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2013年7月28日 (日)

宗教における都市と自然 (5)

Benedictsrule  マレリー講師が述べたように、『聖ベネディクトの戒律』では、食事や服装の決まり、代表者(abbot)の選び方、最低5時間の手仕事、3時間おきに行う1日8回の祈りの儀式などが細かく定められています。それらは当初、"初心者の小さな決まり"(beginner's little rule)として定められていましたが、しだいに、カトリック全体にとって無くてはならぬ"戒律"に変化していきました。これら修道会の運動は、しかし、何回もの"改革"(reformations)を必要としました。詳しくは、マレリー講師が発表した通りです。その理由はいろいろあると思いますが、一つ挙げられるのは「経済的発展」との関係です。農作業を含む手仕事を重んじた修道士たちは、厳しい環境の中でも工夫や努力によって自給自足的な生活から富を生み出し、経済力を手にするようになりました。そのこと自体は、決して悪いことではないどころか、文化を生み、育て、伝える役割を演じてきました。修道制度のこの"光明面"について、少し言及させてください。
 
 ヨーロッパ中世の研究者であるアン・フリーマントルは、ベネディクト派の修道士たちの社会への貢献について、次のように書いています--
 
「修道院の穀物畑、菜園、果樹園、養魚池などは、新しい農業技術の試験場のような役割りを果たした。図書館は、幾度となく繰り返された蛮族の侵入による破壊の手をのがれた書物の宝庫であった。写字室(scriptorium)の中で、修道士たちは書物を転写し、ヴェルギリウス、オヴィディウス、シーザー、キケロなどの作品や、ギリシャ語で書かれた著作のラテン語訳を後世に伝えたのであった。また修道士たちは、自分の衣服を織り、自分のぶどう酒をつくり、大工や石工の仕事も自分で行なった。彼らはこれらの有益な技術を、周辺の農村の人々にも教えた。病気の者や飢えた者を修道院の救護院に収容し、学問したいと思う者には修道院学校で教育を授け、家郷を遠く離れて旅する者には修道院の客員室を提供した。」(『信仰の時代』、p. 34)

 しかし、このように経済や文化、教育の面で社会に貢献した修道院制度であっても、経済的豊かさから生じる人間の心の問題については、必ずしも完璧な解決方法は見出していなかったといえます。その背景の1つとして、当時の社会では教会が国から手厚く保護されていたことが挙げられます。教会の所領と聖職者は、租税を免除されていたし、犯罪で告発された聖職者は、軽犯罪の場合は法廷ではなく、教会での裁判が許されていました。つまり、仲間うちでの裁判です。また、教会に大きな経済的恩恵を与えた制度としては、教会が金銭や財産の遺贈を受けることが許されていたことが挙げられます。これによってヨーロッパ中の国王と貴族が、自分たちの富を教会に贈与することを美徳の徴(しるし)と考えるようになったといいます。前出のフリーマントル氏によると、この傾向によって、「教会と修道院は、しだいにしだいに富裕になり、数世紀たつうちに、その所有地からあがる収入だけで、ヨーロッパのどの国の歳入をも上回ることが多くなった」(p. 32)ほどでした。
 
 すると、信仰生活に緩みが生じ、戒律への真剣さが失われ、欲望を満たすことへの抵抗が失われていったと考えられます。そこから、次なる改革への必要性が生じてきます。興味あることには、これらの改革はすべて未来を目標としたというよりは、修道生活の基本である禁欲的信仰生活、さらにはイエスと十二弟子が生きた"無所有の生活"にもどれという"原点復帰"の運動であった点です。マレリー講師によると、シトー会にいたっては、イエスよりもさらに時代を遡るモーセの40年の放浪生活に還ることさえ目指していたといいます。(『申命記』32:10)このシトー会のうち最も厳しい戒律をもつ「厳律シトー会」の流れをくむ修道会が日本にもいくつかあり、その中では北海道の「当別トラピスト修道院」と九州の「大分トラピスト修道院」が有名です。「トラピスト」とはフランスのノルマンディー地方のトラップ修道院の戒律に従うという意味の通称で、正式には「厳律シトー修道会」といいます。
 
 経済的豊かさが人を信仰生活から遠ざけるという問題以外にも、私たちがキリスト教修道会の歩みから学ぶことは多くあります。その1つは、「権力は腐敗する」ということです。経済的豊かさは権力と結びつくことが多いのです。とりわけ近世までの歴史においては、国家と教会は未分離でしたから、教会の権力は国家によって裏づけられる強力なものでした。それは、人々の日常生活を規制し、支配していました。ヨーロッパの宗教改革は、この問題に鋭いメスを入れました。1517年10月に始まった宗教改革は西ヨーロッパ全土に広がり、同じ精神のもとに、教会権力の束縛から逃れようとする大勢の人々が"新大陸"アメリカへ渡り、250年後のアメリカ合衆国成立(1776年)につながります。

 谷口 雅宣

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