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2012年10月20日 (土)

生長の家と自然 (3)

 本シリーズの前回では、昭和6年に下された「大調和の神示」が示す真理が生長の家の信仰の根本であることを、同神示が聖経『甘露の法雨』や『生命の實相』の冒頭にあること、また「生長の家教規」に「教義」として掲げられた唯一の神示であることを指摘しながら書いた。また、この神示にある「天地一切のものとの和解」とは、人間同士の和解はもちろん、人間と自然界との和解も含まれていることを述べた。さらに、これらを前提に考えれば、『生命の實相』に掲げられた「七つの光明宣言」中の4宣言までが「生命」という言葉を含むが、この「生命」の中には人間生命だけでなく、自然界に属するすべての生命を含むと解すべきだと書いたのだった。

 このように、生長の家の運動が生命全体の大調和の実現を目指していることを示す有力な証拠は、谷口雅春先生の著『真理の吟唱』にある祈りの言葉の中にも見出される。この著作は、昭和45(1970)年に初版が出た当時は「聖経」の名が冠されていなかったが、その後、『聖経 真理の吟唱』と改められた。これは、雅春先生ご自身がこの書の重要性を認められたことを示している。そして、この聖経の冒頭を飾る祈りの言葉「新生を感謝する祈り」を読むと、「大調和の神示」にある「天地一切のものとの和解」の意味が明確に示されていることを発見するのである。
 
 その部分を引用しよう--
 
「神はすべてのすべてであり給う。天地一切のものは、神の愛と智慧と生命との顕現であり、私たち人間も神の愛と智慧と生命の顕現であるから、天地一切のものと、私たち人間とは、同根であり、兄弟姉妹であるのである。それゆえに、天地間一切のもの悉くみな私たちの味方であって、私たちを害する者など何一つないのが実相であるのである。
 もし私たちが何者かに害されたり傷ついたりすることがあるならば、天地と同根であり一切の存在と兄弟姉妹である自分の実相をわすれて、天地一切のものと自分の心とが不調和になったことの反映であるから、神は“省みて和解せよ”と教えられているのである。」(p.11)
 
 読者はすぐに気づかれたと思うが、このくだりは、前回の本シリーズで言及した「大調和の神示」の引用部分の解説になっている。そして、この祈りの言葉の中には、「天地一切のもの」とは「自然界すべてのもの」という意味だということが明示されている。それは、「天地一切のものは、神の愛と智慧と生命との顕現であり、私たち人間も神の愛と智慧と生命の顕現であるから、天地一切のものと、私たち人間とは、同根であり、兄弟姉妹であるのである」という部分だ。ここでは「私たち人間」と「天地一切のもの」が併記されていて、両者の調和が強調されているのであり、「人間同士の調和」については直接述べられていない。つまり、神の創造になる実相世界では、人間と自然界とは初めから大調和の関係にあるということで、これは、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の冒頭にある次の言葉と同じ意味であることが分かる--
 
「神の創造(つく)り給いし世界の実相は、自然と人間とが一体のものとして常に調和しているのである。」
 
『真理の吟唱』に収録された祈りの言葉の中には、このほかにも大自然と人間との不可分の関係を説いたものがいくつもある。「天下無敵となる祈り」は、まず「宇宙全体が神の自己実現である」と宣言し、「宇宙にある一切の存在にはすべて神の生命と愛と智慧とが宿って」いると説いた後、人間は皆自他一体の関係にあることを述べ、さらに続けて人間と自然との関係について次のように説いている--
 
「すべての人々の生命がわが生命と一体であるだけではなく、すべての動物・植物の生命とも私は一体であるから、すべての動物・植物に対しても私は愛を感ずるのである。それゆえにいかなる動物からも害されることはないのである。すべての昆虫、その他、這う虫、飛ぶ虫のわざわいをも受けることなく、わが果樹園にも茶園にも田畑にも害虫の被害などはないのである。いかなる細菌も真菌もヴィールスも、すべて“生”あるものは、神のいのちを宿しこの世に出現せるものであるから、“神の子”である私を害することは決してないのである。宇宙の一切の生命は、唯ひとつの神の生命に生かされ、唯ひとつの神の智慧に支配され、導かれているが故に、生き物たがいに相冒(あいおか)し合いて病いを起すなどということはあり得ないのである」(pp.95-96)

 実相世界における自然界と人間の一体性と大調和の関係は、このほかにも「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」「良きアイディアを受信するための祈り」「金剛不壊の真身を自覚する祈り」などの中に明確に説かれている。読者はぜひそれらを参照されたい。

 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます
私は、小さい頃より、あちこちで「開発」という自然破壊をみると、いつも悲しくなりました。「そのままの自然がいいのに、自然が好きなのに、どうして、そんなことをするの!?」と、心の中で叫んでいました。根底には同じ命でしょ?やめてよ!って気持ちがありました。「大人って、それがわからないんだろうか?どうして?」と不思議でした。
今、生長の家で、はっきりと自然の命と一体であることを言っていただいてます。それはとても嬉しいことであります。子供の(今は大人ですが)私がいくら言ったところで相手にしてもらえなかったことを、堂々と説かれているのですから。
でも、そんな今やっぱり考えてしまうことがあります。多くの人々は、自然と同じ命って、わからなかったのだろうか?わからなかったから、自然破壊をしてしまったのだとは思いますが・・・、私がだれに教わるでもなく感じていた一体感って特別だったのだろうか、と。
すべての人々に早く気がついてもらいたいと思います。

投稿: 水野奈美 | 2012年10月22日 (月) 14時51分

合掌ありがとうございます!ブログ拝見させて頂きました。生長の家と自然との関係がこんなにあったんだって勉強になります!まだ続きがあれば教えて下さい。

投稿: 辻昭 | 2012年10月23日 (火) 20時26分

総裁先生,ありがとうございます。
生命の実相 第38巻 p106 10月22日の項には,次のように書かれています。
『岩も木も石も煉瓦も水も火も,ことごとく覚体である。すべてのものに仏の生命が生き,神の智慧が輝き,天地の愛が現れているのである。天変地変を恐れるものは,きっと,岩にも木にも石にも煉瓦にも,水にも火にも,……お礼をいったことのない人たちに相違ない。「汝ら天地一切のものと和解せよ」というのは,天地一切のものが,すべて覚体であるという前提があってのことである。覚体でなければ,和解のしようがない。ただその機械的な暴力に従うか,それを利用するか,征服するか,征服せられるかのほかはない。和解とは,征服,被征服を絶した問題であって,相手を覚体として礼拝し感謝するところに和解があるのである。』
長い引用になりましたが,ここにも「自然との大調和」が説かれていると思います。
再拝 

投稿: 佐々木(宮城教区生教会) | 2012年10月23日 (火) 21時45分

水野さん、
 人間の自然破壊の原因は、やはり欲望ではないでしょうか? これは一種の欠乏感で「自然と一体になりたい」と考える欲望もあると思います。つまり、破壊して食べてしまう……ということです。

佐々木さん、
 「覚体」とはconscious being という意味でしょうか?

投稿: 谷口 | 2012年10月23日 (火) 23時05分

総裁先生,ありがとうございます。
ご質問の回答ですが,“conscious being” では「自覚をもつ存在」と意訳されることが考えられますので,単に“Existence with mind”「心を持つもの」の方が伝わり易いかと考えます。
真理の言葉を英語に訳すのは難しいです。日本語はその点,語彙が豊富です。
再拝

投稿: 佐々木(宮城教区生教会) | 2012年10月26日 (金) 18時39分

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