« 困難な環境は飛躍のチャンス | トップページ | 食事と祈り »

2013年10月29日 (火)

自動化は好いことか? (2)

 前回本題で書いたのは、ガスレンジから女性の声が出ておしゃべりをする話だったが、ふと思い当たることがあって、そのあとでこの製品の取扱説明書をよく読んでみたら、おしゃべりを止める方法があることが分かった。そこで最近は、静かな朝を送らせてもらっている。しかし、標準設定で機械にあれほどおしゃべりをさせるというのは、やはりやり過ぎだと思う。
 
「ふと思い当たった」というのは、私が最近乗り始めた自動車について似たようなことを思い出したからだった。この車はプラグイン・ハイブリッド車(PHV)で、家庭用電源から充電してモーターで動く機能と、従来型のガソリンエンジンを組み合わせたものだ。日常的な短距離の走行は電気モーターで充分だが、遠出をするときにはガソリンエンジンで発電しながら走行距離を伸ばしていく。この機能そのものについては、とても分かりやすいので私は満足している。また、リットル当たりのガソリンの燃費が「61Km」(カタログ値)というのは、驚異的だ。難点は、走行中に道路の白線をモニターしていて、車のタイヤがそれに近づくと「ピーッ」という警戒音を発することだ。また、急カーブにさしかかると、「カーブがあります」と突然声を出す。この双方が、運転者を驚かすような音とタイミングで起こる。前者の機能は、運転席のダッシュボードの下にあるスイッチで止めることができるが、後者については、まだどうやって止めたらいいか分からない。
 
 いずれの機能も、運転者の走行の安全性を考えて付けられたものだということは、私にもよく分かる。しかし、運転者が眠い時の安全と、危険を避けるためにハンドルを切ったり、前の車を追い越そうとしているときの安全は、同じではない。それを等しなみに扱っているため、運転者の自由を束縛する結果になっている。追い越そうとして白線に近づくと、「やめろ!」と言われる感じがするのだ。また、この時の警戒音が、聞く人の神経に触るような高周波数の音であることも、不快感を助長している。一方、カーブにさしかかった時の「カーブがあります」という音声は、運転者がすでに減速してカーブに備えている時に突然、出る。だから、「そんなことは了解ずみだ」と言いたくなる。「突然」という意味は、カーブの種類によって出るときと出ないときがあるからで、出たときは突然出たように感じるのだ。
 
 最新型の自動車には、こういうさまざまな自動化機能が搭載されていて、メーカー側はこれを「安全運転支援システム」と称しているようだ。現在のところ、このシステムには次の3種類があるそうだ--
 
 ①衝突被害軽減ブレーキ
 ②レーンキープ・アシスト(車線維持の補助)
 ③アダプティブ・クルーズ・コントロール(車間距離の制御)
 
 ①は、前方の車との車間距離をモニターしていて、衝突の可能性があると警報を鳴らし、さらに危険な状態になると、自動でブレーキをかけるというもの。②は、私の乗った車にあるように、車線両脇の白線をモニターしていて、タイヤがそれに近づくと警報を鳴らすもの。そして③は、先行車との距離を一定に保った走行をするためのものだ。どれも一見、便利でありがたい機能のように聞こえるが、機械と人間の関係を考えると、実際はそれほど単純で、効果的なものではない。10月14日付の『日本経済新聞』がこの問題を取り上げていて、これらの機能に共通する矛盾を要約している--
 
「自動化が進むほど運転者がシステムに依存して注意力や技量が低下しかねないほか、事故の原因究明や責任明確化が難しくなるという課題が浮上している」。
 確かにそうだろう。現在でも渋滞時などには、運転手が携帯電話やスマートフォンの画面を見ていたり、マンガを読んでいたり、カラオケに合わせて歌っていたり、はたまた食事をしている光景に遭遇して驚くことがある。これに加えて、「安全運転を支援する」と銘打った自動車が登場すれば、運転時の注意をさらに怠る人が出ることは、ほぼ確実だろう。そんなことが原因で事故が起こった場合、その責任は運転者だけにあるとは言い切れないはずだ。こういう問題があるため、自動車メーカーで構成される自動車公正取引協議会は、この10月末にも、新聞やテレビなどの広告に、この“自動化”の機能をどう表現するかという詳しい規定をまとめ、発表するという。
 これらの技術は、低価格化し続けているセンサーとマイコンのおかげで実現しているのだろう。が、それが便利な面はもちろんあるが、一定の限度を超えると不快であり、便利ではなく「余計」で「滑稽」で、さらには「不気味」な機能や機械を生み出すことになると私は考える。簡単に言えば、「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。ところが、日本の産業界では、こういう自動化がもてはやされる傾向にあるようだ。
 
 10月17日付の『日経産業新聞』は、編集委員の署名入りで「“自動運転”こそ日本の切り札 グーグルを恐れるな」と題する記事を掲載し、東京ビッグサイト(東京・江東)で行われている「ITS(高度道路交通システム)世界会議」に出品された日本の技術--とりわけ“自動運転車”の技術に期待を寄せている。
 
 この“自動運転車”とは何か? 記事によると、それは運転者なしで走る自動車のことだ。その開発にトヨタ自動車、日産自動車、ホンダの3社はしのぎを削っているという。同記事は、その背景をこう解説する--
 
「自動運転が特に注目されるようになったのは、全地球測位システム(GPS)など様々な無線技術やセンサー技術、情報を遠隔で共有できるクラウド技術などが登場したためだ。そうした技術を組み合わせれば、無人でも運転できるようになる。もちろん車メーカーとしては無人走行を目指しているわけではないが、グーグルなどIT業界からの参入により車メーカーならではの技術力を示す必要に迫られたといえる。いわば売名的にも自動運転車をつくらざるを得なくなった」。
 この解説の内容が正しければ、自動運転車の技術は、実生活での人間の必要性から生まれたのではなく、他社の技術に刺激された“技術のための技術”としての色彩が濃い、ということになる。こんな妙な理由から、新しい技術が開発される時代に今、私たちはいるのである。盲目的な技術信仰、あるいは技術崇拝の心理が働いているのだろうか。もしそうだとしたら、これは現代の技術文明に対する“黄色信号”である。
 
 谷口 雅宣

|

« 困難な環境は飛躍のチャンス | トップページ | 食事と祈り »

宗教・哲学」カテゴリの記事

自然と人間」カテゴリの記事

コメント

「テクノロジーは人々を幸福にできるか。」という問題について、私は、明快に答えられそうにありません。

 歴史などを引き合いに出して両者は無関係だと論を張ることも出来そうですが、では技術屋さんは仕事を通して人々の幸福に貢献出来ないのかと言われれば、そうでもない気がします。

 この問題が整理出来れば、技術崇拝に陥らない考え方が出来るような気がするのですが、、。
 

投稿: 片山 一洋 | 2013年10月30日 (水) 19時29分

合掌  ありがとうございます。  
  技術の進歩も ここまで来ますと鬱陶しさを感じます。何事も機械に支持されて動くようになれば安全であるとは言い難いように思います。自動化の技術が優れていても車の運転をしていて 機械が指示を出す通りに運転していて 事故が起きたとき、本当に責任はどのようにして、誰がとるのでしょう? 人間が運転席にいるだけで自動車が走るなどは、 機械に使われる人間にってしまい人間が人間としてもっている善なるものも知恵も話し合って分かりあえるような関係も閉ざされしまうようです。そう言いながらも、そのようになれば 知らず知らずの中に慣らされてしまうのでしようか。私たちは有難くも生長の家の生き方を知っているので自己反省し、 欲望を制御し今 与えられている、物、事、人に感謝し足るを知る生き方をめざし努力して日常的になってまいりました。感謝いたします。 合掌      
            島根教区  足立冨代

投稿: 足立冨代 | 2013年11月 2日 (土) 10時42分

合掌 ありがとうございます。
総裁先生の「自動化は良いことか」のブログを先日、私がずっと担当しているY さん(65歳女性)に読んであげました。何故かと申しますと、Yさんは生まれつきの全盲でして ブログを読むことが出来ないからです。全くの全盲であっても、このYさんは、とってもポジティブな方でして、NTTドコモが開発、販売しております、音声対応の携帯電話を購入して、只今メールの送受信の特訓中で、毎日、私に日記形式のメールを送ってくださることを日課としているのです。そのYさんが、時々、総裁先生のブログを読んで欲しいと希望されますので、私もできるだけ、希望に添いたくて代読させていただいております。Yさんの感想が、「最近は色んな面で自動化が進み、公共のエレベーターやトイレ、あるいは電化製品に点字が記されるようになり、そこは便利になったけれど、病院に受信したとき、受付も支払機も機械で自分でしなくてはならなくなり(大きい病院は特に)機械が、「診察券をお入れください」「受診する科を押してください」「診察券をお取りください」と次々にしゃべってくるので 見えない目で、手探りで必死に操作しているのに、何秒以内かで対応できないと「診察券をお取りください」と何度も何度も機械に言われ、しまいには自分も「そんなに急かさないでよ~そんなに早く出来ないわよ…」と機械相手に言い返すから 周囲の人は、あのおばさん、何しゃべってろんだろう?!と思われてるかもしれない。でもね 総裁先生のおっしゃる通りよ~」等、Yさんは日頃の自分の思いを話してくださいます。昔はガイドヘルパーさん(視覚障がい者の同行移動支援をするヘルパーさんです)が同行してくれて 病院に着けば、職員さんが 手を引いてわかりやすく教えてくださったのに 今は人件費削減もあり 機械の自動化がすすみ 障がい者は、さらに人とのかかわりが 希薄になってきた  そうYさんはぽつりと言っていました。総裁先生のご教示はこうした障がいを抱えた人たちの支えにもなっています。
どうか今後とも、ご指導ご教示をよろしくお願いいたします。  
      再拝 島根教区 岡田さおり

投稿: 岡田さおり | 2013年11月 9日 (土) 22時49分

岡田さん、
 貴重な実話をお知らせくださり、ありがとうございました。
 私も、親の診察のヘルプとして大病院に行ったことがありますが、自動化のレベルがとても進行しているのに驚きました。機械の前で世話人の私がマゴマゴしてしまったので、ハンディを抱えた人々の戸惑いはいかばかりかと思います。

投稿: 谷口 | 2013年11月10日 (日) 18時47分

合掌 ありがとうございます。
総裁先生、コメントにご返信をいただきまして、本当にありがとうございます。今日、Yさんに早速、報告して代読させていただきました。Yさん、とっても感激しまして、しばらく女子高生みたいに、はしゃいでいました。
病院の自動受付機も自動支払機も、銀行のATMも、何秒以内かに操作しないと、何度も機械が催促し、それでも出来ないと、「もう1度初めからやり直してください」と機械的に言うとYさんはよく言っています。けなげなYさんは、同じく全盲のご主人のお弁当を作るとき、ヘルパーさんが手伝うのですが、彩りを考えて、卵焼き、かに蒲鉾、ブロッコリーを入れ、「私たちは見えないけど、見える人たちから見て恥ずかしくないお弁当にしないとね!」と頑張られます。ご主人が「いつも野菜と魚で、たまには肉が食べたい!」と言われたとき、Yさんは「肉食をやめることが、地球環境をこれ以上破壊しないって総裁先生から教えていただいているでしょう!」ときっぱり言うそうです。そして、Yさんは「見えないことは不便だけど、不幸じゃない。この世は表現の舞台だと総裁先生がおっしゃったもの。私、もし生まれ変わっても、また見えない目で生まれたい」と今日私に言われ、私も胸がいっぱいになってしまいました。「でもね、総裁先生のお顔は1度だけ見たいなぁ」と恥ずかしそうに言っていました。
総裁先生のご教示はこうした人たちに光を与えてくださっています。どうか、お身体をおいといになり、これからも長くご教示をいただきますよう、重ねてよろしくお願いいたします。。
     再拝 島根教区 岡田さおり

投稿: 岡田さおり  | 2013年11月11日 (月) 21時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 困難な環境は飛躍のチャンス | トップページ | 食事と祈り »