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2013年3月

2013年3月20日 (水)

肉体を超えて明るく生きる

 今日は午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて「布教功労物故者追悼春季慰霊祭」が執り行われ、私は祝詞を奏上させていただいたほか、御祭の最後で概略、以下のような挨拶を述べた:

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 本日は「布教功労物故者追悼春季慰霊祭」に大勢お集まりくださり、ありがとうございました。この御祭は、生長の家の幹部として光明化運動に長年携わってきた人のうち、この現世での勤めを終えて、霊界へと旅立って行かれた方々をお招きし、生前のご活躍に感謝の誠を捧げるためのものであります。本日お名前を呼ばせていただいた方は211柱の御霊でありました。その中には、かつて私が講習会などで各地へ行ったときに、教区のトップの役員としてお会いし、会食の場などで親しく言葉を交わしたことのある方が何人もおられます。そういうお名前を聞いていると「あの人も逝かれたか、あの人も逝かれたか……」と感無量の思いになります。そして、私にもまもなく“お迎え”が来るのだな、と考えるのであります。
 
 この間の3月17日には、滋賀県大津市で生長の家講習会があったのですが、そのとき、私は「絶対悪というものは存在しない」と述べ、そういう意味では「死も悪ではない」と話したのであります。しかし、人間には執着心というのがあって、その心を通して見ると、いろいろ“悪い”と思われるものが見えてくる。一般的に言えば、普通の人間は自分の肉体に執着していますから、それが機能しなくなったり、あるいは壊れてしまうことは“悪い”ことだと感じる。自分の肉体だけでなく、自分が愛する人の肉体も、同じ理由でそれが亡くなってしまうことは“悪い”と感じます。しかし、自分とは関係がないと思っている人の肉体については、それが故障したり、傷んだり、あるいは破壊されて腐っていくことも、それほど“悪い”とは感じないし、意識しないことさえあります。これは、人間の了見がいかに狭いか、また自分や近親者の肉体への執着がどんなに強いかを示しているのです。ノーベル経済学賞をとったアマルティア・センとジャン・ドレーズが書いた『飢餓』という本によると、世界で毎日餓死している人の数は、ジャンボジェット機300機の乗客数に匹敵するそうです。つまり、毎日ジャンボジェットが300機も落ちているのに、我々はあまり関心を示さないことになります。

 私たちは、この執着心をだんだん放していくことが、宗教的な意味での進歩だと教わっています。いわゆる四無量心の最後の「捨徳」の実践です。人間の肉体は、この現象世界で自己表現を進めていく最大の道具ですから、それを大事にしたい、また失いたくないと感じることは当然と言えば、当然です。生長の家でも、自分の体を粗末にしていいとは教えていないし、不摂生や暴飲暴食を避けて大切にしなさい、と言います。しかし、肉体を「大切にする」ことと「執着する」こととは少し違う。私たちにとって“道具”は大切でありますが、その“道具”のために自分が奉仕するのでは主客転倒です。これは、自分の自動車を愛するあまり、自動車の手入れや掃除ばかりしていて、その自動車を使った、人間としての仕事をしない人のようなものです。道具は目的のために使わなければならないのでありまして、人間が道具に使われるのではいけない。それと同じように、私たちは肉体の手入れや肉体自身の快楽のために人生を送るのではいけません。肉体を超えた目的のためにそれを大切に使い、その目的に合わなくなった肉体は、潔く交換しなければならないのです。そういう意味では、肉体の「死」はありがたい機会です。

 今日、この場へお招きした御霊さまは皆、光明化運動の先頭に立って活躍してくださった方々ですから、ご自分の肉体を超えた目的のために邁進された尊い高級霊であります。私たちはそういう“魂の先輩”に先立たれて淋しい思いをしたかもしれませんが、ご本人は「ここにいるから安心しろ」と霊界から愛念を送ってくださっているに違いありません。ちょうど今、季節は春で、雪深かった今年の冬は終わり、大地から次々と草木が伸び、枯れたように見えていた木々は次々と新芽を出し、花を咲かせています。私の家の庭では、モクレンが豪華な花を開き、レンギョウやジンチョウゲ、ユキヤナギ、スモモ、スイセン、ヒヤシンスなども咲いています。こういう自然界の営みを見ると、一見「死」のように見える冬は、実は「生」が躍り出る春のための準備期間であることがよく分かります。それと同じように、この物質世界で「死」が起こるときは、霊界では「生」が始まるのです。
 
 このことを谷口雅春先生は、聖経『真理の吟唱』の中の「神と融合するための祈り」の中で次のように説かれています--
 
<「死」という存在があるのではないのである。生命の動きが“前向き”になるのと“後向き”になるのとの相違にすぎないのである。現実界から見たら“前向き”であるときには、霊界から見たら“後向き”であり、現実界から見たら“後向き”であるときには、霊界から見たら“前向き”である。>
 
 ですから、亡くなられた御霊さまは今、霊界において“春”を迎えておられるのだと知って、悲しみに浸るのではなく、私たちは御霊さまが生前推進された光明化運動のバトンをしっかりと受け止め、顕幽手を携えて肉体を超え、四無量心を行ずる信仰生活を明るく進めていかねばなりません。
 
 谷口雅春先生が受けた神示の1つに「帰幽の神示」というのがあります。ここには、私たちの魂が霊界に移行することの積極的な意味が「音楽」の比喩を使って美しく描かれています。即ち、肉体の死は本当の死ではなく、より高い形式の音楽を表現するために、一曲を演じ終わることである--つまり、新しい肉体を使って、より高度な人生を生きるための、一時的な“幕引き”の時に過ぎない、と考えるのが生長の家の信仰です。人間は肉体でなく、それを道具として使う“神の子”であり“仏”であるという、根本的に明るく、積極的な教えです。それをこれからも多くの人々にお伝えし、この社会と世界とがもっともっと自然と調和し、住みよく、明るい、音楽表現のような楽しい場となるよう共に運動を進めてまいりましょう。

 これをもって春季慰霊祭の所感といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2013年3月18日 (月)

七層の石塔について

 前2回の本欄で述べたように、昭和29年(1954年)3月に竣工した現在の生長の家本部会館は、そこを“万教帰一の殿堂”たらしめんとの意図のもとに建立された。また、計画がまとまった当初から、この建物を「生長の家教団総本部会館」と呼ぶことが決まっていた。つまり、この会館は、全国の生長の家の拠点や道場をたばねる役割を担う目的で建てられたのであり、恐らく日本国内だけでなく、世界の運動の拠点も視野に入れていたと思われる。というのは、当時の生長の家が発行していた機関紙『愛行』には、ロサンゼルスからの信徒の手紙も掲載され、同年3月末には、アメリカの光明思想家、スター・デーリー師が来日して、完成したばかりの会館の講堂で“歓迎大講演会”が催されたからである。

 それから約60年が経過した。生長の家の国際本部はこの原宿の地から八ヶ岳南麓の“森の中”へ移転しようとしている。その理由は、すでにいろいろな形で読者にお知らせした。生長の家はもちろん“森の中”に蟄居してしまうのではなく、今後もさらに“万教帰一”の宗教運動として活動を拡大していく使命がある。だから、新しく建設されるオフィスの敷地内にも、この「光明の塔」に匹敵するような“万教帰一の象徴”が設置されることが望ましい。そんな理由もあり、現在、光明の塔の正面に掲げられた神像をオフィスへ移設することが、昨年11月に決まった。また、去る3月6日の最高首脳者会では、神像が移設される北側の広場に、縦型の「日時計」と「七層の石塔」を立てることが決まった。日時計主義の生き方を進める運動の本拠地に日時計を設置することは、当然といえば当然である。が、「七層の石塔」については少し説明が必要かもしれない。
 
 前2回の本欄から、「七層の石塔」と聞いてピンと来た読者もいられるに違いない。現在の本部会館の「光明の塔」が七層の円筒形をしている理由は、それが“万教帰一”を象徴するからだった。そして、白髪白髯の霊人の神像がそこにあるのも、その像が“万教帰一”の象徴であるからだ。この2つの象徴の1つ(神像)が“森の中”へ移転するのであれば、もう1つの方(光明の塔)もできれば移転したい。しかし、ご存じのように、都会と森の中では建築事情が大きく違う。また、昭和29年の日本や世界の環境と、今日のそれとは大きく異なる。“森の中のオフィス”は自然と人間との共存を目的として、地元の木材を使った低層の木造建築物を斜面に並べる方式を採用した。そんな場所に鉄筋コンクリートで7階建ての塔を建てるわけにはいかない。しかし、神像以外にも“万教帰一”の象徴があれば、それを導入することができる。そんなわけで、人が中に入れるような大きな建築物ではなく、地面に置いて外から眺める程度のサイズの石塔を立てて、私たちの運動への決意を示したい。それが、七層の石塔を立てる理由である。
 
 簡単に言えば、七層の石塔は光明の塔の“ミニチュア版”である。ただし、そのままの複製ではなく、光明の塔がいわば“洋式”ないしは“キリスト教式”であるのに対し、石塔は“和式”ないしは“仏式”のデザインを採用することになる。中国や朝鮮、日本など仏教の伝統のある国では、「塔」というものに宗教的な意味を付与して、それを仏閣の一部に使用してきた。もともと「塔」の語は、サンスクリットの「Stupa」を漢字に音写した「卒塔婆」の略語で、インドでは死者を葬る施設だった。釈迦の死後、遺体は火葬され、遺骨が信者によって分けられた際、塔を造って納めたことから、これが仏教に導入されたという。つまり、仏舎利を安置するための供養塔が「塔」の起源である。だから初期の塔には仏舎利が納められたが、塔の数がふえるとともに、代用となるもの--舎利を象徴する玉や、「法舎利」として経典が収められるようになった。
 
 仏教が中国に伝わると、塔の建築は楼閣建築と合わさって木造の層塔(多重塔)が造られるようになり、これが日本へも伝わった。7世紀末~8世紀初めにかけて造られた法隆寺の五重塔は、現存する最古のものとして有名である。また、8世紀半ばには、聖武天皇が詔を発して、諸国にそれぞれ七重塔を1基ずつ造り、その中に金光明最勝王経と妙法蓮華経を納めるよう命じた記録が残っている。このように、木造の塔は3層、5層、7層、9層、13層と、多宝塔(2層)など大型のものへと発展していったが、その一方で、石のものも造られた。石塔は日本では小型のものしかなく,3~13層の多層塔,多宝塔,宝塔,宝篋印(ほうきよういん)塔,五輪塔,無縫塔,笠塔婆などが造られてきた。現在残っている七層の石塔で古いものは、赤人寺(滋賀県東近江市蒲生町)、旭野神社(同)、栄山寺(奈良県五条市)、般若寺跡(福岡県太宰府市)などにある。
 
 さて、そういう歴史をもつ七層の石塔をなぜ、生長の家が“森の中のオフィス”に設置するのか? その理由はすでに述べたように、“万教帰一”の教えのキリスト教的表現である神像を移設するのと併せて、同じ教えの象徴である「光明の塔」を仏教的に表現し直したものを設置することで、内面的のみならず、外面的にも--つまり、目に見える形で“万教帰一”の考え方を示したいからである。現在の計画では、この七層の石塔は、白髪白髯の神像の背後に置くことになる。しかも、1基だけ置くのではなく、毎年1基ずつ、「万教包容の神示」が天降った7月7日に増設していく予定である。光明の塔を“ミニチュア化”したおかげで、このことが可能になった。「7」の数字は「完成」や「すべて」を意味することは、読者もご存じだろう。今後の地球世界では、すべての宗教が相互協力して、神・自然・人間の大調和の実現に向けて進んでいかねばならず、生長の家はそれを目指していくことになるだろう。

 谷口 雅宣

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2013年3月14日 (木)

“光明の塔”の構造について (2)

 しかし、さらに考察を進めていくと、この七層構造は『法華経』の記述とも関係があることが分かる。昭和40年に発行された『法華経解釈』(谷口雅春・佐藤勝身共著)の中で、佐藤勝身氏は、釈尊が教えを説いた際に巨大な宝塔が出現したという『法華経』見宝塔品の有名な逸話を解釈して、次のように述べている--
 
「それは原宿の神域の一画に見真道場が出現したということであります。この大道場が顕れたのは、形の上では信徒の敬虔な心の集積であり、荘厳きわまりなき実相世界を内在する空相、無相の真理が“七つの燈台”を象徴する七層の宝塔中に収められて、その真理が如来の室に入り如来の衣を着、如来の座に坐られたに依るのであり、その塔の中から大音声が出て、その音声によって、収拾し難きまでに混乱した思想界を調整すると云うことになる一大事因縁の成就するときが来たのであります。」(p.92)

『法華経解釈』という本は、谷口雅春先生と佐藤氏との「共著」である。具体的には前篇を佐藤氏が書き、後篇を雅春先生が執筆されるという分業でできている。共著であるから両篇の間には食い違いはないはずで、雅春先生は「はしがき」の中で佐藤氏担当の前篇について「掲載の順序は法華経の本文に随って整理し、文章の晦渋なところは平易に分かりやすくなるように私が加筆補正したところもあるが、原意はあくまでも尊重してある」と書かれ、佐藤氏の解釈の正しさを保証されている。
 
 このことを裏づける雅春先生の記述もある。それは、同書の後半部分で多宝塔(多宝如来)の出現について解説されているところだ。先生はここで、『法華経』における多宝如来とは「一仏一切仏」の真理を意味していると明確に説かれている。「一仏一切仏」の考え方は「万教帰一」の真理の別名ともいえるから、先生はここで事実上、「多宝如来とは万教帰一の象徴だ」と述べていられるのである--

「ところで、ここには十方の諸仏がそれぞれ多宝如来と、釈迦牟尼仏との分身の仏様であって、多宝如来がお姿(仏身)をあらわそうとするときには、“十方の諸仏が、尽く一処に還って来る”と書かれているのであります。これは何が説かれているのであるかというと、一仏一切仏の真理が説かれているのであります。十方世界で、色々の宗派の名称で宗教が説かれていても、それは悉く同一如来の分身であり、同一の真理が、悉く異る説き方で説かれているのでありますから、私達は宗派争いをする必要がないのであります。一仏が十方の諸仏として普遍していられるのでありますから、そのお姿を爰にあらわそうとするならば十方の諸仏を同時に一処にあつめて見せなければならないという訳であります。法華経の教えは最勝最尊であるにしましても、その法華経みずからの中に、諸仏は分身を出し給うて“一仏一切仏”として、凡夫の機根の相異に従って諸々の説き方で十方世界において説法しておられるので宗派の相異というものを生ずるのであるということを法華経が証明しているのであります。すなわち万教は一つの無色の太陽光線が七色の虹にわかれて、別々の光を放っていても、本来一つの太陽光線なのと同様であります。」(p.359)

 この解釈の元となっていると思われるのが、「無限供給の神示」(昭和7年5月5日)である。そこでは、説法中の釈迦の前に多宝塔が出現したことの意味が、次のように教示されている--
 
「釈迦が法華経を説くとき、われは地より湧き出で、空中に『七宝の塔』となって出現したのである。『七つの燈台』は世を照らす光の側よりわれを見たのであり、『七宝の塔』は多宝無限供給の側よりわれを見たのである。『七つ』と言うのは一切と言うことである。吾れは吾が誓願の如く、誰にてもあれ『生命の実相』を説くところに顕れ、彼を讃歎し彼に半座を分って偕に坐し彼と一体となる事を示す。」

 ここには「七層の塔」ではなく「七宝の塔」と記述されていて、法華経にもそう書いてあるが、神示では「層」か「宝」かの別はあまり重要でなく、「七つ」ということの方を重視している。また、この神示では「七宝の塔」と「七つの燈台」とが同一視されていることは重要である。

 これらのご文章から分かることは、生長の家では“七つの燈台”がキリスト教における万教帰一の象徴として解釈されてきただけでなく、「七宝の塔」が仏教における万教帰一の象徴と解釈され、これら2つの性格を併せもつ“七層の宝塔”を表現するものとして、本部会館の光明の塔がデザインされたということである。すでに触れたことだが、この光明の塔の正面には「七つの燈台の点燈者」である白髪白髯の神像が据えられているから、この塔は、三重の意味で「万教帰一の象徴」だと言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2013年3月 7日 (木)

“光明の塔”の構造について

 現在、東京・原宿にある生長の家本部会館には、「光明の塔」と呼ばれている円筒形の建物がある。この正面に、聖書の『ヨハネの黙示録』に由来した神像が飾られているという事実は有名だ。しかし、この建物が7層の構造になっていて、生長の家で説く「万教帰一」の教義を表現していることは、あまり知られていない。大体この塔は、外観から見ただけでは7階建てには見えない。しかし、この「光明の塔」は二重、三重の意味で、万教帰一の象徴なのである。

 光明の塔の7層構造の意義については、『生長の家』誌の昭和26年3月号に発表された「生長の家教団総本部会館建設計画」という一文を読めば、明確にわかる。この文章は、本部会館竣工の3年前に、会館の外観デザイン画とともに同誌に掲載されたものだ--

「宗教的雰囲気豊かに荘重にして高雅なる建築設計であることは、設計者の言葉によっても窺い知ることが出来ます。最も特徴的である谷口先生御構想の正面の円塔は円満を象徴する直径四間の大円塔にして、地階を合わせて七階の高層は七つの燈台を現し、一階より四階までふき抜き(ママ)とし天井と周囲の壁面には天国を象徴する宗教的浮彫を施し、上部の周囲より射し込む黄金色の光線は一切を照し給う光明を象徴する荘重なる設計であります。」(原文は旧漢字旧仮名遣い、以下同じ)
 
 この一文には「万教帰一」という言葉はないが、「七層の高層は七つの燈台を現し」と明記されている。生長の家では、「七つの燈台」が万教帰一の教えの象徴であることは、多くの読者がすでにご存じのことと思う。例えば、『神ひとに語り給ふ--神示講義、教の巻』(昭和35年刊)では、谷口雅春先生は「“七つの燈台”の意味するもの」という小見出しの下に、次のように説かれている--
 
「さて、聖経の巻頭に“七つの燈台の点燈者の神示”という言葉が出ているのでありますが、爰に生長の家は一宗一派ではないということが、ちゃんとこの神示に書かれているのであります。“我は七つの燈台に燈(ひ)を点ずる者である”と生長の家を創(はじ)められた神様がみずから言っておられるのであります」。(pp.44-45)
 
 この「七つの燈台に燈を点ずる者」の意味については、先生はさらにこう述べていられるーー
 
「(前略)世を照らす光の燈台である各宗の教えに、生きた火を点ずる役目として出現せしめられたのが、生長の家であります。燈(ひ)をつけるのであって、決して各宗の燈台を壊すのではないんですから安心せられたいのであります。」(p.51)
 
 生長の家で「七つの燈台」と呼んでいるものは、現在の聖書では「七つの燭台」と表記されている。『ヨハネの黙示録』第1章12~14節には、こうある--

「そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。」

 この白髪白衣の“人の子のような者”を象って、神像が造られた。このことと七層構造を考え合わせれば、光明の塔は二重の意味で“万教帰一の塔”としてデザインされたということが分かる。しかし、「万教帰一」を象徴するのであれば、これだけではキリスト教的なデザインに偏重していると考えることもできる。つまり、塔の七層構造も神像の意匠も、聖書から借りてきていて、他の宗教とは関係がないと思われる恐れがある。

 谷口 雅宣

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2013年3月 1日 (金)

新しい運動を創化しよう

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて「立教84年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が執り行われ、日本全国のみならず東アジア、南北アメリカ、ヨーロッパからも代表者が参列した。私はこの中で概略、以下のようなスピーチを行った--

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 今日は、第84回目の生長の家のお誕生日です。皆さん、立教記念日おめでとうございます。
 
 すでに皆さんもご存じの通り、生長の家は昭和5年3月1日の日付で発行された『生長の家』創刊号をもって立教としています。それから83年がたっているのであります。私は昨年11月のブログの記事で、“40年変革説”というのを唱えたのであります。つまり、生長の家の歴史を振り返ると、だいたい40年ぐらいを節目として、運動の中心拠点の移転を伴うような大きな変化が起きているということです。1回目は、創始者・谷口雅春先生が東京から長崎へ移住された昭和50年(1975年)で、それから38年たったのが今年です。まだ40年には至りませんが、“森の中のオフィス”での業務開始は7カ月後の10月ですし、それにともなう運動年度の変更などが今後の運動に定着するまでには、あと2年はかかるだろうと思います。
 
 このように運動が大きく変化する節目にあるときは“原点に帰る”ということが重要ですから、私は今年の初めから、生長の家の教えの基本中の基本である「大調和の神示」に回帰しようということを講習会などで訴えているのです。さて今日は、『生長の家』誌創刊号の発刊を記念した日でありますから、この創刊号に掲載された記事を通して、私たちの運動の“原点”をさらに確認したいと思うのであります。私はほとんど毎年のように、立教記念日にはそれをやってきたのでありますが、今日は“コトバの力”の使い方について確認したいのです。この創刊号には「日時計主義」が明確に打ち出されていることは、過去の立教記念日には何回も申し上げてきました。しかし今日は、それとも関係がある別の言葉--「創化」ということについてお話ししたいのです。
 
 この言葉は、創刊号の裏表紙にある「生長の家の宣言」の中に何回も出てきます。この「宣言」は、現在では「七つの光明宣言」と呼ばれているもので、『生命の實相』の第一巻にはその解説が掲載されています。しかし、このオリジナルの宣言文は7項ではなく6項目でした。その第3項には、こうあります--
 
「吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)を歩まんがために生命の創化の法則を研究す。」

 また、第4項には--「吾等はリズム即ち言葉を以て生命の創化力なりと信ず。」とあり、さらに第5項には、「吾等は言葉の創化力にて人類の運命を改善せんがために善き言葉の雑誌『生長の家』を発行す。」とあり、最後の第6項にも「吾等は心の法則と言葉の創化力を応用して病苦その他の人生苦を克服すべき實際方法を指導し相愛協力の天国を地上に建設せんことを期す。」とあります。つまり、6項目中の4項目に「創化」ないしは「創化力」という言葉が含まれています。、
 
 このように、生長の家では「創化」や「創化力」という言葉は普通に使われています。ところが、この言葉の意味については、『生命の實相』の「七つの光明宣言」の解説には直接的には書いてないのです。該当箇所をよく読んでみると、「創化力」は「創造力」とほぼ同義に使われている。しかし、完全に同じ意味かというと、そうでもないようである。もし全く同じ意味なのであれば、「創化力」の代わりに「創造力」という言葉を使えばいいのですが、谷口雅春先生が「創造」ではなく「創化」という言葉をあえて使われた。それには理由があると私は思うのです。その理由をこれから申し上げましょう。
 
 まず第1に知っていただきたいのは、ここで使われている「創化」とか「創化力」という言葉は、日本語の辞書には存在しないのです。つまり、雅春先生の造語である可能性が高い。これを言い直せば、先生は普通の日本語では表現しきれないことを表現するために、わざわざこの言葉を選んで使われているということです。しかし、その意味を詳しく解説されていない。ということは、生長の家の考えをよく理解すれば、その意味も自ずから分かるということだと思います。

 そこでまず、漢字の意味から考えましょう。「創化」の「創」の字の意味は、一般に2つあります:➀「切る」あるいは「傷つける」ということと、②「始める」ということです。最初の意味で使う言葉には、「創傷」「創刃(そうじん)」「満身創痍」などがあります。『学研漢和大辞典』には、この「創」の字についてこういう解説があります--
 
「倉という原義とは関係がない。刃物で切れめをつけること。素材に切れめを入れるのは、工作の最初の段階であることから、はじめるの意に転じて使われた。初は、刀で衣を裁断することから“はじめ”の意となる」

 この説明で、2番目の意味の起源もわかると思います。
 漢字学者の白川静さんの著書『字統』には、若干違う説明があります。それは、この2番目の意味で使われたものには、本来別の漢字があったというのです。それは井戸の「井」(けい)を偏とし、刃を旁(つくり)とする字です。井戸の井は鋳型を表し、それを壊して器を取り出すこと、それが「創始」「創作」の意味で使われていた本来の漢字だったが、使われなくなったというのです。どちらの意味にしても共通しているのは、人間が手をかけて、多くの場合、自然物を壊すことで作り出すものについて、「創造」の「創」の字が使われてきたということです。

 では、この意味の「創造」と「創化」とは、意味が異なるでしょうか? 私は違うと思います。「化」(ばける)という字には「変化する」という意味が含まれています。これは「進化」とか「劣化」という言葉の意味を考えれば分かる。しかし、いったん創造したものは、一般には変化しないものの方が多い。一度、布を裁断して作った着物は、基本的にはそれで完成しています。また、焼きものを鋳型から取り出してしまえば、その色も形も基本的には変化することはない。もちろん永いあいだ使っていれば、味に風合いが出て来たり、色が劣化したりはしますが、それでもきちんと原型をとどめています。これに対して、原型をとどめないほど変化するものも世の中にはたくさんあります。ところが、「創造する」という言葉の中には、そういう「変化」の意味合いがあまり含まれていない。そこで雅春先生は、現象界の様々な事象や出来事が変化し続けるのは、人間の心による--すなわち「コトバの力」によるという考えを明確に表現するために、「創化」とか「創化力」という言葉を造られたのだと私は考えるのです。現象世界においては、人間は何かを創造するだけでなく、変化もさせるのだということです。
 
 さて、こういう理解にいたれば、「言葉の創化力」とは、単に何かを現象として生み出すだけでなく、その生み出したものをさらに変化させる力であることがわかる。生長の家では、そういう力を立教の当初から重視し、研究発表し、実際生活の不幸や病苦の克服に役立てることを目指していたのです。私が話の最初で“40年変革説”について触れましたが、私達の運動の変化も、そういう観点から捉えていただきたいのであります。生長の家は、発祥の地、発祥の時代に止まっているだけではいけないのです。時代が大きく変わっていく中では、私達の運動もその要請に応じた変化が必要です。それをやるのが「創化」であり、“森の中のオフィス”への本部の移転は、まさにそれを目に見える形で実行することであり、教団史の中では2回目の大きな変化である。
 
 しかし、宗教運動は「変化」だけでもいけない。そこで私は、信仰の原点である「大調和の神示」の精神に回帰し、それを21世紀に本当の意味で生きるためには変化を恐れず、また変化を「創化力の実践」として積極的に捉えて進んでいくことを提案しているのであります。皆さま方もぜひ、その意義を理解されて、本部の移転先は東京の都心からは少し離れますが、日常生活において日時計主義をさらに拡大し、自らも実践され、自然と人間との大調和を目指して運動を創化していく。この“自然と共に伸びる”運動にご支援、ご協力をいただきたいのであります。
 
 立教84年の記念日にあたり、所感を申し上げました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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