新しい運動を創化しよう
今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて「立教84年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が執り行われ、日本全国のみならず東アジア、南北アメリカ、ヨーロッパからも代表者が参列した。私はこの中で概略、以下のようなスピーチを行った--
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今日は、第84回目の生長の家のお誕生日です。皆さん、立教記念日おめでとうございます。
すでに皆さんもご存じの通り、生長の家は昭和5年3月1日の日付で発行された『生長の家』創刊号をもって立教としています。それから83年がたっているのであります。私は昨年11月のブログの記事で、“40年変革説”というのを唱えたのであります。つまり、生長の家の歴史を振り返ると、だいたい40年ぐらいを節目として、運動の中心拠点の移転を伴うような大きな変化が起きているということです。1回目は、創始者・谷口雅春先生が東京から長崎へ移住された昭和50年(1975年)で、それから38年たったのが今年です。まだ40年には至りませんが、“森の中のオフィス”での業務開始は7カ月後の10月ですし、それにともなう運動年度の変更などが今後の運動に定着するまでには、あと2年はかかるだろうと思います。
このように運動が大きく変化する節目にあるときは“原点に帰る”ということが重要ですから、私は今年の初めから、生長の家の教えの基本中の基本である「大調和の神示」に回帰しようということを講習会などで訴えているのです。さて今日は、『生長の家』誌創刊号の発刊を記念した日でありますから、この創刊号に掲載された記事を通して、私たちの運動の“原点”をさらに確認したいと思うのであります。私はほとんど毎年のように、立教記念日にはそれをやってきたのでありますが、今日は“コトバの力”の使い方について確認したいのです。この創刊号には「日時計主義」が明確に打ち出されていることは、過去の立教記念日には何回も申し上げてきました。しかし今日は、それとも関係がある別の言葉--「創化」ということについてお話ししたいのです。
この言葉は、創刊号の裏表紙にある「生長の家の宣言」の中に何回も出てきます。この「宣言」は、現在では「七つの光明宣言」と呼ばれているもので、『生命の實相』の第一巻にはその解説が掲載されています。しかし、このオリジナルの宣言文は7項ではなく6項目でした。その第3項には、こうあります--
「吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)を歩まんがために生命の創化の法則を研究す。」
また、第4項には--「吾等はリズム即ち言葉を以て生命の創化力なりと信ず。」とあり、さらに第5項には、「吾等は言葉の創化力にて人類の運命を改善せんがために善き言葉の雑誌『生長の家』を発行す。」とあり、最後の第6項にも「吾等は心の法則と言葉の創化力を応用して病苦その他の人生苦を克服すべき實際方法を指導し相愛協力の天国を地上に建設せんことを期す。」とあります。つまり、6項目中の4項目に「創化」ないしは「創化力」という言葉が含まれています。、
このように、生長の家では「創化」や「創化力」という言葉は普通に使われています。ところが、この言葉の意味については、『生命の實相』の「七つの光明宣言」の解説には直接的には書いてないのです。該当箇所をよく読んでみると、「創化力」は「創造力」とほぼ同義に使われている。しかし、完全に同じ意味かというと、そうでもないようである。もし全く同じ意味なのであれば、「創化力」の代わりに「創造力」という言葉を使えばいいのですが、谷口雅春先生が「創造」ではなく「創化」という言葉をあえて使われた。それには理由があると私は思うのです。その理由をこれから申し上げましょう。
まず第1に知っていただきたいのは、ここで使われている「創化」とか「創化力」という言葉は、日本語の辞書には存在しないのです。つまり、雅春先生の造語である可能性が高い。これを言い直せば、先生は普通の日本語では表現しきれないことを表現するために、わざわざこの言葉を選んで使われているということです。しかし、その意味を詳しく解説されていない。ということは、生長の家の考えをよく理解すれば、その意味も自ずから分かるということだと思います。
そこでまず、漢字の意味から考えましょう。「創化」の「創」の字の意味は、一般に2つあります:➀「切る」あるいは「傷つける」ということと、②「始める」ということです。最初の意味で使う言葉には、「創傷」「創刃(そうじん)」「満身創痍」などがあります。『学研漢和大辞典』には、この「創」の字についてこういう解説があります--
「倉という原義とは関係がない。刃物で切れめをつけること。素材に切れめを入れるのは、工作の最初の段階であることから、はじめるの意に転じて使われた。初は、刀で衣を裁断することから“はじめ”の意となる」
この説明で、2番目の意味の起源もわかると思います。
漢字学者の白川静さんの著書『字統』には、若干違う説明があります。それは、この2番目の意味で使われたものには、本来別の漢字があったというのです。それは井戸の「井」(けい)を偏とし、刃を旁(つくり)とする字です。井戸の井は鋳型を表し、それを壊して器を取り出すこと、それが「創始」「創作」の意味で使われていた本来の漢字だったが、使われなくなったというのです。どちらの意味にしても共通しているのは、人間が手をかけて、多くの場合、自然物を壊すことで作り出すものについて、「創造」の「創」の字が使われてきたということです。
では、この意味の「創造」と「創化」とは、意味が異なるでしょうか? 私は違うと思います。「化」(ばける)という字には「変化する」という意味が含まれています。これは「進化」とか「劣化」という言葉の意味を考えれば分かる。しかし、いったん創造したものは、一般には変化しないものの方が多い。一度、布を裁断して作った着物は、基本的にはそれで完成しています。また、焼きものを鋳型から取り出してしまえば、その色も形も基本的には変化することはない。もちろん永いあいだ使っていれば、味に風合いが出て来たり、色が劣化したりはしますが、それでもきちんと原型をとどめています。これに対して、原型をとどめないほど変化するものも世の中にはたくさんあります。ところが、「創造する」という言葉の中には、そういう「変化」の意味合いがあまり含まれていない。そこで雅春先生は、現象界の様々な事象や出来事が変化し続けるのは、人間の心による--すなわち「コトバの力」によるという考えを明確に表現するために、「創化」とか「創化力」という言葉を造られたのだと私は考えるのです。現象世界においては、人間は何かを創造するだけでなく、変化もさせるのだということです。
さて、こういう理解にいたれば、「言葉の創化力」とは、単に何かを現象として生み出すだけでなく、その生み出したものをさらに変化させる力であることがわかる。生長の家では、そういう力を立教の当初から重視し、研究発表し、実際生活の不幸や病苦の克服に役立てることを目指していたのです。私が話の最初で“40年変革説”について触れましたが、私達の運動の変化も、そういう観点から捉えていただきたいのであります。生長の家は、発祥の地、発祥の時代に止まっているだけではいけないのです。時代が大きく変わっていく中では、私達の運動もその要請に応じた変化が必要です。それをやるのが「創化」であり、“森の中のオフィス”への本部の移転は、まさにそれを目に見える形で実行することであり、教団史の中では2回目の大きな変化である。
しかし、宗教運動は「変化」だけでもいけない。そこで私は、信仰の原点である「大調和の神示」の精神に回帰し、それを21世紀に本当の意味で生きるためには変化を恐れず、また変化を「創化力の実践」として積極的に捉えて進んでいくことを提案しているのであります。皆さま方もぜひ、その意義を理解されて、本部の移転先は東京の都心からは少し離れますが、日常生活において日時計主義をさらに拡大し、自らも実践され、自然と人間との大調和を目指して運動を創化していく。この“自然と共に伸びる”運動にご支援、ご協力をいただきたいのであります。
立教84年の記念日にあたり、所感を申し上げました。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣
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コメント
合掌 ありがとうございます。 三月一日生長の家立教記念日
おめでとうございます。 海外からのご参列に唯一絶対の神への信仰姿勢をただ感謝の気持ちをいっぱいに受けております。世界もめまぐるしい程に変化し、生長の家も時代に即応した運動を実現に方向性としてお示し頂き 大海に一石を投じる一人であります。
「森の中のオフィス」の実現には自然に四無量心を行じ山川草木国土悉皆成仏の展開であり総裁先生の 偽りのない至上の愛の実践の何ものでないことを月刊誌「いのちの環」を拝読し、感銘いたしております。「生長の家」環境方針 基本認識に示されているように 一貫して地上にあるすべての生命を大切にされしたコトバ と行動の実現が"森の中のオフィス "として更に「世界平和信仰運動」として芽吹いています事を実感しております。
今回「七つの光明宣言」にあります創化と創化力の意味するものがよく理解できました。ありがとうございます。
発祥より84年間「日時計主義」の善を観る生き方は身に着く習慣としてBタイプの誌友会をはじめ、日時計日記は定着して、体験も出ております。 新たなることに否定的にならず一歩一歩前進する喜びを共有し、自ら正しき御教えと運動に献身してまいります。 再拝
投稿: 足立冨代 | 2013年3月 3日 (日) 15時23分
合掌ありがとうございます!84年目の立教記念日おめでとうございます!総裁先生、純子先生、心より感謝を申しあげます!日時計主義の生き方と大調和の神示を回帰する、人と自然と共に伸びる運動と信仰心を忘れずに兵庫教区青年会の一員としてこの素晴らしい総裁先生のブログのメッセージを通しまして、生長の家の発展に全力で尽くさせて頂きます。お互いに人類光明化運動、国際平和運動を展開して活きましょう!僕もこの素晴らしい生長の家の御教えを明るく高らかに邁進します!ありがとうございます!
投稿: 辻昭 | 2013年3月 4日 (月) 18時12分
合掌 総裁先生 いつも素晴らしいご指導ありがとうございます。八十四周年の立教記念日、総裁先生の四回目の法燈継承祈念日を心からお祝い申し上げます。
この日の総裁先生のご挨拶を心待ちにしていました。この度のご挨拶も、新年のご挨拶とか、秋季大祭や建国記念日のお言葉等と同じように、毎回のものを一つにまとめて心に刻むようにさせていただいております。総裁先生の「変化」が、全て(私がそのように感じております)創始者谷口雅春先生のご教示を源としておられることに、深い感動と感慨を覚えて楽しみにしております一人です。私も新しい変化・変革は絶対に必要なことだと考えていますが、「原点回帰」も非常に大事なことと考えている一人でございます。
実は、私は、「創化」について、かつて大辞林(三省堂)で調べましたが、出ておらず、「創造」と同じような意味だろうと追求を諦めておりました。でも、何かちがうだろうなと心の片隅に残っていました。
次のようにも考えてもみていました。全く新しく、創られるように見えても、全てのものは「一つ」だから、それが変化したもの」なのかな?「神様が形(相、姿)を変えられたもの」なのかな?という勝手なことも。今回のご教示で、スッキリ致しました。ありがとうございます。
神意に、総裁先生に中心帰一して、「生長の家」の運動方針をきちんと理解して、私たちにできることを、私にできることを、教化部長のご指導の下に、微々力ではありますが、実行していきたいと思っております。神想観を毎日実修し、三正行の励行に心掛けながら・・・。
素晴らしいご指導本当にありがとうございました。 再合掌 島根教区 石田 盛喜代
投稿: 石田 盛喜代 | 2013年3月 5日 (火) 03時26分
合掌 ありがとうございます。
生長の家84回目のお誕生日、おめでとうございます。 こちら、カナダのバンクーバーでは、昨日、3月3日の日曜日に、立教記念祝賀式を行いました。役員をさせて頂いておりますので、昨年は『生長の火をかかげて』のご拝読をさせて頂きましたが、今年は、何と『感謝の祈りと神想観』を担当することとなりました。式典では、四無量心の神想観をする事になりました。この所、竜宮観を練習しておりますが、昨年は、毎朝(1日おきに妻と交代にですが…)四無量心の神想観をしていたので、緊張することも無いだろう、と思っておりました。
しかしながら、式典には、生長の家歴、50年、60年と言う諸先輩方が御参列されるので、間違いがあってはならないと、前日の夜に、招神歌の音程の外れた所を妻に直してもらったり、大聖師谷口雅春先生のCDを何度も拝聴して、万全の態勢で臨みました。
ところが、式が始まって直ぐにマイクの調子がおかしくなり、音が出無くなりました。まだ式は始まったばかりで、司会者も困った様子です。とりあえず、マイク無しで進めましたが、この後には本部講師のご講話などもありますので、何とか修理しようと音響室でトライしている内に、私の担当する順番が来てしまいました。
慌てて、前に出て行って始めたものですから、普段はほとんど緊張する事も無いのに、どう言う訳か、四無量心の繰り返しの部分を忘れてしまい、一度しか言いませんでした。直ぐに気づいたのですが、おごそかな中での神想観ですから、もう、もとに戻ることも出来ず、そのまま終わってしまいました。その後、また、マイクの修繕をしたところ、不思議と直ってしまいましたので、その後は滞りなく式を終了することができました。
しかし、何と言う失態でしょうか。その後のパーティーの時も、自分のミスを考えて、落ち込んでいましたが、参加者のみなさんからは、『良かったよ』、『上手だったね』と、言う御褒めのお言葉ばかりで、だれも、私のミスを指摘なさらないのです。何と言うことでしょう、また、生長の家が大好きになってしまいました。
普段、子供の良いところだけをみて、褒めて育てるように、御先達の方たちからご指導をいただいておりますが、今回、私のミスを誰ひとり指摘なさることなく、逆に褒められてしまい、自分自身、もっともっと学ばなければならない、と言う気持ちになり、ああ、これが褒めて伸ばす、と言うことなのだと、身をもって体験させて頂きました。
本当に、生長の家は、素晴らしいです。総裁先生の今回のご挨拶にありました、『言葉の創化力』のお話しを拝読しながら、カナダの70歳、80歳となる御先達の方々は、初めから今まで、日時計主義で生きて来られているのだと感じました。終了後、外に出ると暖かない春の日差しもまぶしくて、何だか大声で、『生長の家バンザ―イ』と、叫びたくなった立教記念祝賀式でした。再拝 ありがとうございます。バンクーバー 大高力夫
投稿: 大高力夫 | 2013年3月 5日 (火) 09時25分