2013年11月
2013年11月29日 (金)
2013年11月22日 (金)
ムスビの働きで新価値を創造しよう
2013年11月21日 (木)
自然界のムスビの働き (2)
2013年11月19日 (火)
自然界のムスビの働き

2013年11月17日 (日)
食事と祈り (2)
前回、本テーマで書いたことは、「食べる」ということが古来、洋の東西を問わず、宗教と密接な関係にあったということだった。聖書の記述以外にも、このことを証明する興味ある事実をもう一つ掲げよう。それは、私たちが毎日使っている「漢字」が教える事実である。
漢字は、よく知られているように、中国で生まれた象形文字である。象形文字の原形は絵文字で、ものの形をまねた記号を複数の人間が共有することで、相互の情報の記録と伝達を行ったのが始まりだ。人類が最初に文字を使ったとされているのは、紀元前6000~1000年にかけての古代メソポタミアだ。その南部地域に住んでいたシュメール人の粘土板である「ウルク書板」には、当地の神殿を中心とした宗教共同体には、パン屋が18人、ビール職人が31人、鍛冶屋1人、奴隷7人がいたことが、楔形文字(せっけいもじ)で書き込まれていた。楔形文字とは象形文字の一種で、葦の茎を三角や釘の形に切り落とし、その切り口を粘土板に押しつけて書いたものだ。初期の楔形文字は、物の形を単純化した絵文字に似たものだったが、やがて物の形に対応することをやめ、記号としての汎用性をもつことになり、概念や観念も表すようになった。
漢字の起源はよく分かっていないが、紀元前1500年ぐらいの甲骨文字まで遡ることができる。これは亀甲や獣骨に刻まれた絵画的な文字だが、その形態は物の形そのものから離れてかなり慣習化された線条文字であることから、この時代よりかなり前から使われていたことが推定される。古代シュメールの楔形文字との関連を指摘する説もある。
というわけで、象形文字の歴史を概観したが、それを前提に私たちが今使っている漢字の中で、祭祀に関わるものを思い出してみると、食事との関係が明らかになる。もっと具体的に言えば、「示偏(しめすへん)」のついた漢字のことだ。「神」「祀」「祠」「祖」「社」に加えて、「示」を文字の下部に置いた「祭」などを考えてみると、いずれも宗教と関係していることが分かる。そもそも宗教の「宗」の中にも「示」の字が入っている。では、「示」の原意は何であったかを調べてみる。すると、「象形、神を祭る台の形。転じて、神の意。また、牲(いけにえ)を供えておくところから、しめすの意」(三省堂『新明解漢和辞典』第2版、1981年)とある。つまり、神に供物を献げる台の形から「示」が生まれ、さらにこの字の意味が転じて「神」を意味することになった、というのである。そして、「示」で表される台の上には食材が置かれ、宗教行事の後には人々がそれを食べた。だから、古代中国においては、食事は宗教の儀式と一体のものだったことが、漢字の成り立ちを見ればよく分かるのである。
宗教の「宗」の字の原意については、私は2010年3月30日のブログ「小閑雑感」の中で白川静氏の『字統』による説明を紹介しているから、興味のある読者はそちらを参照してほしい。
谷口 雅宣
2013年11月14日 (木)
自動化は好いことか? (3)
数日前から日本列島が急に冷え込んだおかげで、朝の仕事が増えた。それは、薪小屋からの薪運びと薪割りである。わが家の薪ストーブが大活躍しているため、それに“食糧”を与えねばならないからだ。面倒くさい仕事であるはずなのに、それを嬉々としてやっている自分を発見して、もう一人の自分が少し驚いている。1年前、東京ではどうやって寒さをしのいでいたかを思い出すと、予想外の違いだ--
[東京の頃]
①朝、寝室で目が醒めると暖房機が回っていて、あまり寒くない。
②着替えをすませて、居間へ降りていくと、ここでも暖房機が回っている。
③適当に暖まれば、暖房機のスイッチを切る。
[大泉町の場合]
①朝、寝室で目が醒めると寒い。
②着替えをすませて居間へいき、薪ストーブに薪を追加する。
③夜中に燃えた分の薪を補充するため、薪小屋へ行く。
④薪を5~6本、丈夫な布袋に入れて家の南側デッキに運び、乾燥のために並べる。
⑤その作業を3袋分する。
⑥4袋目の薪は、斧で細かく割る。
--これが朝行うようになった新しい仕事だが、薪ストーブの準備はこれで終わらない。家に新しく運んできた薪を、適当な時刻にストーブの回りに並べて乾燥させることが必要だ。これを怠ると、湿気の残る薪をストーブに入れることになり、火が途中で消えてしまうことがある。また、当然のことながら、ストーブ内の薪の燃焼が進むにつれて薪をくべる作業もある。
室内を適当な暖かさに保つという目的だけを考えれば、今の大泉での作業に比べ、東京時代の作業はほとんど「ゼロ」に等しい。手もとの暖房機のコントローラのスイッチを押すか押さないかだけだからだ。暖房機は、内蔵のマイコンとセンサーにより、時間や温度によって運転のオンとオフまで自動的にするものもある。このように、東京時代の私にとって、「暖房」とは指先でチョンと行うものだったから、ほとんど抽象的で、印象に残らない作業だった。こんな簡単な操作で、寒い冬を寒くなく過ごせるのだから、東京時代の私は暖房機に何度も繰り返して感謝の言葉の述べるべきなのだが、そんなことをしたかどうかと振り返ってみると、どうも記憶がないのである。それどころか、当時の私は暖房機が存在していることさえも、あまり意識していなかった恐れがある。
ところが、大泉町の森の中では、私は毎日上に書いたような作業をしながら、赤や黄色の魅惑的な炎を揺らしているストーブを常に意識し、その暖かさに心の中で感謝することしきりなのである。また、薪のズッシリとした重さや、その表面の荒々しさ、斧の重さ、薪をスパッと割った時の快感、割れる音の響き、木の匂い、変化に富んだ燃焼室の色、煙突から上がる煙……などを五官で感じ、それらを常にはっきり意識している。そして、「暖をとる」ということは、これらすべての注意と作業の結果として得られる“ご褒美”だ、と感じているのである。だから、ストーブがありがたいことはもちろん、薪も、斧も、煙も、炎も……すべてありがたい存在だと感じる。この違いが起こる理由は、いったい何なのだろう?
私はかつて『次世代への決断』(2012年)を上梓させていただいた時、同書の第4章に「“めんどくさい”が世界を救う」という文章を書いた。そこでは、クリの木から薪を作ることと、草刈りをする作業を例にとって、手作業による場合と、機械を使った場合との違いについて細かく検討したのだった。そして、機械化された方法は効率面では文句なく優れているが、その代わり、①自然との触れ合いが減少するだけでなく、②エネルギー消費量は増え、③作業をする人間のものの見方が排他的になる傾向があることを示した。今回の都会と森の中での暖房機の比較についても、同様のことが言えると思う。つまり、薪ストーブの生活は、電気による暖房の生活に比べて、①自然により近づき、②エネルギー使用量、CO2の排出量ともにゼロに近く、③人間関係もより緊密になると思われる。
「自然に近づく」という意味は、私が先に書いた薪ストーブの準備作業を考えていただけば、容易に想像がつくだろう。霜柱が立つ寒い朝に、薪を取りに家の外へ出ていけば当然、自然の厳しさに触れる。毛穴は引き締まり、呼吸は深くなる。薪を下ろし、袋に入れて運び、家の中に配置する作業は、力仕事である。全身の筋肉を使い、体の内側から自然の力が喚びさまされる。筋肉や循環器系だけを使うのではなく、どの形のどの薪を何本袋に入れ、どこに運ぶかを考えるから、脳を使うことにもなる。自分の“外側の自然”と“内側の自然”とが、この作業を介して融合するのだ。運んだ薪を火にくべれば、優しい炎が、めらめらとストーブの闇の中から姿を現し、さまざまな色と形に変化するのが見える。この炎のダンスは、「ゴー」とか、「パチパチ」とか、「バリバリ」という音を伴う。大げさに聞こえるかもしれないが、私はこの光景を見つめ、静かに音を聞くとき、劇場で舞う踊り子の背後で、オペラのアリアを聴くように感じることもある。つまり、薪ストーブの炎は、私たちの美的感覚を刺激して、安らぎを与えてくれるのである。
暖房を極限まで自動化した都会の生活と、原始的ともいえる森の薪ストーブの生活とは、どちらが「豊か」と言えるだろうか? 私はもちろん後者に軍配を上げるのだが、それに納得しない読者もいるだろう。反論の第一は、恐らくこうだ--薪ストーブの準備のために使う時間を、都会ではもっと別のことに使うことができるから、どちらが「豊か」かは即断できない。「豊か」さを「自由時間が多くある」という意味にとらえれば、むしろ都会生活の方が豊かではないか?
読者はどうお考えか?
谷口 雅宣
2013年11月12日 (火)
食事と祈り
「神・自然・人間の大調和」を実現することを目指して進んでいる生長の家の運動は、今年10月からの国際本部の北杜市移転をへて、新たな段階を迎えている。
国際本部となった北杜市の“森の中のオフィス”には、東京・原宿の旧本部会館から“神像”を移設して「万教帰一」を象徴するキリスト教的な表象とし、その背後に新たに七重塔を建て、これを同じ万教帰一の教えの仏教的な象徴として位置づけることで、私たちは宗教を通して東西文化の共存共栄を目指すことを明らかにした。これらの2つの施設は、善一元の神への信仰にもとづいて世界平和を実現しようとする「国際平和信仰運動」の精神を、より具体的に表現したものである。
これらの2つによって、「神と人間」の和解と調和を進めるための方向性は定まったと言えるが、「神と自然」「自然と人間」の関係については、読者にとってそれらの和解を表象し、象徴するものは必ずしも明らかでないかもしれない。
もちろん「表象」ではなく、言葉による宗教的メッセージとしては、すでに拙著『日々の祈り』に収録された祈りの言葉があり、また経本となった『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』が神と自然、自然と人間の関係について詳しく説いている。また、本年8月に京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の境内に建てられた「自然災害物故者慰霊塔」は、混乱の度を増しつつある「自然と人間」の関係を修復するための表象の一つとして見ることができるだろう。
自然災害が人間社会に及ぼす影響は、人類の文明の国際化と経済のグローバル化の進展にともなって拡大しつつあることは、多くの読者が身をもって感じているだろう。2011年3月に日本が体験した東日本大震災と原発事故は、その一部に過ぎない。同じ年の10月から11月には、インドシナ半島に前例のない大雨が降り続いたため、タイで大洪水が起こり、チャオプラヤ川下流の工業団地が水に浸かり、ホンダ、ソニー、ニコン、キヤノンなどの日系企業419社被災し、世界への製品供給が不足したことは、記憶にまだ新しい。 今年は、台風26号で伊豆大島に深刻な土砂災害が起こったのに加え、11月現在、この年発生した台風としては最大の勢力をもった台風30号(現地名「ヨランダ」、英語名「ハイヤン」)が、フィリピンに甚大な被害を与えている。11月12日付の『朝日新聞』によると、同国政府の発表した11日午後現在の死者の数は1,774人で、死亡が確認されていない人の数を含めると、一万人を上回る恐れがある。同国全体で約967万人が被災し、約61万人が避難所生活を強いられているという。台風による被災が最も深刻だったレイテ島は農業と漁業が主要産業で、マニラ首都圏に比べて住民の所得水準は格段に低いという。今後、被災した貧困層の人々への食糧支援と住宅の供給が求められるだろう。
人間にとって「食べる」ことはこのように死活問題である一方、自然と人間の関係を最も身近に感じる行事が、食事である。食事を単に栄養補給の手段と考えている人は、これを「行事」と呼ぶことに違和感をもつかもしれないが、古来、洋の東西を問わず、食事は自然の恵みに対して神あるいは造物主への感謝を献げる宗教行事と一体のものだった。生長の家も例外でなく、昭和5年11月に谷口雅春先生に最初に下された神示が「生長の家の食事」と呼ばれ、その中で、「食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」と説かれていることを見ても、食事と宗教の密接な関係は分かるだろう。また、同じ神示の冒頭で言及されている聖書の記述は、ユダヤ教の信仰に於いても、食べることが宗教儀式と切っても切れない関係にあったことの証左である。旧約聖書の『レビ記』などは、全部で27章あるうちの第1章から10章までが供儀に関する記述であり、どんな場合にはどんな犠牲を神に献げ、人はその供物の中のどんな部分を食べることができるかなどを細かく規定している。
現代では、そのような宗教性は食事からほとんど消えてしまっているが、無宗教を自任する人でも、日本人ならば食事を前にして「いただきます」と言って手を合わせ、食事が終わると「ごちそうさま」と言って手を合わせる習慣に、あまり抵抗を感じないに違いない。この習慣の背後には、食事の提供者に対してのみならず、食材を供給してくれる自然界への感謝、ひいては自然の創造主への感謝の思いが含まれていたし、今でも含まれていると私は考える。だから、食事というものは、「神と自然」「自然と人間」の関係を意識し、三者の大調和を祈る最良の機会の一つだと言えるだろう。食前食後に、神と自然界の恵みに対して感謝の言葉を唱えることを省略している人がもしいたならば、次の食事から、この古き良き習慣をぜひ復活させていただきたい。
谷口 雅宣