七層の石塔について
前2回の本欄で述べたように、昭和29年(1954年)3月に竣工した現在の生長の家本部会館は、そこを“万教帰一の殿堂”たらしめんとの意図のもとに建立された。また、計画がまとまった当初から、この建物を「生長の家教団総本部会館」と呼ぶことが決まっていた。つまり、この会館は、全国の生長の家の拠点や道場をたばねる役割を担う目的で建てられたのであり、恐らく日本国内だけでなく、世界の運動の拠点も視野に入れていたと思われる。というのは、当時の生長の家が発行していた機関紙『愛行』には、ロサンゼルスからの信徒の手紙も掲載され、同年3月末には、アメリカの光明思想家、スター・デーリー師が来日して、完成したばかりの会館の講堂で“歓迎大講演会”が催されたからである。
それから約60年が経過した。生長の家の国際本部はこの原宿の地から八ヶ岳南麓の“森の中”へ移転しようとしている。その理由は、すでにいろいろな形で読者にお知らせした。生長の家はもちろん“森の中”に蟄居してしまうのではなく、今後もさらに“万教帰一”の宗教運動として活動を拡大していく使命がある。だから、新しく建設されるオフィスの敷地内にも、この「光明の塔」に匹敵するような“万教帰一の象徴”が設置されることが望ましい。そんな理由もあり、現在、光明の塔の正面に掲げられた神像をオフィスへ移設することが、昨年11月に決まった。また、去る3月6日の最高首脳者会では、神像が移設される北側の広場に、縦型の「日時計」と「七層の石塔」を立てることが決まった。日時計主義の生き方を進める運動の本拠地に日時計を設置することは、当然といえば当然である。が、「七層の石塔」については少し説明が必要かもしれない。
前2回の本欄から、「七層の石塔」と聞いてピンと来た読者もいられるに違いない。現在の本部会館の「光明の塔」が七層の円筒形をしている理由は、それが“万教帰一”を象徴するからだった。そして、白髪白髯の霊人の神像がそこにあるのも、その像が“万教帰一”の象徴であるからだ。この2つの象徴の1つ(神像)が“森の中”へ移転するのであれば、もう1つの方(光明の塔)もできれば移転したい。しかし、ご存じのように、都会と森の中では建築事情が大きく違う。また、昭和29年の日本や世界の環境と、今日のそれとは大きく異なる。“森の中のオフィス”は自然と人間との共存を目的として、地元の木材を使った低層の木造建築物を斜面に並べる方式を採用した。そんな場所に鉄筋コンクリートで7階建ての塔を建てるわけにはいかない。しかし、神像以外にも“万教帰一”の象徴があれば、それを導入することができる。そんなわけで、人が中に入れるような大きな建築物ではなく、地面に置いて外から眺める程度のサイズの石塔を立てて、私たちの運動への決意を示したい。それが、七層の石塔を立てる理由である。
簡単に言えば、七層の石塔は光明の塔の“ミニチュア版”である。ただし、そのままの複製ではなく、光明の塔がいわば“洋式”ないしは“キリスト教式”であるのに対し、石塔は“和式”ないしは“仏式”のデザインを採用することになる。中国や朝鮮、日本など仏教の伝統のある国では、「塔」というものに宗教的な意味を付与して、それを仏閣の一部に使用してきた。もともと「塔」の語は、サンスクリットの「Stupa」を漢字に音写した「卒塔婆」の略語で、インドでは死者を葬る施設だった。釈迦の死後、遺体は火葬され、遺骨が信者によって分けられた際、塔を造って納めたことから、これが仏教に導入されたという。つまり、仏舎利を安置するための供養塔が「塔」の起源である。だから初期の塔には仏舎利が納められたが、塔の数がふえるとともに、代用となるもの--舎利を象徴する玉や、「法舎利」として経典が収められるようになった。
仏教が中国に伝わると、塔の建築は楼閣建築と合わさって木造の層塔(多重塔)が造られるようになり、これが日本へも伝わった。7世紀末~8世紀初めにかけて造られた法隆寺の五重塔は、現存する最古のものとして有名である。また、8世紀半ばには、聖武天皇が詔を発して、諸国にそれぞれ七重塔を1基ずつ造り、その中に金光明最勝王経と妙法蓮華経を納めるよう命じた記録が残っている。このように、木造の塔は3層、5層、7層、9層、13層と、多宝塔(2層)など大型のものへと発展していったが、その一方で、石のものも造られた。石塔は日本では小型のものしかなく,3~13層の多層塔,多宝塔,宝塔,宝篋印(ほうきよういん)塔,五輪塔,無縫塔,笠塔婆などが造られてきた。現在残っている七層の石塔で古いものは、赤人寺(滋賀県東近江市蒲生町)、旭野神社(同)、栄山寺(奈良県五条市)、般若寺跡(福岡県太宰府市)などにある。
さて、そういう歴史をもつ七層の石塔をなぜ、生長の家が“森の中のオフィス”に設置するのか? その理由はすでに述べたように、“万教帰一”の教えのキリスト教的表現である神像を移設するのと併せて、同じ教えの象徴である「光明の塔」を仏教的に表現し直したものを設置することで、内面的のみならず、外面的にも--つまり、目に見える形で“万教帰一”の考え方を示したいからである。現在の計画では、この七層の石塔は、白髪白髯の神像の背後に置くことになる。しかも、1基だけ置くのではなく、毎年1基ずつ、「万教包容の神示」が天降った7月7日に増設していく予定である。光明の塔を“ミニチュア化”したおかげで、このことが可能になった。「7」の数字は「完成」や「すべて」を意味することは、読者もご存じだろう。今後の地球世界では、すべての宗教が相互協力して、神・自然・人間の大調和の実現に向けて進んでいかねばならず、生長の家はそれを目指していくことになるだろう。
谷口 雅宣
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コメント
合掌 ありがとうございます。
総裁先生 胸がわくわくします。
有難うございます。
とても うれしいです。
再拝
投稿: 山本 順子 | 2013年3月19日 (火) 08時57分
合掌 ありがとうございます。
総裁先生のブログを拝読して "七つの燈台"の意味するもの、"七層の宝塔" 「万教帰一」について深く知ることができました。恥ずべきことなのですが いかに不勉強で無知な私でした。 谷口雅春大聖師は「万教帰一」を全身全霊で全世界へお伝えしていらっしゃることをあらゆる場面を通して 総裁先生によって 詳しくお書きくださいましたことに感謝申し上げます。
神様から選ばれし私たちは菩薩の行を使命として "森の中のオフィス"の実現とこれからの運動の変化に 大きな希望をもって一国のみならず 地球生命を救う運動を微力ながら行じてまいります。 再合掌
島根教区 足立冨代
投稿: 足立冨代 | 2013年3月21日 (木) 22時18分