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2013年6月

2013年6月17日 (月)

大聖師の信仰と使命感に学ぶ

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城で「谷口雅春大聖師二十八年祭」が厳かに挙行された。季節柄、梅雨空が心配されたが、朝から日差しのある好天で、海風も吹く奥津城前は快適だった。御祭には宮城、茨城、群馬、奈良、長崎南部、沖縄からの団体参拝練成会参加者など約480名が参列し、谷口雅春先生の生前の御徳を偲び、運動のさらなる発展を誓った。
 
 私は玉串拝礼をさせていただき、御祭の最後に概略、以下のような挨拶をした--
 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師二十八年祭に大勢ご参列いただき、誠にありがとうございます。

 多くの方はすでにご存じのとおり、谷口雅春先生は若い頃から大変な努力家であり、勉強家でありました。孫の分際で私がこんな言い方をするのは失礼かもしれませんが、私も六十路を過ぎ、“高齢者”の仲間入りをしようとする年齢に達しまして、雅春大聖師が今の私の年齢の頃、どういう生活をされていたかということを時々思うようになりました。特に今年は、生長の家の国際本部を東京から山梨県の北杜市へ移転するので、身の回りの古い資料を整理する必要があるので、そんな機会が増えています。最近も、そういう作業をしているときに、雅春先生の蔵書の中に英語の本がたくさんあるのを見つけ、その一部をパラパラと見ていたのであります。ハードカバーの上製本が多く残っていて、1910年代の初めに発行されたニューソート系の思想家のもの、インド人の著者によるヨガや瞑想法に関するものが目立っていました。新品同様のものもあるのですが、よく使われた形跡のあるものや、先生自らが包装紙などでカバーをかけて大切に使っておられたことを窺わせる本も何冊かありました。
 
 蔵書にあるニューソートの思想家の名前を挙げると、オルソン・マーデン、スター・デイリー、クリスチャン・ラーソン、フェンウィック・ホルムズ、ラルフ・ワルドー・トライン、ハーヴィー・ハードマンなどです。雅春先生は昭和5年(1930年)の立教に先立って、書店でフェンウィック・ホルムズ氏の『The Law of Mind in Action』を偶然手に入れて読んだことが、生長の家の思想形成に大きな役割を与えたというのは、有名な話です。しかし当時は、現在のように通信・運搬や旅行の手段が発達していませんでしたから、生長の家とそういう人々との交流はほとんどありませんでした。また、日米関係が悪化しつつあったことも、人的交流がなかった一因と思われます。

 生長の家の歴史をひもといてみると、谷口雅春先生とニューソート系の思想家の本格的な交流が始まるのは、だから第二次大戦後となることがわかります。雅春先生は、敗戦後の昭和23年(1948年)の半ばに、戦前、日本の軍国主義に協力したという理由で執筆追放になりますが、その直前に、メンタル・サイエンスのハードマン博士と直接連絡を取る機会を得、交流が始まったのであります。ハードマン博士は昭和24年に来日して、雅春先生との共同講演会を東京、大阪、京都などで行いました。そして、昭和26年に雅春先生は執筆追放解除となり、そこから戦後の生長の家の昭和運動が本格的に開始されるのです。

 海外布教が本部の主導によって行われるのも、この頃からです。昭和25年には、当時「総持」という重職にあった中嶋与一氏が、ハワイからアメリカ本土に半年間の布教旅行を行い、翌年の4月末には、ハワイからの信徒が団体で本部を訪れています。また、6月からは中嶋氏による2回目の米国布教が同じく半年間の日程で行われました。翌昭和27年には、当時青年部長だった徳久克己講師がアメリカとブラジルへ講演旅行をし、同じ年の11月に英文の『生長の家』誌が創刊されます。ですから、この昭和25年、26年前後は、生長の家の国際布教活動の“草創期”であったと言えるのです。
 
 生長の家の月刊誌の記事としては、すでに創刊号に海外の文献からの引用や翻訳が見られますが、ニューソートの思想家の紹介や文章の引用などが目立つようになるのは、この頃からです。翻訳出版物も多く出ました。実は、この昭和26年という年の12月に、私が生まれました。妻は、それから1週間と少したった翌年の1月初めが誕生日です。このように考えると、私がこの世に誕生した頃に谷口雅春先生と生長の家が目指していたことと、今日の国際平和信仰運動との間に不思議な呼応があることが分かります。
 
 昭和26年には、先生は58歳でありました。私は昨年、還暦を迎えたのであります。ということは、私が最近パラパラと眺める機会を得たいろいろな英語の書物は、雅春先生が58歳前後の年齢のときに入手して読まれた本である可能性が高いのです。そう考えると、私は今、58歳の雅春先生の気持を考えて、もっと言えば、私は58歳の先生の立場に自分の身を置いて、それらの本を眺めることができる--僭越ながらそう感じて、私はそれらの本がどんなものであるか興味をもって調べてみました。
 
 ニューソート系の思想家の著書が多くあるのは、不思議なことではありません。当時は、インターネットを通じてアメリカから直接本を買うことなどできませんでしたから、それらの本は、神田の古本屋で買ったのか(谷口清超先生は時々、そうされていました)、アメリカの信徒の方が送ってくれたのか、あるいは生長の家との交流が進んだことで、著者やその付近のニューソート関係者から贈られたものだったでしょう。しかし、それだけでは説明できない本もありました。それは語学の本でした。私はそれを発見して驚いたのであります。私は自分のことを考えると、もう還暦を過ぎてから新しい外国語を学ぶという意欲は湧いて来ないのでありますが、雅春先生の蔵書の中には講演をうまくやるにはどうしたらいいかという内容の6冊組の教本がありました。タイトルは『Effective Speech』(効果的な講演法)です。さらに、これは日本語の古い本ですが、フランス語の教本もあったのです。タイトルは『英語対照 自修者の佛蘭西語』というので、著者は鈴木信次郎氏、発行は昭和13年の4月でした。
 
 皆さんは、立教前の谷口雅春先生が、アメリカの石油会社の翻訳係をされていたことをご存じと思います。ですから、先生はすでに若い頃から、しかっりとした英語の素養をお持ちでした。また、先生が日本語の講話や講演については達人のレベルであったことは、戦前から変わりません。となると、先生は何のために講演の初心者のための手引き書のようなものを持っておられたのでしょうか? 人から贈られたと考えることもできますが、英語の教本を当時の先生に贈る人となると、外国人以外にはあまり考えられません。先生は、その6巻組の本を贈られたけれども、読まなかったとも考えられます。が、その本を開いてみると、先生が読まれたと思う証拠が出てきました。本のページの間に、当時の古い白黒写真が入っていたのです。ということは、先生はきっと、将来の英語による講演や講話のために、その教本を読んでおられたに違いありません。私はそう考えて、雅春先生の旺盛な勉学への意欲に学び、「60歳ははな垂れ小僧」という言葉もありますから、さらに勉学や努力を積んでいかねばならないと心に銘じたのであります。
 
 この雅春先生の勉学への意欲は、もちろん先生の強靱な信仰と使命感にもとづいています。先生は、ご存じのように、70歳を過ぎてから東京からこの長崎の地に移られ、生長の家総本山を建設されました。私たちもこの偉大な大聖師の御心を手本として、これからもさらに多くを学び、霊的に成長し、多くの人々に御教えを伝えていこうではありませんか。大聖師の二十八年祭にあたり、所感を述べさせていただきました。
 
 ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣
 

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