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2013年1月13日 (日)

コーヒーを子孫に残すべきか?

Caputino2012  自分で言うのはやや気が引けるが、私は“コーヒー党”である。とは言っても、ガブ飲みすることはしない。朝食時に1杯、午後2時ごろに1杯飲んで満足する。疲れた時に飲むのもいい。だから、生長の家の講習会の帰途、航空機や列車の中で飲むことも多い。わが家では、朝食時のコーヒーは私が淹れる。これは結婚して以来の“伝統”である。この1杯がうまいかマズイかは、その日の気分を左右する--と言えばいかにも大げさだが、わが家の構成員(たった二人だが)にとって、重要事項の1つである。幸いなことに、私の熟練のおかげか、朝のコーヒーがマズイという事態は、もうほとんど起こらない。学生時代にはサイフォンで淹れるのが流行ったが、その後、ネルのドリップを使うのもやってみた。さすがに豆の焙煎まではしなかったが、豆で買い、ミルで挽き、ドリップで淹れるというは、当たり前になった。今も、その方法だ。

 で、そういう大事な嗜好品の1つが、孫の世代の人々には「手が届かなくなる」という可能性を考えてみた。それは好ましいことだろうか? いや、好ましくない。では、その可能性を減らす努力をすべきだろうか? その通りだと思う。しかし、今の自分の生活の一部を犠牲にしてでも、その努力をすべきだろうか? それは、程度問題ではなかろうか。一体何をどの程度犠牲にすれば、孫世代にも現在と同様に、コーヒーに手が届く状況であり続けるのか? その答えが「よく分からない」のである。これが地球環境問題で、我々が確信をもって対策を講じにくい原因の1つである。気候変動のメカニズムがあまりに複雑すぎるので、確かな“未来図”が予測できない。したがって、「危ない」という人がいる一方で、「大丈夫」という人も同じくらいいる。そして結局、抜本的対策は講じられず、“ハーメルンの笛吹き男”はさらに崖っぷちに近づいていく。そんなことが何回も繰り返されている。
 
 コーヒーは16~17世紀にアフリカからヨーロッパに導入され、それ以降、人類の創造性と活力を引き出す重要な役割を果たしてきた。産業革命を生んだ要因の1つに、コーヒーを挙げる人もいるくらいだ。その消費量は、石油に次いで第2位なのだそうだ。コーヒーカップの数に換算すれば、世界中で年間5千億杯が飲まれていて、コーヒー輸出産業は150億ドルを稼いでおり、2千600万人の農民がその栽培に従事している。しかし問題なのは、コーヒー豆の品質は生育条件--特に、気温と降雨量ーーに左右されやすいという点だ。そして、ご存じのように、地球温暖化は世界各地の気温と降雨量を変えつつある。つまり、これまで生育の好適地だったところが、そうでなくなりつつあるのだ。イギリスの科学誌『New Scientist』は1月5日号でこの問題を取り上げ、IPCCによる「最悪の予測によれば、現在コーヒー栽培の適地となっているほとんどすべての地域が、2080年までに適地でなくなる」と警告している。IPCCが掲げる“最善の予測”では、適地でなくなる地域の割合は「65%」だが、前回述べたように、この可能性はもうなくなった。

 私は、ブラジルが世界一のコーヒー産地だという情報から、コーヒーの木は気温が高い熱帯でよく育つのだと思っていた。が、「気温が高い」という条件はマイナスに働くこともあり、それより降雨量とその変化の仕方が重要であるようだ。同誌の記事によれば、コーヒーは蕾みが膨らむまでは乾燥した気候を好み、開花するためには雨が必要という。しかし、雨が降りすぎると実がつかない。しかし、実の成長過程ではまた雨が必要なのだそうだ。現在、世界で栽培されているコーヒーはアラビカ種(Arabica)とローバスタ種(Robusta)の2種だけで、前者は標高1000~2000メートルの高地で気温が18~21℃の時が成長に最適であるのに対し、後者は湿気の多い低地で22~26℃の時が最適であるという。しかし、気候変動の影響は、こういう条件を乱しつつある。例えば、世界第2のアラビカ種生産地・コロンビアでは、2009年から2012年までの3年間、ほとんど雨が降りっぱなしだったため、カビによる伝染病が発生して35年来の少ない収穫量だったという。
 
 温暖化が進行すればアラビカ種のコーヒーはしだいに収量が減り、より温暖な地に適したローバスタ種の栽培に移行することを余儀なくされそうだ。しかし、コーヒーの「香り」を演出するのがアラビカ種で、ローバスタ種は強い苦味を特徴とするため、ほとんどはアラビカ種とブレンドして売られているのだという。また、値段でもアラビカ種がローバスタ種に勝るため、移行は簡単でないらしい。そこで必要になるのがアラビカ種の品種改良だが、野生のアラビカ種が残っている所はエチオピアの一部に限定されており、昨今の温暖化で、その範囲も急速に狭まりつつあるという。

 コーヒーは嗜好品だから、飲めなくなっても人類にとって悲劇ではないという考え方は、確かにある。しかし、温暖化によって収量が減っていくのは、何もコーヒーだけではない。コーヒーほど気候に敏感でなくても、このままでは主食穀物の収量も減るだろう。その中で世界人口が増え続けるという構図は、決して歓迎すべきものではない。読者諸賢には、コーヒーを飲む機会があるたびに、この問題を思い出してほしいのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます!僕も以前は缶コーヒーとかペットボトル入りのコーヒーとか飲んでましたが、最近は天然水とか日本茶、ほうじ茶をのどがかわいてる時は飲みますがコーヒーは全く飲まなくなりましたね。先生は天然水とかお茶とかに変えてみてはどうですか?参考になるかわかりませんが。

投稿: 辻昭 | 2013年1月14日 (月) 14時37分

合掌ありがとうございます

珈琲に限らず、今後の食料事情は、かなり変わっていくのでしょうね。それはそれで受け入れるしかないと思います。ですが、自分の好物がなくなるとなると、思いは複雑です。私は無類のチョコレート好きです。好きな食べ物は?と聞かれれば「チョコレート」。死ぬ前に食べたいものも「チョコレート」。好きな食べ物を10個あげてと言われても、その全ては「チョコレート」。さて、チョコレートの原料のカカオ、これも珈琲豆と同じような条件だった気がします。
チョコレートのない生活は考えられません、弱りました。

投稿: 水野奈美 | 2013年1月14日 (月) 21時40分

総裁先生
初めて、投稿させて頂きます。カナダ、バンクーバー教区の大高と申します。海外在住期間が長くなりますと、海外からみた日本はとても不思議な国に思えることが多くなりました。
今日では、地球上のどこにいてもインターネットで何でも情報が得られますが、それらの情報は何かしらのフィルターを通過していたり、発信者の意図が見え隠れしたりで、何となく信用できません。今では、総裁先生のこのブログが、私が物ごとを思考する上での指標みたいになっております。それにしましても、文化とは、まさに習慣の違いなのだと痛感する今日この頃です。今回のコーヒーのお話しも、日本の方はあまり気にもならないことかも知れませんが、私どもは、毎日、それこそ朝昼晩と何度もコーヒーを飲みますので、この様なお話しにはとても興味が湧きます。
 日本にいた時も飲んでいましたが、回数はそれほど多くはありませんでした。総裁先生と同じ様に、自分で豆を購入しブレンドをしたりして楽しんでおりましたが、今では、日本人がお茶を頂く感覚と同じようになり、自宅でも『お茶にしようか』と、言って出てくるのは、日本茶ではなくコーヒーです。
 昨年、初めて河口湖の練成会を受けるために日本に行った際に、日本でもコーヒーを飲む機会がありましたが、価格がとても高い割にあまり美味しいとは感じませんでした。でも、良く考えるとこれも、コーヒーが変わったのでなく、飲み手である自分が変わったのだと思うようになりました。
 総裁先生は、コーヒーのお話しから、地球温暖化のことをご示唆なさったのですが、実は、私は日本にいる時は環境省に勤めていたことがあり、環境白書やラムサール条約、京都議定書作成など色々な環境行政に携わっておりました。縁あって、生長の家の御教えに触れましたが、自然と人間の関係を分かりやすく説かれる総裁先生のお話しがとても素晴らしいと感じております。             これからも、分かりやすい解説を、どうぞよろしくお願い致します。 
最後に、実は、私はまだ生長の家が初心者マークでしたが、本日15日(カナダ時間)に、めでたく1周年を迎えることが出来ました。本日1月15日は、この御教えに導いてくれました、妻の誕生日でもあります。コーヒーの話から、個人の話しになってしまって、大変失礼致しました。先生のブログは、私のように海外に住む日本人も楽しみに拝読させて頂いておりますので、今後ともよろしくお願い致します。ありがとうございます。

投稿: 大高力夫 | 2013年1月16日 (水) 07時30分

大高さん、
 バンクーバーからのメッセージ、ありがとうございます。
入信1周年となる日が奥さまのお誕生日というのは、何かドラマチックな背景がありそうですね。北極近くの地域は、温暖化現象が顕著だと聞きます。場所によっては、永久凍土が溶けて家が傾くなどという話を聞くのですが、本当ですか? 

 こちらこそ、今後もよろしくお願いいたします。

投稿: 谷口 | 2013年1月16日 (水) 23時09分

合掌、ありがとうございます。                              
 昨日、私の投稿が掲載されたのを確認致し、妻と二人で『なんだか、すごく素敵なことだね、生長の家がとても身近に感じるね』と、話しておりましたが、本日は、なんと、総裁先生のお言葉が載っているではありませんか。朝から、何度も読み前して、妻と二人で大感激致しております。
 日本とバンクーバーは、約8000キロの距離がありますが、物理的な距離よりも、生長の家と言う大きな組織の長であられる総裁先生は、それこそ雲の上の様な存在に思っておりましたので、一信徒の私などが簡単にブログにコメントなどが出来ることが未だに信じられないのですが、本当に生長の家は素晴らしいですね。
 ところで、不勉強で申し訳ありませんが、永久凍土の話は、カナダに住んでいてもあまり詳しくはありません。確かに、北の方のノースウエストテリトリーや、アメリカの領土であるアラスカでは、大きな問題なのかも知れません。永久凍土ではありませんが、カナディアンロッキーのコロンビア大氷原(氷河)は、近年の地球温暖化の影響を受け、毎年1~3mの速度で後退し、容積も減少しているみたいですが、これは自分の目で見てきました。
そう言えば、日本でも富士山の山頂に永久凍土があると思います。私が環境省で働いていた当時、夏に富士山頂のゴミを拾っていたことがあります。当時は、気象庁のドームもありましたが、その近くに環境省の施設がありまして、その小屋に1週間とか、2週間泊まり込んで作業をしました。この施設は古い小屋(戦前の建物)で、屋根についた雨どいから天水を集めて飲み水にしたり、お湯を沸かして体を拭いたりしましたが、雨が降らないと(雨が降っても、山が高いので山頂は晴れていたりします…)荷揚げした飲料水すら無くなります。そこで、本来、国立公園の特別保護地区で、小石すら移動してはいけない地域なのですが、水を求めて火口に下りて行って南側の雪渓(この辺りが永久凍土だったと思います)から、雪の塊を拾って来て、やかんにかけて火を沸かし飲み水にしました。しかし、ご存じのとおり、3700mを超す山頂ですから、沸点がかなり低いのでコーヒーを入れても熱くならず、カップヌードルも固いままです。そう言えば、今、思いだしましたが、火口には寛永通宝などの昔の通貨が沢山落ちていました。昔は、お賽銭のように火口へ投げ込んだのでしょうか。
また、話がそれてしまいましたが、永久凍土が融解するとメタンや炭化水素が発生し、温暖化が進みますからとても大きな問題ですね。今後は、北米で話題になるような記事があるかどうか常に気にかけておきます。(富士山頂のコーヒーは、“ぬる目”だったことお伝えして終わります。)
ありがとうございます。

投稿: 大高力夫 | 2013年1月17日 (木) 09時10分

大高さん、

 興味ある話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。

投稿: 谷口 | 2013年1月17日 (木) 15時59分

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