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2013年3月 7日 (木)

“光明の塔”の構造について

 現在、東京・原宿にある生長の家本部会館には、「光明の塔」と呼ばれている円筒形の建物がある。この正面に、聖書の『ヨハネの黙示録』に由来した神像が飾られているという事実は有名だ。しかし、この建物が7層の構造になっていて、生長の家で説く「万教帰一」の教義を表現していることは、あまり知られていない。大体この塔は、外観から見ただけでは7階建てには見えない。しかし、この「光明の塔」は二重、三重の意味で、万教帰一の象徴なのである。

 光明の塔の7層構造の意義については、『生長の家』誌の昭和26年3月号に発表された「生長の家教団総本部会館建設計画」という一文を読めば、明確にわかる。この文章は、本部会館竣工の3年前に、会館の外観デザイン画とともに同誌に掲載されたものだ--

「宗教的雰囲気豊かに荘重にして高雅なる建築設計であることは、設計者の言葉によっても窺い知ることが出来ます。最も特徴的である谷口先生御構想の正面の円塔は円満を象徴する直径四間の大円塔にして、地階を合わせて七階の高層は七つの燈台を現し、一階より四階までふき抜き(ママ)とし天井と周囲の壁面には天国を象徴する宗教的浮彫を施し、上部の周囲より射し込む黄金色の光線は一切を照し給う光明を象徴する荘重なる設計であります。」(原文は旧漢字旧仮名遣い、以下同じ)
 
 この一文には「万教帰一」という言葉はないが、「七層の高層は七つの燈台を現し」と明記されている。生長の家では、「七つの燈台」が万教帰一の教えの象徴であることは、多くの読者がすでにご存じのことと思う。例えば、『神ひとに語り給ふ--神示講義、教の巻』(昭和35年刊)では、谷口雅春先生は「“七つの燈台”の意味するもの」という小見出しの下に、次のように説かれている--
 
「さて、聖経の巻頭に“七つの燈台の点燈者の神示”という言葉が出ているのでありますが、爰に生長の家は一宗一派ではないということが、ちゃんとこの神示に書かれているのであります。“我は七つの燈台に燈(ひ)を点ずる者である”と生長の家を創(はじ)められた神様がみずから言っておられるのであります」。(pp.44-45)
 
 この「七つの燈台に燈を点ずる者」の意味については、先生はさらにこう述べていられるーー
 
「(前略)世を照らす光の燈台である各宗の教えに、生きた火を点ずる役目として出現せしめられたのが、生長の家であります。燈(ひ)をつけるのであって、決して各宗の燈台を壊すのではないんですから安心せられたいのであります。」(p.51)
 
 生長の家で「七つの燈台」と呼んでいるものは、現在の聖書では「七つの燭台」と表記されている。『ヨハネの黙示録』第1章12~14節には、こうある--

「そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。」

 この白髪白衣の“人の子のような者”を象って、神像が造られた。このことと七層構造を考え合わせれば、光明の塔は二重の意味で“万教帰一の塔”としてデザインされたということが分かる。しかし、「万教帰一」を象徴するのであれば、これだけではキリスト教的なデザインに偏重していると考えることもできる。つまり、塔の七層構造も神像の意匠も、聖書から借りてきていて、他の宗教とは関係がないと思われる恐れがある。

 谷口 雅宣

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