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2013年8月

2013年8月27日 (火)

正しい事実を伝えよう

 最近、生長の家講習会で行った先の地方の幹部の人が、私が講話などで話している地球環境の悪化の問題について、こんな感想を漏らした--「一般の人は、環境問題は自分と関係がないと思っているし、大都会はともかく、地方では自然が破壊されているわけではないので、私たちのメッセージを伝えるのは難しいんです」。私はそれを聞いて、そんな要素もあるかもしれないと感じたと同時に、この人が言う「一般の人」とは、本当はご本人のことではないのだろうか、と思った。
 
 人間というものは、周囲の世界のすべてをそのままに理解するのではなく、自分に関心のあるものだけを周囲から選んで認識し、それらに自分に都合のいい解釈を加えて自分独自の世界をつくって生きている。このことは心理学でも言われているし、仏教でも「唯心所現」「三界唯心」などという言葉で説かれている。だから、「関係がない」と思っていることは、目の前にあっても意識されないのだ。また、地球環境問題とは「地球規模の環境問題」という意味だから、問題が起こっていることに都会と田舎の別はないのである。たといある人に、北海道の自然が“豊か”に見え、自然がまったく破壊されていないように見えたとしても、別の人が--とりわけ、環境意識が高く、生態系の問題に敏感な人が見れば、エゾシカの異常繁殖やヒグマの都会への出没、セイタカアワダチソウの田畑への侵食、漁場の異変などが、“危険信号”として感じられるのである。そういう“異常事態”を一般の人々が感じない状態を「是」としているかぎり、私たちの運動のメッセージを伝えることはむずかしい。だから、私たちの運動を進めるためには、「個人の生活と環境問題は関係が深い」という正しい情報を、できるだけ卑近な例を挙げて伝える努力が大切なのである。
  
 幸か不幸か、最近のニュースはそういう具体例を数多く伝えてくれている。というよりは、ニュースが伝える前に、私たち自身の頭の上から“異常気象”が降りかかってくる。今夏は、全国で異常な高温が続き、また烈しい豪雨で各地に水害が起こっている。被害に遭った人はまことに気の毒だが、これらの現象は、昔から言われている「天災」とか「災害」とは少し性質が違うもので、人間の活動が引き起こした温暖化や気候変動の結果である。だから、「人災」と呼んでもそれほどの間違いではない。被害を免れた人間は、「自分は加害者になっていないか?」と深く反省してみる必要がある。そして、自分の生活を見直して、エネルギーや資源のムダ遣いや、温暖化ガスの排出が多ければ、それらをできるだけ少なくする努力をすることが宗教を語る人間の「社会的責任」と言えるだろう。

 異常気象が自然界にどんな変化を起こしているかを、最近の新聞記事から拾ってみよう--

 8月26日の『日本経済新聞』によると、地球温暖化を受けて、農産物の産地に異変が起きている。山形県を代表するサクランボの高級品種「佐藤錦」は、今では北海道富良野市で育ち、九州や四国が主要産地だったミカンは、新潟県佐渡島から出荷されるようになった。25日の『朝日新聞』は、「海が変」と題して、北海道沖にクロマグロが大量に現れたり、沖縄でサンゴが大量に死んでいる事実を伝えている。マグロの話は“良いこと”のように聞こえるかもしれないが、マグロがいる暖水域にはサケはいない。だから、北海道で今“特産”とされる秋サケは不漁ということになる。気象庁によると、日本周辺の10海域すべてで8月中旬の海水温は平年を上回っている。特に、日本海や西日本の太平洋側など5つの海域の水温上昇は大幅で、記録がそろう1985年以降では最高の温度になっているという。その影響で、和歌山県では今が旬のイワシが獲れず、来年春先に始まるカツオ漁の行方も心配されている。
 
 秋の味覚であるサンマも、今年は様子が違うという。8月24日の『日経』によると、サンマは例年だと店頭で比較的安く手に入る時期だが、今年は出足が遅い。理由は、「海水温の上昇で日本近海に魚群が少ないほか、遠隔地への出漁も燃料費高騰で減っているためだ」という。築地市場への入荷も、今年は8月に入って「ゼロ」だった日が24日現在で3日あり、都の担当者の表現では「おかしな年」らしい。だから、市場での取引は8月下旬になっても解凍サンマが主体であり、生サンマの取引価格(高値)は1キロ当たり5千円以上に暴騰し、前年同期の約5倍になっているという。燃料費の高騰は温暖化と無関係と考えがちだが、そうでもない。今はもう穀物を原料としたバイオエタノールが普通に使われるようになっているから、トウモロコシなどの不作があれば、軽油などの化石燃料の値段にも影響を与える。石油の値段はもちろん、原油の産地である中東あたりの政治状況とも関係しているが、それだけではないのである。

 私が最近訪れた函館市では、8月中旬の海水の表面温度が平年より約3℃も高い26~27℃だったため、名物のスルメイカに被害が出た。イカは、水温が23℃を超えると死んでしまうから、捕獲したイカが漁船のいけすで死んでしまう例が急増しているという(25日『日経』)。

 沖縄のサンゴの大量死の話を書いたが、サンゴの被害は気候変動のためだけでなく、人間の開発行為によっても世界的に起こっている。8月26日の『朝日』がそれを大きく取り上げているが、フィリピンでは観光開発によって海岸の浸食が起こっているという。これは、砂浜が縮小していく現象だ。その原因が、「白化現象」というサンゴの死滅と関係があるらしい。東京工業大学の灘岡和夫教授とフィリピン大学のミゲル・フォルテス教授によると、海水温の上昇や開発行為によって、島を取り巻くサンゴが弱り、サンゴ礁が縮小して、打ち寄せる波の緩衝帯としての役目を果たせなくなったからという。沖からの波が直接砂浜をえぐり取る一方、それを補うはずのサンゴの石灰成分が不足することで砂浜は縮小するのだという。
 
 サンゴ礁は、地上の森林が果たすのと同様の役割を海中でする。つまり、多種多様な海中生物の住処となると同時に、炭素を海中に固定するのである。生物多様性の維持と大気中への二酸化炭素排出を防止する。それを破壊することで、人類が利益を得ると考えることは、大変な間違いなのだ。海からサンゴ礁が減ることは、海洋生物が減り、地球温暖化を加速させることになる。それが分かっていない人が多いうちは、海の生物資源の枯渇と気温上昇は続いていく。だから、「一般の人々」がそういう事実に関心がなく、知らないという状態を私たちが容認している限り、地球温暖化と資源の枯渇はどんどん続いていくのである。無知は悲劇につながる。「知らずに犯した罪」は「知りながら犯した罪」より大きいとも言われる。宗教の悟りの中には、「正しい事実を知る」ことも含まれるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2013年8月 1日 (木)

宗教における都市と自然 (9)

Summary0  まず、自然と都会における人間の脳の機能、ものの見方、注目点……などを対比した一覧表を見ていただきたいのです。日本語の資料をお持ちの方は『生長の家』誌8月号の7ページに、それが載っています。ポルトガル語、英語、中国語の参加者の方々は、私の文章が始まってまもなくのところに、その一覧表が掲載されているはずです。それをご覧になってください。この表は、人間が「自然」の中で生活するときと、「都会」で生活するときの違いを比べたものですが、これらの対比はあくまでも「傾向」や「重点の置き方」を示しているといことを最初に強調しておきます。例えば、脳の機能についていえば、私たちは自然豊かな場所では「左脳」よりも「右脳」を多く使う傾向があるということです。森の中では右脳だけを使い、左脳をまったく使わないということではありません。それと同じように、都会生活の中でも私たちは右脳を使いますが、それよりも重点的に左脳を使い、左脳的なものの考え方、つまりデジタルにものを切り分けて考える傾向が強い、ということです。この点をぜひ、誤解のないようにしてください。

 さて、私は先ほど、宗教運動が世界平和に貢献するためには、仏教の考え方の中から「空の思想」と「菩薩の思想」を導入することを提案しました。それを聞いて、参加者の中には、特にキリスト教を窓口としてこの運動に加わった人の中には、「今さら仏教を勉強するのか!」と頭を抱えた人もいるのではないでしょうか? さらに私は、そういう人々にはあまり聞き慣れない「空」という言葉を説明するために、一見難解な説明をしたかもしれません。

 皆さんには、今日の私の講話を聞くまでに、宿題として「対称性の論理を学ぶ」という文章を読んでいただきましたが、私が今日ここで強調したいのは、「空の思想」や「菩薩の思想」を理解し、自分の身につけるためには、必ずしも修道院に入ったり、禅僧になって托鉢と瞑想の生活をするなど、禁欲生活を含む長い間の大変な努力は必要でない、ということです。その証拠が、この一覧表の上部には書かれているのに気がつかれたでしょうか? つまり、ここには私たちの脳の機能は「右脳」と「左脳」に分化しており、それぞれがアナログ的なものの見方、デジタルなものの見方に対応しており、右脳は包容的である一方、左脳は排他的な考え方に優れている――と書いてあるのです。そして、この文章全体の主題である「対称性の論理」は右脳やミラーニューロンと関連し、「非対称性の論理」は左脳の働きと関連している――と書いてあるのです。それでは、先ほど説明した「空の思想」と「菩薩の思想」はこの2つの分類のどちら側に関係しているのでしょう。どなたか分かりますか? 

 まず「空の思想」は、一覧表の左側の欄と関連していると思う人、手を挙げてください。はい、ありがとうございました。では、そうではなく、右側の欄と関連していると思う人は、何人いるでしょうか? はい、ありがとうございました。それでは、次に「菩薩の思想」について同じ質問をします。「菩薩の思想」が一覧表の左の欄と関係していると思う人は、どうぞ手を挙げてください。はい、ありがとうござます。では、その逆に、「菩薩の思想」は一覧表の右の欄と関係が深いと思う人、手を挙げてください。どうもありがとうございました。では、正解を申し上げます。正解は、「空の思想」も「菩薩の思想」も、この一覧表では左側の欄――つまり、「右脳」「アナログ」「包容的」「対称性」などと密接な関係があります。いずれも物事の表面の違いを見るのではなく、似たところに注目するという共通点があります。「空」の考え方も、現象の表面的な違いに価値を認めず、その奥にある共通点を重視します。「菩薩」も、自分と他人との違いを重視せず、他人の救いは自分の喜びであると考えます――つまり、自他一体の認識、言い換えれば、自分と他人との対称性(共通点)に注目して、それを価値あるものとして認識する思考法にもとづいています。

 ということは、どんな人間にも、右脳と左脳があり、アナログ的な包容的なものの見方と、デジタルな排他的なものの見方ができ、そして対称性と非対称性の双方に注目できるのですから、当然のことながら、「空」を理解し、「菩薩」の生き方ができるはずなのです。もしそれらが難解に聞こえ、理解にいたらないと感じる人がいるならば、それはたぶん、「空」とか「菩薩」という用語に慣れていないというのが最大の理由ではないでしょうか。慣れてしまえば何てことはありません。大体、この2つの考え方は、生長の家ではすでに説かれていることなのです。すでに申し上げましたが、「空の思想」は結局、「物質はナイ」「肉体はナイ」ということです。そして、「菩薩」中の最大のものである観世音菩薩は、谷口雅春先生が「観世音菩薩を称うる祈り」の中で「生長の家の礼拝の本尊なのである」とはっきりと述べられているものです。皆さん方には、これらの意味をさらに深く理解し、ぜひマスターされて、「善一元の神」や「実相」の考え方とともに、私たちの運動の重要な概念として自らの生活の中で生き、さらに人々に伝えていただきたいのです。なぜなら、この2つの考え方は、先ほど触れたように、世界史を通して仏教が人類の平和に貢献してきた貴重な遺産だからです。国際平和信仰運動を推し進めていくためには、これらが必要なのです。

 さて、最後に、再びその一覧表に注目して下さい。その一番上の横の欄(ライン)には左側に「自然」、右側に「都会」と書いてあります。これが何を意味しているか、皆さんはもうご存じでしょう。人間の生活の場として「自然」と「都会」を考えたとき、自然の中では一覧表の左側の欄にあるものが比較的に優位に働くのに対し、都会の中では、一覧表の右側の欄にあるものが比較的優位に働く、ということです。生長の家の国際本部が今、都会を離れ、自然の中のこの"森の中のオフィス"へ移転することの意味が、この一覧表には明確にまとめられています。

 今、世界の人口の半分以上が、田舎を離れて都会に住むようになりました。それに伴い、様々な社会問題や倫理問題が発生し、自然破壊、エネルギーと資源の枯渇、そして地球環境問題の深刻化が進んでいます。これら数多くの問題の原因として、私は人間の考え方や心理状態の偏向があると考えます。どんな偏向かというと、この表の右側を重視し、左側を軽視する偏向です。この偏向を正さなければ問題は解決しません。人間には右脳と左脳の双方があるように、人類の繁栄と幸福のためには、自然と都会の双方が必要です。私は、この一覧表にある都会的要素のすべてを「悪い」といっているのではありません。都会的要素の「偏重」が悪いといっているのです。人間の健全な生活には右脳と左脳が必要なように、人類の健全な進歩のためには自然的要素と都会的要素の双方が必要です。しかし、片方への偏重はいけません。両者をバランスさせるべきだと言っているのです。そして、宗教というものは本来、また歴史的にも、この一覧表の左側の分野を担当しているのですから、都会を離れ"森の中"の自然に還り、その本来の働きを遂行する時期に来ているのです。21世紀の宗教改革は"森の中"から始まります。

 どうか皆さん、昨日から今日の教修会で学ばれたことをそれぞれの地域に持ち帰り、地域の人々に伝え、そして地域の自然を愛し、豊かならしめるとともに、人々の悩みを菩薩の心を発揮して解決し、物質的豊かさに惑わされることなく、神の御心を実現する運動に邁進していただきたく切にお願い申し上げます。皆さまの行く手に神の祝福が豊かにありますように。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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