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2012年11月 3日 (土)

原子力発電を生んだ“迷い”

 生長の家講習会での私の講話を聞いた読者から最近、お手紙をいただいた。この人はベテランの地方講師で、私が“脱原発”を主張した点が強く印象に残ったというのである。その一部を紹介する--

 「今年は9月に神奈川教区、10月に東京第二教区と続けてご講習会を受講させていただき大変幸せでございました。とりわけ午後の質問に対するご指導は、私たち地方講師にとりましてもよい勉強になりますが、特に今回の飛田給での“原子力エネルギーの利用は迷いの具象化--即ち偽象である”とのお諭しは目の覚める思いで拝聴致しました。 今までにも相愛会誌友会などで原発の話をしますと“放射能をコントロールする技術が開発されないうちに平和利用を始めたことは間違っていると思うが、原子力利用の智慧も神の智慧でしょうから、いずれ放射能をコントロールできる方法が分かってくれば安全に利用できるようになると思います”と言う人が居ます。 そのようなとき『次世代への決断』の“原子力エネルギーの利用はやめよう”の話をしますが、230~231頁の“それらは力が強大ですが、地球の生物とはまったく相容れないものです。それらは、人間と自然との不調和の産物です”と書かれているところに来ますと、“それは利用の仕方の問題なのではないですか? 賢い利用の仕方があるのではないでしょうか……”と中々納得してくれません。“難しくてよく分からない”と言う人も居ます。自分の説得力不足を棚に上げて御願いするのは気が引けますが、できれば“原子力エネルギーの利用は迷いの具象化である”ことの意味を『唐松模様』にて具体的にお説きいただけませんでしょうか。」

 --ご本人は「目が覚める思い」がしたというのだから、私の“脱原発”の主張に納得されたのかと思うのだが、それを他人に理解させるまでには至らないようである。まぁ、この問題は複雑かつ広範囲の事柄を含むので、理解が難しいことは確かだが、専門的知識をもっていなければ理解できないという種類のものでは必ずしもないと思う。それに、本欄の「生長の家と自然」シリーズを読んできて下さっている読者ならば、問題の本質を宗教的、かつ直感的に把握していただけると期待している。それは、結局のところ「人間と自然との関係をどう捉えるか」の問題なのである。

  前回の本欄のタイトルを私は「自然と人間は一体なり」とした。これは生物学的に正しいばかりでなく、宗教的にも「大調和の神示」のバックボーン(背骨)をなす考え方である。その意味はすでに十分説明したところだが、ここで確認のために同神示の最後にある言葉を引用しよう--

  「われを招(よ)ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。」

  ここで「われ」と称しているのは神示を下した“神”(七つの燈台の点灯者、第二義の神)である。そして聖経『甘露の法雨』によれば、「神があらわるれば乃ち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」である。これを目的としているのが生長の家の人類光明化運動・国際平和信仰運動であるし、その他の多くの宗教の目的でもあると言える。では、原子力エネルギーの利用は、人類が「天地一切のものと和解する」方向に合致しているのだろうか? 原子力発電所が世界中に普及していくことによって、人類は「天地一切のものと和解する」方向に近づいていくのだろうか? その答えは、断乎として「否」である。

 私は最近、生長の家講習会の講話で“脱原発”の話をするとき、よく「原発いらない6つの理由」という次のようなリストを表示する--
  (1)生命全体に有害
   (2)人と自然を分離する
  (3)ウランは枯渇する
  (4)核兵器拡散の危険
  (5)温暖化を促進
  (6)中央集権を促進

 このうち最初の「生命全体に有害」というのは、もちろん放射線のことを言っている。放射線は、地上生物の遺伝情報を保存しているDNAを破壊するから、すべての生物にとって有害である。大量の放射線の放出を伴わずに原子力発電をすることは不可能である。太陽のような核融合反応を利用する発電も研究されてはいるが、太陽も、人体に有害な紫外線などを大量に放出している。私たちが生活する地球の表面では、太陽光線が短期的には人体に害を与えない状態になっているが、その理由は、地球の周囲を大気圏とオゾン層が取り囲んでいて、この2重の“保護膜”によって太陽からの有害な紫外線が吸収されたり、減衰されたりしているからだ。私は『次世代への決断』の96~97頁に「太陽は一種の“原子炉”」と題してそのことを書いたが、地球を取り巻くこの“2重の保護膜”は生物全体が作り出してきたものだ。つまり、植物が光合成によって排出する酸素の一部を動物が取り込み、その動物が排出する二酸化炭素を植物が吸収し、あまった酸素に太陽の紫外線が作用すると大気圏の外側にオゾン層が形成されるーーこういう営みを何十億年も継続していく中で、現在のように多種多様な生物が繁栄する「地球」という生命圏ができ上がったのである。

 この貴重な生命圏を破壊して、その中の一部に過ぎない人類だけを繁栄させるなどということは不可能である。原子炉内の核分裂反応によって生み出される大量の放射線は、生命圏全体の秩序を保存してあるDNAを等し並みに破壊するのである。人間がなぜ、こんなひどい破壊的技術を開発したかといえば、それは戦争遂行中の異常メンタリティーの産物だとしか思えない。ご存じのように、原子力発電という技術は「原子爆弾」の“落とし子”のような性格をもっている。先の大戦の末期に、武力による戦争終結を急いでいた各国が「敵に圧倒的ダメージを与えたい」という唯一の動機から、原子爆弾は開発された。その破壊力は、従来の兵器をはるかに凌駕し、兵士も市民も、動植物も建物も何もかもを広範囲にわたって無差別に破壊する力がある。そんな兵器はかつて考えられたことも開発されたこともなかったから、従来の戦争法規ではカバーできない。つまり、それまで各国間で合意されてきた戦争法規違反なのである。しかし、敵を恐怖し、敵を憎むあまりに各国は開発に走った。ドイツが開発中なのをアメリカが気づき、危機感を覚えたアメリカは「マンハッタン計画」を進めて、世界での一番乗りをはたした。学者の間では核分裂反応の破壊力は原理的に分かっていたから、日本も原爆を密かに開発していた。

  広島と長崎への原爆投下の後、この大量破壊エネルギーを発電に使えないかと考えたすえ開発されたのが原子力発電の技術である。まず巨大な破壊力を生み出してしまってから、これを制御しつつ民生用に転用するための技術開発が始まったのである。しかし、この技術は未完である。実用化に際し、人類に安全を保証するレベルに達していないのである。その最大の証拠は、放射性廃棄物を無害化する処理方法がないということだ。現在の科学技術のレベルでは、生物全体にとって有害な放射性廃棄物は、ガラスで固めたうえに、分厚い鋼鉄製の容器に入れ、地中深く埋めておくことしかできない。これは放射性物質の「無害化」ではなく、有害のまま、次世代以降の人類が無害化をしてくれることを(無責任にも)祈って廃棄しているにすぎない。

  このような状況を指して、私は「原子力エネルギーの利用は迷いの具象化である」と言ったのである。その「迷い」とは、大量破壊兵器である核兵器の製造と密接につながっている技術であり、破壊のための技術を一時的に民生用に転用して“平和利用”と称している点を指す。長く使えば使うほど、人類および地球生命全体にとって“終末”を持ち来す危険性が増加する。にもかかわらず、多くの人々は目先の快適な生活を犠牲にしたくないという欲望を優先させ、「自然と人間の一体性」を無視し、理性を犠牲にしている。人類の深い迷いがここにある。

 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます!総裁先生ご指導ありがとうございます!原子力発電の欠点とかわかりやすく解説して頂いてこのほうが勉強になりますし、誌友会や勉強会で話しやすいです。次世代への決断の本はとてもわかりやすいです。兵庫でも相愛会では地区連の誌友会でこのテキストを使用してます!青年会では先月に教区大会で使用しました。わかりやすいです。総裁先生ありがとうございます!

投稿: 辻昭 | 2012年11月 5日 (月) 10時37分

総裁先生,ありがとうございます。
東北には原発が2基ありますが,先月その一つである県内の原発を視察してきました。(興味本位ではなく,職務・“防災主任”の研修のひとつとして)大震災以来自動停止していますが,訪れた施設「PRセンター」では,原発の仕組みと安全性を未だに公開していました。震災当時の様子もビデオで見てきましたが,これはかなり正直に「紙一重」だったことを伝えていました。あと1m津波が高かったら福島第1原発同様の事故につながり兼ねなかったこと。外部電源4つの内,1つだけしか電源がなくなっていたことなどの事実を知って戦慄を覚えました。東北地方では,もう原発が再稼働することはないと思いますが,震災の記憶が風化することがにようにと願っています。
原子炉建屋を眼下に見ながら,原子炉を冷却する循環水のポンプの音が「ウイーン,ウイーン」とだけ聞こえる様は,まるで「悪魔のうめき声」のようで恐怖を感じながら帰路に着きました。
再拝

投稿: 佐々木(宮城教区生教会) | 2012年11月 5日 (月) 20時13分

現在でも多くの人が、原子力発電の平和利用が何故悪いのか訴えている人たちがいます。総裁先生が教えてくださっている、原子力が大量破壊を目的とすることから生れたエネルギーであるという、原子力発電の成り立ちを肝に銘じ、明確に伝えないかなければと感じています。創始者の著書にも「原子力は開発され、原爆水爆は発明されて、だんだん人間が一層幸福になるかと云うと、それが人間を殺すためにつくられ、われわれは不安の世界に追放されて行って居るのであります」と『日常生活の中の真理・聖書篇』にも書かれています。以前に、総裁先生が教えてくださった、核の利用は地球上の自然界では行われていないということは、それが非常に甚大な害を及ぼすからだということでした。太陽のように遠く離れているのではなく、自分の足元でそのような技術の利用は危険極まりないことをもっと自覚すべきだと思います。自然を破壊する技術であると思います。

投稿: Mario Kawakami | 2012年11月 9日 (金) 02時49分

ありがとうございます。
スケールは違いますが、原子力の「平和利用」のお話は、毒ガスの「平和利用」(殺虫剤)に、とても似ている気がしました。人間と自然を切り離した、人為的な「平和利用」にはツケがある。改めて感じました。ありがとうございます。

投稿: 吉森浩二 | 2012年11月12日 (月) 21時33分

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