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2014年1月

2014年1月30日 (木)

「脱原発」の意思を明確に!

 最近、都知事選の投票について私に助言を求めるメールが届いた。私はすでに東京都民でなくなっているが、60年以上も都民であったし、今回の都知事選では初めて「脱原発」が争点の1つになっているため、関心は大いにある。本欄の読者で東京都民の方々には、私の従来の主張から考えて、どんな投票行動をお勧めするかは簡単に想像できるだろうと思っていた。が、必ずしもそうでもないようである。
 
 まずは、そのメールを転載させていただこう--
 
-------------------
合掌ありがとうございます。
都民である吾々にぜひご教示ください。
都知事選についてです。
神想観をしても答えがでません。
フェイスブックでは、本部員の家族や一部信徒の方が、
細川氏支持を訴える書き込みが目立ちますが、
口八丁の小泉氏がバックについていること、
首相職を途中で投げ出した人をまた信じてよいものか、
など甚だ疑問が残ります。
自公推薦の桝添氏には投票する気はありませんし、
かといって脱原発を同じく唱える
共産党支持の宇都宮氏に投票するのも違和感があります。
先の総選挙では、先生の明確なご指導があり、
スッキリした気持ちで投票へ行けました。
どうか再度ご指導ください。
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 この質問に答えるため以下、私がまだ都民だったら、どう考えて投票するかを書くことにする--
 
 まず、前提と考え方の筋道を明確にしよう。
 
①今回の選挙で信頼できる政治家は「いない」。
②しかし、「脱原発」は必要である。
③誰が、それを政策としているか?
④誰への投票が、自分の意思を最も効果的に政治に反映しそうか?
 ①と②が前提であり、③と④の筋道をたどれば選択肢は1つしかない、と私は思う。
 
 東京都民にとって、①の前提は驚くほどのことではないだろう。細川氏も小泉氏も、かつて政治家として引退宣言をした人たちだ。にもかかわらず、今回、ぞろぞろとカムバックを狙っている理由は、たぶん「脱原発」で集票できると判断したからだ。つまり、東京都民の大多数である「支持政党なし」の浮動票が大量に獲得できる旗印として「脱原発」が使えると考えたのだ。2人とも首相時代は原発に何も疑問をもたず、むしろ「日本経済に必要」と思っていたに違いない。原発関連企業や、経団連とのパイプも太かったか、今でも太いかもしれない。だから、彼らの「脱原発」は信用できない、と考える都民の気持はよくわかる。私自身だって「何たる朝令暮改か!」という気持がある。しかし……、彼らがもし当選したならば、「やっぱり脱原発はむずかしい」と言って公約を取り下げることができるだろうか? 私はできないと思う。これだけハッキリ宣言して、「あれはウソでした」とは言えまい。すると、自公推薦の桝添氏が当選した場合と比べ、「脱原発」への可能性は拡大するのか、縮小するのか? 私は、前者だと思う--こう考えていくと、④の答えは、①の前提があったとしても、おのずから2人に絞られてくる。
 
 では、最後に残るのは、宇都宮氏と細川氏との間の選択だ。これはなかなか難しい。私は、人間的には前者の方に信頼感を抱いている。しかし、ご存じのように、彼を応援する政党の中には日本共産党が含まれている。「お前、共産党に協力するのか?」という声が聞こえてくるようだ。これは、④の要素への大きなマイナス要因である。つまり、日本共産党や社民党が(また、両党が掲げている政策が)都政において有利になることが、自分の意思を効果的に反映することになるのかどうか、を考えた場合である。ということで、「細川+小泉組」に軍配が上がりそうだ。
 
 だが、ここで1つ別の観点を紹介しよう。それは、「細川+小泉組」は、本当は「自民・公明・経団連連合」の別働隊かもしれない……という視点である。エエッ! と驚かれるかもしれないが、前者はもともと後者と一体だったという事実を忘れてはいけない。東日本大震災以後、東京都では「脱原発」の市民運動が勃興し、それがまだ続いている。加えて世論調査では、「脱原発」の支持者が「原発擁護」の支持者の2倍を維持する状態がずっと続いている。この事実に“連合軍”が危機感を抱かなかったといえばウソになるだろう。そこに突然の「猪瀬辞任」である。これは「オリンピック誘致成功!」で湧いていた“連合軍”には、予想外の展開だったに違いない。「五輪成功のため!」という“錦の御旗”の威力をもってすれば、東京都民の中に多い脱原発派は、そのうちに「五輪のためなら仕方ない」という妥協派に変わっていくと考えていたのに、その“五輪の旗手”が突然消えた。後任候補などまったく考えていなかったところへ、宇都宮氏が早々と名乗りを上げて「脱原発」と「五輪縮小」を訴え始めた。この2つのスローガンは、“連合軍”にとっては最悪のものだ。そこで、考えあぐねた結果、先輩である小泉氏と細川氏に頭を下げて、“別働隊”の旗揚げをお願いした--こういう視点である。
 
 これはあくまでも「視点」であり「観点」である。私は、これが事実であるとは言わないし、事実など分からない。しかし、まったくあり得ないことではないと思う。何のための“別働隊”であるかは、賢明な読者には説明の必要などないだろう。が、あえて説明すれば、それは「脱原発」の世論を分断するためだ。票が割れて、“連合軍”が漁夫の利を得る。政治の世界にあっては、権謀術数は当たり前だ。
 
 しかし、である。仮に上に掲げた“別の観点”が事実であったとして、そして、“連合軍”の勝利に終わったとしても、細川氏と宇都宮氏が獲得した都民の票は、脱原発の支持票だという事実は明確に記録されることになる。この両候補の獲得数の合計が桝添票を上回る結果になれば、桝添氏が仮に都知事になったとしても、新知事は「脱原発」の都民の声を無視して突っ走るのは難しいと思う。なぜなら、彼としても次期選挙を考えるだろうから。
 
 というわけで、「脱原発」を訴えている私としては、今回の東京都知事選では、この旗印を明確にしている候補者に投票することをお願いするほかはない。
 
 谷口 雅宣

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2014年1月27日 (月)

森の祭壇 (2)

 「森の祭壇」を作り、その前で『大自然讃歌』を読誦するとは、何を意味するのだろう。先に書いたように、「森の祭壇」は、大自然を創造された宇宙の本源神と私たちとの“接点”である。私たち人間の心は、五官の感覚器官から伝わる情報--特に、視覚からの情報に大きく左右される。このことは、脳の構造を見ても、視覚からの情報処理に脳の主要部分が使われていることからも分かる。しかし、大自然は、その全容や全相を個人の視覚によってとらえることはできない。対象が大きすぎて、全容や全相がとらえられないものは、ほかにも数多くある。例えば、山や川や森や地球、街、駅、地域、国などだ。そんな場合、人間はそれらをどうやって視覚化するだろうか? そんな時、ミニチュア化や象徴化が行われるのだ。
 
 富士山が世界文化遺産に登録されたが、この偉大な山は、古来多くの画家によって描かれてきた。しかし、それらの無数の富士山の絵のどれ一つをとっても、富士山の全容や全貌が描かれているのではない。ミニチュア化され、象徴化された「一面」がそこにあるのだ。言い直すと、どれも富士山の特徴をつかんで、その一面を視覚化することで、全体を示そうとしているのだ。特徴的な部分を描くことで、全体を示すのである。これと同様の方法で、人間はそこに棲む魚によって川を示し、そこにある特徴的な木によって森を示し、地球儀によって地球を示し、街に特徴的な樹木によって街を示し、その特徴的な塔や時計台によって駅を示し、その特産物によって地域を示し、国旗によって国を示してきた。最近では、コンピューターの使用が一般人の生活に深く関わってきたため、コンピューターにできる数多くの機能のそれぞれを、小さな図案として視覚化して、それぞれのマーク(図案)を指示することでプログラムを起動し、機能を発揮させる方法が多用されている。これが「アイコン」と呼ばれるものだ。
 神道では、樹齢数百年もたつ巨木や、巨大な岩石、大きな滝、そして山などの自然物を「ご神体」として礼拝することが珍しくない。私はこれらのご神体は、大自然の「アイコン」のようなものだと理解している。つまり、それらのご神体そのものが「礼拝の対象」なのではなく、それらの背後にある目に見えない偉大な力を、人間が視覚的にとらえるためのミニチュア化された象徴だと考える。巨木や巨岩を「ミニチュア」と呼ぶのは奇妙に聞こえるかもしれないが、大自然そのものと比べれば1本の木や1個の岩、あるいは滝や山も「ミニチュア」のように小さいからだ。だから、大自然に意識の焦点を合わせ、その創造主である宇宙本源の神を想う際に、巨木や巨岩、滝や山を“ご神体”として拝むことに、私は反対しない。しかし、先に書いたように、人間は視覚情報に支配されやすいので、巨木や巨岩、巨大な瀑布や崇高な山を目の前にすると圧倒され、それらが「ミニチュア化された象徴」であることを忘れ、それら特定の巨木、特定の巨岩、特定の滝、特定の山を礼拝の対象とする傾向が生じる。私が前回の本欄で、「その存在感によって、大自然やその創造主の全相がかえって制限されてしまう。つまり、人間の側が、その外観に縛られて神の全相を観じにくくなる」と書いたのは、そういう意味である。
 
 そこで、できるだけ素朴な素材を使って小さな祠を作り、その前で大自然を観じるという方法を考えたのである。「小さなものの前で大きなものは観じられない」と、読者は思うだろうか? 私はそう思わない。人間の想像力は偉大であり、部分を通して全体を感じることができ、日常的にそれを行っているという例を、すでに書いた。ただ、それが無意識に行われていたり、条件反射的に、理性による反省を経ずに行われている場合が多いため、問題が生じることもある。しかし、森の中の一画に簡単な祠を建て、その前で手を合わせる時、私たちが感じるのは周囲の森の空気であり、木々の間を抜ける風の音であり、鳥たちの囀る声、虫の羽音、花や木の香り……などだ。当初、それらが周囲にバラバラに分散して感じられていても、いったん祠に注目し、意識を集中すれば、それを自分の周囲に拡がる大自然のミニチュア化された象徴であると観じることができると思う。
 
 こうして『大自然讃歌』を開き、その詩文を朗読すれば、そこに書かれた自然の様々な様相や変化が、一段とリアリティーをもって心の中に感じられるのではないだろうか。目的は「自然即我」「我即自然」の実感を深めることだ。詩文は文語体で書かれているが、そこに使われている表現は比較的直裁であるから、難解なところはあまりないと思う。が、その意味を十分知りたい読者のために少し解説をしよう。
 
 谷口 雅宣
 

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2014年1月24日 (金)

森の祭壇

 前回の本欄では、“森の中のオフィス”へ移転した国際本部の役職員が集まり、敷地内の森で『大自然讃歌』を読誦したことに触れた。この行事は移転後に新たに始められた行事の一つなので、ここで趣旨などを少し説明しよう。この行事の開催は昨年11月の常任参議会で決まった。目的は「豊かな自然に恵まれたオフィスの屋外において風や水の音、寒暖、木々の彩り、鳥や虫の鳴き声などに直接触れながら、“神・自然・人間の大調和”を祈る」ためだ。オフィス内の「世界平和誓願の間」では、すでに業務開始以来、本部講師または本部講師補が毎日交代で讃歌読誦をしていたが、この祈りを役職員全体に広げ、かつ自然との直接的な触れ合いの中で“自然即我”“我即自然”の自覚を深めようとするものだ。こちらは毎月1回なので、今回は2回目ということになる。
 
 森の中での讃歌読誦には、いくつか工夫が必要だった。まず、森の中に儀式をする場所を特別に設けるべきかどうか、という問題がある。屋外での儀式の場所としては、敷地北側にすでに「万教包容の広場」が設けられているからだ。加えていわゆる「お社」や「祠」を作る場合、その周囲の木々を切り倒すことが考えられるが、それでは「自然の森」というイメージが損なわれる。また、「お社」が必要ならば、メディアセンターの敷地内には、東京・赤坂から移設した末一稲荷神社がすでに存在している。しかし、万教包容の広場も末一稲荷神社も、そこで行われる儀式の目的は特化されていて、そのいずれも自然と人間の一体感を深めるためではない。ということで、できるだけ「自然」の雰囲気を壊さず、それでいて、ある程度の数の人間が集まって儀式をする際に、心の焦点を合わせられる対象を設けることを考えた。
 
 通常、宗教儀式にはその中心となるべき場所あるいは対象が必要である。山や森などの日本の自然の中では、それは小さな石製や木製の祠(ほこら)であったり、注連縄を張った大木や大岩であったりする。仏教では、いわゆる“石の地蔵さん”や観音像、石碑などがその役割をする。しかし、そういう心の焦点を合わせる対象を大規模にすることは、すでに書いたように「自然」のイメージから遠ざかり、ひいては“自然破壊”に通じる可能性もある。だから、できるだけ小規模で目立たない木の祠を採用することにした。
 
 では、この小さな祠をどのように設けるか--別の言葉でいえば、「祭壇」をどうすべきかが次に問題になる。日本古来の神道では「神棚」、仏教では「仏壇」、キリスト教では聖卓(holy table)に該当するものを、祠の前に設けるか設けないか。また神道では「神体」や「依代」とされるもの、あるいは宗教的シンボル--仏教での「仏像」や「仏画」、キリスト教での「十字架」--に該当するものはどうするのか、という問題もある。
 
 これらについては、方向性は比較的簡単に決まった。「木製の祠」を設けるのであれば、それは日本の伝統的形式であるから、その他の要素も同じ伝統に従うという方向である。もちろん、“森の中のオフィス”は私たちの世界的運動の「国際本部」である。しかし、それは日本の国土内に位置し、そこで働くほとんどの役職員は日本人であるから、これは最も無理のない選択である。しかし、このことは「日本の形式は世界の宗教と異質である」という意味ではなく、また「海外で同じことをする場合にも、日本方式でやるべし」という意味でもないことをここで強調しておこう。この辺りの事情については、すでに発表されている「生長の家の儀式についての基本的考え方」の中で詳しく説明されている通りである。
 
Forestalter_01  このような考えにもとづいた結果、設けられた場所が写真である。“森の中のオフィス”の敷地内で『大自然讃歌』の読誦をする際の祭壇だから、人工のものをできるだけ排除し、人間が造作したものは「祠」だけとした。それ以外の石や岩は、その場所にもともとあったものを基礎とし、周囲の石や岩を移動させて壇状に並べただけである。この場所の周辺には、普段は水がないが、大雨が降ると小川が現れる。だから、川底にあたる部分には大小様々な石が転がっていて、それらは角がとれていたり尖っていたりする。それを整理して脇へのければ、比較的平らな“川原”となる。そこならば、ある程度の数の人間が立って儀式をすることができるのである。祭壇の位置は、川原より一段高くなっているから、大雨で出現する川に入ることはまずないだろう。
 祠の中には神札が収められている。生長の家で信仰するのは唯一絶対神であるから、そこには「天之御中主神」の神名を書かせていただいた。神札には通常はお札を授与する神社や神宮の名前を書くが、宇宙の本源神の“お宮”は大自然そのものであり、特定の人造の社に納めるには無理があり、また長崎の龍宮住吉本宮や宇治の宝蔵神社とも性格が異なることから、お宮の名前ではなく、神名を直接書かせていただいた。その意味は、この小さな祠の中に宇宙本源神が収まっているというのではなく、この祠を一種の“接点”として、人間が大自然との交流を図る契機にするためだ。接点は「点」であるから、小さくていい。点ではなくて面であったり、立体であったりすると、その存在感によって、大自然やその創造主の全相がかえって制限されてしまう。つまり、人間の側が、その外観に縛られて神の全相を観じにくくなる。そのリスクを考えた。
 谷口 雅宣

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2014年1月20日 (月)

氷点下の森

 今日は二十四節気のうちの大寒である--などと書くと、妻のブログのマネになってしまうが、それでもそう書きたいほど寒い季節になってきた。東京から大泉に越してきて初めての冬であるから、ある程度の覚悟はしていたものの、予想外のことがいろいろ起こるので、そのつどいろいろな発見がある。今日付の『山梨日日新聞』も「厳冬」という言葉を使っているから、たぶん今年は例年以上に寒い冬なのだろう。その記事によると、「山梨県内は昨年末から厳しい寒さが続き、農作物の生育が遅れたり、出荷量が減少したりするなどの影響が出ている」という。この記事では、影響が出ている農産物としてイチゴ、トマト、キャベツ、ハクサイ、キュウリ、ジャガイモ、タマネギなどを挙げている。ただ、この中のトマトの場合は、寒さだけが原因ではなく、燃料費の高騰も大きく影響しているという。これは、昨今の円安によるものだ。
 
Digthesnow  私のフェイスブックのページを見ている人はすでにご存じだが、昨年12月の後半からわが家の周囲は雪で埋まっている。12月18日から数日間に雪が降り、一気に30センチぐらい積もったのである。それ以降、地面の雪が大方溶けそうになった頃を見はからったように、次の雪が降るという状況が続いている。このため私は自転車通勤ができず、やむを得ず妻の車でオフィスまで送ってもらっている。それはそれで予測されていたことで、これによって“炭素ゼロ”の生活が失われるわけではない。というのは、妻の車はPHEV(プラグインハイブリッド)方式だから、晴天時にはほとんどの場合、家の屋根に載せたソーラー・パネルが作る電気だけで走ることができるからだ。また、オフィスにも最近、同じ方式の車が入ったので、私の帰宅や、生長の家講習会などのためにJRの駅まで行く際も、“炭素ゼロ”の原則を守ることができるようになった。
 
 予測していなかったのは、雪道のこわさだ。降った雪がまだ柔らかいうちは、スノータイヤをはいた4輪駆動のPHEV車で、何の問題もなかった。ところが、雪道の上を車が何回も通り、積もった雪を硬く押しかため、それが昼間の太陽の放射熱で一部溶け、溶けた水が夜の寒気で再び凍ってしまうと、道路はスケートリンクのようになる。その氷道の上に新雪が降ると、これはもう危険である。スノータイヤでもスリップするからだ。わが家の手伝いに来てくれる職員の1人は、このスケートリンク状の山道で車ごと転倒してしまった。山道に強いと定評のあるスズキ・ジムニーで、それが起こった。妻の車は、その同じ場所を何度も無事に通過してきたから、たぶん車の重量や操作法の問題も関係していたのだろう。が、ついに、その雪に強い車でさえ音を上げる時が来た。
 
 1月19日は、地元の甲府市で生長の家講習会がある日だった。前日の夜に私がオフィスから帰宅する際、私が乗ったPHEV車は、家の前の上り坂をスリップしながらもなんとか走り、私を無事に家まで送り届けてくれた。ところが、その夜のうちに、雪が1~2センチ降った。すると、次の日の朝に私たちを乗せるはずのPHEV車が、予定の時間になっても玄関前に姿を見せないのである。私たちは、ハッと気がついて家の前の上り坂を見ると、その車は坂を上れずに、車輪を空回りさせている。いったん後退して、勢いをつけて上っても、やはり同じ結果である。講習会に遅れることはできないから、私たちは荷物を手に持って、車まで歩くことにした。と、車から私の秘書が出て来て、私たちの方へ来るかと思ったとたんに、転倒した。私は革靴をはいていたから、これは危ないと思い、細心の注意を払って車のそばまで行ったが、ガチガチに凍った坂道は容赦しなかった。私も足を滑らせてそこへ這いつくばった。私を助けようとして車から出てき運転手も、同じように滑って転んだ。
 
 3人の男がそろって転倒する様子を見た妻は、まっとうな方法ではだめだと考え、道路を下るのをやめ、道路脇にある、雪がまだ踏み固められていない植え込みの中に足を踏み入れて、坂道を下りだした。一歩一歩慎重に、時々は小さな灌木の枝につかまるようにして、バランスを保ちながらゆっくり下りてきた。私はその様子を、車の中からハラハラしながら見ていたのである。結局、彼女だけが転倒せずに車に乗ることができた。この10~20メートルの氷の坂道の恐ろしさを、私たちはまったく予期していなかった。
 
 そんな経験をした翌日の今日、朝早くから秘書室の人が3名そろって、“雪かき”ならIcebreaking_2 ぬ“氷砕き”の作業に来てくれた。実にありがたかった。坂道の氷は、分厚いところは5センチ以上もあって、スコップやシャベルでは砕けない。だから、ツルハシやバールで力一杯砕くほかはない。砕いた氷を坂の下に運ぶのも、慎重にしないと足をさらわれる。そういう困難な作業を1時間以上もかけてやってくれた人々に、私たちは感謝の徴として熱い葛湯を提供したのだった。
 
 大寒の朝、私はこうしてオフィスに無事行くことができた。ちょうどこの日は午後1時から、役職員がオフィスの北側の敷地に集まって『大自然讃歌』を読誦する日になっていた。その場所も雪が積もっていたから、担当の講師教育部が事前に整地をしてくれていた。この讃歌読誦の行事は昨年12月から毎月1回の予定で始まったものSongreading で、今日で2回目である。『大自然讃歌』が説く内容から考えて、これを読誦するには室内でするより戸外の森の中が良かろうということで始まったが、厳冬の間はどうなるか少し不安だった。が、担当部門の決定で、予定通り戸外で行われた。私は、ジャケットの下にセーターを着込み、さらに裏地付きのコートにマフラーを付けて参加した。幸いの好天で日差しもあったから、それほど寒いとは感じなかった。が、読誦の際に手袋ははめられないから、寒風に晒された手がかじかむのは仕方ない。そんな氷点下の森での讃歌読誦だったが、実にさわやかな気分を味わうことができた。
 
 谷口 雅宣

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2014年1月12日 (日)

タカミムスビとカミムスビ (2)

 
 このような見方を採用するならば、タカミムスビの神は「天岩戸開き」以外にも、日本神話の重要な局面に於いて、身を隠しながら影響力を行使していることが分かるのである。先に触れた「天孫降臨」の物語に関して、さらに詳しく、今度は『日本書紀』も含めて見てみよう。
 『日本書紀』によると、タカミムスビの神はニニギノミコトを寵愛して育て、葦原中国(アシハラナカツクニ)の君主にしようと願った(神代下、第9段、天孫降臨条、本文)。また、同書は神武天皇即位前紀、神武東征条の冒頭でも、タカミムスビとアマテラスの両神が豊葦原瑞穂国をニニギノミコトに授けられたと記述している。『古事記』では7箇所にタカミムスビがアマテラスと共に命令を下す存在--つまり、身を隠して影響力を行使する存在--として描かれている。その中で「国家神」として最も重要な役割を描いているのが上巻の天孫降臨条の次の箇所である--
「天照大御神・高木神の命もちて、太子正勝(ひつぎのみこまさかつ)吾勝勝速日(あかつかちはやひ)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に詔(のたま)ひしく、“今、葦原中国を平らげをはりぬと白す。故(かれ)、言依(ことよ)さしたまひし随(まにま)に、降りまして知らしめせ”とのたまひき。」
 ここにある「高木神」とは、タカミムスビの神の別名である。これらのことなどから考えて、民族学者の岡正雄氏は昭和29年10月、昭和天皇への進講の際、「皇室の本来の神話的主神はタカミムスビノカミで、アマテラスオオミカミではないと思う」ことなどを述べたという。この説を支える記述としては、『日本書紀』の顕宗天皇三年条に、月神と日神がともにタカミムスビを「我が祖(みおや)タカミムスビ」と呼んだという段もある。日本古代史研究家の溝口睦子氏は、岡氏の説に賛同して「7世紀末以降アマテラスは天皇家の先祖神であり、神界の最高神だった。しかしそれ以前はそうでなかった」とし、タカミムスビがもともとの皇祖神で、「この神こそ、ヤマト王権時代の皇祖神=国家神であった」(p.177)と結論している。
 
 タカミムスビの神の神話における重要性については、これで明らかだろう。が、もう一方のムスビの神、カミムスビはどのような役割を果たすのだろう。これについては、日本の古代文学研究者、神野志(こうのし)隆光氏の次の文章がまとまっていて分かりやすい--
 
「カムムスヒの名をあらわすのは、スサノヲが殺したオホゲツヒメの体になった五穀を取らしめて種とし、オホアナムチが殺されたときには母神の請いをいれてキサカヒヒメ・ウムカヒヒメを遣わすくだりであり、また、オホクニヌシと協力して国作りするスクナビコナはこの神の子であり、カムムスヒはそれを確認しつつ協力して国作りすることを命じる。さらに、国譲りにおける鑽火の詞のなかにもあらわれる。」(『古事記とはなにか--天皇の世界の物語』、p.95)
 神野志氏の神名の表記法は本欄のものと若干異なるが、「カムムスヒ」とはカミムスビのことである。カミムスビの神の働きは、ここに書かれているように、他の神に「取らしめ」たり、「遣わし」たり、「命じ」たり、祝詞の中に「あらわれ」たりして、影響力を行使するのみであり、同神自身が何かを実行することはない。前掲のビリヤードの喩えを使えば、他の玉を動かすことで得点するのである。この点で、タカミムスビと同様に「身を隠す」存在であると言えるだろう。
 では、身を隠して物事を背後から成就させる働きが共通しているとしても、タカミムスビとカミムスビの間には相違点はないのだろうか? 私はあると思う。その違いは影響力の行使の仕方である。先に述べたように、タカミムスビは、天の岩戸開きの方法を自ら公案したオモイカネの神の父神である。子神の背後にあって、能動的、積極的に動いたと読み取れる。また、葦原中国の平定の相談をするために、八百万の神々を天安河(あめのやすのかわ)の河原に集合させ、オモイカネに知恵を出させる時も、能動的、積極的である。そして、天孫降臨の際は、天照大御神とともに自ら命令を発することは先に引用した通りである。
 
 これに対し、カミムスビの神の影響力の行使の仕方は、受動的である。スサノオによってオオゲツヒメが殺された際は、その死体から生まれた穀物や豆をムダにしないように、それらの種を採取させた。オオアナムヂの神が焼けた大石を抱いて死ぬんだ際には、二人の女神を天から遣わして生き返らせた。さらに、オオクニヌシの国作りの際は、御子のスクナビコナの神を遣わして助けたが、その役割はあくまでもアシスタント(従属的)であった。このように見てくると、同じムスビの働きであっても、その現れ方は能動的と受動的の二つがあると言えるだろう。
 
 能動的な働きは、言わば「自ら前に出る」ことでムスビを促進する仕方である。天の岩戸開きは、元来共にあった太陽神とその他の神々が分離して、光と闇に分かれてしまった世界を、再び結び合わせる一大事業である。葦原中国の平定は、天の秩序を地にもたらそうとすることだから、天と地との合一である。それを行うことを命じた神がタカミムスビである。きわめて能動的だと言える。これに対してカミムスビは、他の者が“前に出た”ために後ろに残ることになった者や力を支え、それを援助して育むことで、残されたものの再生や再起を促し、再び機会を得た際には飛躍を準備した。これは言わば、「受動的なムスビ」の働きである。
 
 このように考えれば、タカミムスビとカミムスビが、それぞれ「陽と陰のムスビの働き」を表していることが分かるのである。
 
【参考文献】
○大和岩雄著『新版 古事記成立考』(大和書房、2009年)
○幸田成友校訂『古事記』(岩波文庫、1943年)
○神野志隆光著『古事記とはなにか--天皇の世界の物語』(講談社学術文庫、2013年)
○溝口睦子著『アマテラスの誕生--古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年)
○千田稔著『古事記の宇宙(コスモス--神と自然)』(中公新書、2013年)

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2014年1月 6日 (月)

タカミムスビとカミムスビ

 私は昨年11月の本欄で、タカミムスビとカミムスビの神について「陰陽二柱のムスビの神」とか「陰陽一対のムスビの神」などの表現を使ったが、これは誤解を招いたかもしれない。どんな誤解かというと、これらの神が『古事記』や『日本書紀』の中では協働して何かをする様子が描かれている、という誤解である。それはちょうど、イザナギとイザナミの両神が協働して国土を生み出していくように、である。ところが事実はそうではなく、両神が協力して何かをなしとげる場面は、両書には出てこない。それどころか、『古事記』はその冒頭で、アメノミナカヌシに続いて両神の名を挙げた後、「此の三柱の神は並(とも)に独神と成り坐(ま)して身を隠しき」と書いている。つまり、両神は〝独身〟の神で姿形が見えないのだと考えれば、両者が協力して何かを実現することはあり得ないという解釈も成り立つのである。これに対して、イザナギ、イザナミの両神は「独神」とは呼ばれず、また「身を隠しき」とも言われない。そして、両神が密接に協力して国生みをしたという話は、あまりにも有名である。
 
 では、タカミムスビとカミムスビの両神は、どんな意味で「陽と陰のムスビの働き」だと言えるのか? それを知ることが今回の考察の目的である。
 歴史地理学者の千田稔氏は、タカミムスビとカミムスビの二神が『古事記』の中でどう描かれているかを、著書の中で分かりやすく解説している。その中に両神が「身を隠したまいき」と書かれている意味が、次のように示唆されていて、その解釈が興味深い--
 
「 最初にタカミムスヒの神という名が出るのはアマテラスの大御神が天の石屋戸に隠れたという場面である。世の中はまっくらになり、八百万の神は天の安の河原に集まり、そこでタカミムスヒの神の子であるオモイカネ(思金)」の神にアマテラスの大御神を誘い出す思案をさせている。この情景には、たしかにタカミムスヒの神は姿をあらわしていない。御子神のオモイカネの神に状況を打開する仕事をゆだねているか、もしくは指図している。そのようにみれば、タカミムスヒの神はオモイカネの神の背後にあって身を隠しているといってよいのかもしれない。」(千田稔著『古事記の宇宙(コスモス)--神と自然』、p. 57)
 ここで取り上げられている「天岩戸開き」の物語はあまりに有名なので、詳しくは説明しない。が、次の3点は、タカミムスビの神の働きの特徴と関係が深いので、改めて指摘しておこう--
 
 ①天岩戸開きは、同神が『古事記』に登場してから初めて、同神について言及される出来事である。しかし、同神はそれに直接関与していない。
 ②この出来事は、オモイカネの神なくしては成功しなかった。
 ③そのオモイカネの神は、タカミムスビの神の子であるから、後者は前者を通してこの出来事を成就したと解釈できる。つまり、タカミムスビは天岩戸開きの“影の立役者”とも考えられるのである。
 日本の神話では、特に『古事記』の記述では、上の③のような形式で神と神との関係を描くことが珍しくない。つまり、特定の神Aの働きを描くのに、その神が別の特定の神Bに対して影響力を行使したとして(間接的に)描くのである。例えば、イザナギとイザナミの両神によって国土が創造されるに際しては、この両神のいずれかの発意によって、もしくは両神が合意してそれが行われたとは書かずに、「天つ神一同の命によって」それが行われ、そのための手段である「天の沼矛」も、天から両神に与えられたものとして描かれている。イザナギ、イザナミの両神は、まるで自らの意思をもたないかのようである。(『日本書紀』とは異なる)
 また、「天孫降臨」の物語では、ニニギノミコトは自らの意思で地上に降りてくるのではなく、やはり天つ神の共同の意思によって地上に「遣わされる」のである。この形式を喩えて言うならば、ビリヤードでは、テーブル上のいくつもの玉はそれぞれ複雑に独立した動きを見せているようであっても、その動きの原因は最初の一突きをした人間にあるのであって、それぞれの玉にあるのではないのと似ている。玉突きのプレイヤーは、複雑な動きを見せる様々の玉の背後に、言わば「身を隠している」のである。
 谷口 雅宣

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2014年1月 1日 (水)

新年のご挨拶

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