の1979年だといいます。これを教えるインストラクタ-は、今ではアメリカのほとんどの州と世界30カ国以上に拡がり、その数は千人近くになるそうです。この瞑想法を実践しているのは、シリコンバレーの企業家たち、経済誌『フォーチュン』が決めるトップ企業500社の経営者たち、米国防総省のお偉方などだといいます。
 
 子供の教育面でも、この瞑想法は盛んに活用されています。なぜなら、今のアメリカのティーンエイジャーは、1カ月平均で3千通、つまり1日平均100通のメールと付き合う日常を送っているからです。そういう注意散漫な生活の中では、いろいろな問題が起こるわけです。サンフランシスコ湾沿いにある Mindful School では、2010年からネットを通じた注意集中のトレーニングコースを学校の先生に提供していて、生徒が授業に集中できるように、ストレスとうまく付き合えるように教えているそうです。このコースに参加した教師の人数は、国内の48州、海外では42カ国に及び、関係した生徒数は30万人を超えるといいます。
 
 こういう話を聞くと、私たちが愛する神想観はどうであるか、と考えさせられます。カバト=ジン博士が開発した瞑想法よりも、さらに50年も前に、谷口雅春先生はこの瞑想法を開発され、私たちはそれを実践してきたのです。皆さん、本当に実践していますか? 「今日は忙しい」といって省略していませんか? 人々に勧めていますか? 子供に伝えていますか? マンネリズムに陥っていませんか?……
 
 カバト=ジン博士の瞑想法は、自分の呼吸に意識を集中させるものです。雑念が出てきたら、それに気づき、もとの呼吸に意識を合わせる瞑想にもどる--基本的には、それだけです。その背後に、神や信仰や哲学はありません。しかし、それだけも大きな効果があることが実証されているのです。これと比べれば、生長の家の神想観は、日時計主義の生活と密接に関係しています。実相世界をしっかり観ずることは、現実生活において光明面をしっかりと観、その喜びを表現することと切り離すことはできません。単なる意識集中のテクニックではなく、信仰と哲学と生活法が一体となったものです。このうち神想観と日時計主義の2つが、『生長の家』誌の創刊号で提唱されているのです。
 
 変化がめまぐるしい現代社会ですが、真理の力は変わりません。しかし、真理が有効に伝わり、人々の生活に活かされるためには、その表現を社会の変化に合わせて変えることが必要な場合もあるのです。皆さん、この素晴らしい教えの宣布と実践に、もっと自信をもって邁進していこうではありませんか。立教記念の佳き日に当たり、所感を述べさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌有難うございます。立教85年おめでとうございます。平成9年に先生が上梓された『心でつくる世界』の中でも、心と体の密接な関係においてジョン・カバト=ジン博士の瞑想療法の活動について、総裁先生は書かれていました。『心でつくる世界』のはしがきの中で、総裁先生は「一般的には、宗教と科学は、水と油のように、お互いに相容れないものと考えられているようであるが、「真理を探求する」という目的に於いては同じである」と述べておられたことがとても印象的でした。ジョン・カバト=ジン博士の瞑想法(MBSR)がその後、アメリカの多くの企業に取り入れられて効果を上げ、そのインストラクターがなんと世界30カ国以上に広がっていること、また子供の教育面でも盛んに活用され、関係した教師が海外42ケ国にも及び、関係した生徒数が30万人以上であることはとても驚くべき事実だと思いました。平成26年2月末の白鳩誌友会出講の折、「神想観は三正行の一つであり、とても重要で、不可欠です」とお伝えしたばかりでしたので、立教記念日での総裁先生のお言葉をPCで拝聴させて頂いた時はとても嬉しく感じました。今夕は、西の空を眺めながら「夕焼けと細い三日月がとても綺麗だね」と小学生の娘と話しました。この美しい地球を大切にする事そしてこの素晴らしいみ教えを娘だけでなく、全世界の方々にお伝えすることに勇気と自信を持って邁進してゆきたいと思います。島根教区 柳光貴代美拝

投稿: 柳光貴代美 | 2014年3月 3日 (月) 22時21分

合掌、ありがとうございます。
総裁先生、記念式典の世界中の信徒に向けての尊いご指導を、即日こうしてブログにて拝読させていただき、有難さをこの上なく感じております。
記念式典のインターネット中継をご案内させていただいた年配の女性は、息子さんの協力で視聴できる可能性がありました。
「何チャンネル?」と聞かれたのには驚きましたが、我が家でも、まさにノートパソコンをテレビ画面につなげて、
二時間の映像を数名で視聴できたのですから、”何チャンネル”の感覚にほかなりません。
この成功に至るまでの、総裁先生のご先導いかばかりかと、重ねて感謝申し上げます。
世界中の信徒が、同時に総本山での記念式典に参列させていただいているような、大きな感動は、時代の要請でもあると存じます。
変る必要も当然なら、変わらない真理の力もより強く信じることができます。
特に神想観をもっともっと真剣に行じ、日々新たな感動を呼び覚まし、多くの人にお伝えしてまいります。
翌3月2日、地元での聖使命会感謝奉納祭の後の輪読会では『如意自在の生活365章』の神想観についての御文章を拝読させていただきました。
11日の「神・自然・人間大調和祭」のインターネット配信もより多くの方々と視聴いたしたく、楽しみにお待ち申し上げます。
          島根教区 西村世紀子 拝

投稿: 西村世紀子 | 2014年3月 3日 (月) 22時59分

合掌有り難うございます。
 立教85年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典おめでとうございます。当日は益田会場で参加者の方々とインターネット中継でスクリーンを通して素晴らしい式典に参加させていただきましたことを心より感謝申し上げます。総裁先生の式典でのご挨拶やブログを拝読し生長の家の御教えの素晴らしさを改めて実感いたしました。これまでにも立教記念日でのご挨拶では色々とご指導頂いておりますがこの度は、運動の変化について私たちの身近なお米を例えに誰にでもわかり易くご指導いただきました。「生命を表現するには常に形をこしらえなければならず、また同時に常に形を破ってゆかなければならないのであります。…説明の仕方は形ですから、不断に変化しなければならないのです」と谷口雅春先生は宗教がみずから改革しながら進む必要性を示されておられます事も改めて心いたしました。これからも総裁先生に中心帰一し総裁先生が私たちに投げかけられた四つの?を常に肝にめいじ真理宣布に自信を持って邁進いたします。有り難うございます。 島根教区  水津英子

投稿: 水津英子 | 2014年3月 4日 (火) 02時07分

合掌ありがとうございます。
立教85年生長の家春季記念日おめでとうございます。
 ご挨拶のご文章を拝読させていただき、総裁谷口雅宣先生の非常に明るく強いご決意を感じました。立教から85年が経ちましたが、形が変わっても不変なるものがあることをお教えいただきました。
 海外の信徒の方々がどのような思いや、どのような形式で祈り、信仰されているのかを学ばせていただきたいと思いました。
 今回の式典によりまして、今こそ私たち日本の信徒が、世界の信徒の皆様と共に歩みを進める時であると気付かせていただけましたこと、今後の私達の指針を与えてくださったことに心より感謝致します。
 これから、より一層、人類光明化運動、国際平和信仰運動に邁進させていただきます。         再拝

              新潟越南教区 吉岡佳子

投稿: 吉岡佳子 | 2014年3月 7日 (金) 20時53分

合掌有難うございます。3月9日の兵庫の講習会では、素晴らしいお話有難うございました。私は弁当係りをしていて、余りお話を聞けなくて残念でしたが、また大阪の講習会に行く予定なので、たっぷり勉強したいと思います。
友達や知り合いにいくらか受講券を送ったのですが、なかなか動員に結びつきませんでした。非力で申し訳ありません。これからも、頑張ります。有難うございます。再拝

投稿: 岡本淳子 | 2014年3月10日 (月) 23時03分

総裁先生
合掌 ありがとうございます。
本日の御祭を配信してくださいまして心より感謝申し上げます。
こちらの教区では、73名も集合し、一緒に『大自然讃歌』をあげさせて頂きました。
残念ながら、回線トラブルで、丁度総裁先生のご挨拶の前半が途切れ途切れでした。
原発問題のお話をされていることはわかりましたが、詳しい内容は視聴できませんでした。
後半あたりの「アメリカのテクサス州」の位置をご説明されているところから、やっと配信が正常化しました。
そのような状況の中でも、参加してくださった方々は「”森の中のオフィス”の御祭に一緒に参加できることはうれしいですね」などと喜びを表現しておられました。
せっかくの先生のお話が全部視聴できませんでしたのは、大変残念ですが、ブログで原稿を拝見させていただきますことを、心よりお待ちしております。
再拝
平峰恵利花

投稿: erica | 2014年3月11日 (火) 14時38分

柳光さん、西村さん、水津さん、
 感想を聞かせていただき、感謝申し上げます。
 ネット配信がお役に立てて、うれしいです。

平峰さん、
 映像が中断したこと、残念です。
 でも、私の挨拶の概要は、まもなく発表いたしますので、そちらを参考にしてください。

投稿: 谷口 | 2014年3月11日 (火) 20時09分

合掌 ありがとうございます。
ご挨拶概要を楽しみにしております。ありがとうございます。
再拝

投稿: erica | 2014年3月12日 (水) 10時34分

合掌、有難うございます。メタ、フィジカル、ヒーリング神癒について、よく分からないところがあってご質問します。神想観をし、心を明るく持ち日時計主義の生き方をしていたら、自然と病気や怪我が治ったり、人生が拓けていく事を言うのでしょうか?それには守護霊や御先祖様の救いの力が、働いているのでしょうか?神想観をしているうちに、いつか分かるのでしょうか?お聞きしたい事が混乱していて、申し訳ありません。再拝。

投稿: 岡本淳子 | 2014年3月12日 (水) 13時22分

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