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2013年7月27日 (土)

宗教における都市と自然 (4)

 聖ベネディクトが修道院の生活の規範とした戒律(「聖ベネディクトの戒律」)は、12世紀に至るまで西方教会唯一の修道会規であり、フランシスコ会、ドミニコ会以後の多くの修道会の会憲や会則のモデルとなったといいます。ベネディクトの妹スコラスティカも、同じ精神をもって生活する女子修道院を開いています。同会の会員は「清貧」「従順」「貞潔」および「定住」の誓願をたて、修道院において、労働と祈りの中で共同生活を送りました。
 
 ところで、イスラームにおいては、スーフィズムがこのキリスト教の修道会の制度を取り入れました。日本におけるイスラーム研究の第一人者、井筒俊彦氏によると、ムハンマド没後の661年に始まるウマイヤ朝期には、イスラームは都市に於いて拡大し、そこでの物質主義的、享楽主義的文化に影響されたことで、「教祖在世の頃、信徒の胸に烈々と燃えていた熱い信仰の炎は消え失せて宗教は外面的儀式となり、人々は神の懼れを忘却して、ひたすら現世の快楽を追い求めるに汲々たる有様であった」(『イスラーム思想史』、p.174)といいます。イスラム最大の歴史哲学者の1人であるイブン・ハルドゥーンも、都市文化の退廃の様子を次のように嘆いています――

Ibnkhaldun03  「都会の人は一般にさまざまな快楽に耽り、奢侈(しゃし)や現世における栄達や欲望の追求に身を委ねがちである。このためかれらの心は悪に染まってしまい、善の道からはずれてしまっている。田舎や砂漠の人は都会の人と同じように現世のことに関心をもっているといっても、生活必需品に関してであって、奢侈とか快楽の対象となるものについてではない。田舎や砂漠の人の行動を規制する習慣は、その生活同様に単純であって、かれらの犯す過ちも都会の人の過ちと較べると微々たるものでしかない。
 田舎や砂漠の人は自然状態に近く、都会の人と違い、罪深くて醜い行為を繰り返すうちに芽生える悪徳に、その心が染まっていない。田舎や砂漠の人に対しては容易に罪を諭し、善行に導くことができる。都会の生活は文化の頂点であると同時に、堕落への出発点である。都市生活は悪の最後の段階であり、善からもっとも遠い」。(藤田弘夫著『都市の論理――権力はなぜ都市を必要とするか』、pp.172-173)

 久都間講師の発表にもありましたが、西暦661年に成立したウマイア朝の初期には、このような都市の乱れた状況に堪えかねて、現世を否定的に見、魂の救済を求めるスーフィズムの運動が起こります。ここで思い出していただきたいのは、イスラームの聖典である『コーラン』は聖書の記述を前提にしているということです。聖書には『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』のように、"最後の審判"と現世の終わりを予言する"終末論"が説かれています。だから、物質主義的な都市の繁栄に疑問を感じたスーフィーたちは、「享楽的な生活の末は、必ず滅亡がやってくる」という信仰から、危機感を感じて運動をしました。

このスーフィーたちの修道生活が組織化されていった原因について、井筒氏は次のように述べています--
 
「そしてこの『修業道(タリーカ)』の組織化に重大な貢献をしたものは、既に四、五百年も以前から、主としてシリア地方からアラビア砂漠の奥地にまで入り込んで隠栖(いんせい)生活を送り、特色ある修行実践道を創り出していたキリスト教の修道者達であった。」(前掲書、p.177)

 そして、井筒氏は、これらスーフィーの生活を描いたスーフィー自身による著作から次のように引用しています--
 
「彼らには種々特色ある風習や生活様式があるが、なかでも、現世的事物の極少部分をもって満足し、食物のごときも絶対必要の最少量しかとらず、衣食住を最小限度に切りつめている。彼らは富裕を棄てて貧困を選び、欠乏を好んで豊沃(ほうよく)を避け、満腹を去って飢餓を取り、全て多よりも少を選ぶ。また高位顕職を望むことなく、万人万物に慈悲の心深く、大なる人にも小なる人にも共に謙虚の心を失わぬ」。(pp.178-179)

 このような例を見て私たちに分かることは、人間は洋の東西を問わず、物質的繁栄や享楽的生活に"弱い"ということです。信仰深い修道士たちでさえ、豊かな生活の中でつまづくことがありました。しかし、また、そういう自分たちの"心の弱さ"を知って、深く反省し、さらなる"神への従順"を決意して、欲望を抑え排除して進む意志を貫き、何度でもそれを実行してきたという歴史が、宗教運動の中にはあります。また、そういう努力は決して無駄だったのではなく、その努力の中から、価値ある文化や思想が生まれ、後世に伝えられてきていることを忘れてはいけません。

 谷口 雅宣

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