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2013年10月

2013年10月29日 (火)

自動化は好いことか? (2)

 前回本題で書いたのは、ガスレンジから女性の声が出ておしゃべりをする話だったが、ふと思い当たることがあって、そのあとでこの製品の取扱説明書をよく読んでみたら、おしゃべりを止める方法があることが分かった。そこで最近は、静かな朝を送らせてもらっている。しかし、標準設定で機械にあれほどおしゃべりをさせるというのは、やはりやり過ぎだと思う。
 
「ふと思い当たった」というのは、私が最近乗り始めた自動車について似たようなことを思い出したからだった。この車はプラグイン・ハイブリッド車(PHV)で、家庭用電源から充電してモーターで動く機能と、従来型のガソリンエンジンを組み合わせたものだ。日常的な短距離の走行は電気モーターで充分だが、遠出をするときにはガソリンエンジンで発電しながら走行距離を伸ばしていく。この機能そのものについては、とても分かりやすいので私は満足している。また、リットル当たりのガソリンの燃費が「61Km」(カタログ値)というのは、驚異的だ。難点は、走行中に道路の白線をモニターしていて、車のタイヤがそれに近づくと「ピーッ」という警戒音を発することだ。また、急カーブにさしかかると、「カーブがあります」と突然声を出す。この双方が、運転者を驚かすような音とタイミングで起こる。前者の機能は、運転席のダッシュボードの下にあるスイッチで止めることができるが、後者については、まだどうやって止めたらいいか分からない。
 
 いずれの機能も、運転者の走行の安全性を考えて付けられたものだということは、私にもよく分かる。しかし、運転者が眠い時の安全と、危険を避けるためにハンドルを切ったり、前の車を追い越そうとしているときの安全は、同じではない。それを等しなみに扱っているため、運転者の自由を束縛する結果になっている。追い越そうとして白線に近づくと、「やめろ!」と言われる感じがするのだ。また、この時の警戒音が、聞く人の神経に触るような高周波数の音であることも、不快感を助長している。一方、カーブにさしかかった時の「カーブがあります」という音声は、運転者がすでに減速してカーブに備えている時に突然、出る。だから、「そんなことは了解ずみだ」と言いたくなる。「突然」という意味は、カーブの種類によって出るときと出ないときがあるからで、出たときは突然出たように感じるのだ。
 
 最新型の自動車には、こういうさまざまな自動化機能が搭載されていて、メーカー側はこれを「安全運転支援システム」と称しているようだ。現在のところ、このシステムには次の3種類があるそうだ--
 
 ①衝突被害軽減ブレーキ
 ②レーンキープ・アシスト(車線維持の補助)
 ③アダプティブ・クルーズ・コントロール(車間距離の制御)
 
 ①は、前方の車との車間距離をモニターしていて、衝突の可能性があると警報を鳴らし、さらに危険な状態になると、自動でブレーキをかけるというもの。②は、私の乗った車にあるように、車線両脇の白線をモニターしていて、タイヤがそれに近づくと警報を鳴らすもの。そして③は、先行車との距離を一定に保った走行をするためのものだ。どれも一見、便利でありがたい機能のように聞こえるが、機械と人間の関係を考えると、実際はそれほど単純で、効果的なものではない。10月14日付の『日本経済新聞』がこの問題を取り上げていて、これらの機能に共通する矛盾を要約している--
 
「自動化が進むほど運転者がシステムに依存して注意力や技量が低下しかねないほか、事故の原因究明や責任明確化が難しくなるという課題が浮上している」。
 確かにそうだろう。現在でも渋滞時などには、運転手が携帯電話やスマートフォンの画面を見ていたり、マンガを読んでいたり、カラオケに合わせて歌っていたり、はたまた食事をしている光景に遭遇して驚くことがある。これに加えて、「安全運転を支援する」と銘打った自動車が登場すれば、運転時の注意をさらに怠る人が出ることは、ほぼ確実だろう。そんなことが原因で事故が起こった場合、その責任は運転者だけにあるとは言い切れないはずだ。こういう問題があるため、自動車メーカーで構成される自動車公正取引協議会は、この10月末にも、新聞やテレビなどの広告に、この“自動化”の機能をどう表現するかという詳しい規定をまとめ、発表するという。
 これらの技術は、低価格化し続けているセンサーとマイコンのおかげで実現しているのだろう。が、それが便利な面はもちろんあるが、一定の限度を超えると不快であり、便利ではなく「余計」で「滑稽」で、さらには「不気味」な機能や機械を生み出すことになると私は考える。簡単に言えば、「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。ところが、日本の産業界では、こういう自動化がもてはやされる傾向にあるようだ。
 
 10月17日付の『日経産業新聞』は、編集委員の署名入りで「“自動運転”こそ日本の切り札 グーグルを恐れるな」と題する記事を掲載し、東京ビッグサイト(東京・江東)で行われている「ITS(高度道路交通システム)世界会議」に出品された日本の技術--とりわけ“自動運転車”の技術に期待を寄せている。
 
 この“自動運転車”とは何か? 記事によると、それは運転者なしで走る自動車のことだ。その開発にトヨタ自動車、日産自動車、ホンダの3社はしのぎを削っているという。同記事は、その背景をこう解説する--
 
「自動運転が特に注目されるようになったのは、全地球測位システム(GPS)など様々な無線技術やセンサー技術、情報を遠隔で共有できるクラウド技術などが登場したためだ。そうした技術を組み合わせれば、無人でも運転できるようになる。もちろん車メーカーとしては無人走行を目指しているわけではないが、グーグルなどIT業界からの参入により車メーカーならではの技術力を示す必要に迫られたといえる。いわば売名的にも自動運転車をつくらざるを得なくなった」。
 この解説の内容が正しければ、自動運転車の技術は、実生活での人間の必要性から生まれたのではなく、他社の技術に刺激された“技術のための技術”としての色彩が濃い、ということになる。こんな妙な理由から、新しい技術が開発される時代に今、私たちはいるのである。盲目的な技術信仰、あるいは技術崇拝の心理が働いているのだろうか。もしそうだとしたら、これは現代の技術文明に対する“黄色信号”である。
 
 谷口 雅宣

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2013年10月28日 (月)

困難な環境は飛躍のチャンス

 今日は晴天下、午前10時半から、山梨県北杜市大泉町の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールに於いて、谷口清超大聖師五年祭が行われた。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶を行った:
 
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 皆さん、本日は谷口清超大聖五年祭にお集まりくださいまして、ありがとうございます。

 清超先生がご昇天されてからすでに5年がたったのでありますが、それが私にはとても短く感じられるのです。この1年の間には本部の移転を初めとして、公私ともに大きな変化があったからだと思います。同様の立場にある皆さまも、きっと同じような感想をもたれているのではないでしょうか。
 
 1年前の四年祭のときに、私は清超先生の追悼グラフ『真・善・美を生きて』の中から、ご著書『限りなく美しい』の「はしがき」を引用し、「自然界は真・善・美を兼ね備えている」という先生のメッセージをお伝えしましたが、そのことは今、皆さんが東京・原宿からこの“森の中のオフィス”へ仕事場を移し、八ヶ岳の大自然に触れながら約1カ月たった今日、しみじみと感じていられることではないでしょうか。しかし今日は、その自然界のことではなく、人間のことについてお話ししたいと思うのです。
 
 先ほどは清超先生が作詞・作曲された『永遠に』という聖歌を私たちは歌いましたが、この聖歌は昭和59年、清超先生が65歳のときに作られた作品です。先ほどの追悼グラフに先生が作られた聖歌の一覧が表として載っていますが、それによりますと、先生が作曲を始められたのは昭和55年ごろ、61歳ごろといいます。これを見て、私は改めて先生の偉大さを感じているのであります。というのは、私が今、61歳だからです。私は音楽は嫌いではありませんが、これから楽器を練習して、作詞・作曲までしようというような“情熱”はない。まあ、人には得手不得手があって、万人が音楽を得意とするわけではありません。しかし、何事かを達成したいという情熱は、人によって強弱があり、清超先生はそういう意味では、とても強烈な意志と情熱をもって生きられた方だと感じるのです。しかし、その強い意志と情熱は敢えて表面には出さず、内に秘められていた。そのことは、追悼グラフの中で、先生に電子オルガンを教えておられた渋谷かおりさんの談話の中に、よく表れています--
 
「先生は60歳になってから音楽教室に通われ、電子オルガンを弾かれていたのですが、講師として私がお付き合いさせて頂いていた頃、オルガンのボタンを押すとき突き指をされたとかで指を痛められ、平成3年12月に、一度教室をやめられたんです。でも、1カ月ぐらいして、“やっぱり、レッスンに行かないととっても寂しい”と、戻って来て下さいました。そのときもう70歳を過ぎておられ、“オルガンは両手両足を使って大変”と言われ、ピアノに転向されました。そのとき購入されてずっと愛用された小型のグランドピアノで、その後の聖歌を作られたようです」。(p. 70)

 70歳をすぎれば人間は骨が弱くなり、突き指などをすれば、若い頃とは違う痛さや不都合さがあるに違いありません。が、それを克服された。また、老化が進めば、両手両脚を同時に使って音楽を演奏するのが困難になるのは当然ですが、それで音楽演奏を諦めてしまわずに、オルガンをピアノに乗り換えてでも、演奏を続け、さらに作曲も続けていく--そういう情熱には、ただただ感嘆するほかはない。因みに、先生がピアノを始められてから作られた歌は、「悦びの歌」「無限を讃える歌」「浄まりて」「日の輝くように」「あなたは何処に」「かみをたたえて」「人生の旅路」「水と森の歌」の8曲で、最後の歌の作詞・作曲は81歳のときでした。このような活動が、言わば“本業”である宗教家としての活動とは別にできるということは、先生が「神の子」としての深い自覚と信仰をもたれ、その本質を表現するのに喜びを感じていられた証拠である、と私は思うのであります。
 
 最後に、先生御自身が「表現すること」について言われている言葉を紹介しましょう。これも、同じ追悼グラフに掲載されているものです--
 
「人間と同じで、楽器にも寿命がありますが、よい材料で上手に作ってあると、とても長持ちします。それに使う人が大切に使い、よく弾き込むと、すばらしい音を出し、寿命も長持ちするといわれています。
 これは人でも物でも同じことですね。だからあなたも力一杯の力を出して生活しないとだめです。人間はもともと“神の子”ですから、その材料は間違いなくよいのです。ただあとは、よく弾き込むかどうか、つまりよく勉強したり、仕事をするかどうかです。ノホホンと懶けていたり、サボったりしていては絶対駄目だということです」。(p.64)

 私たちも、東京から北杜市へ引っ越して、新しい環境の中でまだ当惑している状態かもしれませんが、新しい環境からは必ず新しい創造が、新しい表現が生まれるものです。たといこれまで得意としていたものが利用できなくても、また困難な状況が現れても、新しい知識や技術を学び、マスターし、生活や運動に生かすことはできます。そういうチャンスが今、目の前にあるのですから、皆さまも清超先生の信仰と情熱を“鏡”としつつ、大いに学び、練習し、個人として一層伸びることはもちろん、その可能性を生かすことで光明化運動の新たな飛躍への原動力となっていただくことを念願いたします。
 
 それでは、これをもって清超大聖師五年祭の挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2013年10月22日 (火)

自動化は好いことか?

最近、「自動化」というものの価値を疑うようになった。というのも、東京から北杜市の新居に引っ越して来て、毎朝、命令口調の女性の声を聞かされるようになったからである。
  妻とケンカしているわけではない。また、口やかましい家政婦を頼んだのでもない。新居に入れたシステムキッチンが、よくしゃべるのである。妻がそういう機能を特に好んでいるとは思えない。だから多分、依頼した工務店の人が、私たちの老後を考えてそういう機種を選んでくれただろう。
  新居のキッチンには、ガスレンジがある。いわゆるIH方式を選ばなかったのは、“炭素ゼロ”を目指して電力消費量を抑えるためと、電磁波の問題を避けるためである。IH方式は火を出さないで鍋やヤカンを温めるから、安全度は高いと言われる。だから、今後もの忘れが進行するだろう私たちの安全を慮って、工務店の人はそれを薦めてくれた。私たちも一度は心が傾いたが、先に挙げた理由で採用しなかったのである。
  ということで、朝食前には、この三口のガスレンジが活躍する。私はコーヒーをいれるのと配膳を分担しているから、レンジの電源を入れて湯を沸かすことになる。すると、
「電源が入りました」
  と、このレンジ女史が言う。
(そりゃ、そうだろう。電源を入れたんだから……)
  と私は思う。そして、ポットからヤカンに湯をついで、レンジの右側のコンロに載せ、火を点けるためのスイッチを押す。
「右コンロ点火します」
  と同じ声が言う。
(いちいちご丁寧に……)
  と私は思う。
パチパチと音がしてガスに火がつくと同時に、レンジフードに付いている換気扇が自動的に回り始める。
(またやり出した)
  と私は思う。省電力に関心のある者にとっては、余計なお世話なのである。だから私は、レンジフードに手を伸ばして換気扇を止める。湯が沸く前に、私はコーヒー豆をミルにいれて「ウィーン」と豆を挽き、挽き終った粉をドリップ式のフィルターに入れ、形を整える。
  やがて湯が沸くと、ヤカンをコンロから取り上げて、湯をコーヒーの粉の上にチロチロと注ぐ作業に取りかかる。これが案外時間を要するから、その間、ヤカンはコンロから離れることになる。すると、レンジ女史は、
「右コンロ、ナベを置いてください」
  と言ったかと思うと、続けて、
「右コンロ、まもなく消火します」
  とたたみかける。
(冗談じゃない)
  と私は思う。今、コーヒーを入れ始めたばかりなのに、火を消されてはたまらない。そこで、あわててヤカンをコンロの上に戻すのだが、その時、嫌味の一つも言いたくなる。
「これはナベじゃなくて、ヤカンというものだぜ。お利口さん!」
  このレンジの指示に従わずに湯を注ぐ作業を続けていると、本当に火が消されてしまうのだ。自動化もここまで来れば、「便利」を通り越して「やり過ぎ」と言わねばならない。
  このガスレンジの設計者の善意はよく分かる。しかし、人間は同じ道具でもいろいろな用途に使うし、同じ用途でもいろいろな仕方でできないか工夫する。それを考えずに、「この道具はこの使い方がベストだ」と決めつけ、そうしないと「決めた通りにやれ」と注意するのは、どうもいただけない。まるで子ども扱いされているか、社会主義国にいるようだ。
  機械の高機能化にともなって自動化は各方面で進行しているが、私はこの傾向の先に、機械の人間支配が横たわっているような気がしてならないのである。
 谷口 雅宣

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2013年10月19日 (土)

雨の日は木の皿で

 今朝、八ヶ岳南麓には霧雨が降っていた。

 宮城教区の生長の家講習会が翌日にあるため、私たちは早く自宅を出て、東京から新幹線で仙台まで移動する。こんな日の朝食はサンドイッチが定番になった。しかも、食器洗いをできるだけ簡単にするために、一皿料理である。

 新居を建てるとき、食洗機も入れた。ただし、私たちの目的である“炭素ゼロ”の生活を実現するためには、電気製品はよく考えて使わなければならない。晴天時の食洗機使用はほとんど問題ない。電力使用量が発電量よりだいぶ少ないからだ。しかし、今日のような雨天や曇天の場合、食洗機を動かすと、モニターには「買電中」を示す橙色のランプが点る。これは、東京電力から電気を買っているという意味で、“炭素ゼロ”でなくなってしまう。だから、雨天や曇天時の食事には、食器数をできるだけ減らしつつ、見栄えも悪くならない工夫が必要だ。料理は口から食べるだけでなく、目からも、鼻からもいただくからだ。

Woodenplate  ということで、雨の日のわが家の朝食には、木目も鮮やかなケヤキの皿が登場することになった。この皿は、日本の森林の重要性を訴えてきたオークヴィレッジ製の漆器で、高級品だ。いつか贈り物としていただいたものを押入れから出してきて、私たちの“森の生活”で活躍することになった。漆器だからナイフやフォークを突き立てて食べるわけにいかない。だから、それに載せる料理は、あらかじめ口に入る大きさに切り分けておくか、傷がつきにくい木製のフォーク、あるいは箸を使う。漆器はもちろん食洗機で洗えないので、手洗いすることになる。

 私は、こういう細やかな配慮をしながら食事をすることに、“新しい文化”を感じるのだ。大量生産、大量消費の時代には、朝食は効率よく作って、マヨネーズなどで濃い味をつけ、頑丈な食器に載せてガチャガチャと出し、テレビを見たり新聞を読みながら、会話もなく、ロクに味わわずに短時間で掻き込む人が多かったのではないか?  食後はもちろん食洗機に頼り、前夜の食器がその中に残っていれば、別の食器を出して使う……こんな食事の仕方では、資源やエネルギーの浪費は進んでも、季節の移り変わりを感じながら食材を味わい、その根源である自然の恵みに感謝の気持を起こすことなどないに違いない。つまり、自然と人間とは分離していたのだ。

 しかし、自然と共に生きようとする時、人間は自然を常に意識し、自分の行動が自然に与える影響について配慮するだろう。その気持を抽象的なレベルに留まらせず、具体的に、五感をもって確認するための最良の機会が、「食事」の場なのではないだろうか。朝起きて空を仰いで天候を知ったならば、それに合わせてエネルギーの利用法を考え、食器を選び、メニューを考える。これはもう「人間のため」だけの食事ではない。木目の美しい食器に地元の食材を載せ、器の柔らかさを感じながら、ていねいに、ゆっくりと味わいながら食べる。それが雨の日の朝だということが、私にはなぜかピッタリ来るのである。

谷口  雅宣

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2013年10月18日 (金)

自転車通勤

自転車通勤は楽にできると思っていた。
 
  体力を過信していたのだ。父は、70歳ぐらいまで自転車で通勤していた。もちろん、距離は1キロに満たず、概ね平坦な舗装道路だった。一方、私は高校時代にロードバイクを手に入れて、うれしがって都内をよく走ったことがある。遠出にも挑戦し、原宿から10キロぐらいある成城学園前まで往復したりした。また、60歳になっても週2回ほど約3キロの距離をジョギングしていたから、脚力の方は大丈夫だろうと思っていた。しかし、舗装されていない山道を甘く見ていた。また、日頃のトレーニングが不足していた。
 
体力不足の予感もあったので、できるだけ軽いマウンテンバイクを買った。高校以来、自転車といえば妻のママチャリに子供を乗せたことがある程度だったから、昨今の自転車について知識がなかった。だから、選ぶのに自信がなく、本や雑誌を買い、またマニア的な知人に教えを乞うた。その結果わかったことの一つは、私のような用途の場合、自転車は軽ければ軽いほどよく、その代わり値段はどんどん跳ね上がるということだった。自転車を探し始めたのが8月からで、引っ越しの諸準備とも重なって時間的余裕があまりなかったこともあり、少々の値段には目をつむる覚悟だった。そうすれば、還暦を越えた人間にも、山は自転車で軽く登れると思ったのだ。
 
Mybikestyle    販売店の人の話では、自転車は秋にモデルチェンジをするので、夏場は在庫が少ないという。私は体が小柄なので、普通の人向けの29インチのモデルだとフレームのトップチューブが高すぎる恐れがあった。だから、26インチのモデルも探したが適当なものがなく、考えあぐねていた。ということで、良さそうと思われるモデルを入手したのは結局、引越しから3週間前の9月6日だった。夕方前に新宿の販売店で操作法やタイヤの着脱法などの説明を受け、ヘルメットやライトなど最低限の付属品を買い、暗くなってから原宿の自宅まで点灯して“初乗り”を敢行した。最初は、国道20号をおっかなびっくり走っていたが、明治通りに出てからは、下り坂が続くことも幸いし、快適さを感じる余裕も出、どうやら無事自宅まで帰った。その後、引越しまで2回、主として代々木公園のサイクリング・コースを走りながら、ギアチェンジなどの練習をした。
 
  しかし、東京の舗装道路と八ヶ岳の山道では、事情がまったく違った。私の家は、舗装道路から山道へ入ってから300メートルくらい凸凹道を行った先にある。急斜面を上り下りする場所もあって、車なら四輪駆動でないと心配な道だ。まずそこを走るのに息が続かず、一度サドルから降り、車体を押さねばならなかった。車道に出た後しばらくは下り坂なので快適に走れるが、その後、県道に出ると、オフィスまでの約600メートルはずっと上り坂だ。ここが結構の急坂だから、最初の数十メートルで脚が悲鳴を上げる。あとはゆっくりと歩くほかはない。「こんな程度でへたってたまるか!」と思うが、体力の衰えは如何ともし難いのである。
 
  上り坂が多いということは、復路は天国のように快適ということだ。英語で、旅立つ人に幸運を祈って投げかける言葉に「Godspeed」というのがあるが、まさに「神の速度」を得たように走る。被っているヘルメットの紐が風を切る音が耳元でヒューヒュー聞こえるほどだ。これで往路の苦しみが報われる、と感じる。「人生、楽あれば苦あり」とはよく言うが、山でのジテツー(自転車通勤)は「苦あれば楽あり」である。
 
Tamagotake2   この「楽」とは、スピード感だけを指すのではない。楽しいことはほかにもある。それは道中、周囲の自然とじっくり対面し、味わうことができることだ。広い空、青い山々、緑の森、鳥の声、シカの叫び、キツツキが木の幹を叩く音、路傍の花々……そして、キノコ。これらの自然の“仲間”たちに会えるのは、下り坂でスピードを出している時よりは、むしろ、上り坂で喘いでいる時だ。その原理は、新幹線の窓から見えるものと、田舎のローカル線の旅で見るものの違いと同じだ。人間は、進む速度が遅いほど周囲に注目し、観察力が増す。特に、歩いていても見つけにくいキノコなどは、苦しい上り坂で自転車を押している時に目に飛び込んでくるから、不思議だ。
 
Kinobori   今年はキノコの当たり年で、長野県ではマツタケが豊作だったと聞くが、私は10月初旬の約1週間、通勤帰りの上り坂でほとんど毎日、食用キノコに出逢うことができた。多いのは、この地方で「ジゴボー」と呼んでいるハナイグチというキノコだ。カラマツと共生しているらしく、この木が多い北海道では「落葉(ラクヨウ)」という名で売られている。そのほかに、タマゴタケ、キノボリイグチ、アカモミタケ、クリタケなどを見つけて喜んだ。もちろん、ありがたく持って帰り、妻の料理で味わったものだ。特にハナイグチはたくさん採れたので、食堂に差し入れして、オフィスの職員にも味わってもらった。
 
  自転車通勤には、もちろん難点もある。雨天や降雪時には不可能だし、厳冬期には晴天であってもどうなるか心配だ。路面が凍りつけば危険だからだ。しかし、東京にいたときよりも確実に運動量は増えていて、体調もいい。人間、楽なばかりでは喜びは少ない。ありがたいかぎりである。
   谷口  雅宣

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2013年10月12日 (土)

晴れた日の朝

  1012日、八ヶ岳南麓には朝から強風が吹いていた。

夜中、私が自宅の寝室で目を覚ました時にも、窓外のデッキで何かコトコト音がするのに気づき、「まさかシカではないか?」と一瞬疑った。しかし、シカの体重は人間を優に上回る。だから、彼らが本当に板張りのデッキを歩いたならば、その足音はコトコトではすまされないと考え、私は安心して再び眠りについたのだった。朝起きて、居間の大きなガラス窓にかかったカーテンを開け、その向こうに白々と明けつつある広い空を見たとき、夜中の音が風のせいであると私は了解した。


 
目の前の木々が揺れていた。ほとんどはまだ紅葉していないが、一部黄褐色に変わった木の葉が森の方向から風で飛ばされてきて、空を舞っていた。私が大窓以外の窓のカーテンを開けに家中を歩き、居間に戻ってきた時、妻がこう言った。

「植木鉢が風で倒れてるわ!」

  見ると、デッキの縁に並べられていた青い陶製の植木鉢のいくつかが倒れ、葉ぶりのいい観葉植物が横に転がっていた。勝手口から急いで出ていった妻が、それに近づくのが見える。これらの鉢は、東京では家の東南の2階のバルコニー置かれていた。そこはコンクリートの高い手摺りで覆われ、一部の鉢は金属製の輪の中に収まっていたから、鉢の中の植物が威勢良く伸びて座りが悪くなっていても、倒れる心配はほとんどなかった。しかし、大泉町に引っ越してまだ間もない今、仮に置かれたデッキの上では、南アルプスから吹き下ろす強風には耐えられない。

  風が強いということは、しかし悪いことではない。太陽が昇り、あたりの森が明瞭に姿を現す頃には、背景の空の色も青さを増してきた。風のおかげで、雲一つない快晴が与えられたのだ。

  これにくらべ前日は、朝から厚い雲が上空を去らない曇天だった。霧雨も交じっていたから、朝、仕事場へ行くのにどうするかを思案した。傘や雨靴のことではない。乗物をどうするかの問題である。 私は、東京から八ヶ岳南麓に越してきてから、自転車通勤を始めた。東京では徒歩の通勤だったが、こちらでも同じことができないわけではないが、時間がかかるのが問題だった。また、山あり谷ありの地形も障害に思えた。そこで、山道にも強いと言われるマウンテンバイクを買い、それに跨ってオフィスに通うことにしたのである。その通勤時間が2030分ほどだから、徒歩で同じ道を行けば倍は時間がかかるだろう。それをまだやったことがないので、雨の日にはやってみるのも悪くないと思ったのである。その場合、しかし着ていく服が違うので、早く決めて準備をしなければならなかった。交通情報ではなく、お天道様をしっかりと見て判断する--都会生活では長らく忘却していた自然観察が不可欠の毎日である。

Solarcharge_2    前日は結局、私はテレビの天気情報を信じて自転車通勤を選んだが、朝から晴天の今日は、乗物の選択以外にもすべきことがあった。車の充電である。“森へ行く”という今回の決定に合わせて、妻が「PHEV」という種類の車を買った。これは「plug-in highbrid electric vehicle」という英語の略で、家庭用電源から充電できるタイプの電気自動車に、補助用のガソリンエンジンを搭載した車だ。大泉町に建てた私たちの新居には太陽光発電パネルを設置したから、晴れた日の日中に充電すれば、自動車は“炭素ゼロ”で動かせるのである。同じことは自動車以外のものにも言える。だから、わが家では、晴れた日の朝には、妻の車だけでなく、パソコンやスマートフォン、電気掃除機など、日常的に使われる充電式の電気製品は一斉にコンセントにつながれることになる。生長の家の国際本部である“森の中のオフィス”が二酸化炭素を排出せずに業務を遂行しようと様々な工夫をしているのだから、そこで働く我々も、個人生活においても同様の努力をすることは当然だと思うのだ。私が自転車通勤を始めたのも、もちろん健康管理の意味もあるが、同じ目的である。

谷口 雅宣

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