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2013年10月28日 (月)

困難な環境は飛躍のチャンス

 今日は晴天下、午前10時半から、山梨県北杜市大泉町の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールに於いて、谷口清超大聖師五年祭が行われた。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶を行った:
 
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 皆さん、本日は谷口清超大聖五年祭にお集まりくださいまして、ありがとうございます。

 清超先生がご昇天されてからすでに5年がたったのでありますが、それが私にはとても短く感じられるのです。この1年の間には本部の移転を初めとして、公私ともに大きな変化があったからだと思います。同様の立場にある皆さまも、きっと同じような感想をもたれているのではないでしょうか。
 
 1年前の四年祭のときに、私は清超先生の追悼グラフ『真・善・美を生きて』の中から、ご著書『限りなく美しい』の「はしがき」を引用し、「自然界は真・善・美を兼ね備えている」という先生のメッセージをお伝えしましたが、そのことは今、皆さんが東京・原宿からこの“森の中のオフィス”へ仕事場を移し、八ヶ岳の大自然に触れながら約1カ月たった今日、しみじみと感じていられることではないでしょうか。しかし今日は、その自然界のことではなく、人間のことについてお話ししたいと思うのです。
 
 先ほどは清超先生が作詞・作曲された『永遠に』という聖歌を私たちは歌いましたが、この聖歌は昭和59年、清超先生が65歳のときに作られた作品です。先ほどの追悼グラフに先生が作られた聖歌の一覧が表として載っていますが、それによりますと、先生が作曲を始められたのは昭和55年ごろ、61歳ごろといいます。これを見て、私は改めて先生の偉大さを感じているのであります。というのは、私が今、61歳だからです。私は音楽は嫌いではありませんが、これから楽器を練習して、作詞・作曲までしようというような“情熱”はない。まあ、人には得手不得手があって、万人が音楽を得意とするわけではありません。しかし、何事かを達成したいという情熱は、人によって強弱があり、清超先生はそういう意味では、とても強烈な意志と情熱をもって生きられた方だと感じるのです。しかし、その強い意志と情熱は敢えて表面には出さず、内に秘められていた。そのことは、追悼グラフの中で、先生に電子オルガンを教えておられた渋谷かおりさんの談話の中に、よく表れています--
 
「先生は60歳になってから音楽教室に通われ、電子オルガンを弾かれていたのですが、講師として私がお付き合いさせて頂いていた頃、オルガンのボタンを押すとき突き指をされたとかで指を痛められ、平成3年12月に、一度教室をやめられたんです。でも、1カ月ぐらいして、“やっぱり、レッスンに行かないととっても寂しい”と、戻って来て下さいました。そのときもう70歳を過ぎておられ、“オルガンは両手両足を使って大変”と言われ、ピアノに転向されました。そのとき購入されてずっと愛用された小型のグランドピアノで、その後の聖歌を作られたようです」。(p. 70)

 70歳をすぎれば人間は骨が弱くなり、突き指などをすれば、若い頃とは違う痛さや不都合さがあるに違いありません。が、それを克服された。また、老化が進めば、両手両脚を同時に使って音楽を演奏するのが困難になるのは当然ですが、それで音楽演奏を諦めてしまわずに、オルガンをピアノに乗り換えてでも、演奏を続け、さらに作曲も続けていく--そういう情熱には、ただただ感嘆するほかはない。因みに、先生がピアノを始められてから作られた歌は、「悦びの歌」「無限を讃える歌」「浄まりて」「日の輝くように」「あなたは何処に」「かみをたたえて」「人生の旅路」「水と森の歌」の8曲で、最後の歌の作詞・作曲は81歳のときでした。このような活動が、言わば“本業”である宗教家としての活動とは別にできるということは、先生が「神の子」としての深い自覚と信仰をもたれ、その本質を表現するのに喜びを感じていられた証拠である、と私は思うのであります。
 
 最後に、先生御自身が「表現すること」について言われている言葉を紹介しましょう。これも、同じ追悼グラフに掲載されているものです--
 
「人間と同じで、楽器にも寿命がありますが、よい材料で上手に作ってあると、とても長持ちします。それに使う人が大切に使い、よく弾き込むと、すばらしい音を出し、寿命も長持ちするといわれています。
 これは人でも物でも同じことですね。だからあなたも力一杯の力を出して生活しないとだめです。人間はもともと“神の子”ですから、その材料は間違いなくよいのです。ただあとは、よく弾き込むかどうか、つまりよく勉強したり、仕事をするかどうかです。ノホホンと懶けていたり、サボったりしていては絶対駄目だということです」。(p.64)

 私たちも、東京から北杜市へ引っ越して、新しい環境の中でまだ当惑している状態かもしれませんが、新しい環境からは必ず新しい創造が、新しい表現が生まれるものです。たといこれまで得意としていたものが利用できなくても、また困難な状況が現れても、新しい知識や技術を学び、マスターし、生活や運動に生かすことはできます。そういうチャンスが今、目の前にあるのですから、皆さまも清超先生の信仰と情熱を“鏡”としつつ、大いに学び、練習し、個人として一層伸びることはもちろん、その可能性を生かすことで光明化運動の新たな飛躍への原動力となっていただくことを念願いたします。
 
 それでは、これをもって清超大聖師五年祭の挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 私は大学時代、美術部に所属しておりました。しかし、卒業後久しく美術活動はしておりませんでしたが3年前に美術部のOB展の幹事をしましてから、美術活動を再開しました。
 私は粘土による彫塑を主に行います。それで再開後、二作品製作しました。現在、来年2月にある展覧会に向けて、新たな塑像を制作する予定です。現在54歳ですがこれから本格的に塑像をどんどん制作して行きたいと思います。
(去年、製作した塑像です。)http://postingjoy.com/users/02100208153527/diary/show/120015

投稿: 堀 浩二 | 2013年10月28日 (月) 22時51分

合掌 ありがとうございます。
総裁先生、素晴らしいご教示をいただき、ありがとうございます。
「困難な環境は飛躍の時」のタイトルにまず涙が出そうでした。
それは、きっと今現在の私にそのまま当てはまるからです。
谷口清超先生が、ご昇天されて、そんなに年月が経ったことに、改めて感慨深い気持ちになりました。総裁先生が「生長の家では死はないと言うが、やはり清超先生がいらっしゃらなくなったことは寂しいです」とご講話でおっしゃいましたことも、ついこの間だったような気がします。私が最後に清超先生に直接、ご指導いただきましたのは、平成17年の総本山での団参でした。その時、先生は、すでに立ってお話なさることが、難しくておられ、お座りになったまま、小さな声で「皆さん、聞こえますか?後になって、聞こえなかったなんて言わないでくださいね…。」と先生らしい、冗談も交えて、ご講話くださり、いちばん最後に、忘れも致しません。「皆さん、人間は死んでも死なない、永遠に生き通しの神の子なんですよ!」としめくくられ、会場は涙涙と拍手がなりやみませんでした。
当時、小学6年生で参加させていただいておりました、私の1人娘が大学生となった今も、清超先生のあの日のお姿をしっかり記憶しております。清超先生も雅宣先生が法燈継承して三代目の総裁となってくださり、大安心の中、霊界からお見守りくださっていることと思います。
個人的なことをコメントに書くのは控えさせていただきますが、今現在、私は仕事において、大変な困難に直面しています。
在宅介護の現場は、高齢者だけではなく、若い障がい者もたくさんいます。何も悪いことをしていない、一生懸命に生きてきた方が、突然の事故やアクシデントや病気により、寝たきりであったり、車椅子で全面介助を要する大変な状態になってしまわれたり、この人がどうして?と思わず考え込んでしまうような状況にも直面します。でも、困難こそ私たちの魂を大きく飛躍させてくれるのですね。私も養父母の他界、自身の大病、離婚と、困難のたびに飛躍してきたように思います。
総裁先生が以前、「現象界で起こる様々な出来事は、1つ1つはバラバラに見えるが、あとになって振り返ると全部ひとつに繋がっているんですよ。」とご教示くださったことがありますね。まさに、それを実感させていただいております。私もあのまま結婚生活を送っておりましたら、今頃、在日ブラジル人信徒の皆さんとの交流はなかったと思います。
昨日、仕事で自転車を使って市内をまわっておりましたら、去年、本国に帰って行ったブラジル人信徒さんとバッタリ出会いまして、2週間前にまた日本に、それも出雲市に出稼ぎに来たと、まさかの再会
をしまして、来年の夏に島根で講習会予定なので、またブラジル人信徒さんをたくさん集めて、総裁先生に直接ご指導いただこうね…とお互いに喜びの誓いをしました。車でしたら気がつかないかもしれないのに、やはり自転車ですと、車では見逃してしまうことも見逃さないので,いいですね。
この度の総裁先生のご教示で、また改めて中心帰一が信仰において、最も大切であることを心に深く刻みました。
私事で恐縮ですが、私どもの職場のヘルパーさんたちが、4人、日時計日記をつけてくれるようになり、訪問の合間の僅かな時間に、事務所で日時計日記をせっせと書いているヘルパーさんたちの姿に今日も手を合わせました。
総裁先生、本当にありがとうございます。どうかこれからもご教示をお願いいたします。再拝
       島根教区 岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2013年10月29日 (火) 18時31分

合掌  ありがとうございます。
 音楽は聴いているだけでも心に響きます。特に聖歌は勇気や感動、やさしさ、喜び、純粋な心をよび出して私たちは導びかれれている。 10月28日は谷口清超先生を御忍びし、出雲からの中継を通して隠岐・松江・益田と四会場ひとつになって先生の御存命のときの録音を聴かせていただきました。そのお話のなかで、私の心に強く残りましたのはのは、先生は自由も大切にされ 子育てにおいても執着しない大きな愛で羽ばたく小鳥を手から放つように信じて愛深く見守って放たれた。(失礼な表現をお許しください)三代目を担うお方を自由にされてこそ今、現在の総裁・谷口雅宣先生がいらっしゃるのであります。心から感謝いたしております。谷口清超大聖師五年祭を深縁あります松江からご礼拝申し上げ、先生のお話は参加者の方々から尽きない程に昔を語る人ありまた、中継のなかで「ああ わが神よ」の聖歌隊からの歌があり私たちも歌いました。  広い意味において、また個人においても、私たち信仰者は 正しい信仰に立ち "今なにを為すべきか"をしっかり把握し"四無量心"の中の特にいちばん難しい捨徳を行じ、中心と秩序と(自由)をなくした生き方は決して幸せにはなれないことを改めて感じました。   感謝合掌
               島根教区 足立冨代   

投稿: 足立冨代 | 2013年10月30日 (水) 04時28分

 合掌 総裁先生 いつも素晴らしいご指導ありがとうございます。この日には、島根教区でも谷口清超大聖師の五年祭が、谷口輝子聖師の二十五年祭、谷口雅春大聖師の二十八年祭と同じように、島根県教化部をメイン会場として、隠岐会場、松江道場会場、益田会場をインターネットで結んでしめやかに執り行われました。4会場で総勢70名程度の参加だったようです。
 私は教化部会場へ参加させていただき、改めて清超大聖師に感謝の聖経を誦げさせていただきました。
御祭の後では、お茶をいただきながら懐かしくも、ありがたい大聖師の思い出話に花が咲き、大聖師への感謝を更に深めさせていただきました。
総裁先生がご紹介なさった大聖師の身をもってのご教示を少しでも我がものとして精進させていただきたいと思わせていただきました。来年、島根教区でご指導いただける生長の家講習会が7月13日にあります。大聖師へのご恩返しの心も込めて推進活動をさせていただきたいと思っております。再合掌 島根教区  石田 盛喜代

投稿: 石田 盛喜代 | 2013年11月 3日 (日) 01時39分

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