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2013年7月31日 (水)

宗教における都市と自然 (8)

 それでは、次に仏教の教えの中で世界平和に貢献するとして私が挙げた「菩薩の思想」について、お話しします。「観世音菩薩」については、私の著書『次世代への決断』に少し書いており、これは日本語だけでなくポルトガル語にも最近、翻訳されて出版されましたから、ブラジルからの参加者の方々はすでにそれを読まれたと思います。また、私が1年前に書いた自由詩「観世音菩薩讃歌」でも、その意味について書かれています。しかし、こちらは英語版もポルトガル語版もまだ正式なものは出ていません。また、昨年の日本での全国幹部研鑽会と全国大会では、「観世音菩薩とは何ものか」について話し、それが機関誌に掲載されましたから、日本の本部講師、本部講師補の皆さんは、詳しい内容を覚えておられるかもしれません。しかし、日本語以外の言語を使う参加者にとっては、まだ説明が不十分だろうと思います。ところが、今日の私の持ち時間はあまり多くなくなってきましたので、詳しい話は残念ながらできません。

 そこで、今日のテキストとして定めてある機関誌『生長の家』の8月号の私の文章を使って、大急ぎではありますが説明させてください。すでにご存じの方も多いと思いますが、「観世音菩薩」とは、古代インドの文語であるサンスクリットの「avalokitesvara bodhisattva」の漢訳(中国語訳)です。それを日本語で音読みすると「かんぜおんぼさつ」と発音されます。その意味を直訳的に言えば、「世の中の音(響き)を観じ、それに応じて人々を救い取ってくれる真理の探究者」ということになります。英語ではこれまでこれを「Goddess of Mercy」と表現していましたが、あまり正確な翻訳ではありません。というのは、「菩薩」という言葉には性別はないからです。男であっても女であっても、真理の探究をしている修行者、特に、自分が真理を悟るより先に、他者を救おうという愛他行に燃えた人は皆「菩薩」であります。それが女性であると解釈された理由は明らかでありませんが、多分、日本で作られた観世音菩薩像の多くが、女性的な容姿をしていたからでしょう。また、菩薩は「神」ではありません。特に、西洋社会では大文字の「G」を使って「神」を表現した場合、それは唯一絶対神を意味することが多いので、「Goddess of Mercy」という英訳は、原意から離れてしまいます。このような理由で、今回、このオフィスの敷地に設置された橋の1つに「観世音菩薩称念讃嘆橋」という名前を付け、それを英訳するに当たっては「Goddess of Mercy」を使わずに、「the Bodhisattva Who Reflects the Sounds of the World」という言葉を使いました。今後は、これを使っていく予定です。

 さて、この菩薩の思想がなぜ世界平和に貢献するかという点ですが、その理由の第一は、そこには「自他一体」の感情があるからです。「自分が救われていなくても、他人の救済を先行させよう」という考えは、自他一体感がなければ起こりません。例えば、親が、まさに交通事故に遭いそうな子を見て、自分がケガすることを顧みずに子供を助けに走った場合、その親の心には自分と子供との分離した感情などなく、「あの子は私の命だ!」という自他一体感に包まれているのです。慈・悲・喜・捨の四無量心とも共通しています。こういう人間の感情の大切さはもちろん、仏教だけで説かれているのではなく、キリスト教でも"よきサマリア人"などの喩えによって「無条件の愛」の大切さが説かれ、イエスは「いと小さき者の一人に為したるは、即ち我になしたるなり」と教えて、偉大なる自他一体の境地を説きました。しかし、仏教においては、この「菩薩」を数多く生み出し、人生のあらゆる場において「自分より他者を救う」ことの素晴らしさを強調してきました。「四無量心これ菩薩の浄土なり」という教えは、それを示しています。この「菩薩」の中で最大のものが「観世音菩薩」なのです。

 この自他一体感がどこから来るか、について考えてみましょう。そういう高級な宗教的感情は、相当の修行をした特別な人間にしか与えられないと、皆さんは考えられるでしょうか? 私はそうは思いません。もちろん、どんな人間も、どんな状況でも他者への自他一体感を簡単に抱けるわけではありません。しかし、人間は本来仏であり、神の子なのですから、多少の練習をすれば、どんな人間でもそれを感じることができるし、それによって「菩薩の浄土」に近づくことができると私は考えます。その証拠が、今日のテキストの中にまとめられているのです。

 谷口 雅宣

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