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2013年11月21日 (木)

自然界のムスビの働き (2)

 「自然即我」「我即自然」という言葉が何を意味するかについては、経本『大自然讃歌』の冒頭にある「自然と人間の大調和を観ずる祈り」とそれに続く同讃歌全体に詳しく説かれている。また、『観世音菩薩讃歌』では最後の「観世音菩薩」の項の後半で、同じことが別の角度から説かれている。
 
 谷口雅春先生に下された「大調和の神示」でも、生長の家の根本について、自然を含めた「天地一切のものと和解せよ」と力強く説かれていることは有名で、神の創造になる実相世界が顕れるのは「汝が天地一切のものと和解したとき」であると明確に述べられている。つまり、人間社会内部の調和だけでなく、人間と自然界との和解も神の顕現の必要条件だと示されているのである。
 
 さらに聖経『天使の言葉』では、人間と自然との和解がどのようにして行われるべきかを、次のように教えている--
 
 すべての生命(いのち)を互いに兄弟なりと知り、
 すべての生命を互いに姉妹なりと知り、
 分ち難くすべての生命が一体なることを知り、
 神をすべての生命の父なりと知れば、
 汝らの内おのずから愛と讃嘆の心湧き起らん。
 ここにある「すべての生命」という言葉の意味を人類にだけ限定して捉えているのでは、「大調和の神示」の教えと矛盾してしまう。だから、聖経で説かれている教えも、基本的には「自然即我」「我即自然」の自覚を前提としたものだと知らねばならない。
 
 では、この自覚を深めるための行事は、どのようにすべきだろうか。本欄の読者の大多数は日本人だから、私は日本人ならばどんな儀式が適当であるかを提示しよう。(日本以外の国での儀式については、別の形があって当然である。)そのためには、前回掲げた「ムスビ」という日本語が多くの示唆を与えてくれる。自然界はムスビの働きに満ちており、私たちの運動も神・自然・人間のムスビを目指しているからだ。
 
 日本土着の信仰である神道の教典である『古事記』や『日本書紀』には、ムスビの働きをする神々が数多く登場する。しかし、その中でも際だって重要な役割を果たすのは、タカミムスビノカミとカミムスビノカミの2柱である。私がここで神名をカタカナ書きした理由は、漢字を使った表現が複数あるからだ。『古事記』では「高御産巣日」「神産巣日」と書き、『日本書紀』では「高皇産霊」「神皇産霊」と表記されている。また、神名の発音の仕方も説が分かれていて、「ムスビ」を「ムスヒ」と濁らずに読むとするものもある。ここでは、谷口雅春先生が使われた用法に従っている。しかし、いずれの方法によっても、タカミムスビノカミの性格に大きな違いは生じて来ない。「高」は「高天原」にあるように尊称であり、「御」も同じである。「皇」を使った場合は日本皇室との関係をもった尊称となる。残りの名前を「産巣日」とするか「産霊」とするかで若干の違いが生じるのは、前者だと「太陽神」としての性格が生じ、後者では「生成化育」の神としての性格が強調されるからだ。しかし、両者とも「産」の字を用いて「産み出す力」を表現しているし、太陽は地上の生命を生み出す根源的な力であるから、いずれの表現法でも産生し育てる力を体現した神としての性格は変わらないだろう。
 
 このタカミムスビに対してカミムスビは、どんな性格を有しているだろうか。私は先にムスビの働きとは「もともと離れていた存在が一つに結ばれること」だと表現した。自然界では、そういう働きは、雌雄に分かれた性が再び一つとなる姿に典型的に現れる。それならば、そのムスビの働きを象徴する神自体が2柱あって、それぞれの特徴ある性格が合体して新たなものが生み出されるというイメージは、とても分かりやすい。このイメージは、イザナギとイザナミ両神の国生みの神話にも強く表れているもので、両神とも創造神であることを思えば、この創造を導くムスビの働きをする神が2柱あって、同じように対の関係で描かれることは極めて自然である。何か回りくどい言い方をしてしまったが、「陰」「陽」の言葉を使えば、陽のムスビの神がタカミムスビであれば、カミムスビは陰のムスビの神である。
 
 谷口雅春先生は、このことを次のように明快に説かれている--
 
“天之御中主なる「主」にして「中」、「中」にして「主」なる神は、そのままでは創造が完成しないのである。それは「陽の原理」(タカミムスビ)と、「陰の原理」(カミムスビ)とに剖判し出でたのである。(中略)中心の「一」は剖判して陰陽と分れ、再び、陰陽が交流して、創造がいとなまれるのである。陰陽は別個の如くであるけれども、本来一体であるのである。本来一体でありながら、その職能や働きの分担を異にするのである。”(『限りなく日本を愛す』、p.91)
 アメノミナカヌシの神については先に触れなかったが、この神は『古事記』本文の冒頭に出てくる神で、生長の家ではこれを宇宙の本源神--実相世界の創造主である唯一絶対の神だととらえている。私たちが信仰する神はこの唯一絶対神だから、生長の家の多くの行事では「実相」と書いた掛け軸や掲額を前にして、「実相の御軸(御額)を通して宇宙の大生命に礼拝します」と言って儀式を始める。私たちが「自然即我・我即自然」の自覚を深めるための行事をする際も、この従来通りの仕方で礼拝することに何も問題はない。しかし、「唯一絶対神」や「実相」のイメージだけでは、自然界のムスビの働きに意識を集中しにくい場合は、これら陰陽二柱のムスビの神の名を掲げたり唱えることは、大変有意義なことだと私は考える。その際、生長の家が多神教であるとの誤解を生まないように、一対のムスビの神の札を左右に離して置き、中央に「天之御中主大神」と書いた札を掲げるのがいいかもしれない。また、神名を書いた札が3枚も並ぶのは煩雑だと思う人は、「天之御中主大神」の札だけを掲げ、心の中で陰陽一対のムスビの神を想うのもいいかもしれない。
 
 谷口 雅宣
 

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