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2014年2月28日 (金)

雪の中の幸福者 (3)

 前回の本欄では、2月半ばの大雪に関連して「北杜市大泉町のわが家は、まだ分厚い積雪に囲まれている」と書いた。その状況は、あれから3日たった今でも基本的には変わらない。しかし幸いにも、その後は山梨県でも最低気温が氷点下とならない暖かい日が続いているので、雪解けは順調である。東京での経験からいっても、このまま春になることはないだろうが、今冬の寒さのピークは過ぎたといっていいのだろう。  
 
 「雪かき」というのは重労働であるには違いないが、不思議な満足感をともなう。こんな書き方をすると、日本海側の“雪国”の人々には叱られるかもしれないが、少なくとも今回の個人的体験に限れば、私はそう感じる。それはもちろん、私が多くの人々の支援を受けたからでもある。まず、大泉町の主要道路の一つである県道28号線までの約1キロの山道を、オフィスの依頼で専門業者が除雪してくれた。そうしなければ、私の業務が中断するし、食料の調達にも支障が生じるからだ。東日本大震災の時と異なり、今回は通信手段が正常に機能していたから、私の業務の相当部分はネットを通じて遂行できるかもしれないが、対面によるコミュニケーションは業務の内容が複雑になればなるほど、欠かすことはできない。だから、大型の除雪車を使ったこの除雪には感謝してもしきれない。これが科学技術の進歩のおかげであることは、言うまでもない。 
 
  これから書くことは、だから科学技術を否定するのではない。そうではなく、科学技術の進歩によって得られるものは大きいが、中には失われるものもあり、それが人間の「幸福」にとって重要な要素である場合もあるということだ。もっと簡単な表現を使えば、同じことをするのにも“ハイテク”と“ローテク”のいずれを使うかによって、幸福感に差が出るということだ。実はこの話は、すでに本欄で扱ったこともあるし、拙著『次世代への決断』の中にも書かれている。同書には、庭の芝生を刈るのに手作業でするのと、芝刈り機を使ったり、人に頼んでする場合、自然との触れ合いの度合いに大きな違いが出るということを書いた。しかし、その際、人の心に生まれる幸福感については、あまり触れなかったと思う。今回は、それを取り上げたい。 
 
  この表題で本欄を書いた第1回目で、私は個人の心の中に生まれる幸福感は、「その人が自分の置かれた状況に“プラスの変化”を感じるか、あるいは“マイナスの変化”を感じるかによって決まる」と書いた。これは一種の幸福の定義だが、このことと“ハイテク対ローテク”の違いをうまく整合させる必要がある。つまり、「ある一定の目的を達成するためにハイテクとローテクのいずれを使うことが、より幸福を感じるのか」という命題に解を見出す必要がある。私の幸福の定義を厳密に適用すると、この命題に対する答えは、「いずれでもない」ということになる。なぜなら、どんな手段や方法を使おうと、本人が状況の変化に対して積極的な評価をするか、消極的な評価をするかで、その人の幸福感は決まってしまうからだ。 
 
  一夜明けて外を見ると、わが家は雪の中に埋まり、外出もままならないという状況の変化があったとする。これに対して、「学校が休みになって雪遊びができる!」と考えた子供は、きっと幸福である。しかし、「これでは会社へ出られず、仕事ができない!」と考える大人は、きっと不幸である。ここまではいいだろう。では次に、外出のためには雪かきをしなければならないから、それをどんな手段で行うかによって幸福感に違いが出るかどうか、を考えよう。わが家に住む子供を「A君」と呼び、その父親を「B氏」と呼ぼう。ついで母親は「C夫人」としておこう。 
 
 A君--父さん、ぼく学校が休みになったから、お手伝いするよ。
 B氏--ちょっと待ってね。父さんは午後からは出られるようにしたいから、会社に連絡をとってるところだ。
 A君--会社も休みになるよ。だって電車は全部とまってるってニュースで言ってたから。
 B氏--会社は学校とは違うんだ。電車で行けなきゃバスがあるし、バスが動かなけりゃ歩いていくんだ。
 A君--へぇー。そんなに楽しいとこなの?
 B氏--楽しいわけじゃない。仕事はお金をもらうところで、学校はお金を払って勉強を教えてもらうところだ。お金をもらうためには、楽しくないこともしなくちゃいけない。
 A君--ふうーん。勉強は楽しくなくても、お金をもらえないけど……。
 B氏--そのかわり、頭がよくなるぞ。頭がよくなれば、その頭で仕事をして、お金をもらえるようになる。
 A君--そうか。会社でお金をもらえるようになるために、学校へ行くんだね。
 B氏--そういうこと。
  A君--じゃあ、人間って、子供でも大人でも楽しいことしない方がいいの?
 B氏--えっ、何言ってんだ? どうしてそうなるんだ?
 A君--だって、子供のときは勉強して、大人になれば仕事して……いつも楽しくないんでしょ?
 B氏--お金をもらったら楽しいじゃないか?
 A君--ぼくは楽しくない。雪で遊ぶ方がいい。父さんと雪ダルマつくりたい!
 B氏--……。(息子の言葉にハタと気づく)     
      わかった。会社へ行けないのなら、いっしょに雪で遊ぼう。
 A君--わぁーい、ヤッター!
 B氏--でも、その前に雪かきしないと外へ出れない。外へ出れなきゃ、雪遊びもできないからな。
 A君--うん、知っているよ。だから、お手伝いするって言ったんだ。
 B氏--そうか、そういう意味か。
 (C夫人が会話に参加する)
 C夫人--あなた、会社に連絡しなくていいの?
 B氏--あとでする。この様子だと、休みになる可能性もあるし、取引先も同じだろう。
 C夫人--じゃあ、朝ごはんにしましょう。まずエネルギーを蓄えて……。
 B氏--よし。今日は“子供の日”にしよう。
 C夫人--“家族の日”でしょう。もう一人いるのよ!
 B氏--ああ、その通り。雪の日は“家族の日”だね。  
 
 --こんな会話がどんな家庭でも行われるとは限らない。が、仮に行われたとするならば、B氏の心中には幸福感が生まれているはずである。「前代未聞の大雪」という客観状況に何の変化がなくとも、B氏は「不運な企業戦士」から「幸福な父」へと変貌する糸口を見つけたと言える。 
 
 では、朝食後に行われる家族総出の雪かきは、そのやり方によって、幸福感に違いが出るかどうかを考えてみよう。これはきっとA氏の心の持ち方如何にかかるだろう。その状況の中にどんな積極的な要素を見出すか、あるいは消極的な要素ばかりに目を引かれるかで、彼の幸不幸は決まるはずである。だが、これについては、上のような架空の物語ではなく、私の実際の体験から話した方がいいだろう。 
 
 谷口 雅宣  

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コメント

 総裁先生 合掌有難うございます。

 幸福な たのしい お話有難うございます。

 八幡様にお参りに行く途中に農産物を売っている市に寄りました。明るくて、感じの良い方二人に 普及誌を
手渡しさせていただきました。「うわッ きれいな本やね! そりゃ 読ませもらわんといかん!」と 言ってくださいました。私も うれしかったです。

   ありがとうございます。

投稿: 山本 順子 | 2014年3月 1日 (土) 10時01分

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