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2013年2月

2013年2月27日 (水)

“手紙月”への挑戦 (2)

 2月初めに本欄に同じ題で書いたが、2月を「手紙を書く月」と決めて、毎日誰かに1通ずつ手紙を出すという企画に参加した。そして、当初目標だった「24人」への絵手紙/絵封筒の郵送を今日、終わった。どんなものを送ったかは、フェイスブックポスティングジョイ上で発表している。この体験の感想をひと言でいえば、「大変だった」ということになるだろう。が、この大変さには、予想外の収穫を得た満足感が含まれている。
 
 多くの読者はすでにご存じだが、私は絵が描くのが趣味だ。そして、生長の家講習会へ行くと旅先から絵封筒を出すことをノルマにしてきた。その理由は、人間というものは、環境が変わることで心がリセットされ、普段は「当たり前」だと感じてあまり注目しないことに注目したり、日常の惰性から離れて新しい事象や分野に興味をもつ可能性が開けるからである。いわゆる“旅人の目”で世界を見ることは、新しい発見や、深い洞察に達するよい機会になる。そういう機会があれば、自分が成長するのだからうれしい。また、それを絵や文章に表現することができれば、自分の喜びを他の人とも共有することができる。こうして社会に喜びが拡がっていくことは、生長の家の「日時計主義」の実践でもある。
 
 そんな理由で、私は旅先からの絵封筒を描いてきたのだが、今回の挑戦は、「旅先」ではなく「日常」において同じことを実践するという点で、一つの挑戦だった。しかも、ほぼ毎日、何かを形にして、自分で眺めるのではなく、他人に送る--つまり、自分の手から放してしまうのである。大げさに言えば、これは仏の四無量心の表現の練習でもある。ということで、描いたものは結局、日常生活で当たり前に出会うものがほとんどだった。まず、絵手紙は干支のヘビの置物から始まり、使い古した歯磨きチューブ(2枚)、日向夏の切り口、妻が焼いたパン、街で配られていたサプリメントの小瓶、店で見つけた小型のランタン、シクラメンの花、紅い饅頭、十字架をモチーフにした錯視の例、古い文房具、陶製の小物入れ、ハート型煎餅、シイタケ2態、プリムラの鉢植え、南アフリカの求婚人形、湯たんぽ、旅行用文具、マフィン、陶製の雛人形、ブラジルの夫待ち人形、雪ダルマ、木製コインの23点。絵封筒は非常用のパンの缶詰、竹製箸置きの2点で、全部で25人に送ったから、目標を1人突破したことになる。

 受け取った人たちは、ポスティングジョイ上で絵手紙の写真やスキャンした画像とともに感想を書いてくださったので、私の喜びは倍加したし、中にはご自分で撮影した写真や絵手紙を私宛に送ってくださった人もいる。これまたありがたく頂戴した。

 これらのやりとりを通して学んだことは多いが、その1つは、人形をめぐる人々の考えの類似や相異である。生長の家講習会のために乗った飛行機の機内誌で「南アフリカの求婚人形」の写真を見つけ、それを絵手紙に描いたところ、サンパウロに住む人がブラジルにも似たような習慣があると教えてくれた。3月は日本でも雛祭りがあるから、それでは……というわけで、私が陶製の姫の雛を絵手紙にしたところ、同じブラジル人が、今度は自分の国の“夫待ち人形”の写真をメールで送ってくれた。そして、私はそれを絵手紙に描いた。この人形は、日本のコケシとそっくりな形をしているが、目鼻立ちや衣装はまるで違った。また、南アフリカの求婚人形とも形は違った。

 形だけでなく、使い方も南アとブラジルでは微妙に違った。南アでは、男性が女性の家の前に“求婚人形”を置いてプロポーズをするが、ブラジルでは逆に、女性が“男の人形”を買って、それを枕元に置いて寝たり、もっと真剣な場合は、この“男の人形”を逆さまに土に埋めて、結婚相手の出現を待ち望むのだそうだ。そして、“本命”が現れたならば、土から出してあげるという。つまり、この人形に“未来の夫”の出現を頼む思いが強烈になると、「早く出現させてくれないと、ずっと土の中で逆さのままよ」という、一種の脅迫じみた思いとなるようだ。これを教えてくれたブラジル人がさらに言うには、この人形は「聖アンソニー人形」と呼ばれ、ポルトガルの首都、リスボンの守護神が聖アンソニーであることと関係があるという。かの国では聖アンソニーは“結びの神”の役割をするらしく、ポルトガルの植民地だったブラジルでは、だから聖アンソニーの日(6月12日)をバレンタインデーとして祝うそうだ。
 
 男女関係に関連させて「人形」をどう見立て、どう扱うかが、日本、南アフリカ、ポルトガル/ブラジルの間でずいぶん違うことが分かる。これらの違いをより深く研究すれば、各国の文化の違いがさらによく分かるだろう。私が“手紙月”に挑戦しなかったならば、こんな観方を教わる機会がはたして来たかどうか、疑わしいのである。
 
 谷口 雅宣

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2013年2月22日 (金)

ローマ教皇の退位

 ローマ教皇・ベネディクト16世が、この2月末をもって退位すること発表をしたことは読者もご存じだろうが、その後の影響が欧米のメディアでは話題になっている。その最大の理由は、そもそも「ローマ教皇」という地位は終身であり、自ら退位することはないと考えられていたからだ。私もそういう理解だったから、先代のヨハネ・パウロ2世が亡くなった時には、教皇の晩年の様子を思い起こして「老体を酷使する大変な仕事だなぁ」と思ったものだ。
 
 19日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(ニューヨークタイムズ国際版)によると、ローマ教皇の退位は6世紀ぶりだという。ということは、過去においては必ずしも終身職でなかったのだ。ローマ法王庁もそのことに言及して、カトリック教会法(Canon Law)では教皇退位後の手続きをきちんと定めているとして、信者の間の混乱を防ごうとしているそうだ。しかし、600年前の手続きが現代にそのまま通用するかどうかは、疑問である。この6世紀の間には教皇の権威について変化もあったから、それはなおさらである。その大きな変化の1つは、1869~70年に行われた第一バチカン公会議で教皇の無謬性(infallibility)が明確化されたことだ。つまり、信仰と道徳の事項について教皇が行う聖座宣言(ex cathedra、エキス・カテドラ)は、神の特別の加護によるものだから常に正しく、すべてのカトリック教徒はそれを受け入れる義務を負うという決まりができたのだ。

 この決定のポイントは、教皇の言葉の無謬性を「信仰と道徳の事項について」に限定することにあったのかもしれない。しかし、信仰や道徳は人間の基本的生き方に関わることだから、それさえ守れば、それ以外のことはデタラメでいいというわけにはいかない。だから、通常のカトリック教徒の理解は「ローマ教皇の言動は万般にわたって常に正しい」という考えに近くなる。すると、生前に自ら退位した教皇は、退位後には正しくなくなるのかという疑問が生じる。また、退位後に神の加護を失うのであれば、そんな教皇は在任中も本当に正しかったのか、などという疑義が生じるかもしれない。さらには、新しく就任した教皇と前任者との見解が違った場合、信仰者はどちらを“正当”として受け入れるべきか……などなどの諸問題が浮かび上がってくる。このような諸々の結果から生じるのは、ローマ教皇の権威の「強化」ではなく「弱体化」である、というのが識者の見解であるようだ。
 
 前掲の記事では、ケンブリッジ大学でキリスト教史を教えるイーモン・ダッフィー教授(Eamon Duffy)が、「在任中に自ら退位するという事実だけで、ローマ教皇の地位は本質的に変わってしまった」と驚いている。ダッフィー教授に言わせると、ベネディクト16世は「考えられないことを考え、やり直せないことを実行したのです。600年続いたタブーを破りました。そのうち150年間、教皇はイエス・キリストの象徴として、聖人として見なされてきたのであり、世界宗教の最高指導者などではなかった」という。また、2002年から10年にわたり英国国教会の長を務めたローワン・ウィリアムズ氏(Rowan Williams)は、教皇の退位について、「教皇の地位が、もはや終身務め上げる“神聖王”のようなものではなくなったことを意味する」と述べている。それは、以前よりも「わずかに機能的に、神学的にはわずかに軽く」なったと同氏は言う。
 
 ところで、近代のカトリック教会史において「聖座宣言」が正式に行われたのは、2回だけだという。1回目は、1854年に教皇ピウス9世が行った聖母マリアの処女懐胎についてのもので、2回目は1950年の教皇ピウス12世による聖母マリアの天国への召命についてのものらしい。ということは、ローマ教皇が毎年発表する「新年の言葉」などは聖座宣言ではないということだ。すると、それらはカトリック教徒にとって信仰上の指針にはならないのだろうか? そんなことはあるまい。となると、やはり今回の教皇退位の決断は今後、カトリック教会にとっていろいろ複雑な問題を惹起することになるのだろう。
 
 アメリカの時事週刊誌『Time』は2月25日号の表紙にベネディクト16世の写真を使い、今回の退位について7ページにわたる特集記事を掲載している。そこには、退位を決断した教皇について人間的な側面が描かれている。それによると、教皇は今回の退位の理由を「健康上の問題」としたという。85歳になる教皇は、即位前から心臓のペースメーカーを使っており、最近は大陸間を渡るような長時間の航空機利用は諦めるように、医者からは言われていた。また、教皇就任から5年後の2009年4月には、大地震に襲われたイタリア中部のラクィーラを訪れて、近くにあるセレスティン5世の墓を参拝したという。この教皇は、13世紀にわずか5カ月だけ在任し、自ら退位したことで「大きな拒絶(the Great Refusal)」と呼ばれる事件を起こし、問題となった教皇である。
 
 同誌の記事はさらに、ベネディクト16世の前任者との関係に焦点を当てる。私もかつて言及したが、現在の教皇は前任者のヨハネ・パウロ2世の近くで長年、枢機卿として、主として教学部門で重要な役割を果たしていた。この記事は、教皇の前任者との関係を「友人(friend)」という言葉で表現している。そして、ヨハネ・パウロ2世は晩年、パーキンソン病に冒されていたらしく、ラッツィンガー枢機卿(ベネディクト16世の教皇就任前の名)は、本来活動的だった友人がしだいに衰えていく苦悩の姿を間近に見てきた。そして、2010年に発刊された『世界の光(Light of the World)』という著書の中で、教皇は自分の任務について「もし肉体的、心理的、精神的に任務をまっとうすることができなくなれば……教皇は退位する権利があり、場合によってはそれは義務ともなる」ことを強調しているという。
 
 では、今の教皇はそれほどに体力が衰えているのだろうか? 実際のことは、恐らく本人にしか分からない。が、『Time』誌はそれほどひどくはないと見る。そして、そのことが今後のカトリック教会の運営に問題を投げかけると予測している。つまり、一種の“院政”が布かれることへの懸念が、この記事では語られている。後任の教皇を選ぶコンクラーベという選挙は、3月15日からバチカンで始まるが、まずこの選挙への影響力が無視できない。教皇は世界中にいる枢機卿が一堂に会して選ぶのだが、その枢機卿を任命するのは教皇である。ということは、現在の枢機卿はベネディクト16世に何らかの形で恩義を感じている人々だ。そういう人々が、現教皇と考え方が大きく異なる枢機卿を後任として選ぶ可能性はかなり低い。ということで、新しい教皇は現教皇が引いた路線に忠実な人間になる可能性が大きい--そう分析している。つまり、ヨーロッパ人で保守的な考えをもつ新教皇が選ばれる可能性が大きいのだ。

 しかし、カトリック教会全体の問題は、世俗化の傾向と数々のスキャンダルに影響されて欧米のカトリック教徒が減っていることと、それとは対照的に、アジア=アフリカの一部では教勢が比較的に拡大している点がある。しかし、ブラジルなどのラテン・アメリカ諸国では、逆にプロテスタント教会が勢力を伸ばしている。これに対応するために、欧米以外の地域から教皇が選ばれるのが好ましいと考える人々もいる。そういう考えが強くなれば、従来の路線から離れた“進歩的教皇”の誕生もありえないことはなかった。が、その可能性は、今回の教皇退位の決断によって小さくなったと見るべきかもしれない。

 このように、今回の教皇退位の決断によって、カトリック教会ではいろいろな変化が起こる可能性がある。私は、『ヘラルド・トリビューン』紙が指摘するような“教皇の無謬性”の減退は、宗教界全体にとってはむしろ好ましいことではないかと考える。生長の家では「人間は神の子」と教えるが、これは常に向上を目指す“人間内奥の本質”のことを指していて、肉体をもった“現象としての人間”は常に間違う可能性があると明確に説いている。この点は、程度の差こそあれ、宗教運動の指導者についても変わらない。そして実際、歴史的な検証によれば、宗教指導者による判断の誤りは珍しいことではない。その場合、「あの判断は誤りだった」と言える宗教と、それを言えば存亡の危機を招く宗教があったとすれば、前者の方が後者よりも優れていると考えるのである。
 
 谷口 雅宣

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2013年2月11日 (月)

建国神話の普遍性と特殊性

 今日は午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館で建国記念の日祝賀式が挙行され、私は磯部和男・理事長の式辞のあとで大略、次のような言葉を述べた--
 
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 本日は、日本国の誕生日を祝う「建国記念の日」であります。日本国の皆さん、おめでとうございます。

 人間の誕生日の場合は普通、それが何回目であるかが問題になりますが、国の場合は少し違います。先ほどの開式の辞では「皇紀2673年」という表現がありましたが、この数字は神話に記述されたものから逆算したので、必ずしも歴史的事実ではありません。しかし、国家の場合、これほど昔から続いている国は、世界広しといえども、日本とお隣の韓国ぐらいしかない。だから、神話にもとづく建国であり、それがいつであるかが正確には分からない。これは大変珍しく、またすばらしいのであります。
 
 ところで、世界でも珍しいということは、なぜ「すばらしい」のでしょうか? 他に「類例がない」とか、「特殊である」ということだけでは、物事は必ずしも肯定的に評価されません。例えば、ちょうど昨日、江ノ島にいるネコの首輪にコンピューターウイルスを忍ばせたという男が逮捕されましたが、そんなことは恐らく類例がない。しかし、そういう彼は社会では決して称賛されない。なぜなら、彼がもし真犯人ならば、彼は社会に対して大きな損失をもたらしたからです。また、お隣の韓国の北に隣接した国は、国際社会の常識からかなり懸け離れた政治体制をもち、外交政策を展開していますが、そういう特殊性がすばらしいわけではない。この国も、国際社会に大きな問題をもたらしているからです。

 これに対して、昨日、山形市の蔵王で行われたスキージャンプW杯で16歳の高梨沙羅選手が優勝しましたが、これは文句なく「すばらしい」という讃辞を送るべきでしょう。なぜなら、彼女は多くの人々に夢と希望を与えてくれるからです。彼女はジャンプを通して「あの若さで、あのような技術と力が発揮できるのが人間だ」という人間の能力の可能性を教えてくれる。単に「類例がない」とか「特殊だ」という点が称賛に値するのではなく、その人やその国が、所属するより大きな社会や国際社会に対して、積極的な貢献をするのでなければいけません。そういう意味で、「日本は世界一になるべきだ」という意見に対して、ある人が「なぜ一番でなければいけないのですか?」と反論したのは、私は正しい疑問だと思います。一位になって世界を混乱に陥れるのでは、“すばらしい国”でも“美しい国”でもないでしょう。
 
 私がなぜこんな話をするかと言うと、最近、ある人から本をいただいたからです。その本を読んでみると、「日本の建国は世界に類例がないほど珍しく、古典に書かれた建国の理想は他国にない独特のものであるから、この理想を推し進めていけば、世界平和に貢献することができる」という意味のことが書いてありました。しかし、これは論理が混乱していて間違った考え方だと私は思います。特殊で、他に類例がないということ自体には、それほど価値はないのです。社会に受け入れられない特殊性や比類のなさは、かえって社会に有害です。単にウイルス作成の技術が優れているだけでは、犯罪者になることもある。単に特殊な政治体制を維持しているだけでは、平和実現に貢献しません。それらの優秀性や特殊性が、より広い社会の利益に貢献するのでなければ価値は低いのです。

 ガン細胞というのがありますが、これは人間の体の中の他の細胞と比べて特殊であり、優れています。その最大の点は、不死身であるということです。人間の細胞はある程度の分裂をすれば死んでいく運命にあります。その死は、体全体からの信号によって行われる。しかし、ガン細胞は、その信号に従わずに、自分の任務を忘れてどんどん増殖し、ついに体全体を冒すほどの能力を身につけます。だから、放射線で焼かれたりメスで切って取られるのです。この点を間違うと、日本国家も北朝鮮のように“唯我独尊”を主張することになり、国際社会の“鼻つまみ者”になりかねない。
 
「特殊だからすばらしい」のではない。「特殊の背後に共通性がある」のがすばらしいのです。これを生長の家の言葉を使って表現すれば、「特殊な現象の中に共通の実相が表れている」ことが、社会や人々に勇気と希望を与えるのです。表現が特殊であっても、その背後に共通する普遍性がなければ世界に通用しません。16歳のスキージャンパーがすばらしいのは、彼女の競技が、人間に共通して潜在する神性・仏性を表現しているからです。努力すれば、誰でも現象の壁を打破することができるという事実を示し、人々に勇気と希望を与えるからです。この「見えない共通性」に着目し、これを認めて引き出すのが生長の家の信仰であり、生き方であり、「万教帰一」の考え方です。ですから、私もこの建国記念の日では、日本の建国神話が他の国や地域の建国神話、創造神話とどう共通しているかという点を中心にお話ししてきたのであります。もちろん特殊性も指摘しましたが、その背後の普遍性が前提になっています。

 さて今日は、皆さんは日本の建国神話のストーリーはすでにご存じだと思いますので、その話の背後にある共通性--世界各地にある建国神話との共通性--について述べることにします。これには、神話学者の松村一男さんの文章がよくまとまっているので、それを紹介しましょう。松村さんは「王権の起源」という文章の中で、こう言っています--
 
「ある程度の規模を持ち、階層化が進んでいる社会にはその頂点に立つ支配者がいる。伝統的な社会では聖俗の区分は厳密でないので、世俗的な事項ばかりでなく神(々)との交流という宗教的役割もこの支配者の責任となることが多い。こうした支配者は通常、王または王者と呼ばれ、その権力は王権と呼ばれる。通常は、ある偉大な人物がいかにして国を興したかという建国の神話の形態をとる(建国神話)。王は社会の象徴であり、社会を重要な聖なるものとする以上、象徴である王・王権も聖なる存在として、神話によってその起源を語られることになる」。(p.233)
 
 ここに書いてあるのは、「偉大な王が国を作った」という建国神話は、世界に普通に見られるということです。その場合、その王権は聖なる存在だという書き方も普通に存在するというのです。つまり、「普通でない王権は普通でないところから来た」という説明が、世界の建国神話に共通する荒筋だということです。次を読みます--
 
「普通の人間と異なった超人的な、神との媒介者である王の神話には、英雄と同じような要素がしばしば認められる。すなわち、➀神の子、②辺境での成長、③武勲などである。」
 
 ここには、“王”とされる人物の特徴や性質は大体共通していて、それは3つあると書かれています。

「➀はとくに神の子とされなくても、神的な存在から選ばれた結果として王になったとする神話も含まれる。これは“神命”と呼んで区別しておこう。➀が強調されるのが以下に述べる神聖王・神聖王権である。」

 この点では、日本の神話は、神武天皇は天照大御神の孫であるホノニニギノミコトの曾孫であるとしていますから、「神と血筋が結ばれた」ということで「神の子」であることを示しています。ここは、世界の神話と共通しています。しかし、日本神話に特徴的なのは、初代の王権が神と直結しておらず、地上の自然界との交流によって生まれたことを描いている点です。つまり、「神-自然-人間」の構図がここにあります。もっと具体的に言いましょう--
 
「(ニニギノミコトは)日向の地で山の神の娘のコノハナノサクヤヒメと結婚して海幸・山幸らの子供をもうけ、祖父の山幸が海の神の娘で鰐(わに)に化身するトヨタマヒメとの間にもうけた子であるウガヤフキアエズを父とし、トヨタマヒメの妹のタマヨリヒメ(したがって彼女も鰐)を母とする」(p.234)ということです。

 ここには、自然界の動植物とも密接な関係をもつ“神の子”が描かれています。

 次に「辺境の地での成長」ということですが、この2番目の要素も日本の建国神話に見事に盛り込まれています。神武天皇は日向の地で生まれたということは、成人するまではその地で育ち、それから兵を結集して何年もかかって大和地方まで大移動をするのです。これは「辺境の地で育った偉人が王権を打ち立てた」というストーリーにほかなりません。

 それでは、3番目の要素「武勲」について検討しましょう。武勲とは「戦場での手柄」です。国家統一のためにはどうしても武力行使が行われます。これは、世界の建国神話に共通しています。しかし、その武力行使の方法については、各神話の特徴が出てきます。松村さんの解説を読みます--
 
「武勲については、社会の集団化・統合の度合いが低い“未開”社会の神話では、王者の武勲は個人によって成し遂げられることが多いが、より階層化された社会の神話では、王の武勲は彼個人のものであるよりも、彼が組織して支配する集団によって達成されることが多い。(…中略…)場合によっては、王自身の武勲は述べられていないこともある。その場合、彼が王になるのは神による召命、任命、あるいは家系、血筋によるとされ、個人的な才能より超越的な力、神(々)とのつながりが強調されるので、これを神聖王・神聖王権と呼んでいる」。(p.233)

 神武東征の物語を思い出してください。ここに描かれた「神聖王権」の説明と実にピッタリ合致します。神武天皇はパワフルな“英雄”としては描かれておらず、国家統一が地方の豪族によって妨げられることに悩み、神に何度も祈って進路を尋ね、さらにはできるだけ武力を使わずに、対峙する相手の協力や投降を待つことに腐心した様子が描かれています。松村さんの文章です--
 
「神武ははじめ日向の国の高千穂宮にいたが、兄のイツセノミコトとともに東方に天下を治める都を造ろうと大和へ向けて遠征に船出した。彼らは瀬戸内海を経て難波に至るが、土地の豪族のナガスネヒコとの戦いで兄のイツセノミコトは亡くなった。神武の軍勢はこれを、太陽女神の子孫であるにもかかわらず太陽に向かって戦ったための敗北と思い、紀伊半島を迂回して熊野から大和の地を目指した。熊野では化熊に惑わされ、軍勢は気を失うが、天から下された剣の力で元気を回復し、また、天から派遣された巨大な烏(八咫烏)に導かれて熊野、吉野の山中を無事に越えて大和に至った。そしてナガスネヒコをはじめとする土着の豪族を打ち破り、畝傍(うねび)の橿原に都を定め、天皇として即位したとされる」。(p.234)
 
 この物語は史実ではないでしょう。しかし、史実でないことは「重要でない」ことを意味しません。神話であることを認めたうえで、そこに何が理想として描かれているかということを私たちは把握しなければなりません。なぜなら、それが日本人の心の中にはぐくまれてきた「理想」であり、日本人のアイデンティティであるからです。そして、その理想は、世界の人々と全く異質であることはない。他の建国神話と比較しても共通点が非常に多い。ただし、その中には特徴もある。その特徴が、日本人を日本人たらしめている部分である。このことは、過去の建国記念日のあいさつで私が繰り返してきましたが、簡単に言えば、➀神の御心に聞きしたがう、②自然との一体感を大切にする、そして、③武力行使をできるだけ控える、ということです。
 
 この理想は現在、生長の家が推し進めている“自然と共に伸びる運動”と大いに共通しているものですから、ぜひ皆さんは、この運動を進めていく過程で、日本建国の理想を正しく人々に伝え、子孫にも伝え、海外の人々にも伝えることによって、世界平和の実現に貢献していただきたいと切に念願するものであります。日本国の「建国記念の日」にあたって所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○大林太良他編『世界神話事典』(角川選書、2005年)

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2013年2月 1日 (金)

“手紙月”への挑戦

 2月を「手紙を書く月」と決めて、毎日誰かに1通ずつ手紙を出すことを勧めるサイトをネット上に発見した。その目的は、「もっとていねいに人と付き合おう」ということらしい。
 
 昨今の世の中では、携帯メールなどの電子的な連絡手段が高度に発達し、文字や写真のみならず、音声や動画もほとんどリアルタイムで遠方に送ることができる。これは、情報伝達の「速さ」という観点からみればまことに画期的であるが、反面、玉石混淆の情報が氾濫 して情報の真偽の判定を困難にし、とりわけ判定力が未熟な子供が犠牲になるなど、いろいろな問題をはらんでいる。ケータイやスマホを持っている人は、情報の着信を知らせる文字や音で、ゆっくり読書する時間もないのではないか……と私は老婆心ながら考えるのである。
 
 そういう私は、ケータイやスマホを持っていない。理由の1つは、止まることを知らない情報着信の知らせが、仕事や私生活の妨げになると考えているからである。この辺のことは、『日時計主義とは何か?』や『太陽はいつも輝いている』などの拙著の中ですでに詳しく書いた。世界を便利に使おうと思うと、世界に便利に使われることにもなりかねない。これはいわゆる“動反動の法則”の1つで、技術社会の落とし穴の1つとも言える。

 2月を“手紙月”としようと言っているのはアメリカ人の若手女性作家、メアリー・コーワル氏(Mary Robinette Kowal)で、彼女はふだんは電子メールをバンバン使っているのだが、メールを打つときと紙に書く手紙の違いを明確に意識し、こう表現している--
 
「紙に手紙の返事を書くとき、私はゆったりとした気分になり、メールで書くのとは違う書き方になる。メールには、今この瞬間に重要なことだけを書く。が、手紙ではそうはいかない。なぜなら、手紙に書くことは、それから1週間ほど先の宛先人に関わることだからだ。こういう状況は、いやおうなく私に“時間”を意識させる。郵便は届くのが遅いからだ。メールではそれがない。“この手紙をあなたが受け取るころには……”と書くことは、自分の気持をゆったりさせるし、相手の心に近づく。そこには持続的な、表現しがたい良さがある。」

「なぜそうなるのか? 受け取った手紙は、2度読むことが多い。1度は、それが到着したとき。2度目は返事を書くときである。そして、手紙の相手や用件のことが、自分の中により強く印象される。自分が書いた手紙は一回切りで、メールのように複製がない。そして、相手の手紙のオリジナルは、自分のところにしかない。そういうことが、なぜかメールより良い」

 --こうコーワル氏は言う。

 私はかつて「下手な字でいい」という一文を書いたとき、プリンターで打ち出した文字のうさん臭さを問題にし、ていねいに手書きした文章は、その文字がたとい下手であっても、書き手の誠意が表れて好感がもてると述べた。コワ-ル氏はそのことに触れていないが、サイト上では「手紙は必ず手書きする」ように言っているから、手書き文字の重要さは充分心得ているだろう。そして、彼女は、2月中に自分の知人に手紙など23通を送ることに挑戦しようと提案するのである。なぜ「2月」でなぜ「23通」か?
 
 私は当初、それはバレンタインデーが2月14日であることと関連しているのかと考えた。しかし、ラブレターを23通ももらう恋人は当惑してしまうだろうし、かと言って23人に愛の告白をするのは、いかにもいい加減である。アメリカでは、バレンタインデーは必ずしも恋人同士の日ではなく、家族のため、友人のため、恩人のためにも愛情や感謝の思いを表現していいことになっているから、そういう近親者や知人との心の交流を主眼とした企画なのかもしれない。が、サイトにはそういう説明はなく、2月が年間でいちばん短い月であることと関係ありそうなことが書いてある。つまり、30日間連続というのは大変だから、1週間のうち郵便局が開いている6日間を利用し、それを4週継続すると「24通」となる。が、アメリカでは2月に祭日が1日あるから、その分を引いて「23通」ということになるらしいのである。
 
 これを読んで、私は「なかなかいい企画だ」と思った。日本では、年賀状などの季節の挨拶を手紙や葉書で行う習慣が廃れていないが、反面、やや義務的になっているし、形式的な内容のものが多い。だから、年賀状のやりとりも一服し、一年で最も寒くなったこの時期に心温まる手紙や葉書を交換することは、日本の季節感とも矛盾しない。だいいち2月3日は「ふみ」と読めるから「文通月」を2月とする理由ともなる。さらに、2月14日にはもうCO2を排出するチョコレートを交換するのはやめて、温かい愛情表現の日にするのがいい。それには手書きの手紙や葉書がいちばんだ……などと考えたのである。
 
 そこで1月の終りになって、私は急遽、コーワル氏が運営する「手紙月の挑戦」(The Month of Letters Challenge)というサイトに登録し、彼女が目指す方向に動いてみることにした。ただし、私なりのアレンジを加えて、である。私の場合、郵便物を差し出す相手は「24人」とし、差し出すものは絵手紙、ないしは絵封筒とすることにした。その「24人」は、生長の家が運営するポスティングジョイで募集し、すでに決まっている。私がどんなものを描いたかは、受け取った人がジョイとして登録することになっているから、興味のある方はご覧あれ。さらにフェイスブック上の「絵封筒作家の部屋」のサイトでも絵は見られるはずだ。
 
 谷口 雅宣

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