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2013年1月24日 (木)

人類の向かう方向は? (2)

 21日(日本時間22日)にワシントンで行われたオバマ大統領2期目の就任演説の評価が、日本とアメリカではかなり違うようだ。23日の『朝日新聞』は、「史上初めて同性愛者の権利拡大に触れ」たことを大きく取り上げ、地球環境問題への言及については、「気候変動問題でも“立ち向かわなければ、子どもたちを裏切ることになる”と積極的な姿勢を見せた」と表現しただけだった。同じ日の『日本経済新聞』は、「平等な社会の実現」を訴えたことを見出しにし、「一方で、中間層の底上げや財政赤字削減など道半ばの課題の実現に向け、米国民が結束するように呼びかけた」と述べるに止まった。気候変動の問題について大統領が何を言ったかにはほとんど言及がなく、「演説では銃規制や地球環境問題、移民制度改革などリベラル色の強い政策を列挙」と表現し、“その他いろいろ”の中の1つだというニュアンスで伝えただけだ。

 これに対して、アメリカの『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(ニューヨークタイムズ国際版)は、23日の第1面に「オバマは議会の意向にかかわらず、気候変動対策に取り組む」(Obama plans climate action, with or without Congress)という見出しの記事を掲げ、新政権の最優先課題が気候変動問題への対策だと伝えた。日本の新聞は、大統領のこの分野への取り組みに懐疑的、もしくは反対なのだろう。これに対してリベラルな『ニューヨークタイムズ』は、「どんどんやれ」という意思の表明なのかもしれない。それにしても、新聞の報道姿勢によって、同じ1つの演説がまるで違って伝えられるという事実は、この問題の背後にある利害関係の複雑さを有力に示している。ご存じのように、『朝日』は日本の新聞でもリベラルな方だが、『日経』は産業界の利益を代弁する傾向が顕著だ。いずれの新聞も、今後のオバマ氏と議会との対立を予測して、「環境対策はどうせうまく行かない」と考えているのだろう。
 
 『ニューヨークタイムズ』は言わば“地元紙”であり、取材の仕方も日本の2紙とはレベルが違うから、新政権周辺を細かく取材し、説得力のある記事を載せている。それによると、演説の前半はオバマ氏のリベラルな政治哲学を総論的に述べている。後半では、各論的に今後取り組む政策について自分の考えを述べている。気候変動についての演説部分は、その他のどの政策よりも多い8つの文章(センテンス)で構成されており、大統領はその冒頭近くで「我々が気候変動の脅威に対応していくのは、それに失敗すれば、子どもや未来世代を裏切ることになると知っているからだ」と述べている。これは世代間倫理を正面から取り上げたものだ。また、国内にまだある温暖化懐疑論に対しては、「科学が示す圧倒的な証拠を拒む者がまだいるとしても、誰も森林火災や深刻な旱魃、破壊力を増す嵐による壊滅的な衝撃は避けられないだろう」と警告している。

 そして、この後にこの問題とどう取り組んでいくかの方針が明確に示されている--
 
「持続可能なエネルギー源へと転換するための道のりは長く、時には困難もあるだろう。しかし、米国はこの転換に抵抗することはできない。むしろ、それをリードしなければならない。我々は、新たな雇用や産業を生み出す技術を他の国々に明け渡すわけにはいかない。むしろ、その将来性を主張すべきなのだ。それによって、我々は米経済の活力と我々の宝--あの森や川、あの穀倉地帯、あの雪を頂いた山々の頂ーーを護っていくのだ。こうして我々は、神が命じた通りに、この地球を保全していくのだ。そうしてこそ、我々の父祖が宣言した信念が意味あるものになるだろう」。

 これはきわめて明確な方向性と言える。「環境保護と経済発展は両立しない」という保守的な考えを否定し、今環境保護に先手を打って歩み出さなければ、新たな雇用や産業の発展に遅れをとり他国との競争に負ける、という危機感が表れており、さらに「経済発展の源泉は良好な環境である」という視点も明確だ。私も昨年秋の記念式典や今年の新年祝賀式で同様の考えを述べたばかりだから、心強い思いがした。しかし、オバマ大統領は、今回の選挙戦ではこの視点を明確に打ち出さなかった。だから、私はオバマ氏の再選が決まったときに、温暖化対策へのアメリカの今後の取り組みについて期待がもてなかったのである。が、ここへ来て突然、“環境色”を打ち出したネライは何か? それについて、同紙はこう分析する。
 
 オバマ氏は大統領1期目に、包括的な温室効果ガス排出規制法案の議会通過に力を注いだ。しかし、議会で多数を占めた共和党の反対で法案はつぶされた。オバマ氏は当初、共和党への説得と調整で何とかなると考えたが、反対勢力の力を思い知らされたのだ。そこで今回は、この件は慎重に事を進める作戦に転じ、議会ではなく、大統領としての執行権の範囲内で、地道に、しかし強力に対策を講じていく方法を採用したというのである。具体的には、大量のCO2を出す発電所に対して排出規制を強めたり、家電製品や建築物の省エネ化を進めたり、さらには軍を含む政府部門から出る温室効果ガスを削減させる措置を採ろうというのである。これらの方策は、実はオバマ氏の第1期目でも、自動車産業などで一部始まっていた。そして、アメリカ全体の温室効果ガス排出量は実際、オバマ氏の就任前より1割ほども減少したのである。その原因の一端は、もちろん景気後退にもあるだろう。しかし、これが有効だという感触を得た大統領は、選挙戦にあえて“環境色”を持ち込まなかったーーそういう分析である。
 
 政治は、“理想論”だけではうまく進まないものである。しかし、利害関係が錯綜する混沌の中にあっても、政治のトップが“理想論”を唱え続けるところから、国は1つの方向に動いていくのだと思う。そういう意味で、私はオバマ氏の2期目の環境対策に静かな期待を寄せるのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生
今回も、分かり易く核心をおつきになったご文章でのご考察、とても参考になりました。私にとっては、過去にアメリカの大統領選を宗教面から眺めるような経験はありませんでした。ところが、生長の家を信仰し始めたことで、立候補者の宗教は何だろうと考えるようになりました。調べてみると、アメリカ初の minority 出身のオバマ大統領に対して、ロムニー候補はモルモン教徒でした。大統領選に立候補するほどの人物なので、てっきりプロテスタントかカトリックだろうと思っていたのに、モルモン教徒であったことに少し驚きを感じました。調査不足ですが、過去の大統領候補でここまで現職に善戦し人気を二分した候補者で、モルモン教出身の方は居るのでしょうか。
アメリカやカナダの選挙を見る時、日本とはかなり違うものがあります。それは、Race(人種)、そしてRreligion(宗教)だと思います。
日本における国や地方など何らかの選挙の候補者は、基本的には日本人であり、立候補者の宗教なども、ほとんど表に現われてこないし、投票する側の判断材料にも含まれて無いように思います。(タレント議員や公明党はわかりませんが…)
ところが、3代も遡れば、ヨーロッパや世界各地からの移民者で構成される国では、それらのことはとても重要なことです。公約と言うか、就任後に行なわれる政治は、移民への対応、人種や人権問題の解決、宗教の上の同性愛者の権利や人工妊娠中絶の可否など、さまざまな項目に及ぶと思います。
そのような点からみると、ほぼ同じ人種で国を構成する日本と違い、アメリカ人の価値観ともいえる、人種や個人の権利を重視する国民性などが今回の選挙から垣間見られたような気がします。
4年前には、アメリカをChangeしようと意欲満々だったオバマ大統領は、今回の勝利でChangeからForwardへ進むということだと思いますが、総裁先生のご指摘の日本とアメリカの新聞報道の違いですが、これも一言で言ってしまえば文化の違いなのでしょうか。
先日の日曜礼拝で、顕在意識と潜在意識の説明の時に、講師の方が氷山の図をお書きになりました。海面から出ている5%の部分と、残りの海面下でみえない95%の潜在意識のお話でした。
日本を離れ、カナダと言う異文化の中で暮らす時間が長くなると、異文化だと思っていたその国の文化も、いつの間にか自分の中に溶け込んでしまうようになります。Intercultural communication とかcross-culturalと言う言葉がありますが、異文化の交流は、この顕在意識と潜在意識の説明と同じく、氷山で例えられることがあります。
cultural icebergと呼ばれるものですが、海面の上にでている部分が人の言葉や行動にあたり、海面下に隠れた部分が文化、つまり、人の行動や言動を動機づける歴史や価値観、そして宗教観だということです。
今回の総裁先生のご文章では、日本の新聞とアメリカの新聞ではかなり扱いが違うことをご指摘になられましたが、まさにそれだと感じました。海面上に見えている部分では、日本もアメリカ同様、同じ宇宙船地球号の乗組員ですが、海面下に多くの価値観や独自の経験が沈んでいます。もちろん、アメリカに限らず、中国も韓国も全く同じ事が言えると思います。
環境政策面でのオバマ大統領の決断は、まさに拍手をもって応援したい快挙と言えますが、私が環境省にいた20年以上も前、いやそれ以前にすでに一国の問題ではないと言う認識は当時の先進国にはあったのです。しかし、海面下に沈む、95%のその国の国民の意識を形成している価値観や宗教観により他国の人間や政治を判断しあっているうちに、ここまで来てしまったのだと思います。
今後の世界を生きていく私たちは、常に相手の文化的背景を理解することに留意するというか、そこに視点を向けながら、見えていない部分をお互いに意識しながら進むことが大切だと思います。国際社会では、他国の新聞記事を読むときも、この異文化の違いcultural icebergのメカニズムを意識しておくことは、とても大切なのではないでしょうか。
こうして、総裁先生のご文章を海外に居ながら拝読させていただけるインターネット環境は、とてもすばらしいものですが、簡単に他国のニュースが読めるだけに、その水面下の文化の理解を怠ると、他国の間違った理解へつながるような気がします。
しかしながら、私たちは何と幸せなのでしょうか。1年もしないうちにリーダーが変わったり、4年ごとにトップが選挙で変わる環境ではなく、総裁先生という神の現れであられる指導者が、常に進むべき道を永遠にご指導くださる環境にいるのです。誠にありがたいことだと思います。ありがとうございます。カナダ バンクーバー 大高

投稿: 大高力夫 | 2013年1月31日 (木) 13時49分

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