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2012年9月22日 (土)

人生が“終わる”ことの意味

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」が執り行われた。私は斎主の立場で奏上の詞を述べ、祭の最後に、概略以下のような挨拶をした:

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 皆さん本日は、秋季慰霊祭にお集り頂きましてありがとうございます。ご存じのように、この慰霊祭は、生長の家の幹部として私たちの光明化運動に尽力された方々のうち、ここ1年から半年のあいだに霊界に旅立たれた人をお招きして、運動の大先輩として、また同志として感謝の誠を捧げるためのお祭であります。今日招霊させていただいた御霊さまは合計で186柱であります。その中には、私が存じ上げている方の御名前もいくつかあり、感慨深く聖経を読ませていただいたのであります。

 昨年3月の東日本大震災から早くも1年半たちましたが、あの大震災と原発事故の中にあっても、日本人は大規模な略奪や暴動など起さず、秩序を重んじ、忍耐と相互協力の精神を守りとおしたので、世界の人々から讃嘆の声が上がりました。これについてはお隣の中国も例外ではなく、香港では「雨ニモ負ケズ」という宮沢賢治の詩に曲をつけて、日本人を讃える歌を大勢の中国人が歌ってくれたのを見て、私は感動したことを覚えています。しかし、それから1年半たって、メディアが伝える最近の中国人の様子は、暴力的な反日デモを行なって日本大使館や日本企業に対して憎しみをむき出して破壊活動をしています。この人々が、1年半前と同じ中国人だとは信じられないほどです。

 しかし、現象というものはこのように激しく移り変わるものです。ですから、表面の変化に心を捕らえられていては、変化のたびごとに「善だ、悪だ」といって心を動揺させ、相手に感謝したり、はたまた憎んだりで、自ら定見なく、信じられる人もいない不安で、寂しい人生を送らなくてはいけないでしょう。しかし、これに反して、そのような現象の奥にある“動かない価値”を見出している人は、表面の変化に心動ぜず、悪現象を前にしても相手の“神の子”の実相が現れる時を信じて待つことができます。生長の家では、「世界の実相は善一元なり」という大信仰を基本としていますから、その信仰をもつ皆様方はきっと心穏やかな生活を送られていると思います。

 今、私は国と国の関係のことを申し上げましたが、同じことは人と人との関係についても言えます。現象的な人間関係は、常に良好で、平和で、与え合いの関係であるとは見えないかもしれません。意見の対立があり、利害が一致しなかったり、時には激しい感情の衝突があることもあります。しかし、このような移り変わる現象の奥には、“変わらない価値”があるのです。それは、私たちがこの世に於いてある人との関係を持てるということ自体が、価値があり、掛け替えがなく有難いことなのです。その関係が、たとえ“敵と味方”の関係のように見えたとしても、です。それを教えてくれる1つの重要な機会が人の「死」というものです。

 巷では普通、死というものを“悪い”と考えるのですが、宗教の世界では「死はない」と教えています。もちろん、「肉体が滅びる」という意味での“現象の死”はありますが、それは人間の本当の終りではないと信ずるのであります。先ほど皆さんと一緒に読誦した聖経『甘露の法雨』にも、そのことが各所で説かれているのに気づかれたと思います。例えば「物質」の項の最後には、こうあります:
 
 真の“健康”は物質に非ず、肉体に非ず、
 真の“生命”は物質に非ず、肉体に非ず、
 真の“汝そのもの”は物質に非ず、肉体に非ず。
 物質の奥に、
 肉体の奥に、
 霊妙きわまりなく完全なる存在あり。
 これこそ神に造られたる儘の完全なる“汝そのもの”にして、
 常住健康永遠不滅なる“生命”なり。
 
 先ほど合唱した聖歌『永遠に』にも、「人はどこまでも生き続ける」という生命不滅の真理が説かれていました。肉体の死が本当の死ではないということが分かれば、死は一つの「教化の機会」であるということも理解できるでしょう。

 生長の家では、私たちの一生をよく演劇における「舞台の一幕」に喩えます。この喩えのポイントは、①舞台は必ず終わるということと、②演劇に“一人芝居”はないといことです。演劇での役柄は、役者の“本当の姿”ではないけれども、その役柄になりきって真剣に演じることで、役者は人間というものへの理解を深め、人間としての幅や深さを開発し、また体験することができます。つまり、人間の幅が拡がるのです。しかし、その「舞台の一幕」は「終わる」ということが重要です。これが「終わる」ことによって、初めて役者は自分の演技を振り返ることができる。うまく演じられたことが実感でき、また不足だったところは反省し、向上させることができます。また、演劇は役者が一人ではできません。人生には「一人芝居」というのはあり得ないのです。他の役者の存在が必要です。別の言い方をすれば、自分の役柄は、他の役者の役柄と密接に関係して決まるのです。このことをごく簡単な例で言えば、“正義の味方”を演じるためには“悪役”が必要だということです。もちろん、実人生においては、誰かが一方的に完全な“正義の味方”で、別の誰かが完全な“悪役”だというような単純なケースは少ないでしょう。私たちはそれぞれ、ある一面では正しくても、別の一面では間違っているということがほとんどです。

 しかし、そのことがはっきり理解されるのは、自ら役柄に没入し、感情を込めて演技をしている時よりも、舞台の一幕が終わって、反省や回顧ができる時です。その時、自分がこの“善の役割”を演じることができたのは、彼または彼女が“悪役”に回ってくれたからだと気がつくのです。また、自分の失敗は、あの人の助言や援助によって被害を最小限に抑えられた、などということもしみじみと感じられるでしょう。そうすると、本当の意味での“悪”などというものは、人生において存在しないことに気がつきます。私たちは皆、より多くの善を現そうとしている練習中の役者である。一見“悪役”と見える人も、実は自分を“善導”する役柄を自ら買って出てくれた人である、と感謝の思いとともに振り返ることができるでしょう。生長の家では、こういう自覚を“観世音菩薩の教え”と呼ぶことがあります。
 
 肉体の「死」は、このような観世音菩薩の教えが説かれるよい機会となります。もちろん最愛の人が他界した場合などは悲しみに暮れる時期はありましょう。しかし、皆さまにはぜひ悲しみを克服され、「本当の人間は神の子であり、不死である」という信仰を高く掲げ、それをまた人々に伝えていただきたいのです。
 
 このたび、ブログに発表した「観世音菩薩讃歌」という自由詩が経本の形になりました。この中には、今申し上げた観世音の働きについて詳しく書いてありますから、皆さまにはそれを日常的に読むことで、これからもさらに希望をもって実相顕現の活動に邁進していただきたいと心から念願するしだいであります。それが、先に旅立たれた御霊さまの遺志を継ぐことであり、何よりのご恩返しだと思うのであります。秋季慰霊祭に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌、ありがとうございます。普段から「教え」に、導かれ尊い先祖供養の意義を認識して実行して居りますが、先生のその時々の状況等に応じての、お話を承りますと又改めて深く認識し、心を新たにする事ができ、ホントに感謝でございます・・。 ありがとうございます。 一層誇りある生長の家人として邁進してまいります。 感謝合掌 冨田進拝

投稿: 冨田 進 | 2012年9月23日 (日) 11時22分

合掌ありがとうございます

観世音菩薩賛歌、まだ手元に届いてないので、楽しみに待っております。
最近私は自分の「死」を感じました。将来を考えてきちんと生活してきたけれど、子供の頃から、どうしても計画できない年齢のところがありました。ちょうど今の歳から先が考えられないんです。その歳が近くなったら考えられるのかな?できましたが、ついにその歳になりました。そして手相をみると、今の歳であの世にいくようにな手相なんですね。だから先が考えられなかったんだな、と思いました。そして「死」を意識すると、今日の先生のブログの文章にあるように、決して変わらない価値があり、それを素晴らしいと思えるようになりました。
素晴らしい挨拶を、ありがとうございます。

投稿: 水野奈美 | 2012年9月23日 (日) 19時48分

谷口 雅宣先生
玉案下

合掌 ありがとうございます。

慰霊祭の先生のお言葉、拝読したいまして、改めて、教えの素晴らしさに感動しております。

ありがとうございます。

私事で、恐縮でございますが、先日、お彼岸に、実父が他界いたしました。

95歳。どこも悪いところなく、眠るがごとく昇天いたしました。

生前は、教区役員として、長年、光明化運動に携わらせていただきました。

谷口雅春先生のご文章のなかにも、たびたび、奇跡的体験を、ご掲載賜りました。

常日頃より、現象の変化にどうぜす、全て感謝の生活をさせていただいておりました。

「ありがたい、ありがたい」 といいながら、天寿をまっとうさせていただきました。

先生のおっしゃるように
「本当の人間は、神の子であり、不死である」
この教えを実感させていただいております。

霊界に旅立ちましても、あちらで、修行させていただいていると思います。
父に変わりまして、ご挨拶させていただきます。

誠にありがとうございました。m(__)m

投稿: 恵美子 原 | 2012年10月 1日 (月) 15時29分

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