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2014年3月29日 (土)

旅先からの便り (5)

 こんにちは……。今日は三重県津市です。前回の大阪からの便りでは、プーチン氏のクリミア併合の動きに触れ、「バベルの塔は今再び崩壊の危機に直面している」と書きました。これは、名古屋から書いた便りの中で、「科学技術」という世界共通語を獲得した人類が、神に近づき、“神の国”を建設できるようになったことを意味するのか?--という疑問に対する答えになるでしょう。つまり、人間相互の信頼が欠けるならば、科学技術がどんなに発達しても、世界は破壊に向かうということです。
 
 当たり前と言えば当たり前の結論なのですが、ではなぜ信頼が失われるのか、あるいはそもそも信頼関係がなぜ作れないのか、という疑問に答えるのは、そう簡単ではありません。ケースバイケースで相互の事情が大きく異なることもあるからです。しかし、信頼関係の基本は自と他との一体感です。別の言葉を使えば、「自他は利益を共有する」との認識です。自分の利益は相手の利益でもあり、相手の利益は自分の利益でもあるという認識です。これが、プーチン氏の場合、アメリカや西ヨーロッパの国々に対して欠けていたということ、また逆に、西側の政治家にはプーチン氏の思想や心情が伝わっていなかったということでしょう。
 
3jizosan  ところで今日は、宿舎の近くの観音寺という所へ行きましたが、そのお寺の本堂の左脇の薄暗くなった空間に、小さな祭壇がありました。そこに三体の小さな石仏があって、それぞれが赤いエプロンに身を包まれていました。「石仏を刻む」という行為は多分、自分の中の善性を石の中に表すことだと思います。主観的な行為だと言っていいでしょう。しかし、いったん表現されると、石仏は客観性を獲得してすべての人々に一定範囲のメッセージを発することになります。文学や絵画も同じことをするのでしょうが、石仏が特殊なのは、それが「仏」を模している点です。
 
 仏を強引に定義すれば、一種の「理想的人間像」です。それを石の上に刻んだ石仏は、どんなメッセージを発するのでしょうか? この質問に対する答えは、石仏が「赤いエプロン」を掛けられるという事実の中にあると思います。
 
 「赤いエプロン」は普通、お地蔵さんが掛けるものです。そして、お地蔵さんはよく子供の霊を導く菩薩様と言われ、さらに転じて子供の霊そのものと見なされます。だから、エプロンを掛けられたり、帽子を被されたりするのです。つまり、亡くなった子供の代償として、愛を与える対象にされるのです。「赤」は愛の象徴です。だから、石仏に赤いエプロンを掛けるという行為は、自分の内部にある理想的人間像(仏)をそこへ投影して、それを子供のように暖かい愛に包んで大切にしたい……そんな心が表現されているのだと思います。
 
 長々と書いてしまいましたが、これは自他一体の感情が表現されたよい例だと思ったからです。この場合、「自」とは自分の心であり、「他」とは石仏です。赤いエプロンによって、石仏を自分の愛の心で包むことで一体感が生まれるのです。
 
 それでは、また………。
 谷口 雅宣 

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