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2013年4月

2013年4月24日 (水)

“峻厳な愛”の美しさ

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城で「谷口輝子聖姉二十五年祭」が厳かに執り行われた。長崎地方は前日から雨模様だったので、奥津城での開催ができるかどうか危惧されたが、御祭が開始してまもなく、曇天から陽が差し、青空ものぞいて無事、御祭はつつがなく終了した。私は玉串拝礼をさせていただき、御祭の最後に概略、以下のような挨拶をした:
 
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 本日は谷口輝子聖姉二十五年祭に大勢ご参加くださり、ありがとうございました。

 谷口輝子先生がご昇天になってからもう25年がたったというので、時の流れの速さを感じさせられます。輝子先生には、昭和44年(1969年)に出版された『めざめゆく魂』という著書があります。この年は立教40周年の記念の年に当たり、翌45年は、雅春先生との金婚式(50年目)を迎えるという節目の年でありました。先生は明治29年(1896年)の3月に誕生されたので、73歳のときの出版です。輝子先生は非常に愛の深い方でありましたが、その愛は単に甘やかしたり、溺愛するのではなく、知恵と正しさに裏打ちされたものでしたから、時には“峻厳なる愛”の形をとることもありました。私は幸か不幸か先生が55歳のころ、4番目の孫として生まれましたから、その頃には輝子先生もだいぶ“角”がとれておられたのか、その正しさを愛する“峻厳”な部分に接したというよりも、“優しさ”の方を多くいただいたような記憶があります。
 
 この輝子先生の『めざめゆく魂』には、谷口雅春先生が「はしがき」を書いておられます。そこで雅春先生は輝子先生のことを「どんな煩悩の惑わしにも屈しない凜としたものがある」と評されています。そこの部分をまず、ご紹介しましょう。ここは有名な箇所なので、皆さんの中にもすでにご存じの方が多いかもしれません--
 
「人間は、どんな女性を自分の妻とするかということによって、自分の運命が変ってくるものである。若し私の理想に向って彼女がついてくることを拒んでいたならば、また、拒まないにしても反対意見をもっていたならば、私はただの会社員で一生涯を終っていたかも知れないと思うのである。彼女は私が浴衣一枚の着のみ着のままで縄の帯をしめて、世界で一ばん貧しい生活をするのが理想だと思っていた時、結婚してくれたのである。たしかには売れるという目算もない精神修養の雑誌を出して“人類光明化”という大それた運動を起すというような第三者が見たら狂気の沙汰だと思えるような仕事を私がはじめても、反対するどころか、それこそ人間としてうまれた生き甲斐であるといって激励し協力してくれたのが彼女である。もし、彼女がそんな理想には、とても馬鹿らしくて随いて行けないというような妻であったならば、私は屹度、その運動をつづけて行く勇気を失っていただろうと思われるのである。私はこの随筆を最初のページから読みながら、生長の家の人類光明化運動の今日あるのは、まったく、この妻のお蔭であると自然に感謝の念で目がしらが熱くなるのを感じた」。(pp.2-3)

 雅春先生の輝子先生への高い評価は、このあとも続いていて、「はしがき」の最後のところには最大限の称賛の言葉が出てくるのでありますーー

「まったくこの随筆の著者は私の魂の半身であると共に、生長の家・人類光明化運動の半身でもあるのである。本書を読む人はその随想随筆に終始一貫して流れている清潔な魂の声に必ず何らかの共鳴を得られるに相違ないと思うのである」。

 私は、このような女性を自分の祖母としてもったことを誇りに思うのです。私も妻をもらうならば、このような女性を希望すると考え、現在の妻をありがたく獲得させていただいた、と言えるかもしれません。しかし最近は、女性を評価する基準が少し変わってきているようです。「カワイイ」ということがやたらにもてはやされて、この言葉は外国でも使われるようになった。しかも、これを男性が女性を評価するのに使うだけでなく、女性が男性を「カワイイ」といって評価し、評価された男性がそれに満足している様子である。これではいけないと思います。これでは、単に他者に媚びへつらい、迎合することとあまり変わらない。“自分”が何者であるかの意識がない。人間を超えた価値への意識が欠けていると思います。輝子先生のように、神への信仰や正しさというものを自分以上の価値として意識している人は、雅春先生が「どんな煩悩の惑わしにも屈しない凜としたものがある」と評されているように、その人の姿には「気品」が感じられるものです。
 
 その人間の「気品」について、輝子先生が書かれているところを次に紹介したいのでありますーー
 
「気品はどうして得られるか。それは、気高い心を持つことであり、気高い行動を日常に為しつづけることである。自分の職業が良心に恥じないものであり、自分の仕事が、たとい屑拾いであろうと、便所掃除であろうと、いささかも賤しいものでなく、何かのお役に立っている大切な仕事の一つであると信じたら、その人の容貌は決して下品にはならないのである。どんな仕事にも、正しい心で接し、愛の心で行えば明るく尊い表情となるより仕方がないのである。
 先祖代々の劣等感によって、生れつき低い鼻や、頬骨の高い顔だちになっていても、今、自分が尊い神の子であることを悟り、神の子らしい気高い心となり、神の子らしい生活をして行ったら、一日一日と神の子らしい気品が現われて来るようになり、その人の心境の速度や深度に比例して、その人の雰囲気の浄化も大きくなるのである。親の心境の高まるに従って、その子らも高貴の相貌へと変わって行くに相違ない」。(pp.43-44)

 輝子先生がここでおっしゃっているのは、“人間・神の子”の自覚を常に大切にしていれば、仕事や生活がどうあろうとも“尊い表情”になるということです。それはたとい、顔の造作が少々マズクても、毎日、“神の子”の自覚を深める努力をしていれば、自然に“尊い表情”へと変わっていくというのです。これはなかなか素晴らしい美容法ではありませんか。高額な美容整形などへいくよりも、経済的コストはよほど安く上がるに違いありません。が、“三正行”を続ける努力はしなくてはなりません。真理を生活に活かすということは、こういう側面もあることをぜひ、皆さんは知っておいてください。
 
 もう私の年になれば“高貴な相貌”など必要ない、と考えないでください。問題は私たちの内側の“心”のことなのです。相貌や表情、あるいはその人の全体から感じられる雰囲気などは、その心の表現です。どういう心を持ち続けるかがいちばん大切です。それを輝子先生は「正義」と「愛」とをバランスさせた生き方を通じて、私たちに示して下さった。そのことを先生の二十五年祭において強く感じるのであります。

 私はこの間、テレビの衛星放送で釧路湿原のタンチョウヅルの生活についての番組を見ました。タンチョウは、一度つがいをつくると一生涯、二羽は連れ添うといいます。私たち人間は、そのことだけからも学ぶことは多くあるのですが、私がこの番組を見て強い印象を得たのは、子育ての様子でした。タンチョウは一羽か二羽の子を産むのですが、その子は常に親鳥夫婦のそばにいて、エサをもらうだけでなく、その捕り方も学習し、最初に飛ぶときにも親の手ほどきを受けます。また、キタキツネやオジロワシなどの天敵が近くに来ると、両親は体を張って子を護るのであります。だから、親の愛情は疑う余地がない。ところが、タンチョウの子が成長して、ある一定の時期になると、親鳥は一転して、自分の育てた子が近づいて来ると、追い払う行動を始めるのです。子ヅルは、一度追われても、また寄って来ます。すると親はまた、長いクチバシを振って子を追い払う。これが数回続いて、子ヅルはやっと納得したように、親元を離れるようになる。

 私はこういう行動の中に、自然界には愛だけでなく、正しさを貫く厳しさがあると感じました。この愛と正義とのバランスは、輝子先生の生き方とも相通じるものです。タンチョウと人間の心の中に起こることが全く同じであるとは思いませんが、“執着の愛”を捨て、愛するものを自立させるということが、自然界の秩序と子孫の正しい繁栄のためには必要であることは明らかです。私たちは今、“自然と共に伸びる”運動を目指して進んでいますが、自然界では単に「居心地がいい」とか「美しい」とか「豊かである」というだけでは許されないことがあります。時には“峻厳の愛”を出して子供や若い世代の人々を導く使命が、先に生まれた者にはあるのだと思います。谷口輝子先生は、そのことをご生涯をもって示してくださった。私たちも、先生からいただいた教えをさらに次代の人々に伝えていかねばなりません。二十五年祭に際して、感ずるところを申し上げました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2013年4月 6日 (土)

七層の石塔について (2)

7storytower  3月16日の本欄で、生長の家の国際本部が移転する山梨県北杜市の“森の中のオフィス”の敷地には、白髪白髯の霊人の神像を東京から移設するだけでなく、「七層の石塔」を建てることを書いた。この石塔がどんなものであるかの詳細が、4月3日の会議で決まった。正式名称を「七重塔(しちじゅうのとう)」と言い、毎年、7月7日の万教包容の神示の日に、オフィス敷地内にできる「万教包容の広場」に1基ずつ増設し、その際、万教帰一の教えによる世界平和の実現を誓願する「万教包容の御祭」を行うことになった。
 
 「塔」は、もともとインドで死者を葬る施設「Stupa」を漢訳した「卒塔婆」から来ていることはすでに書いた。また、仏教がこの習慣を取り入れて、仏舎利を安置する塔を各地に建てることを始め、塔が増えて仏舎利が分けられなくなると、「法舎利」として経典を収めるようになったことにも触れた。生長の家はこの習慣を取り入れて、七重塔の最下層には、聖経『甘露の法雨』のほか『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』の経本を収めることになった。七重塔のデザインはここに掲げたようなもので、高さ2.5メートル、生長の家のオリジナルである。七層の石塔は日本各地に存在するが、それらは塔頂部に「相輪」と呼ばれる独特の構造をもっている。これは、雨風から卒塔婆を護る傘状の蓋を起源とするもので、それ自体が多層の卒塔婆を表している。私たちの七重塔では、この二重の表現を採用する代わりに、塔頂部に如意宝珠を置くことで、運動の目的をより明確に表現することにした。つまり、実相世界の荘厳を地上に顕現させるーーそういう役割をもった如意宝珠をいただいた運動であるということを表現したのである。
 
 この点については、『法華経』見宝塔品のクライマックスの解説で、谷口雅春先生は次のように、如意宝珠と多宝塔との関係を説かれている--
 
「(前略)地より湧出したことは、地下の竜宮城がそこに姿をあらわしたことであります。竜宮城の甍は七宝をもって葺いてあるので、私たちが、如意宝珠観に於いて「此処、竜宮城なり、海津見神の宮なり、塩椎神の宮なり、住吉神の宮なり、一切の宝あまねく満ち、一切の調度悉く七宝をもて荘厳せり」と観想する龍宮無限多宝の世界が、法華経の真理の説かれる処に実現することが此処に書かれているのであります。私たちは現象の“利”などを齷齪と追求することは要らない、法華経の真理が正しい意味で説かれれば、自然に多宝如来(竜宮の大神・住吉大神)の御出現を見るのであります。そこでこの七宝の塔を“多宝塔”と呼び、多宝塔の中から多宝如来の声が聞えて来るのであります」。(『法華経解釈』、p.357)

 仏教の伝統では、多宝塔は基本的に2層構造であるが、生長の家では「七つの燈台」との関係で7層構造を採用していることは、すでに書いた。そこで今回採用された塔のデザインも7層となっている。さらに、七重塔のもう1つの構造的特徴は、中心部に垂直方向に鉄筋が貫いていることで、これは「多様性を中心にまとめる」という中心帰一・万物調和の理念の象徴としてとらえられる。また、この「7」という数字は「完成」や「すべて」を表現していることから、生長の家の七重塔は、「完全円満」な「すべての存在」を包蔵する実相世界を様々な角度から表現する“象徴”としての役割を担うことになった。この役割は“7つの象徴”として次のような7項目にまとめられた--
 
 ➀万教帰一(七つの宗教)--七つの社は「七つの燈台」すなわち世界の宗教をあらわすため、七重塔は各宗教が多様性をもちつつ“人類共通の救いの原理”に中心帰一して大調和する姿をあらわす。
 
 ②国際平和(七つの大陸)--七つの社は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極の七つの大陸をあらわすため、世界の国々が多様でありながら神の御心に中心帰一して大調和する姿をあらわす。
 
 ③多様な民族の調和(七つの民族)--民族とは、言語・文化を共有する人間の集団をいうので、七重塔は、人類の多様な民族が相互に調和している姿をあらわす。
 
 ④多様な文化の調和(七つの文化)--文化とは、社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式や生活様式の総体をいうから、七重塔は、人類のもつ多様な文化が調和しながら共存共栄していく姿をあらわすと共に、生長の家の教えが世界の各文化圏にふさわしい形で正しく伝えられている姿をあらわす。
 
 ⑤世代間の調和(七つの世代)--七重塔は、生長の家の教えが、中心を外さずに「七つの世代」にわたって、つまり「永遠に」引き継がれていく姿をあらわす。また、世代間倫理をまもること、さらには運動の後継者育成の願いを込めた象徴でもある。
 
 ⑥生物間の調和(七つの生命)--地球生命の大調和の象徴。七重塔は、地球上のあらゆる生命を意味しているので、神の御心のままに多様な生物種が繁栄する豊かな生物多様性をあらわす。
 
 ⑦拠点・組織間の調和と発展(七つの拠点)--生長の家の運動が中心帰一を保ちながら多様な拠点へ、多様な組織の形で発展していく姿をあらわす。七重塔は、生長の家の世界の各拠点、あるいは多様な組織をあらわし、各拠点・組織の人々が多様性をもちながら調和して発展する様子を象徴する。
 
 このような“古くて新しいシンボル”ができたことで、私たちの運動が今後、さらに飛躍的に進展することが期待されるのである。
 
 谷口 雅宣

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