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2012年12月27日 (木)

運動の変化について (6)

 しかし、谷口雅春先生は、龍宮住吉本宮における「鎮護国家」の意味を、日本国の安泰や日本国内の安寧だけに限定されてはいなかった。それよりもむしろ、「日本を通して世界平和を実現する」という強いご誓願を込められていたのである。そのことは、同本宮の落慶大祭のとき先生が唱えられた「鎮座降神詞」の中に明確に表現されている。同本宮の御神体は「護国の神剣」であるが、この「護国」とは、日本国家を外敵や外国思想から護るという意味では必ずしもないことが、祝詞の次の文章を読めば分かるだろう--

「掛けまくも綾に畏(かしこ)き住吉大神、龍宮実相世界の天津御座(あまつみくら)より、此の瑞(みず)の御殿(みあらか)龍宮住吉本宮の御神座に奉安し奉る。
 ここに“護国の神剣”に、大神の尊き神霊(みたま)を天降し給ひて鎮座(しづまりま)してこの神剣を世界平和の核として、この神剣より世界全部に輝くところの平和の霊光を発し給ひて、まことに地上に天国を創造(つくり)給へと請ひ祈(の)み奉らくと白(まを)す。(後略)」(『生長の家』誌、昭和54年2月号、p.33)

 この祝詞の文章には、左翼思想を表す「赤き龍」とか「唯物思想」などの言葉がないどころか、「日本国」や「わが国」など、日本を表す言葉も一切含まれていない。そのうえ、「護国の神剣は世界平和の核」であるとの明確なメッセージで統一されている。同じ祝詞の後半の文章には、次のような箇所もある--
 
「今ぞ護国の神剣に天降(あも)りましたる住吉大神の神霊(みたま)より平和の霊光世界全部に広がりまして、洵(まこと)に地上に天国は創造せらる。明日より、凡(すべ)てのことは浄まりまして、世界は別の姿を現すのであります。有難うございます。有難うございます。」(同誌、同頁)

 このことは、生長の家が生政連運動を推進していた頃の谷口雅春先生のご文章を記憶している人々には、恐らく意外に感じられることだろう。しかし、「鎮座降神詞」に込められた最大の願いは「世界平和」だったということは知っておくべきことである。この大目的のために、目の前で世界の秩序を破壊しようとしている“赤き龍”や“唯物思想”を排除しなければならないと考えられたのである。“赤き龍”や“唯物思想”の排除は「手段」であるということだ。そのことは、この祝詞の後に唱えられた「龍宮住吉本宮鎮座祭祝詞」の中に明確に書かれている。その一部を引用しよう--
 
「…(前略)…大神の使徒(まめびと)らをはじめ、関係(かかは)れる諸人等(もろびとたち)、賓客等(まれびとたち)、多(さわ)に打ち集いて、乞ひ祈(の)みまつらくは、いまだ人類の状(さま)は、足に藻がからむ如く、唯物思想にとらはれて、罪業の意識も浅からず、物質の法則の鉄壁に囲まれて、自己処罰の潜在意識昂まりて、利己主義、反抗心の衝突は個人から国家の次元に至るまで、重く著く、弥(いや)益々に自由を失なひゆくばかりにて、世界至るところで肩摩穀撃(けんまこくげき)衝突の惨事を繰り返す状なれば、…(中略)…この危険なる唯物論的世界観、人生観を、朝日の前の霜露の如くに、大神の光のコトバの力にて、禊ぎ払ひ除き給へと希ひ奉り、わが使徒ら念力を籠め、顕斎(うつしいはひ)につとめ、実相の御心に成る大調和の世界を現実界に持ち来さんことを期し、大神の御出御、御導きを管(ひたす)ら請ひ祈(の)み奉らくと白す。」(同誌、p.35)

 また、先生が日本国憲法によって天皇が「象徴」という地位に置かれたことを憂えられ、それによって日本のみならず世界が“天之岩戸隠れ”の状態になっていると考えられ、大日本帝国憲法の復元改正を望まれていたことも事実である。そうすることが日本国の実相顕現につながるとのお考えも、この祝詞の中には表れている--
 
「つひに天皇は、豊葦原の瑞穂の国治(しろ)しめす御使命の御座より単なる“象徴”といふ空座に移され給ひ、恰も天之岩戸隠れを再現せるが如き暗澹たる国情に陥りて、その隙に乗じて“赤き龍”の輩(やから)、日本国の四方に回りて爆弾騒ぎなどさまざまの策動をなし、革命の焔、いつ燃えあがるとも計り知れざる実情とはなりぬ。
 このとき、住吉大神を、かく実相世界の秩序に基いて顕斎し奉(たてまつ)る所以は、大神の本来の国家鎮護皇国護持の御使命を完全に発動され給はんことを希ひ、日本国土より、すべての妖雲暗雲を悉く祓ひ清め、天照大御神の御稜威(みいつ)六合に照り徹りて、神武天皇建国の御理想は実現せられ、八紘は一宇となり、万国の民悉くその御徳を中心に仰ぎ奉りて中心帰一、万物調和、永久平和の世界を実現せんことを期し奉るがためなり。」(p.36)
 
 このような谷口雅春先生の熱き願いによって地上に建設された龍宮住吉本宮であったが、落慶から11年たって冷戦は終結し、“赤き龍”からの脅威は事実上消滅した。しかし、もう一方の問題である「唯物思想」に関しては、それから23年たった今日でも落慶当時から状況はあまり変わらないか、さらに悪化しているように見えるのである。つまり、物質的豊かさの追求が人生の目的であり、物質が人間の幸福を生み出すとの考え方は、日本を含めた“西側諸国”においてはいまだ趨勢を占めている。その中で、“赤き龍”の後継国であるロシアや中国にあっては、この考え方は、当時よりむしろ拡大していると感じられる。加えて、中南米、中東、東南アジア諸国では、経済発展があたかも“最高の善”であるかのような声が高まっている。そして、これらすべての動きの総合的な効果として、地球温暖化と気候変動が進行しているのである。
 
 だから、“赤き龍”が排除された今日、生長の家が総本山の祭祀の重点を「鎮護国家」から「世界平和」に移し、この地を“自然と共に伸びる”ための生き方を研鑽する道場として改めて位置づけることは、雅春先生が念願された“唯物思想の排除”による人類光明化を、21世紀の文脈の中で遂行するための有効で、有力な方法であると言えるのである。ただし、今の時代に私たちが問題にする「唯物思想」とは、当時のように“左側”に限定されてはいないし、むしろ“西側”に顕著に現れている。つまり、私たちの生活の中にごく普通に見出されるものである。例えば、有名ブランドへの偏愛や肉食を含む“飽食”の現象の中にそれがある。また、食品のムダなどの過剰な消費生活がそれであり、労働者の福祉を度外視したような生産形態や、環境破壊を省みない過度な効率優先の生き方の中にもそれがある。私たちは、そのような現象が「日時計主義」をひろめ、それを多くの人々が実践することによって是正されていくと考える。
 
 ところで、生長の家の一部の講師の中には、龍宮住吉本宮の落慶と冷戦の終結の間に因果関係を読み取ろうとする人もいるらしい。が、すでに述べたように、前者は1978年で、後者はその約10年後である。落慶後には、残念ながら“新冷戦”と呼ばれる対立の時代が再び始まったのである。そして、冷戦終結の大きな原因はイスラーム勢力と民族主義の台頭とソ連の弱体化である。

 谷口 雅宣
 

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コメント

谷口雅宣 先生 合掌ありがとうございます。 新年明けましておめでとうございます。 全世界の平和実現のために貢献することが、日本国建国の理想を如実に生きることを観じます。 式年遷宮が完成する年に本部が移転することにも深い意義があると思います。

志村宗春拝

投稿: 志村 宗春 | 2013年1月 1日 (火) 01時41分

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