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2013年11月14日 (木)

自動化は好いことか? (3)

Fireplace  数日前から日本列島が急に冷え込んだおかげで、朝の仕事が増えた。それは、薪小屋からの薪運びと薪割りである。わが家の薪ストーブが大活躍しているため、それに“食糧”を与えねばならないからだ。面倒くさい仕事であるはずなのに、それを嬉々としてやっている自分を発見して、もう一人の自分が少し驚いている。1年前、東京ではどうやって寒さをしのいでいたかを思い出すと、予想外の違いだ--
 
東京の頃
①朝、寝室で目が醒めると暖房機が回っていて、あまり寒くない。
②着替えをすませて、居間へ降りていくと、ここでも暖房機が回っている。
③適当に暖まれば、暖房機のスイッチを切る。

大泉町の場合
①朝、寝室で目が醒めると寒い。
②着替えをすませて居間へいき、薪ストーブに薪を追加する。
③夜中に燃えた分の薪を補充するため、薪小屋へ行く。
④薪を5~6本、丈夫な布袋に入れて家の南側デッキに運び、乾燥のために並べる。
⑤その作業を3袋分する。
⑥4袋目の薪は、斧で細かく割る。

Logstorage  --これが朝行うようになった新しい仕事だが、薪ストーブの準備はこれで終わらない。家に新しく運んできた薪を、適当な時刻にストーブの回りに並べて乾燥させることが必要だ。これを怠ると、湿気の残る薪をストーブに入れることになり、火が途中で消えてしまうことがある。また、当然のことながら、ストーブ内の薪の燃焼が進むにつれて薪をくべる作業もある。

 室内を適当な暖かさに保つという目的だけを考えれば、今の大泉での作業に比べ、東京時代の作業はほとんど「ゼロ」に等しい。手もとの暖房機のコントローラのスイッチを押すか押さないかだけだからだ。暖房機は、内蔵のマイコンとセンサーにより、時間や温度によって運転のオンとオフまで自動的にするものもある。このように、東京時代の私にとって、「暖房」とは指先でチョンと行うものだったから、ほとんど抽象的で、印象に残らない作業だった。こんな簡単な操作で、寒い冬を寒くなく過ごせるのだから、東京時代の私は暖房機に何度も繰り返して感謝の言葉の述べるべきなのだが、そんなことをしたかどうかと振り返ってみると、どうも記憶がないのである。それどころか、当時の私は暖房機が存在していることさえも、あまり意識していなかった恐れがある。
 
 ところが、大泉町の森の中では、私は毎日上に書いたような作業をしながら、赤や黄色の魅惑的な炎を揺らしているストーブを常に意識し、その暖かさに心の中で感謝することしきりなのである。また、薪のズッシリとした重さや、その表面の荒々しさ、斧の重さ、薪をスパッと割った時の快感、割れる音の響き、木の匂い、変化に富んだ燃焼室の色、煙突から上がる煙……などを五官で感じ、それらを常にはっきり意識している。そして、「暖をとる」ということは、これらすべての注意と作業の結果として得られる“ご褒美”だ、と感じているのである。だから、ストーブがありがたいことはもちろん、薪も、斧も、煙も、炎も……すべてありがたい存在だと感じる。この違いが起こる理由は、いったい何なのだろう?
 
 私はかつて『次世代への決断』(2012年)を上梓させていただいた時、同書の第4章に「“めんどくさい”が世界を救う」という文章を書いた。そこでは、クリの木から薪を作ることと、草刈りをする作業を例にとって、手作業による場合と、機械を使った場合との違いについて細かく検討したのだった。そして、機械化された方法は効率面では文句なく優れているが、その代わり、①自然との触れ合いが減少するだけでなく、②エネルギー消費量は増え、③作業をする人間のものの見方が排他的になる傾向があることを示した。今回の都会と森の中での暖房機の比較についても、同様のことが言えると思う。つまり、薪ストーブの生活は、電気による暖房の生活に比べて、①自然により近づき、②エネルギー使用量、CO2の排出量ともにゼロに近く、③人間関係もより緊密になると思われる。
 
Fireburn 「自然に近づく」という意味は、私が先に書いた薪ストーブの準備作業を考えていただけば、容易に想像がつくだろう。霜柱が立つ寒い朝に、薪を取りに家の外へ出ていけば当然、自然の厳しさに触れる。毛穴は引き締まり、呼吸は深くなる。薪を下ろし、袋に入れて運び、家の中に配置する作業は、力仕事である。全身の筋肉を使い、体の内側から自然の力が喚びさまされる。筋肉や循環器系だけを使うのではなく、どの形のどの薪を何本袋に入れ、どこに運ぶかを考えるから、脳を使うことにもなる。自分の“外側の自然”と“内側の自然”とが、この作業を介して融合するのだ。運んだ薪を火にくべれば、優しい炎が、めらめらとストーブの闇の中から姿を現し、さまざまな色と形に変化するのが見える。この炎のダンスは、「ゴー」とか、「パチパチ」とか、「バリバリ」という音を伴う。大げさに聞こえるかもしれないが、私はこの光景を見つめ、静かに音を聞くとき、劇場で舞う踊り子の背後で、オペラのアリアを聴くように感じることもある。つまり、薪ストーブの炎は、私たちの美的感覚を刺激して、安らぎを与えてくれるのである。

 暖房を極限まで自動化した都会の生活と、原始的ともいえる森の薪ストーブの生活とは、どちらが「豊か」と言えるだろうか? 私はもちろん後者に軍配を上げるのだが、それに納得しない読者もいるだろう。反論の第一は、恐らくこうだ--薪ストーブの準備のために使う時間を、都会ではもっと別のことに使うことができるから、どちらが「豊か」かは即断できない。「豊か」さを「自由時間が多くある」という意味にとらえれば、むしろ都会生活の方が豊かではないか?

 読者はどうお考えか?
 
 谷口 雅宣

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コメント

 私も文句なく後者だと思います。先生がお書きになられている様に暖を取る事の有り難さをそれに要する労力を割く事で実感出来るし、その為に使う体力、脳力等はそれを鍛えるばかりでなく、寒さや炎の美しさ等々を肉体で味わう事になり、その事が非常に豊かな感性を育てる事になると思います。
 自然と一体化し、それに生かされているという実感の中で生活する事で自然生態系を維持する事につながるし、それがものごとの本質、実相を肌で感じる事につながり、これほど豊かな事は無いと思います。

投稿: 堀 浩二 | 2013年11月15日 (金) 17時23分

合掌 ありがとうございます
総裁先生が北杜市のご自宅でお使いの薪ストーブは準備や片付けの作業は大変ですが、とても暖かそうでブログの写真を拝見させて戴いただけでも羨ましいです。島根県には長年、議員をされていた方が、現在は「島根県 薪ストーブの会、会長」をして、薪ストーブの普及をされています。また、私の友人は会社勤めを辞めて、薪ストーブを置いて小さな自家焙煎コーヒーのカフェを始めて、ご主人が薪割りに励んでいて、薪ストーブ目当てのお客さんも多いとのことです。私の育った家には、冷暖房の機械がなく、コタツも炭を起こした掘りゴタツ、お風呂も薪をくべて沸かしていました。養父母とも会社勤めをしながら休日に薪割りや炭焼きをしており、懐かしい思い出です。しかし、今現在の私の生活にはエアコンは欠かせません。また介護の必要な高齢者、障がい者には、タイマー機能の付いたエアコンは必需品であります。この前、コメントに登場したYさんも数年前、見えない目で自分で給油していた際にエプロンに灯油がこぼれたのに気づかなくて、そのあとエプロンに引火して大火傷をして搬送され、しばらく集中治療室にいました。それからはエアコンに切り換えています。障がい者、高齢者にはエアコンは欠かせない物となっています。
1人だけですが、事故で重度な後遺症をおった30代男性の家では今回リフォームして、お母さんが、光冷暖という初めて目にする設備を取り付けられました。
中国地方には業者がなく、九州から業者が来て取りつけされています。
化学燃料を一切使わないで 夏は涼し過ぎず、冬は暖か過ぎず、空気も汚さないものです。薪ストーブが無理な家には、このような設備も素晴らしいといつも思っています。
        再拝 岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2013年11月16日 (土) 15時16分

合掌  ありがとうございます。 
北杜の森の生活が懐かしく子供の頃を思い出し薪は子供でも山へいって取って帰ったものです。 総裁先生の御指導でもあります。"めんどくさいが世界を救う" 本当そうしなければならない現状です。今年の猛暑にエアコンなしで松江道場の職務を務めました。 家庭においてもゴーヤの清涼感と日蔭のお陰でエアコンは殆ど使用せず元気に過ごせました。  やろうと思えばできると自信もつきます。
エコ生活は環境に地球に配慮できたという充実感が喜びになります。昔の生活には知恵があり脳の活性化にもなります。 私たちに出来ることを毎日積み重ねていくことで、抵抗感もなくなり、次は何をどうしよう・・と励みにもなっています。 総裁先生ありがとうございます。  再拝
       島根教区     足立冨代

投稿: 足立冨代 | 2013年11月16日 (土) 16時55分

合掌ありがとうございます。
私はどちらも豊かだと思います。そしてどちらも必要だと思います。高齢化時代、年代により種々の対応が必要だと思うからです。私はメーカー関係者ですが、ハイテク製品のひとつひとつにも、沢山の人の思いやりがこめられています。何でも感謝して使わせて頂くことで心の豊かさを得られとおもっています。

投稿: 渡辺 | 2013年11月17日 (日) 09時18分

岡田さん、渡辺さん、

 「自動化」の技術は、それを誰がどう使うかによって善にも悪にもなるというポイントを、しっかり押さえておられますね。ありがとうございます。
 今朝のNHKは、「介護ロボットの技術が日本の未来を拓く……」という点を番組で放映していました。確かにそうだと思います。しかし、自動化の進行は自然からの遊離のリスクを伴うことも事実です。ロボット技術は、21世紀の“救い主”たるか、それとも“破壊者”になるのか? この点を本シリーズでは、考えていただきたいと私は思っています。

投稿: 谷口 | 2013年11月17日 (日) 10時39分

合掌ありがとうございます
総裁先生に、お褒めの言葉をいただき、恐縮しております。NHKの番組は私も観ました。
介護は心でするものだと思いますが、介護の現場で働くスタッフが足腰を痛めて、離職を余儀なくされる現状を考えますと、朗報かもしれません。総裁先生の本シリーズの続編をとっても楽しみにしております。再拝
      島根教区 岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2013年11月17日 (日) 18時45分

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