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2013年8月 1日 (木)

宗教における都市と自然 (9)

Summary0  まず、自然と都会における人間の脳の機能、ものの見方、注目点……などを対比した一覧表を見ていただきたいのです。日本語の資料をお持ちの方は『生長の家』誌8月号の7ページに、それが載っています。ポルトガル語、英語、中国語の参加者の方々は、私の文章が始まってまもなくのところに、その一覧表が掲載されているはずです。それをご覧になってください。この表は、人間が「自然」の中で生活するときと、「都会」で生活するときの違いを比べたものですが、これらの対比はあくまでも「傾向」や「重点の置き方」を示しているといことを最初に強調しておきます。例えば、脳の機能についていえば、私たちは自然豊かな場所では「左脳」よりも「右脳」を多く使う傾向があるということです。森の中では右脳だけを使い、左脳をまったく使わないということではありません。それと同じように、都会生活の中でも私たちは右脳を使いますが、それよりも重点的に左脳を使い、左脳的なものの考え方、つまりデジタルにものを切り分けて考える傾向が強い、ということです。この点をぜひ、誤解のないようにしてください。

 さて、私は先ほど、宗教運動が世界平和に貢献するためには、仏教の考え方の中から「空の思想」と「菩薩の思想」を導入することを提案しました。それを聞いて、参加者の中には、特にキリスト教を窓口としてこの運動に加わった人の中には、「今さら仏教を勉強するのか!」と頭を抱えた人もいるのではないでしょうか? さらに私は、そういう人々にはあまり聞き慣れない「空」という言葉を説明するために、一見難解な説明をしたかもしれません。

 皆さんには、今日の私の講話を聞くまでに、宿題として「対称性の論理を学ぶ」という文章を読んでいただきましたが、私が今日ここで強調したいのは、「空の思想」や「菩薩の思想」を理解し、自分の身につけるためには、必ずしも修道院に入ったり、禅僧になって托鉢と瞑想の生活をするなど、禁欲生活を含む長い間の大変な努力は必要でない、ということです。その証拠が、この一覧表の上部には書かれているのに気がつかれたでしょうか? つまり、ここには私たちの脳の機能は「右脳」と「左脳」に分化しており、それぞれがアナログ的なものの見方、デジタルなものの見方に対応しており、右脳は包容的である一方、左脳は排他的な考え方に優れている――と書いてあるのです。そして、この文章全体の主題である「対称性の論理」は右脳やミラーニューロンと関連し、「非対称性の論理」は左脳の働きと関連している――と書いてあるのです。それでは、先ほど説明した「空の思想」と「菩薩の思想」はこの2つの分類のどちら側に関係しているのでしょう。どなたか分かりますか? 

 まず「空の思想」は、一覧表の左側の欄と関連していると思う人、手を挙げてください。はい、ありがとうございました。では、そうではなく、右側の欄と関連していると思う人は、何人いるでしょうか? はい、ありがとうございました。それでは、次に「菩薩の思想」について同じ質問をします。「菩薩の思想」が一覧表の左の欄と関係していると思う人は、どうぞ手を挙げてください。はい、ありがとうござます。では、その逆に、「菩薩の思想」は一覧表の右の欄と関係が深いと思う人、手を挙げてください。どうもありがとうございました。では、正解を申し上げます。正解は、「空の思想」も「菩薩の思想」も、この一覧表では左側の欄――つまり、「右脳」「アナログ」「包容的」「対称性」などと密接な関係があります。いずれも物事の表面の違いを見るのではなく、似たところに注目するという共通点があります。「空」の考え方も、現象の表面的な違いに価値を認めず、その奥にある共通点を重視します。「菩薩」も、自分と他人との違いを重視せず、他人の救いは自分の喜びであると考えます――つまり、自他一体の認識、言い換えれば、自分と他人との対称性(共通点)に注目して、それを価値あるものとして認識する思考法にもとづいています。

 ということは、どんな人間にも、右脳と左脳があり、アナログ的な包容的なものの見方と、デジタルな排他的なものの見方ができ、そして対称性と非対称性の双方に注目できるのですから、当然のことながら、「空」を理解し、「菩薩」の生き方ができるはずなのです。もしそれらが難解に聞こえ、理解にいたらないと感じる人がいるならば、それはたぶん、「空」とか「菩薩」という用語に慣れていないというのが最大の理由ではないでしょうか。慣れてしまえば何てことはありません。大体、この2つの考え方は、生長の家ではすでに説かれていることなのです。すでに申し上げましたが、「空の思想」は結局、「物質はナイ」「肉体はナイ」ということです。そして、「菩薩」中の最大のものである観世音菩薩は、谷口雅春先生が「観世音菩薩を称うる祈り」の中で「生長の家の礼拝の本尊なのである」とはっきりと述べられているものです。皆さん方には、これらの意味をさらに深く理解し、ぜひマスターされて、「善一元の神」や「実相」の考え方とともに、私たちの運動の重要な概念として自らの生活の中で生き、さらに人々に伝えていただきたいのです。なぜなら、この2つの考え方は、先ほど触れたように、世界史を通して仏教が人類の平和に貢献してきた貴重な遺産だからです。国際平和信仰運動を推し進めていくためには、これらが必要なのです。

 さて、最後に、再びその一覧表に注目して下さい。その一番上の横の欄(ライン)には左側に「自然」、右側に「都会」と書いてあります。これが何を意味しているか、皆さんはもうご存じでしょう。人間の生活の場として「自然」と「都会」を考えたとき、自然の中では一覧表の左側の欄にあるものが比較的に優位に働くのに対し、都会の中では、一覧表の右側の欄にあるものが比較的優位に働く、ということです。生長の家の国際本部が今、都会を離れ、自然の中のこの"森の中のオフィス"へ移転することの意味が、この一覧表には明確にまとめられています。

 今、世界の人口の半分以上が、田舎を離れて都会に住むようになりました。それに伴い、様々な社会問題や倫理問題が発生し、自然破壊、エネルギーと資源の枯渇、そして地球環境問題の深刻化が進んでいます。これら数多くの問題の原因として、私は人間の考え方や心理状態の偏向があると考えます。どんな偏向かというと、この表の右側を重視し、左側を軽視する偏向です。この偏向を正さなければ問題は解決しません。人間には右脳と左脳の双方があるように、人類の繁栄と幸福のためには、自然と都会の双方が必要です。私は、この一覧表にある都会的要素のすべてを「悪い」といっているのではありません。都会的要素の「偏重」が悪いといっているのです。人間の健全な生活には右脳と左脳が必要なように、人類の健全な進歩のためには自然的要素と都会的要素の双方が必要です。しかし、片方への偏重はいけません。両者をバランスさせるべきだと言っているのです。そして、宗教というものは本来、また歴史的にも、この一覧表の左側の分野を担当しているのですから、都会を離れ"森の中"の自然に還り、その本来の働きを遂行する時期に来ているのです。21世紀の宗教改革は"森の中"から始まります。

 どうか皆さん、昨日から今日の教修会で学ばれたことをそれぞれの地域に持ち帰り、地域の人々に伝え、そして地域の自然を愛し、豊かならしめるとともに、人々の悩みを菩薩の心を発揮して解決し、物質的豊かさに惑わされることなく、神の御心を実現する運動に邁進していただきたく切にお願い申し上げます。皆さまの行く手に神の祝福が豊かにありますように。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます。
『21世紀の宗教改革は”森の中”から始まります。』
まさにその通りであると思います。

先生の御文章を読ませていただき、脳裏に『森羅万象』と云う四文字熟語が浮かんでまいりました。

宇宙の一切の出来事、事物と云う意味でありましょうが、『森羅』森がいっぱいと云う表現がなされているところに何か、先生の直感のようなものを感じさせられました。

生長の家の大神様の御意志だなと感心させられるばかりです。   再拝

投稿: 豊田建彦 | 2013年8月 2日 (金) 09時05分

合掌 総裁先生何時も素晴らしいご指導賜り心より感謝申し上げます。「宗教における都市と自然」の連載心より感謝申し上げます。キリスト教、仏教、イスラームの世界の大宗教を都市と自然との関係について詳しくご指導いただきました。どちらか一方に偏ることなく、両者をバランスさせることが大切であると言うこともよく理会できました。今までにも、色々な用語を取り入れて私たちに御教えをご指導いただきます。今回は「空の思想」と「菩薩の思想」をご指導いただきました。難しい、中々理解できないと感じる方がいらっしゃれば難解だと決め付けることなく、総裁先生のご著書やご文書を何度も拝読することが大切であると思います。また「21世紀の宗教改革は"森の中"から始まります。」と力強いお言葉をいただきました。「大調和の神示」に書かれた御教えつまり原点回帰に基づく新たな運動の展開が楽しみです。今後も総裁先生に中心帰一し人及び自然界に四無量心を実践し、神の御心を実現する運動に邁進いたします。再拝 島根教区 水津英子

投稿: 水津英子 | 2013年8月18日 (日) 22時30分

ご教示、ありがとうございました。自然と都会について、どう考えたらよいか、とてもよい解説をいただきました。先生方の他のご著書ももっと拝読し勉強させていただきます。サンパウロ市はようやく春らしい兆候がみえてきました。しかし、ここでも異常気象が時々見られます。どうぞ、今後ともご指導をおねがいします。合掌 再拝。

投稿: 遠藤 勝久 | 2013年9月29日 (日) 08時44分

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