奇蹟の果実
都内のDIY店で3年ほど前に買ってきた若木だった。スモモは、暑い盛りに水分の多い実を提供してくれるので、それにあやかりたいと考えたのだ。簡単に実ができると思っていたが、そうではなかった。当初は1.2メートルほどの高さだったのが、上にぐんぐん伸びてくれた。が、葉が茂ったころを見計らうように、カナブンが飛んできてムシャムシャと葉を食べるのだ。その数は20から30、あるいはそれ以上だ。近くにブルーベリーの木があって、カナブンはこれにも食らいつくが、スモモの葉の方が柔らかいからか、先に狙われる。そして、スモモを無残な姿にしてから、ブルーベリーへと移動する。
私は最初、この緑色の甲虫に憎しみを感じて捕まえたりしていたが、殺虫剤は使わない主義だし、彼らとて食事をする権利は認めるべきだし、それに、人間が近づくと枝から落ちて必死に逃げ、手でつかむと力いっぱい抵抗する。そんな彼らをいじらしく感じて、見て見ぬふりをするようになった。こうして、1年目と2年目は、花ひとつつけない若木を見て過ぎた。ところが今年、まだ寒い頃に白い花がいくつも咲いているのを妻が見つけた。そして、二人して、「今年はカナブンが発生しないように……」と願っていた。花が終わっても、カナブンは姿を現さなかった。「もしかしたら……」と私たちは期待した。そして5月になって、ほんの数個だが、実ができているのを知った。
ものの本を見ると、スモモは「自家不結実性が強い」と書いてある。つまり、花が咲いても、同一樹の花同士では、メシベにオシベの花粉がついても結実するのが難しいということだ。だから、「受粉樹の混植または人工授粉が必要である」とも書いてあるのだ。わが家の庭には、このほかにスモモはない。ということは、今回は同一樹の花の間で受粉と結実が行われた可能性が大きい。もちろん、私の知らない人さまの庭や、マンションのベランダに別のスモモがあった可能性はある。が、その場合でも、その花の蜜を吸ったチョウかミツバチが、たまたまわが家のスモモにも来てくれたのでなければ、結実はなかったのだ。その虫を探し当てて、「ありがとう」と言いたい気持になった。
スモモにとっても、虫にとっても、人間にとっても、うれしい状況が実現している。願わくは、この実が無事育って、(カナブンの口にではなく)人間の口の中に入るように、などと思わずにいられない。が、ひるがえってスモモの立場になってみると、どちらの動物の口に入るのがいいのか……そして、この実の中で生長しつつある種のことに考えが至るのである。
●自然の中に神さまの命を感じる祈り
自然界では、多くの種類の生物が、あらゆる場所で工夫をこらしつつ、おたがいに助け合う愛の中で生きています。私はそこに、神さまの命と知恵と愛を感じます。
命あるもののみが命を感じ、知恵あるもののみが知恵を感じ、愛あるもののみが愛を感じるのです。私が自然界のすべてのものの中に神さまの命を感じることができるのは、私の中に神さまの命があふれているからです。私は今、そのことをアリアリと知り、私が神の子であることを深い感動をもって思いおこします。そして、すべての人々が、すべての生物が私の命と一体であるだけでなく、神さまの命が私と彼らを一つに結んでいるという、生命の荘厳な実相を悟ります。神さま、ありがとうございます。
谷口 雅宣